第13章
ものみの塔は心理の問題を抱える人を引きつけるか
エホバの証人になる人たちの中には、不幸な境遇にいて、証人になって問題を何とか解決する策を求めているといった事実はしばしば見られる。証人に解決を求めたり、生涯の困難な時期に証人にたよって軽くしてもらおうと、証人の教義体系の中に求めようとする者は多い。科学的な論文の中には、問題をうまく切り抜けるための十分な情報源を持たないで、証人のようなカルトに引きつけがちな者が相変わらず見受けられる。一例としてモクソンのことばを引く。
精神的な平安や身体の健康を脅かす危険があると、許容できない恐怖を覚える本能がその許されない状況から逃げようと、ほかの人々に相談をする本能がある。カルトは特にそうだが、こうした傾向から見ていくつかの宗教は、暗闇で脅しつけられる現実性から逃避する試行策として見られている。生活における波風に耐えられないと心の中で思っている神経質な人たちは、信仰の世界にいて、現実から逃避しようとする。実際、ストレスを抱えた人たちにとっては、宗教は安全弁である。
また同書の中ではエホバの証人の宗教も精神的な問題を抱える人たちを引きつけることが証明されている。例えばオークレイは証人にとっては失望や不幸、病気などといったテーマが興味をそそる身近なできごととなっていることが多いと論じている。念のために付け加えると、証人の宗教が精神的な問題を起こす高度な道具になっている場合が多いと言っても、ある面ではものみの塔の感化は些細な要素としてしか働かない場合もある。ほかの団体に入っていたり、あるいはほかの宗教集団に加わっていても、同じ状況に立つ人が同じような葛藤をずっと経験していて、同じような精神的な不適応に発展することはありうる。グローブは次のように述べている。「罪の感覚は非常に基礎的であり、不健全な教え込みを通して人工的に作られ宗教的な教えにすぎないという考えが容易に喚起される。精神衛生の学問では、罪は会衆の努力によって生活の中に持ち込まれるものだと考える点では、共通している」。ここで用いられる罪は一般的な不安の内面的感覚(特に憂鬱と、正常ではない一般的な感覚)を指している。しかし証人はしばしば罪を異常なほどレベルを高くして、激しくさせている。次にその例を挙げる。
J はカルフォルニアに住んでいたが、もめごとの絶えない家庭の中で育った。非常に支配欲の強い母親と、彼女が十代の時に家を出ることになる父親と暮らしていた。父親は教師であったが、彼女が成長するうちに、今ではカルフォルニア大学で英語文献学の教授をしている。 J によれば父は再婚し、現在二度目の妻ととても仲むつまじく過ごしている。 J は母親よりも父親に親近感を持っている。結婚が破綻したのは母親の失敗が大きいと考えている。母親はとても欲求不満な性格の女性であり、十分に教養を身につけていないせいでもないし、父親のせいでもない。
J は父親には精神的に強い親密感を持ち続け、父親は規則正しく娘と会うために並々ならぬ努力を払い、彼女の支えとなることを確約していた。父親が心を開き、娘もそれを好ましく感じていたのも関わらず、十代の頃から娘の世話を焼いてきた母親の強い影響を受けていた。娘がいっそう無事に成長するのを妨げていた原因の一つは父親と数百マイルも離れて暮らしていたためだった。十代の頃、娘はドラッグにおぼれ、何年かカルフォルニア州の町から町へあてもなくさまよう生活を過ごした。たいていは生計のあてもない男と一緒だった。人生に幻滅を感じ、友人とのつきあいも変わり、証人生活への扉が開かれた。
J は、現在、オハイオ州に住んでいる。今でも故郷を愛してはいるが、オハイオで証人の伝道の働きをできるだけ長く続けなければといった義務感を感じている。初めて証人と交わりを持ったとき、抱いていた問題がほとんど消滅したと感じた。交わりを持って以来、ときには強い幸福感、満足感を味わい、設定された目標を持つ感触を抱いた。けれども最近はとても不満を感じてきた。一人の女性として、一人の娘として、一人の人間として、精神的にひどく不安を感じていて、自信を喪失していて、憂鬱感にも悩まされている(身体的には十分に魅力的ではある)。彼女に対する治療計画にはセラピスト(治療者)が父親の役割を果たしたり、カタルシス(精神浄化法)を利用したり、同情心あふれる聞き取りを利用して、彼女を精神的に支えることも含まれていた。彼女が自身の感情を自分で理解する助けをする試み、彼女の依存心を克服して阻害された精神的な成長を達成するための最善の方法を探す……そういった二つの目標も視野に入れていた。両方とも人を証人に引きつける要素だった。
