「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集

V.3 96/12/3-97/2/12

latest up date 3/17/1997

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■    「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集V.3 96/12/3-97/2/12    ■


<目次>

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□はじめに−フロッピー版資料集発行ならびにホームページ開設の経過−hajime.txt「教科書に真実と自由を連絡会」(仮称)結成ご賛同のお願い  renraku.txt右派勢力の教科書攻撃に関する略年表
	フリージャーナリストの井上澄夫氏作成の年表です。印鑰智哉氏がHTML化さ
	れたものにリンクしています。

□自由主義史観批判論文等
●NEW【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(改訂版)1997/3/17
これは、以下の討論資料(1)(2)(3)の改訂版です。
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(1)       【長文】 toron1.txt
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(2)       【長文】 toron2.txt
   従軍慰安婦教科書問題討論資料(3)       【長文】 toron3.txt
●藤岡「自由主義史観」批判−そのデマゴギーを暴く 広瀬信 【長文】 hirose.txt
●教科諸問題>右派勢力の議会攻勢の分析          井上澄夫 inoue.txt
●藤岡信勝氏の近現代史授業「改造」批判         大八木賢治 ooyagi.txt

□歴史教育者協議会の声明
●「中学校歴史教科書訂正意見書提出」に反対する新潟歴教協の声明  niigata1.txt
●歴史教育者協議会の声明
 ◎歴史を歪め教科書を歪める地方議会決議に反対する               rekikyo1.txt
 ◎教科書執筆者と教科書出版社にたいする脅迫に抗議する           rekikyo2.txt
●京都歴教協の「従軍慰安婦教科書削除問題」に対するアピール     kyoto.txt

□従軍慰安婦教科書削除問題資料集(時系列)
●「新しい歴史教科書をつくる会」呼びかけ人と賛同者名簿       tukuru.txt
●「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピール等  onnata.txt
●「新しい歴史教科書をつくる会」記者会見メモ1996.12.2             kisha.txt
●教科書問題>新潟情報 予断は許さぬが今回は見送りか?           niigata2.txt
●栃尾市>中学校教科書改訂に関する意見書の提出について            tochio.txt
●岡山県議会に提出された教科書「是正」についての意見書            okayama.txt
●京都府加茂町>従軍慰安婦教科書削除意見書が賛成8、反対7で採択  kamocho.txt
●高岡市>平成9年度使用中学校教科書改訂についての陳情             takaoka.txt
●教科書関係者への「脅迫状」から【抜粋】                          kyohaku.txt
●自由主義史観・つくる会等の動きを憂慮する在日朝鮮人声明          zainicho.txt
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 ■はじめに−フロッピー版資料集発行ならびにホームページ開設の経過−■
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藤岡信勝氏らによる自由主義史観の提唱とそれに基づく歴史教科書への攻撃は、地方
議会決議という形であらわれ、マスコミ報道などもあり、現在多くの国民の知るとこ
ろとなりました。そうした中で、「従軍慰安婦は商行為なの?」「南京大虐殺はなか
ったの?」などという声が、子どもたちの間からも聞かれるようになりました。

私は歴史教育者の一人として、こうした動きを黙視できないと考え、昨年12月はじ
めから自由主義史観や教科書攻撃に関する情報をインターネットを通して集めてきま
した。そして、仁井谷明さんのフロッピー版「沖縄米軍基地賞」のとりくみに学び、
フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」を作成するとともに、300部を製
本して関係各位に配布しました。フロッピーについては、1997年1月末現在で、
100枚近くを郵送または手渡ししてきました。また、フロッピーの資料の一部は大
手商用パソコン通信のBIGROBE/PC−VAN/SIG「平和のひろば」ライ
ブラリィに登録・公開されています。

藤岡信勝氏は討論授業(ディベート)の提唱者です。彼の手法は、嘘と真実とをディ
ベートすることにより、真実を相対化し、歴史を見る目を曇らせるものであり、注意
が必要です。広瀬信氏の「藤岡『自由主義史観』批判−そのデマゴギーを暴く」は、
藤岡流ダマシのテクニックを見抜くのに最適の論文です。また「市民新党にいがた」
の皆さんが作成された「従軍慰安婦教科書問題討論資料(1)(2)(3)」は非常
にわかりやすく従軍慰安婦問題や南京大虐殺問題について解説してあり、私たちに澄
とって必見の論文です。地方議会での取り組みの方向性を示唆する論文として、井上
夫さんの「右派勢力の議会攻勢の分析」を掲載しましたので、あわせてご活用くださ
い。また、京都歴教協の大八木賢治氏の論考は、現場での実践を踏まえたもので、ぜ
ひご一読いただきたいと思います。

歴史教育者協議会関係のアピールや市民団体とのとりくみとともに、「新しい歴史教
科書をつくる会」や地方議会での動きについてもフォローしました。今後もさまざま
な動きが強まってくると思われますので、そのつど内容を更新していきたいと思いま
す。

今年の1月末、フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」の目次ならびにまえ
がきを「民衆のメディアメディアメーリングリスト」に投稿したところ、参加者の方
々からホームページを作成したらどうかという声をいただきました。そして今井恭平
さんから協力の申し出があり、こうやって皆さんに活用していただけるようになりま
した。

資料を提供していただいた、歴史教育者協議会事務局ならびに「オールタナティブ運
動メーリングリスト」参加の方々、またホームページ開設にあたってご協力いただい
た「民衆のメディア連絡会」ならびにJCA(市民コンピュータコミュニケーション
研究会)の皆さん、そして今井恭平さんにあつくお礼申し上げます。
                     京都歴史教育者協議会 本 庄  豊
                            HPM20797@pcvan.or.jp 
                     ==================


以下は、フロッピー版「従軍慰安婦教科書削除問題資料」のREADMEからの転載です。
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資料集の電子データ化については、昨年、仁井谷明さんが、フロッピー版沖縄米軍基
地問題資料を作成しているのを知ってから、新しい市民運動の展開の方向を示すもの
として注目してしました。

このフロッピーの資料は、PC−VAN平和SIGのライブラリィに登録された資料
を中心に転載て作成したものです。平和SIGには、博物館ボードを中心にインター
ネットに蓄積された資料が投稿されています。これらを、編集し目次とまえがきをつ
けて、ライブラリィ化しました。

このフロッピー版「従軍慰安婦教科書削除決議問題」資料集は自由にコピーしていた
だいてかまいません。ただし、コピーする場合は、編集等はしないでください。お問
い合わせは、EmailかFAXでお願いします。電話による問い合わせはご遠慮くださ
い。また、コピーして多数に普及する場合は、その旨連絡してください。不許可にす
ることはありませんが、どのくらい普及してるのか知りたいので‥‥‥。なお、編集
についての責任は、すべて本庄@PEACEにあります。

      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

       京都府綴喜郡宇治田原町岩山隠谷見晴らし通り38−31
    TEL 0774-88-4205  FAX 0774-88-4206 本 庄   豊

      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


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 HPM20797@pcvan.or.jp (private Eml)  PEACE@pcvan.or.jp (PC-VAN/JHEIWA)
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【本文開始】
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PEACE@本庄です。以下のような手紙が郵送されました。
自由主義史観による教科書攻撃をはねかえすために、ご協力をお願いします。

ぜひ、賛同をお願いします。賛同される方は、手紙の後につけた様式でPEACE@
本庄まで連絡して下さい。2月20日までにできるだけたくさんの方の賛同を
得たいと思っています。ご協力をお願いいたします。FAXやハガキでの連絡
も受け付けています。賛同者をできるだけたくさん募り、会発足の勢いをつけ
たいと思います。2月末から3月にかけて、地方議会での教科書攻撃の動きが
顕著になります。ぜひ!ぜひ!ぜひ!賛同者になって下さい。

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連絡は、PEACE@本庄まで! → HPM20797@pcvan.or.jp
faxの方は、        → fax 03-3947-5790 歴教協気付
ハガキの方は、      → 〒170 豊島区南大塚2-13-8 千成ビル 歴教協
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訂正版>                                   以下転載(改行位置訂正byPEACE)
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   ■「教科書に真実と自由を連絡会」(仮称)結成ご賛同のお願い■

 前略
 突然のお願いのお手紙をさしあげ、失礼の段、おゆるし下さい。
 新聞等ですでにご承知のことかもしれませんが、最近また教科書にたいする
攻撃がはげしくなってきました。その背景には藤岡信勝東大教授の主宰する自
由主義史観研究会によるいわゆる「東京裁判史観」批判がありますが、これを
うけて来年度から使用される中学校の教科書に登場する「従軍慰安婦」の記述
を最大の標的とし、その削除を求める右翼団体の行動が96年夏ごろからはげ
しくなりました。彼らは文部省や教科書会社へおしかけ、さらには一部の教科
書執筆者へも脅迫状を送りつけています。藤岡教授らは、96年12月2日、
言論界、財界から78名の賛同をえて「新しい歴史教科書をつくる会」を発足
させ、教科書攻撃のうごきをいっそう強めようとしています。さらに各地の自
治体議会で、「従軍慰安婦の記述の削除を求める意見書」を採択しようとする
運動もはじまり、12月11日以来、国会でもそのような立場からたびたびと
りあげられています。
 私どもは、このような事態を放置したり黙視すれば、真実をおおいかくして
歴史教育をゆがめるのみでなく、思想・言論の自由を脅かす重大な結果をまね
くことになるものと考えます。さらには、無謀な侵略戦争への反省をゆるがせ
にし、アジア諸国をはじめ諸外国との友好を傷つけ、その信頼を失うこととな
ります。
 そこで私どもは、標記のような連絡会を各界の広範な方々とともに結成し、
シンポジウム等の開催、関係方面への申し入れなど必要な活動をおこないたい
と考えました。どうか私どもの趣旨をご理解いただき、会の結成にご賛同下さ
いますよう、お願い申しあげます。
 お手数ですが、同封のハガキにて、2月20日までにご返信下さいますよう
お願いいたします。
 また、恐縮ですが、郵送料、印刷代程度のカンパをお願いできれば、幸いに
存じます。そのさいは同封の郵便振替用紙をご利用下さいますよう、お願いい
たします。

     1997年2月4日

呼びかけ人(五十音順)

荒井 信一       日本の戦争責任資料センター代表
家永 三郎       東京教育大学名誉教授
石川 真澄       ジャーナリスト
大槻  健       早稲田大学名誉教授
黒田  清       黒田ジャーナル代表
寿岳 章子       元京都府立大学教授
中塚  明       奈良女子大学名誉教授
永原 慶二       一橋大学名誉教授
林  英夫       立教大学名誉教授
堀尾 輝久       中央大学教授・東京大学名誉教授
牧  柾名       元東京大学教授・駿河台大学教授
丸木 正臣       和光学園園長
弓削  達       東京大学・フェリス女学院大学名誉教授
粟屋憲太郎       立教大学教授
伊ケ崎暁生       富山国際大学教授
内海 愛子       恵泉女学園大学教員
国弘 正雄       前参議院議員
            エジンバラ大学人文科学高等研究所特任客員教授
暉峻 淑子       埼玉大学名誉教授
中野  光       中央大学教授
浜林 正夫       一橋大学名誉教授
藤原  彰       日本現代史研究者
本多 勝一       「週刊金曜日」編集委員
松島 栄一       歴史教育者協議会委員長
山住 正己       教科書問題を考える市民の会
米田佐代子       歴史科学協議会代表委員

