ものみの塔の偽預言を洞察する

 "The facts on Jeovah's Witnsesses'によるとものみの塔は次の五点につき、偽預言をしたと断定してます(P.66)

1.「終わりの日」の始まりを1799年から1914年に変更した
2.キリストの再臨の日付を1874年から1914年に変更した。
3.キリストの再臨の全体的な形態を地的で目に見える様から、天的で目に見えない形態に変更した。
4.「一度目の復活」の日付を1878年から1914年に変更した。
5.人間創造からの六千年の終わる日付を1872年から1972年に変更し、さらに1975年に変更した。

 協会はラッセルの時代の聖書研究シリーズを世から抹殺する努力を続けてきたが‘www.archive.org`を利用すると容易に閲覧できるようになった。重点的に聖書研究シリーズを取り上げ、これらの変更された預言を確認してみよう。

1.「終わりの日」は1799年から始まった
「聖書研究」第3巻「汝の王国が来るように」には繰り返し、1799年の重要性が強調されている。「終わりの日」が開始されたときであり、それ以来、人類が経験したことの無いような大患難に見舞われるらしい。それは実現しただろうか(ページ数はwww.archive.org →"American Libraties→Thy Kingdom Comeで検索 した結果、Studies in the Scriptures C.T.Russel 1891年版による)。なぜナポレオンの行動が「終わりの日」の契機になるか、ラッセルは説明していない。
P.37 「定められた日」(「終わりの日」1799年)
P.40 聖書のほかの箇所から1260年の期間である。それは1799年に終わった。迫害する者(法王)が活躍する期間、1799年までには終わらない。
P.42 1799年は1260年にわたる法王権力が終わる年。そして「終わりの日」の期間の始まりの年。
P.46 第二段落 ナポレオンは1798年5月に出航し、1799年10月にフランスに上陸した。この軍事行動はダニエル(11章)40-49節に生々しく記されている。
P.50 1799年はいわゆる「終わりの日」の期間が始まる年であり、その時その体制は跡形もなく過ぎ去るはずだ。
P.51 1799年に「終わりの日」が始まるのが正しいとしたら、間違いの教会と国々の滅びはかなりの程度、終了する――これは希望が持てる。
P.52 1799年で終わる時代は、特にナボレオンのエジプト遠征の年と記される年であり、国々に対する法王の支配権の限界を確かなものにする。
p.53 1799年は「終わりの日」から政治的な改革の始まる証拠の年だ。
P.60 1799年にいわゆる「終わりの日」の期間が始まったことを示した。その時、法王はこっぱみじんに粉砕される。
P.61 1799年に始まり、1914年に終わる「終わりの日」には、かつて人類が経験したことのなかった大患難が最高潮に達する。
P.65 知識が増し加えられ、ダニエル11章の教え(1799年に「終わりの日」が始まった)を確信できた。
P.68 ダニエル11:40-44の出来事は1799年のしるしとなる。
P.71 1799年から1260年遡ると539年になる。それは法王が権力を持ち始めた年だ。
P.84 「終わりの日」の始まり、1799年
P.122 「定められた時」,1799年に教会の迫害者は滅ぼされ、片付けられてしまう。

2. ラッセルによればキリスト再臨の日付は1874年だった

  ダニエル(12:1)に示された「主」の再臨を発見した。それでもミカエルの名による覆いを外されたものは「大いなる君」である。ミカエルは「契約の君」であり、「全能の神」、「とこしえの父」と認める(ダニエル11:22イザヤ9:6)。ミカエルは権力と権威を持って立ち上がる。すべての事物の大いなる復権を成し遂げ、数百万の死に行く人々に永遠の命を与えるためである。ダニエル十二章の1335日を跡付け、その日付を指摘したみ使いが興奮しながら、次のようなことばを叫んだことを理解できる――「1335年を待ち望む者に幸あれ」1874年。ここに挙げられたしるしの時を考えるとき、どのように再臨が示されたか、その鍵を見逃してはならない。その文字通りの年で示しているしるしの日。主の再臨は明らかに1984年だと証明される(しかもその年の10月、第二巻六章で示した通り)。
 1874年10月を主の再臨と回復の日付と呼べるサイクルであったとしても、1872年の10月を七回目の千年期(即ち至福千年期)の始まりの年と正確この上ない聖書年代記が示しているのはどうしてだろう(「汝の王国が来るように」 P.126)

