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会報「JWの夫たち」バックナンバー


No.10(98.9発行)
■ 巻頭エッセイ「大統領のスキャンダル」/三輪貴史

 アメリカのクリントン大統領が、ついに不倫疑惑について証言し、事実関係を認めた。この件に関して、ヨーロッパの反応は面白い。かつて、フランスのミッテラン大統領が、愛人問題について質問されたとき、「それで?」と応えたのは有名な話である。このように今回もヨーロッパの反応は概ね、個人的な愛人関係のことなど問題にしていない。ただし、クリントンが嘘をついていたことに関しては冷たい。つまり個人的な問題をつつくことに対しては否定的なのだが、一国のリーダーが嘘をつくことは、政治家として失格判定を下されると言うことである。しかしまあ市井の感覚で言えば、不倫疑惑を追及し続けたスターという人は、まるで興信所の探偵である。最も、ヒラリー夫人が雇ったのではないと思うが。何はともあれ、アメリカの大統領というのは、実に私生活に於ける倫理的問題まで問われる存在であることが今回の出来事から分かる。

 この会報の創刊号の巻頭エッセイにもあったように、アメリカ大統領は、就任の時に聖書に手をおいて宣誓する。そして今、それにつけ加えるとするなら、愛人問題といった個人倫理のレベルで政治的危機を迎えるということがつけ加えられてもよい。この公的役割に対する潔癖な宗教的倫理規範から、まさにアメリカという国家の根幹を支える精神が、きわめて素朴なキリスト教精神に支えられている事を見て取れる。しかしながら大統領と言えども一個の人間には変わりない。ここまでの人間的完全性を求めることが、果たして可能なことなのだろうか。こうした潔癖な、言い換えれば単純な精神性の中に、ものみの塔の生まれてくる精神的土壌があるのではと、つい意地悪な目線を持ってしまうのだ。

 ところでアメリカは先のアメリカ大使館に対するテロへの報復行動として、スーダン、アフガニスタンに100発以上のミサイルをいきなりぶち込んだのにはおどろいた。殴られたらいきなり殴り返すという実に単純な論理が、国家規模で展開されるのを目の当たりにするとき、開いた口がふさがらない。このような行動原理が聖書の行動論理だったのか。このあまりに短絡的な行動を見るとき、アメリカの精神文化の闇を見るような思いに捕らわれる。そしてものみの塔の短絡的な自己正当化の文脈にも、同じものを見てしまうのは私だけであろうか。
 今回のアメリカの行動は、クリントン大統領の身の下スキャンダル隠しだと言う説もあるが、自身の不倫から目を逸らすためにミサイルを他国にぶち込んだのだとしたら、アメリカとは何という国家であろうか。その姿は、自らの教理の変更や矛盾をつかれるとそれには応えずに、そうした指摘そのものがサタンの攻撃だと居直るカルト集団と同じではないか。

 クリントン大統領が、8/20の攻撃後に行った演説中に以下の件がある。「ウサマ・ビン・ラディンが支援する過激派グループは民主主義を憎悪し、宗教の教義をゆがめ、無実の人々の殺害を正当化し、米国を敵と位置づけている」。それでは「ものみの塔の統治体が率いるグループは、市民社会と国連が行っている平和活動を否定し、キリスト教の教義をゆがめ、無辜の民の生命に、輸血拒否の教義で害を与えることを正当化し、このような教義に反対する夫を敵と位置づけている」というようなグループの存在が自国内から発生して、世界制覇を狙っていることを、世界に向けてどう証言するのかな?ヘイ!ジョージ!!君はこのような民主主義の敵にもミサイルをぶちこむのかい?


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