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会の趣旨に賛同します

ご意見など‥‥‥‥‥

ご住所‥‥‥‥‥‥‥

お名前‥‥‥‥‥‥‥

いわゆる肩書き‥‥‥

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連絡は、PEACE@本庄まで! → HPM20797@pcvan.or.jp
faxの方は、        → fax 03-3947-5790 歴教協気付
ハガキの方は、      → 〒170 豊島区南大塚2-13-8 千成ビル 歴教協気付

カンパの振込口座は、郵便局の00100-9-352592 です。手弁当でやっています。
よろしくお願いします。加入者名は「教科書に真実と自由を連絡会」です。
                 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

       平和・自然・人、それが好きです!
      _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

      HPM20797@pcvan.or.jp (private Eml)
      PEACE@pcvan.or.jp   (PC-VAN/JHEIWA)

           _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
      従軍慰安婦教科書削除問題資料集 URL
      http://www.jca.or.jp/~pebble/ianfu



□自由主義史観批判論文
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   ==============================
   論文>藤岡「自由主義史観」批判−そのデマゴギーを暴く 広瀬信
   ==============================

広瀬氏より、平和SIGライブラリへの登録依頼がありましたので、博物館ならび
にライブラリ「平和の本棚」に登録します。改行位置など若干の変更はPEACEが行い
ました。転載については、広瀬氏hirose@edu.toyama-u.ac.jpまで直接申し込むか、
私PEACE PEACE@pcvan.or.jp までEmailをお願いします。

広瀬論文開始
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96年1月16日付で、『社会科教育』または『社会科教育別冊 「近現代史」の授
業改革』への掲載を求めて、樋口雅子編集長宛に投稿し、「投稿の呼びかけも行って
いない」というウソの理由(『社会科教育別冊』は「*投稿歓迎*」と宣伝してい
る)で門前払いにされた論文です。(広瀬)


      藤岡「自由主義史観」批判
     ――そのデマゴギーを暴く

                   930 富山市五福3190
                   富山大学教育学部助教授 広瀬 信
                   Email:hirose@edu.toyama-u.ac.jp

はじめに
 戦後50年の昨年、「韓国併合」を美化する江藤前総務庁長官発言や、「欧米も
やっていたので、日本だけが悪いのではない」という趣旨を盛り込んだ「戦後50年
国会決議」など、かつての日本の侵略戦争や植民地支配を美化・合理化する動きが強
められた。自民党のタカ派的潮流からなる「歴史・検討委員会」によって発行された
『大東亜戦争の総括』(展転社)は、そうした流れの理論的支柱ともいうべき書物で
ある。
 「歴史・検討委員会」は、1993年8月10日、細川首相(当時)が、就任後初
の記者会見で、かつて日本が行った戦争は「侵略戦争であった」と発言した(半月後
の所信表明演説では「植民地支配と侵略的行為」と修正)ことをきっかけに、危機意
識にかられて結成されたもので、その趣旨は、「細川首相の『侵略戦争』発言や、連
立政権の『戦争責任の謝罪表明』の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもと
に、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づ
く日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する」というものであった。そし
て、93年10月から95年2月まで、20回におよぶ会合を重ねて、その「成果」
を戦後50年の8月15日に出版したのである。
 このような動きに呼応するかのように、94年4月から『社会科教育』(明治図
書)誌上で連載が始められたのが、藤岡信勝東京大学教育学部教授による「『近現代
史』の授業をどう改造するか」である。95年9月からは『社会科教育別冊』シリー
ズとして『「近現代史」の授業改革』の刊行も開始された。これは、教育運動内部で
公然と始められた侵略戦争美化の動き(その総体は「近現代史」全体の見直しという
大がかりなものだが、その核心は「侵略戦争」という戦争評価の見直し)として、看
過できない動きである。本稿では、連載にみられる藤岡氏の手法が、いかに作為的
で、デマゴギーに満ちたものであるかを解明することによって、「自由主義史観」な
るものの正体を明らかにしたい。

1、「歴史像先にありき」の「自由主義史観」
  藤岡氏は、「近現代史」の見直しを提唱し、自分たちのアプローチを「自由主義史
観」とよんでいる。その問題意識は、「戦後の『近現代史』教育は、自国の歴史に対
する誇りを欠き、未来を展望する知恵と勇気を与えるものではありませんでした。日
本の『近現代史』を暗黒に塗りつぶしてきた『東京裁判史観』の克服が今こそ必要で
す」(『「近現代史」の授業改革』創刊の辞)というものである。
 藤岡氏にとって、日本の行った戦争を「侵略戦争」と描く歴史像(彼はこれを「東
京裁判史観」と攻撃する)こそ、「自国の歴史に対する誇りを欠き……日本の『近現
代史』を暗黒に塗りつぶ」すことになる元凶であり、「『戦争の授業』のパラダイム
を大胆に転換する」ことが、「『近現代史』の授業改革の最も重要な課題の一つ」
1)と位置づけられることになる。そして、「新しい『戦争の授業』のパラダイム」
の「最も重要な観点として」強調されるのは、「自国に対する肯定的イメージに裏付
けられた授業」「ひとことで言えば、『元気の出る』歴史」2)ということになる。
誤解のないように述べておくが、これは近現代史一般についてではなく、「元気ので
る戦争の授業」3)ということなのである。あらかじめ設定されたこのような歴史像
に合わせて、作為的に日本の近現代史像(日本の行った戦争)を描くのが、藤岡氏の
提唱する「自由主義史観」である。それは、決して歴史の真実を学問的に探求するも
のではなく、自民党のタカ派的潮流による『大東亜戦争の総括』と呼応する、かつて
の侵略戦争を美化・合理化するイデオロギーに他ならない。

2、その本質は「大東亜戦争肯定論」
  藤岡氏は、「日本だけ悪者にする『東京裁判史観』も、日本は少しも悪くなかった
とする『大東亜戦争肯定史観』も、ともに一面的です」(『「近現代史」の授業改
革』創刊の辞)と、自分の「自由主義史観」はそのどちらでもない第3の立場である
かのように装っているが、その攻撃目標は、彼が「東京裁判(=コミンテルン)史
観」と歪んだレッテル貼りを行っている(「大東亜戦争肯定論者」からの借り物にす
ぎないが)、日本の行った戦争を「侵略戦争」と見る歴史認識である。
 彼が「一面的」と批判する「大東亜戦争肯定史観」とは何かというと、「単に大東
亜戦争を何らかの意味で肯定することによって特徴づけられる歴史観なのではない。
それに加えてこの戦争の『侵略戦争』としての性格をほぼ全面的に否定するような歴
史観」4)であるとされる。つまり、さすがに彼も、あの戦争が「侵略戦争」である
ということを100%否定することはできないため、「『侵略戦争』としての性格を
ほぼ全面的に否定する」極論のみを「一面的」と批判するのである。しかし、日本の
行った戦争を「侵略戦争」と見る歴史認識を攻撃するためには、彼の言う100%
「大東亜戦争肯定史観」に立つ論者も含め、「大東亜戦争を何らかの意味で肯定す
る」論者とは喜んで手を結ぶのである。実際、彼の論点はもっぱらそれらの「大東亜
戦争肯定論者」からの借り物にすぎない。そのことを簡潔に明らかにするために、彼
の援用する論者と、自民党タカ派的潮流の手になる『大東亜戦争の総括』に登場する
論者との重なり具合を見てみよう。
 藤岡氏が援用している論者の内、『大東亜戦争の総括』に登場する論者は、富士信
夫、江藤淳、小堀桂一郎、西尾幹二、岡崎久彦、総山孝雄、佐藤和男、高橋史朗、田
中正明の9氏である。「一面的」「大東亜戦争肯定史観」と一応批判されながらも、
その著『大東亜戦争への道』を、「戦前の日本の国家行動について最も好意的な解釈
とその裏付けとなる事実を知ろうとすれば、本書に当たるのが一番よいだろう」と推
奨されている中村粲氏を加えれば、『大東亜戦争の総括』の19人の論者中の10人
を占める。
 藤岡氏は、「『大東亜戦争肯定史観』の定義的条件として『一つでも「肯定」の論
拠を認めること』、という条件を設定するなら、今日よほど極端な『東京裁判史観』
信奉者以外は、私を含めてたいていの人が『大東亜戦争肯定史観』のカテゴリーに
入ってしまう」5)と自らも認めているように、「大東亜戦争肯定論者」なのであ
る。それも、さまざまなバリエーションを持つ「『肯定』の論拠」をほとんど否定す
ることのない、かなりの「大東亜戦争肯定論者」である。

3、藤岡氏の果たしている役割
 藤岡氏の援用する論者の多くが、自民党タカ派による『大東亜戦争の総括』に登場
する論者でもあることを見たが、それ以外にも、渡部昇一氏ら、『諸君』、『正論』
などの右派ジャーナリズムの常連が援用されていることは、彼の引用文献をていねい
に見れば確認できる。つまり、藤岡氏の果たしている役割は、これまでなら教育雑誌
にはなかなか登場することのできなかった右派ジャーナリズムの常連達の主張を、彼
の連載を通じて、社会科教育研究者や現場教師へと媒介することなのである。
 藤岡氏がもともと右派的な人物なら、読者もそのような目で見るであろうが、教育
科学研究会の常任委員で、どちらかといえばこれまで文部省に対抗する側に身を置い
てきたと見られている人物であり、『授業づくりネットワーク』誌の編集代表の仕事
などを通じて現場教師に非常に大きな影響力を持っている人物だけに、その媒介効果
は絶大である。また、授業づくりの専門家である彼は、彼を信奉する教育実践家を擁
して、いっしょに教材づくりや授業実践に乗り出している。「侵略戦争美化」を、
「有能な」教育実践家を巻き込んだ教育運動として展開している点が、従来には見ら
れなかった重要な特徴といえる。戦略家でもある彼は、この動きを、やがて「自由主
義史観」に基づく教科書づくりに結びつけることも展望しているものと考えられる。