セラピスト(治療者)は J が家に帰って父親と暮らすように勧めた。父親夫妻と一緒に暮らすよう、繰り返し頼んだ。父親とのより良い関係を築けば、精神的に成熟する助けとなりそうな希望がある。いっそう目標が定まった行為を発展させた上で、問題をすべてハルマゲドンで解決しようとするこだわりの心をやわらげなければならない。課題はほかにもあった。彼女は会衆の中にいる人たちの行動に大変な失望感を経験していた事実があった。精神的にも、感情的にも成長を助けていけば、彼女はこうした問題を完全に克服できるだろう。それによって当面の情況をコントロールし、結局は身の回りの人たちへ影響を与える。証人と衝突している原因は別にあった。彼女が学問の価値を認めているためだ。彼女は父親ととても良い関係を持っていたし、その父親は常に学問を尊重していたから彼女もその傾向を受け継いだ。証人にもいろんな考えを持つ人たちがいなかったわけではないけれども、教育の問題に関して会衆の中でもっとも支配的だった考えは、大学進学の忌避だった(証人の属する階級が階級なだけにそんな考えがもたらされていた)。
セラピスト(治療者)との最初の面接が済むと、「とても良くなった」感じがすると、彼女は語っていた。彼女の感情を理解してその強い情動を補強した人と話すうちに、彼女の人生の建て直しの手助けをした父親と良い関係を築こうとする方向に向かっていた。数週間すると、 J が快方に向かっているという結論が出せた。うつや呪文の唱えといった身体的な症状の訴えは少なかった。彼女はまだ正規開拓者だが、証人生活は幸福ではないことが以前よりも分かってきている。カルフォルニアの大学に戻って英語か心理学を研究する決断をした。その分野の学問には魅力を感じているし、いつか人を助ける職業に就きたいと望んでいる。不活発だったカルフォルニアの証人を組織に引き戻す助けをしたとき、当の相手の男性に未練があるのがはっきり分かっている。その証人は後になって正規開拓者になり、別の正規開拓者と婚約をした。しかしそれは J の元に帰る望みを絶った( J はさっさと彼に見切りを付け、別れたままである)。近頃の J は彼との結婚を真剣に考えていたが、それは純粋な愛よりも同情から発展しているものだ。年下の彼にすれば彼女を母親のイメージに模していたのだ。彼女はその母親の役割を果たす必要性をはっきり分かっていた。セラピスト(治療者)は、彼女自分のもっと良い面を知った上で、精神的な問題を解決するように促した。そうしただけで彼女は知的な相談相手としてその若者と精神的に付き合う関係を評価できた。今ではプラトニックな関係になっている。
やがて J は心の中を操っている力がよく見えてきた。 J は訓練されているし、すぐれた知能を持っている。人生をやり直すことを深く理解している。カルフォルニア州に帰るのが当面の目標である。セラピスト(治療者)の助けを借りないでカルフォルニア州で生活できるように望んでいる。彼女は受けた助力にとても感謝している。人生の危機的な場面でセラピスト(治療者)から社会の仕組みを教えてもらったり、質問と助言のやり取りをしなかったなら、鬱病を悪化させたかもしれないと思っている。
地元の証人はたいていはひどく自己中心的で自分の問題しか頭の中にないように今では思えてきた。自己イメージを払拭するために、こっけいな別人を装う。金銭的に貧しく、職場での地位の低さや教育を持っていない件に関しては、とても批判的だ。そうした状況からほかの人の抱える問題は生じるのだろう。「たいしたものを持っていないことに感謝するべきだ」と考えるからだ。
