法廷における嘘と宗教(5)
「児童養育の備え」の本
ものみの塔の法廷闘争においては、証人が法廷で直面している養
育権の闘いを意図して「児童養育事件への備え」と題するパンフレ
ットを信者に見せることが当たりまえになってきている。証人が法
廷で人を騙すようアドバイスをし、明からさまに欺きを指示してい
る文書である。
離婚の聴聞において、証人が親権を話し合う準備の助けとなる内
部文書として企画され、証人の子どもが誓約した上で広い世界に住
んでいるふりをしなければならないといった、ゆがんだ機会を提供
する。この出版物の中で取り上げられている意見の例を一つ示すと、
大学進学にとても激しく反対しているし、それは証人の子どもが信
仰をなくしたり、不道徳な交わりをしてしまう恐れのある手段であ
るとして口を極めて非難しているのに、証人の子どもはジャーナリ
ストになるだろう(大学程度が要求される職業)と述べている点だ
(デュロン1991年)。
法廷の証言では
ものみの塔の弁護士、ワーは宣誓した上で、1986年頃、「児童養
育事件の備え」の本の執筆では協会に協力したこと、協会の利益に
害を及ぼす批判者たちが社会科学や心理学の文献の中で公表した文
章を憂慮する意見が広がっているために、この本の作成が認められ
と述べた。
現在では、証人個人や宗教がかかわっている親権などのすべて
の事件について会衆の長老がものみの塔の法律部門に連絡を取って
きている。たとえ証人が世俗の弁護士を雇うとしてもものみの塔法
律専門家による広い範囲にわたる無料の法律業務や援助が提供され
るのは異常ではない。何人かのものみの塔の常勤の弁護士が親権
の事件で証人の弁護を専門にしているから、膨大な量の経験を積み、
この分野に熟練している。彼らの利益のために法廷でどう対処する
かを知っている。
ワーカーは児童養育の本とこの問題について語っているものみの
塔の手紙を研究して次のような結論を導いている。……「王国会館
でふつうに言われていることと正反対なことを法廷で言う(7頁)」
状況にあるくらい、法廷で決定的に不正な描写をするよう、ものみ
の塔が証人にアドバイスしている。その一例が「学校とエホバの証
人」と題するものみの塔の本であり、数年間にわたって、証人の子
どもたちが組織化されたスポーツ活動や放課後のすべての活動、趣
味や高等教育への参加をおおっぴらに非難してきた公式な教義であ
る。そんな時間があったら、主としてものみの塔の利益を追求する
ことに使うべきと結論を出している。それでもものみの塔は法廷で
は実際に信じていることの反対を必ずそれとなく言うようにと、証
人に指示している。
ターニャ・スティーブンスの事件で裁判官はこう裁定した。
未信者の父親には真理そのものに対する資格がないとか、神の敵か
ら真理を隠すのが適当であるとか(特に法廷にいる場合には)、子
どもに教えることは、子どもの利益から言っても、子ども幸福にと
っても好ましくない。ターニャたちやその属している団体などには
そんな事は言わないだろう。
カンザスシティーのボウスカ判事は、法廷における事件の一部と
してものみの塔の本を見直して結論を出していた。その本は「証人
が本当の彼らの信仰を覆い隠すように、証人の信仰と行動は子ども
に関係しているかどうかについては法廷を誤って導くよう、計画さ
れ、それを奨励をしている」。「私が理解している限りでは、エホ
バの証人ではない者に誤った情報を伝えるとか、嘘をつくとかいっ
た件では、宗教的には何も悪いところはない」とものみの塔は教え
ているとも結論を下していた。手短に言って、ものみの塔は「証言
を創作するように信仰を励ましている」。レーヌが注意しているよ
うに、憂慮すべきは、
ひとたびそのグループについての「カルトのような」行動や手段、
損害を与える性格、拘束する性格が法廷で公然と論じられ、記録さ
れると、裁判官は未信者の親や祖父に親権や訪問権を渡すこと
に賛成する裁定を出す。
それには法廷におけるエホバの証人の「神権的戦い」の慣習も含ま
れる。「児童養育事件の備え」の本の中では、法廷においてエホバ
の証人の信仰や実践の情報を誤って伝えたり、嘘をついたりして
効果的に偽証するよう、協会ははっきりと指導している。ものみの
塔にとって残念なことに……それは文書から容易に証明されている。
そのため、ものみの塔協会は態度の変更を余儀なくさせられている。
裁判所は、高等教育やスポーツ活動、放課後のクラブ活動に対する
反対したり、禁止をして子どもの成長にブレーキをかける集団には
良い感情を持たない。