4「克服」すべき「東京裁判史観」とは
 藤岡氏が、「克服」すべきであると主張する「東京裁判史観」とは何なのか。彼が
依拠する論者の規定によって確認しておこう。
 彼はまず、富士信夫氏の、「東京裁判法廷が下した本判決の内容をすべて真実であ
るとなし、日本が行った戦争は国際法、条約、協定等を侵犯した『侵略戦争』であっ
て、過去における日本の行為・行動はすべて犯罪的であり、『悪』であった、とする
歴史観」(傍線は筆者)6)という定義を引用する。次に、安藤仁介氏の、「第二次
世界大戦後のわが国では、いわゆる東京裁判史観なるものが幅を利かせている。これ
はある意味で、東京裁判の検察側の主張や多数意見判決に範をとり、要するに戦前
の、ひいては明治以後の日本の歴史が、富国強兵と侵略のそれであったとして、これ
を全面的に否定するとともに、その責任を一部の財閥や旧軍部に帰する発想である」
(傍線は筆者)7)という規定を引用し、「安藤の説明により明瞭に示されているよ
うに、『東京裁判史観』は東京裁判が直接の対象とした1928〜45年の期間の日
本の歴史の見方にとどまらず、それ以前の時期を含む明治以後の日本の近現代史全体
の評価におよぶものである。本稿ではそのような意味でこのことばを使うことにした
い」8)と自ら規定している。
 しかし、そもそも、富士の言うように、「東京裁判法廷が下した本判決の内容をす
べて真実であるとなし」「日本の行為・行動はすべて……『悪』であった」とする歴
史観にもとづいて書かれた歴史叙述など存在しないし、安藤のいうように、「明治以
後の日本の歴史」を「全面的に否定する」歴史叙述も存在しない。善か悪かの二元論
で歴史を描くようなやり方は、まじめな歴史研究や歴史教育とは相容れないものであ
る。にもかかわらず、このようなありもしない架空の攻撃目標(「東京裁判史観」)
を設定しておいて、次にみるように、あたかも学校の教科書がそのような「東京裁判
史観」に毒されているかのように読者を惑わすのが藤岡氏の手法なのである。教科書
=「東京裁判史観」という図式を作り上げた上で、「百パーセントの日本弁護論」の
「大東亜戦争肯定史観」も、「悪いのは日本だけ」の「東京裁判史観」も「善玉・悪
玉史観としての共通性」を持っているなどと攻撃する9)に至っては、自分で爆破し
ながら中国側の仕業とした、柳条湖事件での関東軍の謀略的手法とウリ二つである。
富士らの「善玉・悪玉史観」的定義を採用したのはそもそも藤岡氏自身なのだから、
彼によって「東京裁判史観」と描かれるものが「善玉・悪玉史観」なのは当然なので
ある。

5、「南京大虐殺」の犠牲者数にこだわるのはなぜか
 藤岡氏は、『社会科教育』誌上での連載を「『南京事件』についての教科書記述」
で開始し、その後も執拗に犠牲者の「数」にこだわり、「大虐殺派」「虐殺少数派」
「虐殺否定派」のパネルディスカッションまで設定している(結果的に「大虐殺派」
は出席を断り、他の2派で開催)。藤岡氏が、このように虐殺の犠牲者数にこだわる
のはなぜか。
 彼は、何が歴史の真実かということに関心があるわけではさらさらない。とりあえ
ず、最初は、虐殺の「数」には諸説があるということを読者に強く印象づけられさえ
すればよいのである。その上で、虐殺の「数」については、田中正明氏らの「まぼろ
し派」から、板倉由明氏(1.3万人)、秦郁彦氏(3.8〜4.2万人)らの「少
数派」、洞富雄、藤原彰、笠原十九司、本多勝一、家永三郎の各氏らの「大虐殺派」
まで諸説があるにも関わらず、教科書には「大虐殺派」(藤岡氏は、「大虐殺派」は
中国側の数や東京裁判の結論をうのみにしていると不当に攻撃した上で、秦説の約4
万人が最新の研究成果と持ち上げている10) )の10数万〜30万人という数し
か載っていない→教科書の扱いは不当だ→それは教科書が「東京裁判史観」に支配さ
れているからだ、教科書=「東京裁判史観」だという図式に読者を誘導する。「南京
大虐殺」はそのための舞台装置としての役割を担わされているのである。
 戦略家の藤岡氏は、そのような自分の戦略を次のように述べている。「南京事件の
死者の数についての教科書の扱いが確かに不当だということが立証できれば、その扱
い方に集約的に表現されている一方的な見方、すなわち日本は大陸で犯罪を犯したの
だから被害者の言い分はすべて真実として受け入れるべきだ、という卑屈な見方が教
科書を支配していることが確実に言え、そこからその淵源としての『東京裁判史観』
の問題性に迫っていくことができる。これが、私が前回、意図的に採用したストラテ
ジーであった」11)。
 なお、「まぼろし説」や「少数説」が教科書に載っていないのは、教科書が「東京
裁判史観」に支配されているからではなく、それらの説が、学問的に説得力を持って
いないからである。藤岡氏はそれらの説を、「否定派の方々の著書(たとえば田中正
明……)を読むと、その主張もまた本当らしく思える」12) とか、「歴史の真実
を実証的に研究する立場から、板倉論文を本誌に掲載させていただく」13) とか
いって持ち上げるが、「まぼろし説」の田中正明氏が、虐殺の事実を隠すために松井
石根大将の「陣中日記」や「日誌抜粋」を改竄(1985年11月25日付『朝日新
聞』)したり、「少数説」の板倉由明氏が、「数」を少しでも少なく見せるために、
「戦闘で敵兵を殺すこと、付随して不可避的に起こる非戦闘員の犠牲は、『虐殺』で
はないと考えている」とか、将校や兵士の日記などの個人の記録は「原則として人数
算定の資料としては使っていない」14) とするなど、これらの論者は、日本軍の
戦争犯罪である「南京大虐殺」を「まぼろし」にしたり、特別重大な事件ではないも
の(「『数万から十万程度の虐殺』なら戦場では常態」15) )のように歴史を改
竄したいという政治的意図を持った議論なのである。藤原彰氏も述べているように、
「なるべく犠牲者数を少なく計算しようとする意図が見え見えなのが少数論であ」
16) り、学問的には相手にされないのである。

6、藤岡氏のだましのテクニック
 藤岡氏は、授業へのディベート導入の提唱者でもあるが、ディベートとは、設定さ
れた論題に対して、肯定側と否定側が、聴衆に対するその説得力を競う競技であり、
どちらが本当に正しいのかを明らかにすることを目的にはしていない。藤岡氏は、
ディベート研究の専門家であるだけに、極めて巧妙に、読者に自分の立論に説得力が
あるように思い込ませていく。彼がアメリカで弁護士をやれば、有罪を無罪にする
(陪審員にそう思いこませる)名うての弁護士と評判をとるのではないかとさえ思え
るほどである(少しほめすぎか)。しかも、本当のディベートなら、肯定側と否定側
にほぼ互角の論者が立ち、同じ持ち時間内で闘うのだが、藤岡氏の『社会科教育』誌
上の連載の場合は、一方的な一人勝負であり、対抗する論者は登場しない。読者(教
師)の多くは細かな歴史的事実を知らないから、具体的な「事実」を挙げながら、一
定の歴史像をもって歴史が語られると、足をすくわれ、本当のように思えてしまう。
藤岡氏は、このようなことを十分承知した上で、2年計画で長々と一方的に語り続け
ているのである。彼は、様々なだましのテクニックを駆使しているが、一、二、具体
的事例を挙げてみよう。
 (1)「『南京事件』についての教科書記述」について
 藤岡氏は、連載を「『南京事件』についての教科書記述」で始めている。中学校歴
史教科書記述の犠牲者数が、「各社まちまちだ」(実際は、十数万〜20万人で、
30万人は戦死者とあわせた数)と違いを誇張した後、「犠牲者数については長い論
争があり」と、教科書が取り上げていない「少数説」へつなげるための伏線を張り、
「右の教科書にみるようにさまざまな説が行われている(実際は、教科書では、「ま
ぼろし説」や「少数説」は採用されていないが、まずは、さまざまな説があると読者
に印象づける)。ことの性質からして事実は一つしかないのに、数字の見積もりはあ
まりにもちがう(はっきりした犠牲者数の算定は不可能であることをよく承知した上
でこのように述べて、うさんくささを醸し出している)。このような場合、『誰が』
主張している数字なのかを明示して、生徒がその主張のもとの文献にあたり批判的に
検討する手掛かりを与えておくことが最低限必要である(今の教科書が、学術論文の
ようにいちいち出典を明示していないことを百も承知で、うさんくささを醸し出すた
めに意図的に言っている)」と述べる。
 次に、中国人の証言と、それが「反対尋問」に耐えないという富士信夫氏の主張を
引き(「反対尋問」に耐えない証言は誇大妄想だと読者に印象づけることがねらい
で、自分では、証言のどこが事実で、どこが事実でないのかという証明は何もしてい
ない。しかも、反対尋問に耐えないという証言を富士氏の著書から探してきて紹介し
ているのは藤岡氏自身で、「大虐殺派」がそれを決定的証拠だとしているようなもの
ではない)、「問題はこうした証言(一つの証言をやり玉にあげて、他のあらゆる証
言等も信用できないと印象づけるやり方)をうのみにして、白髪三千丈式の数字を合
算する(「うのみ」にしていることを自分で証明もせずに断言する)政治的意図のほ
うにある。東京裁判の『20数万人』説はこのようにしてでき上がったのである」
17) と、何も証明せずに断言し、次の「東京裁判史観」批判につなげている。
 藤岡氏は、連載第二回目でも「南京事件の犠牲者数」を取り上げる。「前回、南京
事件の死者の数について中学校の歴史教科書に記述されている数字が根拠の乏しいも
のであることを書いた」と、教科書の記述が、何を根拠にしているのかはいっさい検
証せず、「根拠の乏しいもの」と断定とした上で、秦郁彦氏の主張を紹介しながら、
「虐殺されたと考えられている人数をみずからの責任においてあげているのが、秦郁
彦、板倉由明、畝本正己の三氏だけ」と根拠も示さず断定し、さらに「虐殺派の場合
は中国側の数字を『そのまま紹介、引用』(秦論文)しているだけ」と攻撃し、信用
できない数字だと読者に印象づける。そして、秦氏の著書を「歴史家らしい史料批判
に基づく冷静な検討が行われている」と持ち上げ、「日本の教科書は中国側や東京裁
判の結論をうのみにするのではなく、日本の歴史家の最新の研究成果に依拠すべきで
ある」「すでにみたように、現行の教科書のほとんどは、……中国側または東京裁判
の結論をあげているだけなのである」18) と断定・攻撃する。だが、賢明な読者
ならお気づきだと思うが、藤岡氏自身が紹介した6つの教科書の内、3つの教科書が
採用している「十数万人」というのは、中国側の30万人説や、東京裁判の20万人
説を「うのみ」にした数ではない。藤岡氏は、自分の立論のためには、自分で作った
土俵も勝手にゆがめて平気なのである。「虐殺派の場合は中国側の数字を『そのまま
紹介、引用』しているだけ」と断定するのも、藤原彰氏も批判するように、「事実に
反する言いがかり」であり、数々の研究を「知っていても全然無視したうえでの」
19) デマゴギーなのである。しかし、詳しい知識を持たない読者の場合は、本当
のことに気づかない。藤岡氏はそのことを十分承知した上で論じている確信犯なので
ある。