中西部よりもカルフォルニア州の証人の生活がまともかもしれない。あなたはほかの年上の証人と交わりを持つべきだと、セラピスト(治療者)は J に強く勧めていた。若者の抱える問題は、たいていは若いため、あるいは未成熟のために生じる一面もある。 J はそれを快く受け入れ、会衆内の年上の友人、特に療養所で働いている年上の姉妹と過ごす時間を増やすようにしたいと考えていた。うまくいけばそれは J が平静を達成する助けになり、若者(未成年の開拓者)との交わりから生じる悪影響を避けられる。 J は J を取り巻く環境との不適合の側面を理解し、自助努力をしたり、取り巻きの人たちを助けることを学習できると、セラピスト(治療者)は感じている。
ほかにも1971年にニーリーが、証人と関係を持ったために生じる精神衛生に関する理論を述べている。
21年前、エホバの証人の教義に興味を覚えるようになりました。なぜかと言えば、天国のような地上で生きるというすばらしい約束があったからでした。小さな子どもたちがすばらしい未来を持つことを保証していると思っていました。年月が経つにつれ、わたしはエホバの証人の家族の人たちがたくさんの問題を抱えているのだと徐々に気が付くようになりました。問題は深刻であり破滅的でした。他の人たちにエホバの証人の間の愛を伝えるときには、偽善を感じ始めました。さらに、いつも柔順で、見たところ「真理」に献身していたわたしの子どもたちに落ち着きが無くなり、しばしば見聞きしたことを口に出すようになりました。どこで「その失敗のしるしを見落とした」のだろうかと考えると、夜中に何度も目が覚めるようになり、涙が出ました。会衆の長老に霊的な助言を求めましたが、しばしば落胆させられる感じさえ覚え、心が離れていきました。
フィラデルフィアへの転勤を決めたと夫が言ってくれたとき、どこか肩の荷が軽くなる感じがしたものです。新しい土地、新しい王国会館への転居は、子どもたちにとっても、わたしにとってもすばらしいことだと思い込んでいました。しかし、いいほうへと変えてくれるであろうと考えていた転居は。悪夢への転換点でした。夫婦の問題、ホームシック、憂鬱、孤独感、挫折感……こうしたものがすべてわたしの上に降りかかってきました。いまだに絶望に陥ったままです。デトロイトの親族や友人たちと別れてから3ヶ月してわたしはガンに冒されていると知らされました。味わった完全な挫折感や絶望感をどうやって伝えたらいいか、分かりません。ものみの塔の示した神のご意志を果たそうとしているのだと考えました。今では、働きの「果実」を享受しないうちに死ぬのかと、思っています。実際、わたしの人生はすべてむなしいように思えてきます。どこで失敗を犯したか知らせてくれるようにエホバに祈りました。私は「確かにどこかで間違えたのだ」と理屈を付けました。刈り取りをするのは種を蒔いた者だけです。
上に述べた事例に見られるように、ものみの塔は精神的に不安定な人たちを引きつけるけれど、だいたいは精神病患者は魅了されない。たいていは活発な聖書研究や定例の会衆の儀式からは閉め出されていて、それらをほとんどの証人は精神病患者をサタンの財産だと思っている。上の事例から分かるように、証人と交わってノイローゼから精神病の状態に悪化させられるときもあるようだ(もちろんそれは精神医学の対象になる)。ものみの塔に魅力を感じる人たちもいる。その人たちは警戒心を持ちながらも、将来、証人になりましょうとたいていは、口にする。ほどほどの関心しか示さない人にでも、証人は優しさを示そうとその人たちに合わせようとする。喜んで時間を割こうとするから、孤独でノイローゼ気味の人たちが証人の中から友人を見つける例は多い(それもその人が将来証人になってくれると信じられるときだけだと注記しておこう)。教会の伝道師たちが無視したとしても、証人はしばしば、そうした人たちに対しても積極的な関心を寄せる。たくさんのそうした人たちが証人から感化されるが、入信する人は少ない。