まず、第一の考え(「主」は1874年の秋に再臨し、1914年までに「異邦人の時」が終わらないこと)は矛盾しているかもしれない。しかし、「大いなる日の戦い」の陣営のための神のご計画の展開と十分に調和している。ダニエルが書いたように(2:44)
「それらの王たち、世に、天の神は一つの国を立てられます。……これらのもろもろの国を打ち破って滅ぼす」。
 我らの主は臨在しているに違いない。現存する教会員を試みに遭わせるはずだ。千年間、行使される権力と権威に連携し、栄化するはずだ(黙示録5:10,20:6)神の秩序を実行する助手とその代理人を動かし始めるはずだ。いわゆる「クリスチャンの国々」をすべて粉砕し、滅ぼす。粉砕されても「怒りの日」に滅びる本当の原因には関心を持たない。そして新しい離散が始まった。エマニュエルが大いなる力を受け取り、栄光ある統治、正義の統治を始めることを知る。
 正確な計算によって事実を確認し、1874年が主の再臨の日付であると指摘する。ほかの性格の証拠で屈服させられる。それは予言された特定のしるし、主と、使徒と、預言者によってである。いまやその成就が明確に認識される。約束されたエリヤは実際に到来したこと、エリシャの教えが拒否されたこと、続く大患難のとぎ続くことを知る。「罪の男」が現れた。その長い恐ろしい統治が成就し、「定められた時1799年にその支配が取り除かれた。至聖所の清めは予言通り成就し、「主の備えられた民」を準備するため1874年に十分なときに成就される。
 1874年はダニエルの預言と調和している(12:1)。「終わりの日」に「ミカエル」の再臨を定める(それは1799年と1914年の間のいずれかの日である)。 ……(略)……収穫と主の再臨と王国の確立とに関係したことがらに関する時の預言に焦点を合わせれば、注意深い研究を通じて認識される。
 すべての預言はこの「終わりの日」に集中している。「収穫の時」、主の再臨の時、長い約束された王国の設立の時という大事な点だ。これらの出来事の大事さを考える。十分な証言があるから、弟子たちに賜った一度目のキリストの登場より以上に再臨の事実を告げられる。 (「汝の王国が来るように」1890年版 P.128)

  二千年近くも苦しめられ、迫害され、自己を犠牲にした者たち、聖別された者たちは主の来臨を待ち望んできた。パウロ、ペテロ、ヨハネ、ステファノ、マリア、嵐の時代に謙遜して神と歩んだイスラエルの信仰ある父や母や兄弟姉妹たちは、信仰の戦いの後、主の再臨に約束された報いを待ち望んだ末、よろいを捨てた(テモテ第二4:8):
 今や彼は来ていたのだ。「主」は実際に存在ししているのだ! 今や主の「王国」設立の時は間近だ。信仰心ある花嫁が賞賛され、栄化される日も近い。主の再臨を持つ日々は過去のものとなり、待ち望む者は祝福を受ける。信も立場からは預言のともしび(ペテロ第二1:19)によって明らかにされている。収穫の時は終わり、信仰の喜びは希望の実の喜びに道を譲る。(「汝の王国が来るように」1891年版 P.133)

3.キリストの再臨の全体的な形態を地的で目に見える様から、天的で目に見えない様に変更した。

「主」が再臨するときには「主」の復活の後に弟子たちに見せたように、人間の形を取る。それは疑問の余地がない(The Time is at hand 「時は近づけり」1918 P.126)。
  誰しもが(イエスの)再臨の時には世に肉と骨の形で「現れる」と期待してはいない。(略)それどころか「主」が「肉として」生まれ、私たちの間に住んだときと同じ形態で、人間の肉で現れると期待すべきだ。人間は肉的には神と似た姿をしている。完全な人、キリスト・イエスも同様(The Time is at hand 「時は近づけり」1918 P.139

4.「一度目の復活」の日付を1878年から1914年に変更した。
 
  イエスと眠りに入った福音時代の使徒や「勝利者」は、1878年の春に「主」と同じように霊者として甦った。彼らの復活はすでに起きている。゜主」と同じく、使徒らは地上に存在している。「主」と同じように霊者であるから目に見えないとしても、見えないといえどもつまずきの石とはならない("Thy kingdom come"P.244)

  天にいる神は王国を設立するであろう。1878年以来、その王国の設立は進行中である。キリストに殉じた聖者は全員、当然復活する。その時以来、「主」が見えない様で存在しているだけではなく、聖者もイエスと共にいる。イエスの体(教会)の復活は1878年に起きたはずだ。復活があった1874年10月から三年半過ぎた時にだ "Thy Kingdom Come"P.317)

  それで、紀元1914年はキリストが霊において目に見えない様で戻った時を印しづけています(「神の千年王国」P.209) 
 
  この王国の「石」はいつ切り出されて,地上の世界強国の象徴的な「像」めがけて放たれましたか。それは異邦人の時が終わった1914年10月4,5日ごろのことで,その時,王の擁立者なるエホバは復活させられたイエス・キリストを権能を付与された王として天で即位させました(「世の苦難からの人間の救いは近い」P.310)

5.創造からの六千年の終わりの日を1872年から1972年に変更し、さらに1975年に変更した。

ヨベルの周期は1874年に「主」の再臨の日であると指摘してはいても、一方、正しい聖書年代表は1872年10月を7回目の千年期の始まりと指摘しているのは疑わしいと言う人もいるかも知れない。……(略)……よく調べると、神は正確に時を刻む方であり、神の計算には例外はない。二年の差はたいした問題ではない("Thy kingdom come"P.132)

六千年はいつ終わるのか
人間の歴史の六千年がいつ終わるかは、どのようにして決めますか。
信頼できる聖書の年表によると、アダムとエバば紀元前4026年に創造されました。
紀元前4026年の秋から紀元前1年まで   4025年
紀元前1年から西暦1年まで           1年
西暦1年から1968年まで           1967年
1968年までの合計              5993年
そうすると、1968年の秋から、人間の歴史の満六千年が満ちるまではもう七年しか ありません。この七年はたしかに1975年の秋に終わります (「目ざめよ!」1969/1/8 P.14)


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