 (2)「『非戦闘員三〇万虐殺』の虚構」について20)
 藤岡氏は、連載第18回目でも「犠牲者数」の問題を取り上げている。まず、
「『虐殺』とは何か」と問いを立て、「非戦闘員=民間人を殺害するような時に『虐
殺』という言葉が抵抗感なく使える」とし、「兵士が敵の兵士を殺すのは普通の戦闘
行為であって『虐殺』とはよべない。このことこそ、『虐殺』の定義においてもっと
も重要なポイントである」と定義する。次に、「『南京大虐殺』とはどういう事実を
指すのかということについて、私が長い間抱いていたイメージは、南京市内に入城し
た日本軍が、丸腰の中国人市民を無差別に掠奪、強姦、放火、虐殺した結果、死者
30万人に及んだ、というものである。ここでのポイントは、死者の中に中国軍の兵
士は含まれていないということである。武装した日本軍が無この市民を襲撃して殺害
する。だから『大虐殺』なのである。『南京事件』について特に自分で調べてみよう
としない限り、大方の人々のイメージは右のようなものではないかと思う」と、自分
も含め「大方の人々」がそうだ述べて、読者が、自分も「南京大虐殺」=「中国市民
30万人虐殺」と教えられてきたと自己確認するように仕向けていく。その上で、本
多公栄氏の実践記録『ぼくらの太平洋戦争』の中から、本多が中国の教科書の記述と
して提示した史料として、「一ヶ月あまりのうちに殺された非戦闘員は30万を下ら
なかった」という部分を引用する。次に、南京陥落から4日後の12月17日の文書
が南京市民の数を「20万人」としていることを示し、「正常な知能をもった人なら
ば、あることに気づくはずである。そう、20万の人口の市で30万の『虐殺』をす
ることはできないということである」と述べ、この事実が、本多の示した「中国の教
科書のウソを暴露している」と結論づける。さらに、中国の教科書という「旧敵国の
プロパガンダを史実として与える」から、「反対尋問の機会を保障しない」から
「『非戦闘員三〇万虐殺』の虚構」が真実であるかのように印象づけられてしまうの
だとたたみかける。そして再度、「『虐殺』の定義にかかわるポイントは、戦闘員と
非戦闘員の区別である」と主張する。
 このように、「事実」を具体的に積み上げた議論を展開されると、いかにも「『非
戦闘員三〇万虐殺』の虚構」ということに納得してしまいそうになる。見事なディ
ベーターである。しかし、藤岡氏はここでも、読者が何も知らないものと馬鹿にし
て、だましのテクニックを確信犯的に駆使しているのである。そのトリックは、「非
戦闘員=民間人」というすり替えにある。しかし、「非戦闘員」には、武器を捨てて
市内に逃げ込んだ兵士や、捕虜も含まれるのである。「30万人」が正しいかどうか
は別にして、「非戦闘員三〇万虐殺」=「一般市民三〇万人虐殺」ではないのであ
る。そして、事実、「南京大虐殺」では、武器を捨てて逃げ込んだ兵士や、無抵抗の
捕虜がたくさん虐殺されたのである。「大虐殺派」の文献にも通じている藤岡氏がこ
の事実を知らないはずがない。藤岡氏は、そのことを十分承知しながら、読者をだま
しているのである。
 しかし、藤岡氏は、ここでついに墓穴を掘ってしまった。自分が反対尋問にさらさ
れずに、一方的に長々と語り続けられる安逸さに油断してしまったのであろう。賢明
な読者ならお気づきであろうが、連載の第一回目に、藤岡氏自身が引用した現行中学
校の教科書に「その死者の数は、……女性・子どもをふくむ一般市民で7〜8万、武
器を捨てた兵士をふくめると、20万にもおよぶといわれる」(東書)と書いてあっ
たのである。藤岡氏は、自分の文章でもその事実を確認しているため、「知らなかっ
た」と言い逃れはできない。明らかに、この事実を知りながら、意図的に読者をだま
したのである。藤岡氏自身の表現をもじって言えば、藤岡氏が、「南京大虐殺」の犠
牲者に「武器を捨てた兵士」が多数含まれているということを知りながら、「大虐
殺」説=「一般市民三〇万人虐殺」説だと意図的にねじまげるデマゴーグだ「という
ことが立証されれば」、そのデマに「集約的に表現されている」デマゴーグとしての
体質が、藤岡氏の連載全体に貫かれているということが「確実に言え」、それによっ
て「自由主義史観」なるもののインチキ性を暴くことができるのである。

おわりに
 最後に、これまでの歴史教育が、「日本の社会を暗く描きだした」ために、子ども
たちが「自国の歴史に対する誇りを欠」いてしまうのだという藤岡氏の主張に共感を
覚えておられる読者のみなさんに、私からのメッセージを送りたい。
 藤岡氏や「大東亜戦争肯定論者」の言うように、過去の歴史の事実を覆い隠すこと
によって、作為的に、日本の近現代史を「明るく」描くことで本当によいのであろう
か。そうではなくて、過去の歴史の真実を真摯に見つめ、そこから教訓を汲み取り、
明るい未来を展望できる歴史をこそ語っていくべきなのではないか。決して「暗い歴
史」でもいいではないかと言っているわけではない。私は、民主主義と平和の実現を
追求し、前進してきた20世紀の人類史という「大きな物語」の中に位置づけて、日
本の近現代史を語るべきではないかと思うのである。森田俊男編著『増補版 人類の
良心=平和の思想』(平和文化)のご一読をお薦めする。
<注>
 1)『「近現代史」の授業改革1』明治図書、1995年9月、12頁。
 2)、3)前掲誌、15頁。
  4)『社会科教育』明治図書、1994年9月号、122頁。
 5)前掲誌、121頁。
  6)前掲誌、1994年4月号、118頁(富士信夫『私の見た東京裁判(下)』
    講談社学術文庫、1988年、542頁)。
  7)前掲誌、118〜9頁(マイニア(安藤仁介訳)『東京裁判勝者の裁き』新装
      版、福村出版、1985年、216〜7頁)。
  8)前掲誌、119頁。
  9)前掲誌、1994年8月号、118〜9頁。
  10)前掲誌、1994年5月号、115〜6頁。
 11)前掲誌、118頁。
  12)前掲誌、1995年6月号、117頁。
  13)『「近現代史」の授業改革1』明治図書、1995年9月、72頁。
  14)前掲誌、73頁、75頁。
  15)前掲誌、74頁。
 16)藤原彰「南京大虐殺の犠牲者数について」『歴史地理教育』、1995年3月
      号、67頁。
 17)『社会科教育』明治図書、1994年4月号、114〜7頁。
 18)前掲誌、1994年5月号、115〜6頁。
 19)藤原前掲論文、66〜7頁。なお、笠原十九司「戦争責任と歴史教育――藤岡
      信勝氏の『東京裁判史観批判論』を批判する」(『アジアの中の日本軍』大月
      書店、1994年9月、所収)が、南京事件の専門家の立場から、藤岡氏のこ
      れらの議論に対する詳細な批判を行っているが、藤岡氏は、『社会科教育』の
      読者がこの本を読むことはほとんどないと高をくくって、まともに批判に答え
      ていない。
 20)『社会科教育』、1995年9月号、118〜21頁。
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                           広瀬論文転載ここまで


従軍慰安婦教科書問題討論資料(改訂版)

目次に戻る 以下の資料は、<市民新党にいがた>によって作成され、広く活用されている 討論資料集のヴァージョンアップ版です。 前文は、資料が電子メールで送付される際に、つけられていたものですが、この資料 の作成の経緯や、活用されている状況などの情報を含んでいますので、ごく一部の個 人あての内容や技術的な記述だけを除いて、そのままここに収録させていただきました。 /HTML作成者

前文

 以前amlにupした「従軍慰安婦」問題に関する資料集(市民新党にいがた作成)は 各地で転載・活用され、原さん、本庄さんのホームページにも収録されています。  また、井上澄夫さんが中心となって各地へ慰安婦問題でFAX通信を出していて、そ の中にこの資料を「諸資料を活用した力作。編集部として推薦します」などと過分な 紹介をして下さり、さらに各地から新たに問い合わせが舞い込むようになりました。

 前の資料は、確かに各地で好評を得ておりますが、もともとは新潟県議会に出され た陳情に対する反論の形で議会対策用に作成したものなので、各地で提出されている 陳情・請願の内容全体をカバーするものではありませんでした。そこで、各地での共 通した論調全体に対応させるために、これを機会に改訂を加えることにしました。

 まず、全体の構成も少し変えました。また、例の「従軍慰安婦」の「用語問題」で も項を起こし(もちろん、「あえてとりあげるような問題ではないが」と断った上で です)、さらに「外国もやったから許される」というような論理に対し、外国軍の状 況なども加えています。「用語問題」では、小倉さん、島川さん、青木さん、今井さ んなどの書き込みや、友人からの個人メールも役立てさせていただきました。直接文 面に反映できない部分も、皆さんから寄せられた情報や意見により、へたに突っ込ん で削除派から足をすくわれないようにすることができて感謝しております。またaml に書き込まれた他のいくつかの様々な情報も随所に反映させています。それぞれに御 礼を述べる余裕もありませんので、この場をお借りして御礼申し上げます。

 さらに半月城さんの最近のup資料も活用し、「公娼制」についての項や他の部分も 手を加えました。それから、細かいところでは、前の資料では「慰安婦制度は、公娼 制度などの範囲外でおこなわれたものであり、当時の国内法からしても全くの違法状 態」という文章になっておりますが、別の問題で小倉さんから提供された「軍事行政 法」の問題や、友人からも「(警察力の及ぶ)公娼制度とは異なったとしても、当時 の軍と警察、刑事訴訟法などとの関係はどうだったのか、つめる必要がある」との指 摘もあったので、慎重を期し、私としてはいずれにしても公娼制度の範囲外の行為で あるということを主張したかったので、「当時の公娼制度の立場から見ても、無法状 態」という表現に変更しました。半月城さんからも目を通していただき、何カ所か修 正済みです。その他文章も推敲を重ね、できる限りまともな文面になるようにしたつ もりですが、まだ誤字脱字等は残っているかも知れません。