前にも書いたように、組織内の人たちはとても幸福で満足していると見せかけたり、王国会館は友情やクリスチャンの愛、将来への確かな希望が満ちていると見せかけようとする。証人は天国でのどちらかといえば曖昧模糊とした将来像を約束してはくれない。群の中にいる人たちは足元のこの地上で死ぬこともなく永遠に生きられる、その恵みはすぐに期待できると約束する(それも何十年先ではなく、ごく近いうちに)。こうした呼びかけがあるから、証人は虐げられた人たちを魅了するのがふつうだ(全部がそうだとは言えないが)。虐げられた人々は現在の体制をうまく泳げないし、また一般に不幸であり、逃避しようとしている。証人が描く「新しい体制」の描写の多くは、世の問題からの逃避である。世をことごとく批判しようとする傾向があると、人生をうまく処理できない人たちを引き付ける傾向がある。社会への不満を表現する方法さえ与えてくれる。証人になる前からも、証人になってからも、彼らは現在の社会とその体制を敵視している。
「こころの病」は、そのほとんどすべてが「調節の問題」であるか、あるいは日常の問題や日常の状況に対処する能力の欠如を指している。社会に適合できない者は社会を敵視し、証人に魅力を感じる傾向がある。私たちはすべて問題に対処する能力を行使する潜在能力を所有して生まれている。人生における偶発的な事件に対して調節することが困難な人格を持っている人もいるし、あるいはそうした人格を形成してしまう人もいる。けれども、調節する能力を決定すのも、対処する術を学習するかを決定するのも、多かれ少なかれ、その人の環境に依存する。日常的に起きる偶発的な出来事を処理する術を学習しない者、あるいは対処する能力を越えるものに直面する者(たいていは貧困層あるいは少数派のグループに属する)は、証人のような宗教に魅力を感じる傾向がある。
葛藤を経験している人の基本的な性格として、精神的な不調和がある。こういった精神的な不安定さや精神的な混乱が証人の教えによっていっそう悪化するおそれがある。おびただしいほどの禁令は必然的にいろんな面で未信者との摩擦を生じさせる。個々の証人には精神的に重い負担がかかり、重度の精神的な葛藤が生じるのがふつうだ。だいたいその数多くの禁令はたいした価値を持たないから、その根拠となる神学的な重要性より以上に重大な不一致が生じてしまう。個々の証人は例外なくそうした議論を経験するのだから、人間の存在、怒り、攻撃、不満、憂鬱、罪の感覚などの問題で矛盾が必然的に生じる。こうした証人と常人の違いといえば、その矛盾の程度が違うのである。平均的な証人とそうでない人との間で重大な不一致があるために、それが強化され、それも重症である。
ある宗教的な組織がその外部の世界から距離を置いていて、精神的な病気の罹患率は低いままかもしれないが、通常、その組織の信者と外の世界の間に生じる必然的な衝突を減少させる方策が必要となる。ふつうは次のように行われる――宗教集団に属する個々のメンバーの間に些細な相違点が見られてもそれを十分に受け入れるように示唆する。さらに教会組織内で個々のメンバーの必要を満たすための計画を進める。宗教の教義が、社会の規範と矛盾している場合が多い。それでもそれは精神的な病気の罹患率を非常に低い状態に維持できる。それを達成できる主な理由は、いろんな種類の機能性、有用性を有し、楽しい活動をする家族を組織全体に含んでいるためである。そしてそうした教会は人間の心理的な需要の仕組みを認識しており、教会の価値体系の中でそれに対処しようとしている。一方、これまで論じてきたように、証人は人間の欲求に適切に対処したり、それを適度に認めるといった態度を取ろうとはしないし、それを理解しようとはしない。だからどう対処したらいいか分かっていない。
次の事例には、証人の世界における精神的な病気の原因にはいろんな要素が含まれていることも、そしてそれらの要素を切り分けるのが難しいことも示されている。この事例は精神的な病気にかかっている証人に共通する典型的な例をも示している。