上に論じたように、エホバの証人はものみの塔の利益のためなら、
嘘をついても構わないといった(ものみの塔流にいえば真理を差し
控える)神権的戦いの教義を使って、法廷での欺きを正当化する。
その正当化には、過去の教義を否定する試み、現在の教義に少なか
らず影響を及ぼす恐れのある戦略も含まれる。たとえばものみの塔
はエホバの証人だけが神に喜ばれる、生涯の賜物を得るとか、自分
以外のすべての政府や宗教や会社組織はすべてサタンによって操ら
れているといった過去にあった特定の考えを差し控える。
ものみの塔以外の宗教に属する人たちはハルマゲドンに生き残れ
ますかと尋ねられれば、ものみの塔は次の答えをほのめかす。「エホ
バが裁きを下します。私たちではありません」。実際にはエホバの
証人は信者になりそうな人たちを遠ざけないようにとするけれども、
ものみの塔は立派な地位にいる、バプテスマを受けたものみの塔の
信者だけがハルマゲドンに生き残れると教える。ものみの塔の公式
な文書「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」では、はっき
りとたったひとつの宗教だけが本物でほかのすべては邪悪である、
偽りの宗教にいるすべての人たちはまもなく滅ぼされると教えてい
る。
エホバが二つ以上の組織をお用いになった時代がかつてあったでし
ょうか。ノアの日には、ノアおよびノアと共に箱船の中にいた人だ
けが神に保護されて大洪水を生き残りました。(ペトロ第一3:20)
また、第1世紀にもクリスチャンの組織が二つ以上あったことはあ
りませんでした。神が交渉を持たれたのは一つだけでした。「主は
一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ」でした。(エフェソス4:5)
私たちのたちの時代においても、神の民のための霊的教えの源は一
つしかないことを、イエス・キリストは予告されました。…………
神の新しい体制で命を得るための道、もしくは方法は色々あると結
論しないでください。洪水に生き残ったのは幾隻かの船ではなく、
ただ一隻の箱船でした。足早に近付いている「大患難」に生き残る
のも、ただ一つの組織、目に見える、神の組織です。そんな宗教で
も同じ目標に到達するというのは、決して真理ではありません。…
…永遠の命という神からの祝福をいただくためには、神のご意志を
行い、エホバの組織の一員とならなければなりません。(「あなた
は地上の楽園で永遠に生きられます」192頁、255頁)
「児童養育事件の備え」の本を上手にまとめて、元統治体成員、
レイモンド・フランズは、その60ページから成る本は法廷で証言
をする可能性のあるエホバの証人向けの手引き書であると注記して
いる。
そのパンフレットは反対者の側から出される見込みのある質問を見
直し、示唆に富む答えの模範例が示されるだろう。……正直さを教
えているものみの塔は真理を重んじるべきであり……都合の悪い状
況を抜け出すために、欲しいものを手に入れるために、真理を少し
でもゆがめるべきではない………。協会のマニュアルに書いてある
示唆された答えをいくつか比較してみると……。「反対審問証人に
対するエホバの証人(親)の対応の仕方」には次のような質問が
ある。……カソリックはすべて滅ぼされますか(それに対して唆
された答えは12ページにある):エホバがその裁きをします。
私たちではありません……。それは耳障りがよい。独善的な
態度、裁きの態度にとらわれていませんと暗示する。そう答えをし
ている証人はそれでも「エホバの組織」と交わりを持つ者だけが
「大艱難」を生き残り、組織に来ない者はすべて滅びに直面して
いると組織の出版物が公式にはっきりと教えていることを知って
いる(『クリスチャンの自由を求めて』283頁)。
フランズはそれから、「地元の長老への直接尋問とその答え」の
部分をこう評価している。そこは共通の質問「適切な」答えをかっこ
内に入れて示している箇所である。
[証人の宗教は]ほかの宗教の人たちにどのような考えを持ってい
ますか。(イエスは自分のように隣人を愛するように教えました。
望む人には、他人の崇拝する権利を尊重します)。……若い人たち
はエホバの証人の宗教だけを学ぶべきだと[証人は]教えています
か。(いいえ違います。私たちの出版物にある、ほかの宗教への次
の現実的な考えを見てください(『クリスチャンの自由を求めて』
29-31頁)。
このパンフレット本のこの部分の答えだとものみの塔が宗教につ
いてかなり寛容な態度を暗示しているとフランズは述べている。