 それから、半月城さんから提供された情報をもとに資料中にも収録した部分で、当 時の地方議会における「廃娼決議」の動きを、2重になりますがここであえて述べて おきたいと思います。
 削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとする「公娼制」すら、当時でも大 きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、1930年を前後して廃娼決議を おこなう県(1928年から1940年の間に、埼玉・福井・福島・秋田を皮切りに、以後新 潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高知、愛媛、三重、宮城、鹿児 島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計21県)、あるいは実際に廃娼を実施 する県(群馬がすでに1893年、その1930年の後埼、以後1941年までの間に、秋田、長 崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三重、宮崎、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥 取、石川の計14県)が続出しているのです。「当時も公娼制があったから」などとう そぶくのは、60年も前の地方議会でおこなわれた先人達の議論や取り組みの歴史に泥 を塗るようなものであり、歴史の歯車を100年以上戻すような暴挙と言うべきです。 この中には、岡山、新潟を始めいくつか現在「慰安婦」問題の陳情が議論になってい るところがちゃんと含まれてますね。廃娼決議をした同じ地方議会で、慰安婦削除が 決議されようとしているのは、なんとも皮肉なことです。

 全体の論調は、削除勢力とのディべーとや議会対策などにも重点を置いているので 、少なくない方にとっては不十分なものに思えるかも知れません。特に最後の方は、 「国」の概念や「海外での青年達の苦労」に、やや無防備な論調だったかもしれませ んが、電子データですので加工も可です。

 また、実際にプリントアウトして各地に配布する資料は巻末に補助資料として中学 校教科書の当該部分の記述も収録しましたが、ここでは省略します。


 全体の構成は、以下のようになっています。
 1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解
  ■政府の見解 
  ■国連・国際団体による調査と評価
 2.「慰安婦問題」はデマか?
 3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 
  ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もい
た」?
  ■「(純粋な)商行為」か? 
  ■「公娼制」との関係
 4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?
  ■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係
  ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況
 5.「従軍慰安婦」用語問題
 6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?

「従軍慰安婦問題」に関する討論資料(改訂版)

1997.3  市民新党にいがた   ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する陳情」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。97年に入って、再編集・追補・加筆をおこなった 。なおこの資料を作成するに当たっては、「日本の戦争責任資料センター」及び「半 月城」氏の御協力をいただいた。

1.「従軍慰安婦問題」に関する日本政府及び国際機関の見解

■政府の見解  日本政府は従来、「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそ うした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでござい まして、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、率直 に申しましてできかねる」(90年6の韓国のノテウ大統領(当時)の来日に関連し、慰 安婦問題の質問に対する96.6.6参議院予算委員会答弁)という立場だった。  しかし、下記のように92年の防衛庁資料の発見を契機にした一連の調査結果により 、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時から既に公式に認めているの である。地方議会の自民党議員団や地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務省、厚生省などから127件も集めらた。その公表資料 は次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まっている ため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求め る指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期的 な性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。  「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上 げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする 。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すこ とができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は92年8月4日(宮沢内閣退陣の前日)に発 表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し、ある いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに官憲等 が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行 われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気 持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●第1次橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております 。」(1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●現内閣小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨 年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べ、 また、同様の主旨で国会でも答弁している(96年11月)。  さらに「昭和史研究所」の会員らが文部省に小杉文相を訪ね「従軍慰安婦」記述の 削除を要請した際も、「検定は基準に沿っておこなわれている」「削除・訂正を教科 書会社に求める考えはない」と突っぱね、さらに97年に入って「新しい歴史教科書を つくる会」の呼びかけ人代表七人が中学校教科書の「従軍慰安婦」関連記述を大臣勧 告で削除するよう申し入れた際もこれを拒否している。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢を真っ向から否定するも のである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で扱ってきた。同委員会は早くから慰安婦 の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)には 、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出を 求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年と 92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などのよ うに国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利があ り、加害国はこうした行為を行なった責任者を処罰し被害者を救済する義務があると 結論づけている。  ※加害国による救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系 人に対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しい ところである。 ●同人権委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制 労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日本は批准 後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼって責任者の 処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでいる。ちなみ に、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為については責任を問 われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は先進諸国で は国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツでは79年に 、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法の整備をし 、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ調査報告  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地 域の女性問題に取り組んできた女性法学者で、94年4月に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、慰安婦問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした予備報告書を人 権委員会に提出した。なお、クマラスワミ氏は「国連調査団」として同年7月に日本 を訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際連盟が「満州国」問題で派 遣したリットン調査団以来のできごとである。  さらにアジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出された 。なおクマラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判があ るが、こうした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委 員会の調査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきで ある。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれた 。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−「・・・ 日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的責任を受 諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談 話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与したこと 、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたこと を受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集められた こと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったこ とを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係について も、「(慰安婦の証言は)性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本 帝国軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と 符合している」として、その整合性を認めている。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦 の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。  (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責 任を認める。  (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  (5)教育の場でこの問題の理解を深める。  (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  なお、オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこ の報告内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したものの 、むしろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係について は留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回の 議論にはなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する(ta ke note)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが国際 的な公式評価であることを忘れてはならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特 に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。

2.「慰安婦問題はデマ」か?

 慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を 「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの「 1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部などの指示 に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」という証言をめぐっての評価で ある。これに対して秦・千葉大教授が吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民 の証言からそうした強制連行はなかった、とする調査報告をおこなった。「デマ」と 主張する人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一 の根拠としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った秦氏本人が、数万人に及ぶ慰安婦の存 在自体は認めていることを無視するべきではない。調査についても、慰安婦の多くが 名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとする韓国の文化的風土 を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかないとも思われる(現地 を取材したテレビ局もそうした雰囲気を報道した)が、もちろん島民の表向きの証言 が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討の際にはその材料からはは ずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については反対意見を併記して引用す るにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採 用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料 としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料としては取り上げてい ない証言だけをとらえて、これを「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「 事実と異なる」と主張することこそ「本当のデマ」であり、これは」詐欺師のやり方 である。 ●ここでは、「証言」によらなくとも削除派の論理がいかにデタラメなものであるも のかを証明するために、「慰安婦」の方々の悲惨な体験は敢えて収録していない。だ が削除派が「慰安婦」の「証言」に疑問があると考えたとしても、当事者の声にまず 耳を傾けてみるべきことはどのような実証、論争、調査、研究においても最低限かつ 必須の作業であると言わなければならない。身を切り裂くような思いで明らかにされ た多くの「証言」は、他の様々な文書資料との符号、証言間の整合性などを考慮すれ ば、充分すぎるほど価値のあるものであることだけは指摘しておきたい。

3.「強制性」についてのさらなる検討と「商行為」「公娼制」問題 

 削除派は、全ての教科書で慰安婦が奴隷狩りのように強制連行されたかのよう記述 されている、と言っているが、教科書の記述を見ればわかる通り、これは事実ではな く、ためにするデマである。  また、「強制性」を連行時の「奴隷狩り」のような形態のみに限定し、「そういう ことは無かった」「無いとは言えないがそれが全てではなかった」とするのも、意図 的なすり替えである。  ここでは、これら「強制性」や「商行為」「公娼制度」などの問題について明らか にする。 ■「『強制連行』『奴隷狩り』はなかった」「中には望んで慰安婦になる者もいた」? ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在繰り広げられているキャンペーン の多くはそうした手法によるものである。部分的で強制に見えない事例を並べ、そし て最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り出 される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮ら しているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その歴 史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわけであ るが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異なってい る。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時期、慰 安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがいの方法 で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が崩れる と恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりおこな い、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本 敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報 告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10 0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  また、台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を 陸軍大臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可さ れ実行にうつされた。  戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、朝 鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。  初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦 」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国 際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、慰安婦として名乗り出て いる人の26%が「奴隷狩り」であり、68%が「だまされて」であったことを明らかに している(戦争犠牲者を心に刻む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でも その数値に近く、さらに限られた数だが「自発的に」というものもある。もし「強制 」を狭く「連行」時の「暴力」に限定するならば、問題のないケースも少なくないこ とになる。しかし、「従軍看護婦」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら 志願したものであっても、あるいは甘言にだまされていても、現地に到着し自分がい ったい何をされるかが明確になった時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的 ・法的保障がなければ、そしてその後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれ ば、それはたとえお金を得ていたとしても「強制」以外のなにものでもない。こうし て「自ら応募させ」て集めて慰安婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを 「自発的に応じた」として切り捨て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶 対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り 、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招 く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する 虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては、将来是 等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信 保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号  陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27  勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、 或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中に は此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相 俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 ■「(純粋な)商行為」か?  ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀 が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・ ・兵はおおむね満足」と述べている。商行為ではなく、強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これまで明らかにしたような強制の事実が何 よりも具体的に物語っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強 姦であり、強制猥褻、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに 慰安婦の多くは金に相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であ った(敗戦時にはただの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場 合も少なくなかったが、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自 由な契約に基づいて行われたものでないこと、また異境に無一文で連れて来られてい る者にとって、金銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも 必要なのだから、それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●また、「商行為」論を強調するために、「彼女たちが得る収入は、一般兵士の給料 に比べてはるかに多かった」という主張が秦教授の説として、クマラスワミ報告書で も「紹介」されている。確かに一部の「従軍慰安婦」は高給だったかも知れないが、 しかし同時に、同報告やさまざまな聞き取り調査は、一方でお金をもらっていない「 従軍慰安婦」がいたことも指摘している。時期、地域、各慰安所の状況などによって 、「お金を受け取っている」「受け取っても管理人に渡す」「受け取っていない」な どさまざまな実態があったことが、こうした調査で明らかにされている。また、「従 軍慰安婦」たちが得ていたお金は、正確には「軍票」である。中国で軍慰安所を開設 した平原大隊長によれば、戦争末期になると軍票の価値が暴落し、「従軍慰安婦」の 生活は楽でなかったことが示されている。それでも軍票がまだいくばくかの価値があ る内はまだましだったが、無惨にも軍票は終戦とともにただの紙くずになってしまっ たのである。こうした事情を抜きに、全ての慰安婦が「高給」を得ていた、したがっ て悲惨な生活などあり得ない、などと言うのも手のつけようのない詐欺師のデマと言 うべきであろう。 ■「公娼制」との関係  「戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行わ れていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をした 。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題で ある。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」とす る主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ば れるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず 」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則 」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓 口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得 ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟 であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本 軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁 し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、「公娼制」の立場から見ても極めて無法な状 態のもとに存在していたのである。  さらにつけ加えると、削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとするこの「 公娼制」すら、当時でも大きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、19 30年を前後して廃娼決議をおこなう県(1928年の埼玉・福井・福島・秋田を皮切りに 、以後1940年までの間に、新潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高 知、愛媛、三重、宮城、鹿児島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計21県) 、あるいは実際に廃娼を実施する県(群馬がすでに1893年、その後1930年に埼玉、以 後1941年までの間に、秋田、長崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三重、宮崎 、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥取、石川の計14県)が続出しているのだ。今まさにこ の同じ地方議会を舞台に、「当時も公娼制があったから」などとうそぶくのは、60年 も前におこなわれた先人達の議論や取り組みに泥を塗るようなものであり、歴史の歯 車を100年以上戻すような暴挙と言うべきであろう。

4.「やむを得ないこと」「どこの国でもやっていたこと」か?