Mは3人の子供を持つ三十代の証人だった。専門家の支援を求めてきたとき、彼女は妄想を伴う分裂症にかかっていた。彼女は夫が会衆内のほかの女性と性的な関係を持っていると信じていた。王国会館に居るときは、いつ何時、夫が席を外して性的な目的を遂げようとして一人の姉妹と後ろの部屋に入るのではないかと疑心暗疑になり、ぴりぴりしていた。夫は長老をしていたから、道徳に反する事件に関わった未婚の姉妹との話し合いに時間を過ごす機会が多かった。夫がそうした非公開の会合に出ているときにその姉妹と性的な関係を持っているのではないかと想像するだけでもつらくなった。夫が長老の会議に行こうと家を出る前には、夫はふさわしい行動しているか確かめるためにその会合に出たいと、何度も主張して叫び声を上げた。夫のシャツには口紅の跡が着いていたとか、「ポケットに出所不明の紙幣があった」とか、夫の車の中には女性の櫛やブラシやストッキング、果ては下着まであった。夫の淫行の証拠を握っていると言っては、何度も何度もほかの長老たちを呼んだ。妻の苦情に答える形でほかの長老は秘密裏に夫の身辺に怪しいものが隠されていないか、時間を費やして調べた。けれども、女性にも、そのほかの者にも、不適切な行動をしていた証拠は一つも見つからなかった。そうすると、妻は、それはほかの長老たちは「夫の不道徳」に加わっている一味である、夫を守ろうとして嘘をついている証拠であるとそれに応じた。
高校生の頃のMは文学研究と創作に優れていた。小説を書くことに時間を費やし、教師によればそのほとんどはとてもよく書かれていた。一時期、彼女は文学で有名な大学に行こうとする考えを抱いた。しかし彼女の両親は彼女が4歳の頃から証人になっていて、両親はその野望はすぐに粉砕した。そうした分野への野望はどれも「世的」だと考えて彼女は書こうとする欲望に罪を感じていた。「夢」を見てるだけなら害にはならないと考えて、作家になることを密かに夢見ていた。「秘められた考え」に罪を感じる経験をしていないことは明らかだった。
高校を卒業した後、数ヶ月開拓をしたが、まもなくひどいうつにかかり気力をなくした。文学を研究したり、創作をするために学校に戻ろうかと真剣に考えるようになった。再び、会衆からは野望を思いとどまらせようと組織的な圧力が加えられた。監督は、その研究に時間を費やすことは殺人罪に値するわがままな行為だと説得した。Mはできるだけ多くの時間を「他の人たちにハルマゲドンを警告する」ために費やすよう、励まされた。このもっとも大事な活動に時間を割こうとはせずに、「わがままな趣味」に時間を浪費するのはとんでもない大罪と見なされた。もし大学に行くなら、ものみの塔のたよりを伝道することを怠ることになる、そのために命を失わせる殺人に値する罪となる。すなわち、Mは大学に行く代わりに戸別訪問に行かなければならなかった。
Mはまもなく戸別訪問活動に嫌悪感を覚え始めた。妥協できる道(結婚)を与えてくれる若者に会うまで憂鬱になっていた。求愛の期間を経てMは結婚をした(彼も開拓者で、両親の目にもよく映った)。しかし不運にも結婚するとすぐに妊娠してしまった。夫婦とも開拓をあきらめざると得なかったからそれをとやかく言う人がいたが、妊娠したのは二人の側には未熟さがあらわれたためだと思われて、会衆内では大目に見られた。今は終わりの日が間近に迫っているのだから、子供を持つときではないと証人は思っている。
結婚は全時間奉仕に取って代わる唯一の妥協案であると思われる場合が多いから(高校生の全時間奉仕と学業の両立は嫌がられる)証人は若いうちから結婚しようとする。証人の少女が14歳くらいでも結婚するし、大多数の少女が20歳か21歳になる前に結婚するのは普通だ。次に述べるカップルはその典型例である。
結婚してからの数年間、彼女の創作は家事のために中断させられた。家族はますます母親を必要としていたから、創作へのエネルギーは別なはけ口を求めていた。そこで文学と著作を追求する野望から生じる不一致がいろいろな精神的な問題を引き起こすと、それが火薬庫になり始めた。長老たちは彼女の抱える問題は「サタンが起こしている」と判断した。まもなく彼女は祖母から相続した高価な骨董品のコレクションを売り払うように迫られた。長老たちはそれがあるから彼女が悩むのに違いないと言って、サタンのしわざにしていた。それでも事態は改善されなかったためにサタンがとりついている何かが家の中にあるがはずだと決めつけた。結局、長老たちは彼女の本棚にあった本を破り捨てた。それは彼女が高校生の時にフリーマーケットで買って来て読んでいた本だった。
