Written Profile by Seiji Osafune  

長船青治(小栗秀秋)

自己紹介

1947年・岡山市に生れる、

祖父は、市ヶ谷陸軍駐屯地の工兵隊で佐官級職業軍人だったらしい。

父は、皇居で近衛兵として終戦を迎え、除隊後、郷里にて祖父と工務店を開き一時は100人くらい従業員がいたが、鹿島建設や竹中工務店の

進出で生き残れなかったようでした。

母方の実家は、現・備前市(長船村)で平家の落人のようであり物心付いた頃に、私は倉の天井で錆び付いた槍、刀、

なぎ刀、甲冑など100数十点を見付けて驚いた記憶がある。

3才までの私は祖父の腕に抱かれて近くの公園によく出かけたのだと姉に昔聞いたことがある。

床の間には届け出済みの祖父の軍刀がある。

14才、旭中学・天体観測クラブに入る

16才、関西高校・電気科物理部アマチュア無線クラブに入る
          
 正課授業の剣道、柔道と同時に少林寺拳法の町道場に通う武道三昧の年月をおくる。

17才、関西高校・少林寺拳法同好会を作る。

18才、山梨学院大・司法研究部に入り中国法制史を好むが後に法哲学の伊地知大介ゼミに入る

20才、少林寺拳法三段甲府道院長心得権少導士位を受け公民館で社会人の弟子10名位を抱える。

 独学で哲学書、禅宗各派や東洋医学書などを溺読す。

21才、新日文・甲府読者会同人誌「人間」同人となり私小説の習作群を発表す。

 1969年10・21(国際反戦デー)の早朝、山梨学院大学全学闘争委員会(ノンセクト)大学占拠闘争で2年半の実刑判決を受け

 旧・甲府刑務所(未決独居房)に3ヶ月幽閉されるが地裁宛て学長がぼくらの減刑嘆願書を出したため執行猶予となる。

22才、帰郷し旧・海軍の零戦で3度打ち落とされ3回とも海中から生還した伯父の測量会社に預けられ住み込みで働く。
 
 津島音楽研究所で柳沢製アルトサックスとセルマー製テナーサックスを購入し3ヶ月位、月謝を払い手解きを受けたが4ヶ月目にはもう
 
 市内のグランドキャバレーのビッグバンドに入れられる。

24才、広大な岡大構内にあった木造長家の一室で担当教授不在のゼミ「歴研」に住み着き高校生たちとブルースバンドの練習に明け暮れる。

 ミニコミ・「青洞記」<副題・長船青治の放浪記>を創刊(第22・23号は、Web改訂版をここで読める。)
 
