ものみの塔(jw.org)は1914年を重要な年と見なしていて、その年に「天の王」がメシアに「人間の王国」を与える主張している(「神の千年王国」P.9)。紀元前607年を起点にして、「七つの年」2520年を加算してその1914年を算出している。エルサレムの神殿が破壊され、多くの住民が捕囚となった年を独自に紀元前607年だと特定している。
その年は果たして歴史年表と一致しているのだろうか。聖書の記述から考察する。
キュロス王が統治を始めた年に王は布告を発し、大勢のユダヤ人をユダとエルサレムへの帰還を許した。二万人以上1400km以上の長旅を徒歩や馬車で旅をした。ものみの塔の『洞察』によるとそれは紀元前538年である(『洞察』U P.442)。エズラ1章からもそれは確認できる。そのとき彼らの中でソロモンの神殿を見た者は何歳に達していただろうか。詩篇90:12によれば徒事の現役で働ける上限は60代である。わたしたちの年の日数そのものは七十年です。 そして,特別の力強さのために,たとえそれが八十年であっても, ただ難儀と有害なことが付きまとうだけです。
それは必ず速やかに過ぎ去り,わたしたちは飛び去ってしまいます(詩篇90:10新世界訳)。70才以上なら寿命に達している。長旅には連れていけなかったはずだ。エズラ書によると多くの老人がエルサレムに到達していたという。
ところが,祭司,レビ人,父方の家の頭たちのうちの多くの人々,以前の家を見たことのある年老いた者たちは,彼らの目の前でこの家の土台が据えられる際に大声で泣いていたが,ほかの多くの者たちは喜びのために叫び声を上げていた(エズラ3:12新世界訳)。
丁度70歳の人が誕生した年は紀元前538年マイナス70年で紀元前608年になる。15歳の時にソロモンの神殿が破壊された仮定とするとそれは紀元前593年になる。20歳の時にソロモンの神殿が破壊されたと仮定するならそれは紀元前588年になる。歴史年表によればエルサレム崩壊は紀元前586/7年である。ものみの塔はそれを紀元前607年としているが、それを目にした当時10歳の子どもは紀元前617年の生まれであり、たとえバビロンから帰還したとしても80歳に達したいた。これでは聖書的ではない。
それではエレミア25:11にある「荒廃の70年」は紀元前586年から起算していつまで継続したのか。紀元前538年の当時にはエルサレムは荒れ果てていて、元の神殿の地には神殿の基礎しか残っていなかった。その状態で播祭を執り行った。まだ荒廃していたし、それよりも後にならないと神殿は完成しなかった。
イスラエル在日大使館発行の「イスラエルの情報」によれば第一神殿の破壊の年は紀元前586年と記述している(同書P.12)在日大使館に電話すると郵送してもらえます。