それでも症状は良くならなかったため、とうとう、精神科医の助けを求めるようにと夫はそれとなく言った。妻の悩みは複雑だと考えていた。最終的に受診をしたところ、罪と敵意が重荷になっていて、それが徐々にではあるが進行していた。ついには彼女は妊娠し、自分の両親と暮らすようになった。自然の欲望と宗教とは分断された。しかし、改善される方策はほとんど採られなかった。
創作の抑圧という点もそうだが、上述の状況はほかと全く似通っている。私は精神的な問題となるような、本来の才能をくじけされた証人をおおぜい見てきた。前にも書いたように証人は共通してサタンが精神的な異常、感情的な異常を引き起こすと考えている。今でこそ、時には、それらは遺伝体質、病気、あるいはほかの脅迫の感覚が原因であるかもしれないと考えられるようになった。証人の信仰は人を病気にさせないと証人が考えるのは当然であるから、身体上の理由から病気になっても証人の信仰体系はほとんど揺るがない。見かけ上、不健全だと感じうる宗教に関係している証人は有罪だとして排除しようとする。
ものみの塔が最初に入ったカルトでもないし、最近のカルトでもなく、カルトを渡り歩く人になっている証人もいる。次にその事例を示そう。
B夫人は「残りの者」を自称する活発な証人である(それは天に生きる特別な級に属する人たちで「大群衆」とともに地上に生き残るのではない。144千人とも呼ばれる天的な級)。
四十代後半に二十歳年下の男性と結婚した。前の夫は現在、子供の養育のために奮闘している。そのこともあって彼は成功しているとはいえない。Bは、父親が「サタンに属し」、邪悪で悪魔的であると子どもたちを説得をし、実の父親とのつきあいを邪魔立てしようとしている。妻がニューメキシコ州に住み、前の夫がペンシルバニア州に住んでいるから状況はいっそう込み入ってくる。しかし両方の家族ともに裕福であるから元の夫は子どもたちに会うために決まったように飛行機でニューメキシコの飛んでいる。夏の間はずっと子供と一緒に過ごしている。しかしBは有害なものの影響を受けていると思っているんだろうなと、前の夫は憂慮している。
過去にもBは占星術カルトやサイエントロジー、薔薇十字会のような宗教カルトに入信した。最近はオーラル・ロバートの「追従者」になった。 Bと証人の関係は1971年に始まった。元の夫はBがまもなくほかのカルトに改宗するだろうと思っている。Bは自分が「油注がれた者」の一員であるとか、「イスラエルの霊的な子孫」だとか口にしていて、前の夫は信仰態度が傲慢だと見ていた。前の夫がBにお前の種族は何なんだと尋ねたところ、それは「秘密です」という答えが返ってきた。
そうしたことばの端々からは、教義の上ではどことなくBが証人の取巻きだと、見えてくる。祝日になるとBは通常、学校行事から子どもたちを引き離す。子どもたちは証人の教えに賛成していないし、その実践活動にも二律背反的な思いを抱いている。しかし母親とはもめたくないから、そうしていると、見せかけている。夏の間、父親と一緒に暮らすときは、子どもたちは数週間すると「本来の自分」に戻ると語っていた。しかしふつう、会ってすぐのときには、「ぎこちなく」振る舞う。母親から電話があると、子どもたちはあわてて新世界訳聖書を手にし、居間の目立つ場所にそろえる。けれども聖書は開かない。子どもたちは明らかに、罪に反応している(聖書は読みたがらない、飾っているだけだ)。B夫人は膨大な額の財産を相続したから、働く必要はない。だから、彼女は「全時間」開拓者である。彼女の宗教への熱狂ぶりには、非常にあやふやな性格の証人には長く組織にとどまる気はなくいつでもやり直せばいいやと思っている雰囲気が窺える。秘密めいた非証人的な考えをいくつか抱えているようなのだから、彼女が1971年以来、証人を続けているのは驚きである。前の夫は元の妻の宗教についてじっくり話し合おうとしてもできないのは明らかだ。B夫人には前の夫と宗教を話し合う気がないせいもある。