しかし返答しているエホバの証人の長老は自分の宗教が「ほかの宗
教の人たち」はすべて聖書では大淫婦として描かれている大いなる
バビロン、偽りの宗教の帝国に属し、その人たちの選んだ崇拝はク
リスチャン的ではないと思っていて、それを続けるなら滅びに会う
と教えていることを知っている。エホバの証人がそうした「ほかの
宗教」の人たちと社会的な関わりを持たないように言われているこ
とも知っている。それは「人を腐敗させる」効果を持っていて、
その宗教を変える望みがあるほかの人に「証する」ことだけが唯一、
許された交わりだからだ。冊子の中に述べられた文章はすべて、
例の「ほかの宗教」に対し否定的な考えを強調し、協会はほかの
宗教から直接出される文書を読むことに反対することを知ってい
る。ほかの宗教について公表している彼ら自身の文書だけが安
全な読み物と見なされる(『クリスチャンの自由を求めて』
284頁)。
要約するとフランズは、このように反応するように忠告を受けると
結論を出している。
彼らはものみの塔の出版物に書かれているものとはかなりかけ離れた
姿を見せるように言われていることを知らなければならない。もし彼
らが「少しもゆがめないで」真実を語るなら、巡回大会(あるいは
そうした場所で)にいるときとは違ったふうにしゃべるように言わ
れるはずはない(『クリスチャンの自由を求めて』285頁)。
フランズの経験では証人とエホバの証人とその弁護士は、規則的
に、また決まり切って法廷で欺くためにこの冊子の忠告に従う。
多数のエホバの証人の養育事件の相談に応じてきたマクレガーの結
論は……
エホバの証人であるつれあい(または元のつれあい)は死にものぐ
るいで子どもの親権を手に入れようとします。最悪の事態も考え
なさい。大勢の人が弁護が難しい、でたらめな金額に直面してきま
した。彼らはあなたが親として「不適切」であると証明したいので
す。あなたにはあなたのそばであなたとあなたの子どもを見てきた
強い性格の証人が必要です。……彼らは彼らの法律専門家が処理す
るでしょうから、あなたのつれあいと子どもは法廷で何を言えばい
いか、指導を受けています。あなたとあなたの弁護士に準備が足り
なければ子供を失うのです!
……たとえ宣誓したとしても、彼らは躊躇なく嘘をつきます。「資
格のある者」に真理を伝えなければならないと教えながら、「正当
化された嘘」という教義を持っています。抵抗勢力ですから、法廷
や法律制度、家庭相談員、元配偶者といったエホバの組織外の者は
真理を知るに値しないのです。彼らはサタンの一味なのですから、
エホバとエホバの地上の組織を守るために嘘をついても構わないと
考えます。……子どもにはあなた(悪者)とのいかなる関わりも恐
れるように教え込まれています。あなたのことで法廷で何を言うか、
コーチを受けています。家庭に訪問している期間中に、たとえ裁判
官が子どもたちに宗教的事柄の教え込みを禁じたとしても、あなた
は神の組織に反対しているから、あなたに「疎外」するよう、子ど
もに指示がわたっています。
未信者が友人を援助するときに記録した、法廷でこの教義が用い
られた例を次に上げると
法廷で何を言うか、ものみの塔協会が非常に注意深く統制している
事実が分かった。……ものみの塔が共著者となった「児童養育事
件の備え」と題する小冊子を見たことがある。しかし昨年の7月に
2週間の間、毎日、法廷で実際に児童養育事件を経験するまでには
どの程度エホバの証人が霊的戦略を用いるか、知らされてはいな
かった。道徳的に家族を援助するためと、後で家族が照合できるよ
うに訴訟手続きを記録し始めた。……自分でタイピングしていなが
ら、タイプしている話はとうてい信じられないくらい、彼らの嘘は
すばらしく大胆だった。エホバの敵は誰であれ、「真理を知る資格
がない」と信じているから(基本的にエホバの証人でない者、す
べての権力者、裁判官のような政府を代表する者が含まれる)、
あの裁判では、宣誓した上で裁判官の前で大嘘をつき続け、一面だ
けの真実を話した!……それが丸々2週間、……法廷でエホバの証
人に逆らう人々には何も責任がないだろう。特にエホバの証人が
フェアに闘わないし、正直に言わないのだから責任がない。エホバ
の証人はそれが戦争だと信じている。「神の敵」に嘘をつくのは、
神が彼らにそう望んでいるからだと信じている。こうした場合、
神の敵と言えば、エホバの証人でない者すべてを指す(「読者から
の手紙」から)。
たとえば、証人たちは子どもが祝日を祝ったり「世の子ども」と
遊んだり、学校のスポーツ活動に参加したり、大学に進んだり、子