 向井孝の「ベトナム反戦・姫路直接行動委員会」に参加。
 
 「日本反政治詩集」立風書房に参加詩を発表

25才、岡大・農学部全共闘アナキスト系共同体運動「備北コンミューン」に参加。

 法政大・NJS(ニュージャズシンジケート)にリード奏者で参加。

 フリージャズ・アニオタを結成しアルト奏者として週2ケ所ペースで1年間演奏活動を続ける。

28才、静岡県観光課と東海パルプ(株)の嘱託・南アルプス奥大井国立自然公園内の標高3千メートル級の山小屋群の番人となり4年間ちっ居生活をおくる。

32才、4年ぶりに下界に降り立ち100万円を元手にサニヤシンとなりパンツを脱ぎ渡印しプネーの森のアシュラムに岡大全共闘の友人をたずね

毎日笑いキノコばかり食し1年間ただ笑い転げて帰国し成田空港にてパンツを履いていないという理由だけで留置所に入る。

35才、カトマンズの弟子の家に1年間滞在し、ヒマラヤ・ポカラへセスナ機で遊覧飛行に行く。

帰国後10年間に10以上に及ぶ社会底辺の仕事を体験し血の小便を出し倒れる。

43才、四国多度津に帰山する。兄弟子(現・禅林学園校長)らが余りに温かく迎えてくれ男泣きす。

上京し中古米軍ハウスを借り少林寺拳法福生宇宙母船道院を開設し、青少年育成に寄与し体育功労者賞を授与される。

本部指導員、国立大学学生大会審判員、東京都少林寺拳法連盟・理事など歴任。

47才、西武自動車で、2CVチャールストンを新車で購入する。
      
「日本シトロエンクラブ」入会

54才、京大全共闘・銀閣寺アジトの土方仲間だったユセフ桧森が日比谷公園で焼身自殺す。

55才、イラク開戦日に偶然その遺骨を携えたままベイルート空港警察に軟禁され、レバノン軍に身柄引渡された後、強制送還される。

64才、3/11から数日後に「東日本大震災緊急支援市民会議」を有志らと立ち上げ、「東北支援トラック隊」行動隊長と呼ばれる。

  私小説「パレスチナに献花を」をれんが書房新社より刊行

  現在、(株)東京ひまわり学園 代表取締役    
          
  ユーザー車検代行、中古車販売・障害者福祉サービス、損害保険代理店、古物商(鉄くず)などで糊口を凌ぐ。

67才、東京在住 

 +メンバー

< パレスチナに献花を! >対イスラエル大使館抗議行動・世話人

CML<市民のML>・運営委員

電脳キツネ眼組・組員

9条改憲阻止の会・大道具係り

経産省前テントひろば・防衛委員

ICANN・Tracking member number ; 282971

通信NGO・JCA-NET 運営委員

社民党西多摩総支部・党員

世田谷2CVクラブ・オーナーズドライバー

宗教法人金剛禅総本山少林寺・雲水(大導師)

財団法人少林寺拳法連盟・山梨学院大支部終身会員

少林寺拳法武道専門学校・高等師範科卒

財団法人日本体育協会・狛江市スポーツ少年団本部長

狛江市少林寺拳法連盟・理事長

元・サニヤシン(ラジニーシ教団)

東日本大震災緊急支援市民会議・支援物資搬送用小型コンテナトラック / クルー隊長

社団法人・母と子のセンター・運営委員

 +アドミン

「 反盗聴法 」・マザーサイト

「 新泥縄式 」 ヤフージオ

絵日記「 HOTARUKAZURA 」グーグル

blog「 パレスチナに献花を 」 まっく

HP「 私立・東京ひまわり学園 」JCA

blog「 東日本大震災緊急支援市民会議の記録 」 グーグル

 +ソノタ

英検・3級

そろばん・4級

習字・6級

好きな喫茶店・どんぐり 

好きなラーメン屋さん・火の車 

行きつけの床屋・まるしん 

行きつけの質屋・大丸

たまに行く海外都市 ・ムンバイ・ベイルート・カトマンズ・北京・深州

たまに行く銭湯・清心湯( 岡山 )

グリーンピース ジャパン・サイバーアクテイビスト

エントロピー学会・会報のただの読者

三文評論・機関紙のただの読者

オリーブの樹・ただの読者

支援連ニュース・ただの読者

プロデユースしたこと・日比谷小音楽堂 フリージャズ・アニオタの月例コンサート(1年位)と

 社会思想喫茶「 新宿共学文庫 」(元リブ喫茶・ホーキ星)・大島英三郎さんと

< 活動歴 >

私小説『パレスチナに献花を』・れんが書房新社

アナキズム同人誌「黒」・小説「しょげ返る」

新日本文学会甲府読者会・同人誌「1970」・評論「山梨学院大学学生自治会発足とは何だったのか」

甲府文学会・「人間」同人・小説「熊山」

大阪のアナキズム結社・「自由連合社」機関紙『自由連合』・小説「 夏の夜の計画 」

岡山のアナキズム文芸同人誌「木の葉経零号」・主宰

取材されたこと・電通の「月刊アドバタイジング」にルポルタージュをジャーナリスト養成講座でWさんが卒論テーマに「青春考」を

フリージャズバンド「アニオタ」の寸評・「月刊スイングジャーナル』など

出演依頼を受けたとこ・都立美術館での「反東京都芸術祭」へ、石神井公園野音の「詩とジャズの夕べ」、

前橋の「春祭り」、新大久保の「ダダ」、所沢「スワン」など、

自主的な演奏活動は、早大「劇研」、多摩川河原の新聞紙テント公演、早大理工学部正門横のトイレの中、日比谷野音(小)など
                               
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このプロフィルは、1997年に製作し、2004年と2009年6月に大幅に更新をした後、3年後の2012年3月に加筆しています。


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