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第17号 Book Review

『ものみの塔の源流を訪ねて』


 この本は二つの点に於いて、まさに驚くべき書物である。 そのひとつは、ものみの塔の創設者であるチャールズ・テイズ・ラッセルの、思想と 生涯を実に綿密な研究を経て公にした点である。私達は不幸にしてものみの塔とかか わらざるを得なくなって以来、この不思議な教理を展開する宗教集団を形成する論理 構造と、運動形態を理解しようと努めてきた。少なかった情報をかき集めて(最近は 実に情報も多くなったが)なんとかアウトラインを知るに至ったが、現代に於いてこ のような教理を展開する集団の怪異さは、なかなか理解できない点も多かった。しか しながらこの本によって、謎に包まれたものみの塔のあり様を歴史的な視点の中で位 置づけることが可能になり、初めて良く理解できるようになったと言える。
 私達は、19世紀半ばのミラー主義運動と呼ばれる、この世の終わりを確定しようと した運動の中でラッセルの思想は形作られ、発展してきたことを見るとき、ラッセル もまた一人の時代の子であったことを知ることができる。このミラー主義運動から出 発したラッセルは、フリーメイソンの影響や、ピラミッド学の取り込みなどを経て、 次第に独自の教理展開をしていく。ここに生き生きと描かれているラッセルは、当時 の時代状況の中で、個人としての創意工夫や、またその優れたビジネス感覚を生かし た宗教的オルガナイザーの一面を遺憾なく発揮し、見事に運動体を作り上げていく。 しかしそれはまた極めて人間的な営みであり、まさに時代の子としての鋭敏さと限界 を見せてくれる。特にピラミッド学への傾斜などは、今日的見地から見たときほほえ ましささえ感じてしまう。本来であれば、こんな風に考え、自己の宗教的思想を形成 した人も19世紀にはいたのですと、歴史の中で起きた過去の出来事として語られるべ き人物であろう。そして我々はいつの時代においても人間の知恵とは実に不思議な働 き方をする物だと、感心してこの書物を閉じることになるはずだ。  しかしながらそうはいかなかった。この19世紀的思想に満ち満ちたラッセルの作り 上げた宗教集団が、今現在も生き延び、なおかつ全世界に数百万人の同調者を得てい るのである。一体何が起きたのであろう。ここに驚くべき第二点が隠されているので ある。
 ミラー主義運動を担った人々は、予言がはずれたとき大きな落胆の中で、3つの派 に分かれていくが、いずれもはずれた予言の重さを受けとめ、新たなる再臨主義思想 を形成していく。ここに於ける狂熱と、つきることのない終わりの時の確定願望には いささかまいるが、いずれにしても彼は自分たちの挫折を大きく受けとめているよう に見える。しかしながら、ラッセル及び彼の後継者は、自分たちの予言の失敗をなか ったかの事のようにほおっかむりして、謝罪すらしない。自分の信念がはっきりまち がったことを知り、またそれによって多くの人をまちがった方向に導いたことを見る とき、普通の人は良心の痛みに耐えかね、おそらくこのような運動から手をひかざる を得なくなるであろう。ところがラッセルにしても後のラザフォードにしてもその様 な気配さえ見せない。まるで舌が2枚も3枚もあるような、このような厚顔無恥さはち ょっと尋常の物ではないのだ。宗教的狂熱がこのようなことを許すのだろうか?いや その様に断じては全ての宗教者に対して失礼であろう。ではこのような邪悪さは一体 どこからくるのだろうか?もしかしたら彼等こそが、サタンに操られた人々なのでは ないのだろうか?  

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