証人との関係がトラブルを引き起こす危機的な原因になっているのではないかと思える事例はほかにもある。
ジョアン・ランドは、カルトの犠牲者なのだろうか、あるいは精神的な問題を抱えている単なる悩める若い女性にすぎないのだろうか。妹のマリー・ローズ・オルテガと父親のトム・スタンフィリポは、ジョアンは5年前から変わり始めたと語っている。その日、ジョアンはカソリックの信仰を捨て、ものみの塔をひいきにするようになった。……ジョアンは何回も変身を経験した……ミドルネームを使わなくなった。それは偶像の名前だからだと、妹に言っていた。……感謝祭の正餐には出るが食事をしない。家庭でのクリスマスの集まりには出るが、贈り物の交換に加わらない。しまいには祝日や誕生日に出席しなくなった。……しかしそのために家族の関係が切れたわけではない。……「姉は新しい宗教を戸別伝道するのでとても忙しくて私にかまってられないの」とマリー・ローズは語っている。
ジョアンはいつもは細かいところまで気を配る主婦であり、勤勉な母親である。しかし妹によれば家事も育児もほったらかしにしてきた。「私は子どもたちに食べさせているかを尋ねると、姉はこう答えます。『忙しいから知らないわ』」。結局それが原因で1986年3月に夫のエドと離婚した。今は子どもの親権はエドが持っている。最初の頃はエドは妻の宗教については心配をしていなかった。妻の心の中で起きていた宗教の変化は聖職者から知らされた。彼女がカソリックの信仰を正式に捨てると書いていた手紙を出したからだ。エドとジョアンは5年間結婚をしていた。「いつもこう思っている。たとえ君が月に向かって吠えたって、それが君のお気に入りだったら、僕はかまわないよ」と夫は言っている。証人の目的は聖書研究ではなく、夫を改宗させることだと決断を下すまで、夫は家庭でのレッスンをともにしてさえいる。証人の目標は聖書研究ではないと分かる程度にまで、夫は家庭で一緒に研究することさえあった。夫を改宗させるためだった。夫にとって最後のわらの一束はこうだ――「わたしは日曜日には子どもを連れて教会に行くわ。ある日、家に帰ると娘が泣き始めた。『私たち、死んでしまうの。もし今の宗教を続ければ死んでしまう。ママの宗教を続ければ永遠に生きられると言われたの』」。どうして妻はそれほど熱中してしまったのか、夫にはとても信じられない出来事だった。「妻は何か邪悪なものにとりつかれているのではないだろうか、あるいは邪悪なことをしているように見えないだろうかとか、それが他の人に知られていないだろうかと考えると空恐ろしくなった。妻はすっかり別人になってしまった。人の世話をする優しい人だったのに、通りで倒れて助けを求める人がいれば、手を差し伸べる前に、貴方の宗教は何ですかと尋ねるような人、そんなふうにすっかり変わってしまった」。
マリー・ローズにとって現実的に警鐘を鳴らす引き金となった出来事はほかにもある。「車の中でジョアンの宗教について話をしていたの。母のことを話していると、母は「組織」の中にいなかったから天国には行っていないと言ったわ。私は腹が立ってこう言ったの。『お母さんが天国に行っていないなんてあんたは何者なの』。突然、ジョアンは『エホバ、エホバ』とわめき始めたわ。車を道ばたに止めてこう、尋ねたの。『それがあなたに何の関係があるの』。私は家に帰るとそれを夫に伝えたわ。『鰯の頭も信心からさ』。胸が張り裂けそう。どこにでもいる幸せな人だったのに。細かいことを言えばきりが無いけど」。