どもの命を意味するとしても輸血を受けさせるに当たって問題はな
いと宣誓した上で騙すかもしれない。ときには、排斥に値しないと
嘘をつく者もいる。必然的に排斥の痛みを伴うものみの塔の政策と
矛盾していても、少なくとも(基本的には、子どもに輸血を許す)
未信者の元配偶者に判断を任せるという者もいた。
神の一層高次の律法に違反するような事柄に従うことを求められた
場合,クリスチャンがまず第一に考えるのは神の律法です。神の律法
が優先します。……法律が,クリスチャンに対する強制輸血を許可す
るために誤用されることがあります。そのような場合,クリスチャン
は使徒ペテロと同じ立場を取らなければなりません。ペテロはこう
言いました。「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に
従わねばなりません」―使徒 5:29。……たとえ政府が神に背くこと
を指示する場合でも,クリスチャンが揺るぎない決意をもって神に従
ってきた……。(「ものみの塔」1991/6/15 31頁)。
12歳の年齢の人の例を引用してものみの塔の法をどれほど固く
守るべきかを押しつけている。
同様に,同じページで取り上げた
12歳の少女は,次のようにすることについて一点の疑問も残しませんでした。『裁判所が輸血を許
可しても,全力を振り絞って闘います。叫んだり暴れたりします。
腕から注入器具を引き抜き,ベッドのわきにある血液バッグを処
分するつもりです』。彼女は,神の律法に従うことを堅く思い定
めていました。(「ものみの塔」1991/6/15 31頁)。
血液などの生体の組織を医学的に使うことについて、明確に、か
つ直接非難している聖句はないのがものみの塔の弱みである。数多
くの聖句が生命を救うためにその使用を許していることがものみの
塔にとって問題なのだ。たとえ協会が歴史上、輸血を許したとして
も、輸血は協会の創設からほぼ半世紀を過ぎる1961年まで排斥の対
象となってはいなかった。平均的な証人は「新しい光」教義のため
にこうした教義の変更を受容する。それはものみの塔を通して神の
意志が暫進的に明らかになるという意味である。輸血拒否の必要性
には、輸血が起きる可能性のある状況に着かせることの禁止も含ま
れる。もし裁判所が輸血を命令しそうになったなら、
クリスチャンが血に関する神の律法を破らないようにするために必
死に努力した場合,当局はその人を法律違反者とみなしたり,起訴し
ようとしたりするかもしれません。処罰が科せられる結果になった
としても,そのクリスチャンは義のために苦しみに遭っていると考
えることができるでしょう。(「ものみの塔」1991/6/15 31頁)。
デューロンが注記しているように、証人は輸血を受けるよりは死
んだほうがいいと指示している。
子どもに輸血を認めるくらいなら、死なせることもいとわないとは、
実際にはいくらエホバの証人でもめったには断言しない。
ものみの塔の弁護士、ワーは二つの事件において宣誓した上で、成
人の代理人をしたと語った。
裁判所の命令で医師が輸血をする正当性が得られた場合、そうした命
令は違法に得られたものであり、成人したクリスチャンは必ずそれ
と戦うし、それには身体的な戦いもふくまれるというのが私の立場だ。
……想像するに、強姦に等しいものである。成人した私にとって法廷
の命令によって強姦されることに正当性はない。しかしもし私の子ど
もが裁判所の命令を受けるなら、それとこれとはまったく状況が違っ
てくる。正当防衛とは違う状況になる。
もしワーが主張するように輸血が強姦と等しい深刻さがあるなら、
滅多に子どもを人に強姦されるようなまねはしない!。
輸血拒否が合理的だと話すために滅多にしか使わないものみの塔の
欺きの理屈の一つにAIDSの危険性がある。その選択は長い歴史の
中で医学的に賢明であるとする。輸血でAIDSにかかった人の例を
しばしば引用するが、通常、証拠をひどくゆがめ、故意に信者に
争いの種を持ち込もうとする。米国の血液バンクが1985年3月
にAIDSのための血液のスクリーニングを始めてから「1億2千万
人以上の輸血の内、21人だけがHIVに感染したと訴えた」。HIV
とAIDSの関係はまだ不明のままだ。米国では一回の輸血から
HIVに接触する可能性は今やおよそ125万人で一人と見積もられ
る。新しい検査法は、「輸血後のC型肝炎ウィルスの危険性を劇
的に低下させてきた」。米国における安全性のレベルは相当に高
く、他人からの輸血は今や(患者の)自己血輸血より以上に勧
められている。