■「従軍慰安婦」問題と国際条約・国際合意との関係  「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし、どんな に激しい、生死をかけたような猛烈な企業間競争でも一定のルールがあるように、戦 争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜虐待を禁じた国際条約など である。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の「従軍慰安婦制度」は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・ 違法状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。い わゆる従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えら れている。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した 。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される 事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警 告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた 。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売 春は国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習( 朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用 し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては 国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの 点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明 白な民族差別をみずから告白することになるからである。  しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出身 の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を陸 軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた 」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形 式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで はない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されない。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したものな ので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、女 性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 ■日本軍の「慰安婦制度」と外国軍の状況  削除派は「日本だけでなくどこの国でもやったことであり、そのようなことをどう して教科書に載せなければならないのか」と息巻いており、各地の「陳情・請願」に もこの主張が反映されているものが少なくない。まあこれは「○○ちゃんもやったの になんで僕だけ叱られるのか」という幼ない子どもの言い訳の域を脱しない滑稽な論 理ではある。−もちろん、他の国において同様の制度や行為があればそれは糾弾され 、歴史が明らかにするべきことである。その上で、自国の教科書においては、まず自 国の行為を掲載した上で、教育上の必要に応じて、そして事実の解明と共に、それら 海外の事実を記載すべきだろう。だが、現在わかっていることで言えば、やはり日本 軍「従軍慰安婦制度」の特異な性格に目を向けなければならない。  削除派の秦教授は自らの著書で、あえて「(削除反対派の)吉見義明氏の『従軍慰 安婦』を参照」、などともっともらしく注釈をつけながら、「(日本の慰安所に)類 似の慰安所制度は第二次大戦期のドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、ソ連など にも存在したのに、日本だけを処罰せよというのは公平を欠くのではないか。」と述 べている。  しかし吉見氏が明らかにしていることはこういうことである。まず英米軍について 、軍が民間の売春宿を監督下に置いたり軍用の売春宿を作ろうと試みた例があり、そ のこと自体は指弾されなければならないだろう。しかしほとんどは命令によりすぐに 閉鎖されており、他の軍隊と比較して日本軍の特筆すべき特徴は、女性の強制連行・ 強制使役、未成年者の使役などの問題であり、また問題が明らかになった時、その閉 鎖命令を出したかどうか、という点である。何より、軍の中央が計画し、推進したと いう点で、イギリス軍やアメリカ軍と日本軍とでは、決定的に違っていた。さらに吉 見氏はソ連軍については、「ソ連軍が軍専用売春宿をもっていたかどうかは分からな い。ただし、ソ連軍が数多くの強姦事件をおこしたことは事実であろう。(中略)そ して、(日本軍降伏後)このとき日本側が強姦を防ぐために、(ソ連軍に対して)慰 安所設置を申し出たことが伝えられている。(中略)日本人は、ソ連軍に対しても、 若い女性を犠牲として提供していたことになる。」と指摘している。まさにここに、 女性を軍事物資や取引の材料としか考えない恥ずべき日本軍の姿があらわれている。  結局のところ日本軍と類似の慰安所制度があったと考えられるのは、我々が手にす る資料から考えうる限り今のところドイツ軍だけになりそうだが、戦後ドイツは、自 らの侵略・残虐行為について、まだ多くの限界を抱えつつも、日本とは比較にならな い積極的な立場と政策をとっていることは言うまでもない(日本と同様な立場にある ドイツの場合、ナチスの過ちや犯罪について学校では子どもが12歳になった時点で1 年間かけて教育するとのことである。また、ドイツが侵略した隣国ポーランドと共同 で教科書を作ろうという取り組みも行われており、これらは、もう二度と過去のよう な過ちは繰り返さないという強い決意のあらわれであろう。こうした教育を藤岡教授 や西尾教授は、ドイツ版「自虐史観」というのだろうか)。  このような日本軍の「従軍慰安婦」制度が特異であるゆえに、旧ユーゴの民族主義 指導者による「民族浄化」という名の組織的な大量強姦・残虐行為と同等の問題とし て、国連人権委員会などにおいて厳しい批判の目が向けられているのである。

5.「従軍慰安婦」用語問題

 あえて項目を立てて取り上げるようなことではないが、多くの「陳情・請願」にも 反映されている「用語問題」をここでは取り上げる。  削除派は、「従軍」とは「軍属」のことを指し、「従軍慰安婦」は「当時使われて いなかった造語」である、したがって「従軍慰安婦」そのものが存在しない、と論理 を飛躍させ、さらに、だからこれは歴史の歪曲である、と言うまでに至っている。ま た、削除派はあたかも全ての教科書で「従軍慰安婦」と記述されているかのように描 き出しているが、これも誤りである(補助資料参照)。  ところで、「当時使われていなかった」言葉を使用することは、本当にできないの か。では「縄文式土器」や「弥生人」、「前方後円墳」、あるいは「幕藩体制」とか 「安土桃山時代」「江戸時代」などという言葉はどうか。歴史学で「当時使われてい なかった」言葉を使用することは必要上当然のことである。  ではその上で、「従軍慰安婦」という用語は適切か不適切か。まず右派が主張する 「『従軍』とは『軍属』のこと」とするのは意図的な矮小化である。「軍属」という 用語には明確な定義が与えられているが、例えば「国防用語辞典」(防衛学会編、朝 雲新聞社)には「従軍」という言葉は収録されておらず、右派が主張するような「『 従軍』=『軍属』」という定義は成り立たないし、正しくない。従軍という言葉は、 確かに軍務に属した限定的な部分を指すことにも使用された。しかし「従軍」の一般 的な意味は、多くの各種辞典等では「軍隊に従って戦地に赴くこと」とあり、慰安婦 たちの置かれた状況と何ら矛盾することはない。また、こうした意味からすれば、「 従軍」は必ずしも軍務に直接属さない部分を含んでいるものと考えるのが常識的解釈 である。むしろ、日本軍によって慰安所が設置され「慰安婦」が募集・管理されてい たという実態からは、広い意味での「従軍」よりも、もっと強く軍の関与のある位置 にあるとさえ考えることができる。こうした点から、軍の管理のもとに性行為を強制 されたという意味で、国連クマラスワミ報告では軍隊による「性奴隷」という用語を 用いている。その他、多くの研究者や支援グループもこの「性奴隷」あるいは「軍隊 慰安婦」などの用語を提唱している。また、「慰安婦」の中で現実に「『従軍』看護 婦」として募集された人がいるということにも留意すべきである。しかもすでに「従 軍慰安婦」という言葉自体が書物、新聞、いくつかの辞典などで定着しており、これ らの歴史的事実関係と社会的常識のレベルにおける歴史用語として「従軍慰安婦」と いう用語が教科書に反映されていると理解することは全く合理的なことであるし、「 従軍慰安婦」という用語が少なくとも実態からかけ離れたものであることを想起させ るものではないことは明らかである。  さらに、この「従軍慰安婦」という言葉が最初に使用されたのは、右派が指摘する ように確かに1973年に発刊された「従軍慰安婦」という著書(千田夏光氏著)である と考えられている。しかしこの千田氏の著書は、現在アジア各地の駐箚(さつ)大公 使館をはじめ外交出先機関に配備されていて、新たに赴任してきた外交関係者に、こ れによりアジア各地で旧軍がしてきたことの一部でも知らしめようという目的で必読 書にされているという。それほど、「従軍慰安婦」という用語も、その事実関係も、 アジア諸国や日本の外交部門にとっては「常識」となっているということも強く指摘 しておく。 こうして、削除派の「用語問題」に関する主張は、論理的にも、実体的 にもほとんど根拠のないものであることは明らかであると言える。

6.慰安婦問題は教育上有害か? 「子どもたちに希望を与える教育」とは?

 「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」(「論争・近現代 史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論調 がある。また、「このような自虐的な歴史観は、子どもたちに希望を与えることはで きない。」とする主張もある。  たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのようにして「慰 安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話しかけれ ばよいのかという疑問は大きいだろう。その戸惑いに乗じて「自虐的歴史観を教える べきではない」とする主張がされている。しかし性関係に強制やいやがらせや虐待が あってはならないことを教えるために、そして、女性の、ひいては等しく人間の尊厳 や人権を理解させるためにも、この問題は教えられていく必要がある。現在の中学生 の年齢で慰安婦とさせられた女性もいるのである。何よりも「国際化」時代にあって 若年からそうした海外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認 識しておくことは重要な必要条件である。  また、かつて日本が多数の「慰安婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたこと を、日本人がいかに記憶し、心にとどめるか、そして将来に向けて再び同じ事を起こ さないため、つまり再発防止のためにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的 目的の一つでもある。被害者は、再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの 鍵の一つは教育にあるといってよい。  また、「自国の歴史に誇りと自信を持たせる歴史教育」というが、自国の都合の悪 い事実を歪曲・隠蔽する動きに、どうして「誇り」など持てようか。反省すべき、謝 罪すべきこと、補償すべきことをきちんとおこなって、それを自ら明らかにする歴史 教育こそ、そうした国や教育の姿勢に「希望」や「誇り」を持つことができるように なるのではないか。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その認識は国際的にも共有されたものである。これに目をそむけ続 ける限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活 動や国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてし まう危険すらあるのである。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      =======================