徐々にではあるが変身は進んだ。数年にわたり、ジョアンは宗教実践活動と伝道活動に費やす時間を徐々に増やしていった。食事する時間も、寝ているときも、彼女には何かほかのことを考える余裕はなかった。妹は姉がゾンビのように見えた。とうとうジョアンはハリウッドにある精神病院に収容された。最近になって、裁判所の聴聞において精神科医オルガ・フェルナンデスはジョアンの問題は「重度の宗教的な職業病」だと考え、「重度の病気」にかかっているある種の「統合失調症。妄想」であると述べた。医師は、「もし彼女が病院を脱けるなら、病気の犠牲者になる」おそれがあると表明したから、裁判所はジョアン・ランドを州が保護観察をする処置を認めた。過去数ヶ月は、ジョアンはすでに年を取って大工職から引退した実の父トムと住むために三回、病院から抜け出した。いずれの場合でも、ジョアンは元のエホバの証人と交わりをするため、家から離れていた。そうした決断は姉の側の自発的な意志から生じたとはとうてい信じられない、マリー・ローズはそう考えるときもある。「姉は何でも受け身的だけど、いつだって自分で決めてきた。意志は固い。自分が正しいと考えたら、自分で頑張る」。それでもマリー・ローズは父と同じようにジョアンはエホバの証人によって上手に誘拐されたという思いをしていた。トム・スタンフィリポは、ものみの塔の権威者が娘を丸め込んで操っていんだと断言している。……宗教組織の階層を占める長老たちが恐怖を利用して聖書研究を学んだり学ばせたり、宣教訓練の会合に参加させたり、ものみの塔の書籍を売り歩くための戸別伝道をさせて一日に14時間も働くよう、娘たちを操り、圧力をかけていると主張している。トムとその友人たちが数週間にわたりハリウッドにある王国会館を封鎖した。そこは地元のエホバの証人の会衆が崇拝をしている場所である。「私の娘を一人にさせろ」と書いた看板を運び込んだ。これは以前にもエホバの証人の別な親がやっていたアピールだった。
エホバの証人が妄想性の統合失調症に罹る率は「通常人に比べて少なくとも4倍高い」――オハイオ州アークボールドのノースウェスト大学で教鞭を執っている臨床心理学の教授、ジェリー・バーグマンはそう報告をしている。迫害やも誇大妄想といった幻覚を伴う「統合失調症は生物学的な側面がある。しかしそのきっかけとなったり、ある一線を越えてしまう原因は、その人の環境にあることははっきりしている」。彼はものみの塔が関係している裁判でたびたび証言を重ねている。20年の証人の経歴を持つ元証人の立場から、バーグマンはさらにこう続ける。「エホバの証人のうつ病は非常に多い。自殺率は平均の2倍から3倍である」。そしてうつ病の原因の一つは、ものみの塔協会が信者に「ハルマゲドンが近いので仕事や結婚、学業は意味のないものになるから、それらをあきらめる」ようにけしかけているためだと注意を促している。しかし何年間もそうしていたように、その預言が誤りだと分かると宗教伝道のために全時間奉仕をしてきた信者はしばしば幻滅を味わう。ごく最近、1975年の預言がはずれたとき、ほぼ百万人に上る証人がその信仰を捨てた。「世の終わりが来ると考えたから、大勢の人たちが仕事を辞め、家を売り払い、治療を延期した……」バーグマンはこう語っている。
今年に入ってジョアンは4回も南フロリダ州立病院に入院している。体重は110ポンドもない。薬物療法を拒んでいる。着替えをしたり、洗髪を避けるときもある。家族は「組織」の外にいる者は全員が「敵」だと見なしている。……ジョアンは最後にこう言った――姉から「自分の宗教を選ぶ法的な権利があるのね」と聞かされたとき、マリー・ローズ・オルテガは泣き始めた。「宗教の自由は問題じゃない。私はクリスチャンだけど狂信者じゃない。姉がユダヤ教になりたいならそれもいいでしょう。エホバの証人として幸せならそれもいいでしょう。姉たちが病気だったと思い知らされるまでは、姉の宗教には一度だって反対してこなかったのに。」(「マイアミ・ヘラルド」1987/10/30)
まとめ
調査の結果、精神に問題を抱えている人でも、持たない人でも、ものみの塔に魅力を感じる傾向が分かった。その理由はそれぞれ異なる。どちらの群の人たちにとっても、ものみの塔協会は信者の精神病をますます悪くさせる傾向がある。どの要素が比較的重要なのか、口で説明しようとしても、いろんな協会の影響から切り話すことは難しい。にもかかわらず、たいてい次の二つが関係しているらしい。精神的な問題をかかえている多くの証人が組織の中で励まされていることから、組織が信者に対し、有害な効果を及ぼしていることがはっきりしている。そして精神的な問題を抱えている人たちが組織に魅力を感じる傾向からして、それが重要な要素であることが分かった。