====================================== [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(1) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996  県議会での慰安婦問題について、新潟・岡山のほかに、鹿児島・長崎・茨城で同様 の動きがあるようです。  新潟ではとえりあえず見送りの方向ですが、2月県議会で再浮上します。  前回お知らせした、私たちが議会対策用に作成した資料を掲載します。このamlで おなじみの半月城さんにも目を通していただきましたが、「かなりよく推敲されてい て、論理展開が明瞭で説得力があ」ると評価いただきました。  前回でも書いたとおり、自民党を説得する、あるいはこちら側が協力を要請する「 革新系」に大義を確信してもらうためには、事実関係の厳正な分析と、政府・国連機 関などの公式見解などを動員して作成された資料が必要だと思い、作成しました。新 潟では議会内外でこれが重要な武器となりました。  慰安婦の方々の痛苦な証言だけでなく、日本に残された文書資料や国連資料などに よってでも、彼らの理論を切り崩すことができるのだということにも確信を持つべき です。  作成に当たり、半月城さん、戦争責任資料センターの上杉さんに御協力いただきま した。  主要には新潟への陳情に対する討論資料として作成されたものなので、他の地域で は不十分なものかもしれませんが、加工・加筆して今後活用できると思います。  とりあえずメールで掲載しますが、改行位置などが崩れる場合があります。Macで ワークスかNisusというワープロを御使用であれば、Eudraの「書類の添付」機能を使 ってテキストだけでなく書類ファイルとして送ることもできます。郵送も可能です( その際は実費カンパ願います。A4で8枚くらい)。  各地での活用を歓迎しますが、不特定多数MLへの転載やホームページなどへの利用 は原則として御遠慮下さい。向こうさんに早々手の内を見られるのはイヤですから。 −−−−−ここから−−−−− 「従軍慰安婦問題」に関する論争点をめぐる討論資料 ※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する請願」について討論するために私たちが作成した資料で、12月 13日、議会内各党会派に配布した。再緑するにあたり若干の省略と加筆をおこなった。                         1996.12.      市民新党 にいがた 1.「従軍慰安婦問題」の事実関係と「強制性」に関する日本政府及び国際機関の見解 ■政府の見解  すでに従軍慰安婦の存在、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時か ら既に公式に認めており、自民党の地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理解 しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。 ●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見。 ●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。 ●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。 ●この調査資料は防衛庁、外務、厚生省などから127件も集めらた。その公表資料は 次のような内容を含んでいる。 (1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まってい るため慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。 (2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求 める指令。 (3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。 (4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期 的な性病検査を定めた「慰安所規定」 (5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。 ●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。  「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上 げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。  この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする 。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表すこ とができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」 ●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は宮沢内閣退陣の前日、すなわち92年8月4 日に発表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し 、あるいは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに 官憲等が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている のである。 ●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行 われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気 持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明した。 ●96年10月第1次橋本政権の見解  「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴 史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。」  (1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相) ●小杉隆現文部大臣の態度  現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨 年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べている。  また、同様の主旨で国会でも答弁しいている(96年11月)。  今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢にも真っ向から敵対する ものである。 ■国連による調査と見解・評価 ●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で論議してきた。同委員会は早くから慰安 婦の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)に は、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出 を求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年 と92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などの ように国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利が あり、加害国はこうした行為を行った責任者を処罰し被害者を救済する義務があると 結論づけている。  ※加害国の救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系人に 対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しいとこ ろである。 ●同人県委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。 ●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。 ※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強 制労働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日 本は批准後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼっ て責任者の処罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでい る。ちなみに、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為について は責任を問われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は 先進諸国では国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツ では79年に、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法 の整備をし、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。 ●クマラスワミ報告調査  この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地 域の女性問題に取り組んできた女性法学者だが、94年4月に特別報告官に任命された。  クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、予備報告書を人権委員会に提出した。その予備報告書の中では慰安婦 問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした。なお、クマラスワミ氏は「国連調査 団」として同年7月に日本を訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際 連盟が「満州国」問題で派遣したリットン調査団以来のできごとである。 こうして アジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出された。なおク マラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判があるが、こ うした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権委員会の調 査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべきである。  調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれた 。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−「・・・ 日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的責任を受 諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談 話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与したこと 、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたこと を受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集められた こと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいものであったこ とを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係・符号性 についても、証言が「性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本帝国 軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と符合 している」としてその信憑性を示している。  この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦 の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。  その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。  (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責 任を認める。  (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。  (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。  (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。  (5)教育の場でこの問題の理解を深める。  (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。  オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこの報告 内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したものの、むし ろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係については留保 」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回の議論に はなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する(teke not e)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが国際的な公 式評価であることを忘れてはならない。  国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特 に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。 [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(2) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996 2.「慰安婦問題はデマ」か?  慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を 「デマ」とする主張まである。  そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの証言で、「1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」というものである。これ に対してある歴史学者がその吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民の証言か らそうした強制連行はなかった、とする調査報告がおこなわれた。「デマ」と主張す る人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一の根拠 としている。  しかしこの「なかった」とする調査を行った学者本人(秦・千葉大教授)が、数万 人に及ぶ慰安婦の存在自体は認めていることを無視するべきではない。調査について も、慰安婦の多くが名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとす る韓国の文化的風土を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかない と考えられる(事実、現地を取材したテレビ局はそうした雰囲気を報道した)が、も ちろん島民の表向きの証言が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討 の際にはその材料からははずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については 反対意見を併記して引用するにとどめている。 ※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採 用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料 としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。  慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料として取り上げていな い証言だけをとらえて「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として「まだ事実関 係が明らかでない」「事実と異なる」と主張するのは詐欺師のやり方である。  また、慰安婦の「証言」だけでは証拠にならない、とする主張もあるが、上であげ たようにさまざまな文書資料があり、また次項で述べるような軍参謀将校の日記まで もある。さらに「証言」の多くがこうした文書資料の内容と符合しており、「デマ」 とする主張こそ「本当のデマ」と言わなければならない。 3.「強制性」についてのさらなる検討 ■「中には望んで慰安婦になる者もいた?」 ●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在、繰り広げられているキャンペー ンの多くはそうした手法によるものである。部分的で強制にみえない事例を並べ、そ して最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り 出される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮 らしているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その 歴史的経緯をきちんと見る必要がある。 ●慰安婦集めの形態とその推移  現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。   1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわ けであるが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異な っている。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時 期、慰安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがい の方法で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が 崩れると恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかり おこない、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注 1)。  なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評 価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志 気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。  41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉本 敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報 告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方10 0、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。  台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大 臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可され実行 にうつされた。 戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、 朝鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。  初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安婦 」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する国 際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、26%が「奴隷狩り」であ り、68%が「だまされて」であったことを明らかにしている(戦争犠牲者を心に刻む 会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でもその数値に近く、さらに限られた 数だが「自発的に」というものもある。もし「強制」を狭く「連行」時の「暴力」に 限定するならば、問題のないケースも少なくないことになる。しかし、「従軍看護婦 」の名の下に募集された者であったり、たとえ自ら志願したものであっても、あるい は甘言にだまされていても、現地に到着し自分がいったい何をされるかが明確になっ た時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済的・法的保障がなければ、そしてそ の後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとすれば、それはたとえお金を得ていた としても「強制」以外のなにものでもない。こうして「自ら応募させ」て集めて慰安 婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させることを「自発的に応じた」として切り捨 て、「強制の事実はない」などと強弁することは絶対にできない。 (注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」   支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り 、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招 く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する 虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては 、将来 是等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威 信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。 (注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」  事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・  特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。 (注3)台電 第602号 陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。 (注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し 、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中 には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と 相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 [aml]【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(3) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2682] kengikai-iannfu2 Date: Thu Dec 19 00:57:53 1996 ■「(純粋な)商行為」あるいは「公娼制」の延長か? ●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明  中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀 が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・ ・兵はおおむね満足」と述べている。強制性は明らかである。 ●「純粋の商行為」などでないことは、これらの強制の事実が何よりも具体的に物語 っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強姦であり、強制猥褻 、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに慰安婦の多くは金に 相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であった(敗戦時にはた だの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場合も少なくなかった が、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自由な契約に基づいて 行われたものでないこと、また異境に無 一文で連れて来られている者にとって、金 銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも必要なのだから、 それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。 ●「 戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行 われていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をし た。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題 である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」と する主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼 ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。  一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処 せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察 署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず 」(同六条)とされていた。  これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の 一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制 度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍 隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則 」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓 口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得 ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟 であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本 軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁 し、強姦したことになる。  こうした意味で、従軍慰安婦制度は、国内法に照らしても完全な違法状態であった のである。 ●さらに、「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし 、どんなに激しい企業間競争でも、それこそ生死をかけたような猛烈な活動でも一定 のルールがあるように、戦争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜 虐待を禁じた国際条約などである。  確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本 の従軍慰安婦制度は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・違法 状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。いわゆ る従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えられて いる。 A.婦女売買禁止条約(注1)  1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した 。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される 事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警 告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた 。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売 春は国際法違反であったためである。  このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習( 朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用 し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては 国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの 点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明 白な民族差別をみずから告白することになるからである。 しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出 身の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を 陸軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。 (注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入  a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年  b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年  c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約   1921年  d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約   1933年 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)  まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。  今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。 C.奴隷条約(1926)  奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。  しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた 」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形 式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで はない。 D.ハーグ陸戦法規(1907年)  この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。  ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されません。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したもの なので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、 女性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。 E.人道に対する罪  人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。  しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。  この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。 4.「慰安婦問題は教育上有害」か?  「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」 (「論争・近現 代史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論 調がある。たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのように して「慰安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話 しかければよいのかという疑問は大きいだろう。 その戸惑いに乗じて「自虐的歴史 観を教えるべきではない」とする主張がされる。しかしよく考えてみるべきである。 性に強制があってはならないこと、セクシャル・ハラスメントを行わない・また行わ せないような、男と女の関係をつくりあげていくためにも、なるべく早くからこうし た問題の教育はおこなわれるべきである。「慰安婦」問題は、現在起こっている性暴 力や性的いやがらせなどとともに反面教師としなければならない歴史的素材を提供し ている。女性の、ひいては等しく人間の尊厳や人権を理解させるためにも、この問題 は教えられていく必要がある。何よりも「国際化」時代にあって若年からそうした海 外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認識しておくことは重 要な必要条件である。また教育には重要な課題がある。 かつて日本が多数の「慰安 婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたことを、日本人がいかに記憶し、心にと どめるか、そして将来に向けて再び同じ 事を起こさないため、つまり再発防止のた めにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的目的の一つでもある。被害者は、 再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの鍵の一つ は教育にあるといって よい。  「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その観点は国際的にも共通の認識である。これに目をそむけ続ける 限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活動や 国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてしまう 危険すらあるのである。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      ======================= [aml]教科諸問題>右派勢力の議会攻勢の分析 井上澄夫 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#ogr@nsknet.or.jp (Toshimaru Ogura) 文書名:[aml:3337] Ianfu Chihougikai:Chukan Bunseki Date: Sat Feb 1 01:38:46 1997 井上澄夫さんから、下記のようなFAXが届きました。 ===================== 新しい中学社会科教科書から「従軍慰安婦」の記述などの削除を求める右派勢力の地 方議会攻勢についての中間的分析 1997.1.31 井上澄夫 各位 取り急ぎ連絡します。  昨年末まで右派の陳情が採択されたのは、97.1.7づけ『産経』によれば、岡山県議 会(趣旨採択)および9市町村議会です。その9議会について、私は4議会の政府宛意 見書を入手しました。(新潟県栃尾市、京都市加茂町、岡山県大原町・瀬戸町)。他 の5議会については、各方面に協力を要請しています。(未入手、青森県黒石市・金 木町・柏村、山形県南陽市、岡山県北房町)。さらに、右派から提出された陳情書に ついては、岡山県議会、新潟県議会(96年12月議会で継続審議)、新潟市議会(96年 12月議会で継続審議)、富山県高岡市議会(96年12月議会で継続審議)のものを入手 しました。それらに基づいて分析を試みると、以下のようになります。 1. 新潟県・市議会宛のもの(陳情者・県=「新潟県高等学校教育正常化推進会議、 市=「新潟子弟教育正常化推進会議)は、ほぼ同文で、(おそらく戦術として)教科 書のの記述そのものには深入りせず、力点を「学校教育法」第38条および文部省の「 教育図書検定基準」に反するということに置き、検定基準の項目中、1、2、3、4を詳 述して、文部大臣が「教科書図書検定規則」第13条の規定に基づいて教科書発行者に 記事の訂正の申請をするよう勧告することを要求している。  上記3文書は、いくらかの違いを含んでいるが、論理の構成と文言がほとんど同じ であり、同一文書からの引き写しであると推測できる。分析者は「日本を守る国民会 議」の全国縦断キャラバン(96.9.20から一ヶ月)にかかわる文書を入手していない が、同会議が全国の系列団体に陳情書のひな型を配付し、上記3文書はそれに基づい たものではないかと推測している。  (94年春から95年夏にかけて展開された同会議と「英霊にこたえる会」の全国キャ ラバンでは、「戦没者追悼感謝決議」推進のためらひな型(「戦没者に追悼と感謝の 意を表明し、恒久平和の建設を誓う決議」〔文案〕)が配付され、それを下敷きにし た陳情書が地方議会に提出されたことを想起すると、先述の推定は当たっているかも しれない) 2. 岡山県議会に提出された陳情書と同県大原町・瀬戸町議会が採択した政府宛意見 書は、1のものとは異なる。3文書はまったく同じではないが、力点は教科書の記述や 用語に対する「批判」を根拠に、記述の削除を要求している。これら3文書の下敷き は、明らかに昨年10月の『諸君!』に掲載された藤岡信勝東大教育学部教授〔自由主 義史観研究会代表〕のアジ文書「『従軍慰安婦』を中学生に教えるな!」である。岡 山県議会宛陳情書には藤岡のものとまったく同じ文言がある。 3. 京都府加茂町議会りの意見書は、2と同様削除を要求しているが、表現は恐ろし く粗雑である。これ、昨年12月20日〔岡山県議会が右派の陳情を趣旨採択した翌日〕 8対7の僅差で採択されたが、同議会共産党町議の話によれば、自民党町議が前日の「 岡山から思いつき」提出した。内容は「先人の築かれた過去の歴史を悪と決めつけ、 国民の誇りを傷付けようとする特定の『反日的』グループが日本の歴史教科書にいわ ゆる従軍慰安婦の虚構の記述は、文部省の教科書検定基準にも反するものである」( 文章になっていないが、原文のママ=引用者)「元慰安婦の記述の削除を強く求める 」というものである。 右派勢力の教科書攻撃は、新しい中学教科書の検定結果が公表された96年6月末頃か ら激しくなり、本格的な展開は同年9月からですが、上の1と2に見られる右派の要求 の差異は、問題とされた記述の「訂正」では生温い、「削除」すべきとする、運動の 激化・過熱ぶりを示すのかもしれません。しかし、これから始まる各地の2(〜3)月 議会にどのような陳情がなされるかについては、即断しないほうがいいと思います。 右派の地方議会対策は保守色の強い議会から着手し、これを受ける自民党議員は議会 の会派構成や自民党議員団の体質に応じて対応するのが常ですが、現在すでに水面下 で進められているであろう動きは予断を許しません。  日韓・日中間にいわゆる「領土問題」があり、教科書記述の「訂正」や削除が国際 問題に発展するのを恐れている日本政府は、今のところ右派勢力の要求に応じる姿勢 を見せていないため、右派勢力には一見焦りが昂じているように見えます。しかし、 右派の動きは、この国の政治状況全体の右傾化(教育現場との関連では日教組の「軟 化」=政府との妥協姿勢)につけこむ、長期戦略に立っていると見るべきで、今回の 教科書攻撃はその手始めにすぎないことを考えると、事態を甘くとらえるべきではな いと思います。  沖縄の基地機能は固定・強化され、「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」の見 直しもすでに進行しています。そしてこの「見直し」は「朝鮮半島有事」への対応を 核としています。そのような日本国家の戦争計画を円滑ならしめるための世論形成を 右派勢力が図っていると見ることも必要ではないかと私は思います。「記憶の暗殺者 」たちのこの動きは、ナチの焚書と同質のものであり、チマ・チョゴリ襲撃を喜ぶ《 草の根保守》がその基盤となっている現実を忘れるべきではないと思います。  私は資料の収集を含め調査を続けます。前出の資料はいつでも提供します。各地で 奮闘されているみなさんの資料提供も、どうかよろしくお願いします。ともにがんば りましょう。 井上澄夫 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■藤岡信勝氏の近現代史授業「改造」批判   京都歴教協事務局 大八木賢治■ 目次に戻る   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   目次>   はじめに   1.藤岡氏は何を主張しているのか    −藤岡信勝講演「二十一世社会科の展望」から−   2.歴史観、歴史教育をめぐって−東京裁判史観という認識にかかわって−   3.日本の近現代史をどう構想するか−戦争学習を中心に−   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− はじめに 一昨年の93年l 0月の社会科教育学会以来、東京大学教育学部教授、藤岡信勝氏が「東 京裁判史「批判」を中心として「近現代史」の授業の改造を月刊誌「社会科教育」誌 上において主張している。藤岡氏は1970年代の学力論争で「徹底したマルクス主義の 立場を取り、学力を『計測可能』なものに限定すぺきとして注目を浴びた」人物で、 その後「授業作りネットワーク」を提唱し、教育科学研究会「授業づくり」部会の中 心人物である。そして今日の彼の授業作りの中心はデイペイトにあり、デイペイトこ そ社会科教育の中心に位置すぺきだという主張のように思われる。今回の「近現代」 の改造もデイベイトの手法で展開されている。 氏の今日の主張は氏の研究の歩みから見て「転向」「変節」といわれてのやむえない ものであり、谷川氏の「私がこだわりたいのは、研究者としての姿勢である。藤岡氏 の研究の軌跡を見ると、何が藤岡氏の研究の核であるのか、ますますわからなくな る。・・・そして考えというものは変わるだけの必然性がなければならないし、その 論理も明示されなければならない。」(1)という批判は当を得ている。また本人の 藤岡氏も谷川氏との討論の中で、転向したことを認めている。しかし、このような態 度ば研究者としての基本的責任を放棄してしたといわなければならない。 このような藤岡氏の主張する「近現代史」とばどのようなものか、さらに藤岡氏の歴 史認識も含め、その間題点を明らかにしていきたい。その中で歴史教育のあり方や意 義について深めるとともに、今日における近現代史教育の内容とあり方のついて深め てみたい。 l.藤岡信勝氏は何を主張しているか 一藤岡信勝講演「二十一世紀社会科の展望」から一 (1)「ifの歴史」という手法からでてくる歴史認識 デイベイトこそが新しいものの見方を作ることができる。「i f」によって新しい歴史 観が育つという。 ●「原爆投下」デイベイト 「歴史の因果関係をたどりながら、原爆投下というものについて政治的評価を決めな ければならない。特に肯定する側を持った子供たちは、まったく今まで考えてみな かった思考回路を使って自分で歴史を組み立てていくということをせまられた」(藤 岡) 賛成「原爆投下は人命の被害を少なくするためのものだった。」 反対「いやそうではない」 賛成「もし原爆が投下されなかったら、日本の幸福はもっと先にのぴていただろう。 ・・・・・で、もしあの時点で原爆が投下されなかったら、ソ連が日本に攻め込んで きただろう・・ソ連の軍隊は先頭に犯罪者の部隊をおいて、強姦など非行の限りを尽 くします。・・・もしソ連が日本に攻め込んできたら日本は原爆を投下されたよりも ある意味ではもっと悲惨な事態になっただろう」 このような中学生2年生のデイベイトを「ある文脈において成り立つ」として積極的に 評価する。これまでの日本の教師は一方的に原爆悲惨論を押しつけてきたとして、そ れに変わる「大変すばらしい」実践であると評価する。,岡氏は生徒の賛成討論に感 心をしているが、仮の立場として無理やり主張させられた中学生の歴史認,はゆがめ られないだろうか。賛成の意見として表明されている内容は、保守政治を主張してき た一定の政治的見解を代表するもので、目新しいものではない。逆にデイペイトのた めに無理やり一定の政治的見解を「自分のもの」のようにして発言させられるのであ る。中学生の発達段階を考えてみてもきわめて危険な実践と言わなければならない。 (2)「東京裁判史観」という規定から生まれる近現代史認識とその批判 「極東国際軍事裁判」は「日本の戦前の行為一1928年から1945年までですが一その 期間の日本の行為を断罪したわけです。そういう日本を断罪した歴史観を私たちは戦 後基本的に受容してきた」と主張する。そして氏がどのような戦後史を展開する か・・・ a「(その)憲法は、いわば日本が連合国に対して行ったわび証文、始末書のような性 格を持っていたと思います」 b「冷戦が始まっていたのでアメリカが日本に対し、軍備をもてるように憲法を変えて いいよと言ってきた」 C「(吉田首相は)“いや”日本はまだ食うことのほうが先なんだ”と言って、いわゆ る『軽武装プラス経済建設路線』を敷いた」 d「日本人はいつしか自国の防衛や安全保陣について自分で責任を持って考えるのでな くl00%アメリカに任せて、アメリカの核の傘に入ることを選んだ」 東京裁判史観によって「邪悪な国」であった日本は日本だけが戦争をしないようにす ることだ、そして日本は一国平和主義の中で安穏と暮らしてきた。「『日本こそ悪い のだ』ということによって、『日本さえ何もしなければ世界は平和だ』というストー リー」を椎持してきたという。 このような見解が特に新しいものでない。まさに90年の湾岸戦争以後憲法改悪をねら う自衛隊の海外派兵の実現を求める政治勢力の見解そのものである。しかしaからdの ような論理はどこから出てくるのだろうか?ここには日本国民がいつも歴史に状況に 流され、主体性なく生きてきた無責任な日本人という像が浮かび上がってくる。しか し一方でアメリカに許された憲法改悪の方針に従順に従わなかった日本人民衆の主体 性については藤岡氏はまったく目をつむるのである。逆にアメリカの勧めに素直に従 わず、東西対立の冷戦構造の中に自ら主体的に入っていかなかったとして非難してい るのである。氏の「歴史観」はいったいどのような立場に立ったものか、最低平和主 義を基本とする日本国憩法の立場ではない。 そして戦後の歴史教育の主流は「東京裁判史額」をペースに「講座派」の歴史家が唱 えた歴史観の枠内で、「明治以降の近代日本の歴史をもっぱらまっ黒けに描いてき た」(下)と主張する。その対局として「大東亜戦争史観」を二つ目の歴史観として 位置付け、これには反対のように言いながら「繰り返し、ああいう発言が出てくるの は(『東京裁判史観』をタテマエとして、『日本だけが悪い』というストーリーを守 ることで)その問題を日本人がまだオープンに討論せずに封印してきた、そのツケで ある」として「大東亜戦争・史観」を事実上擁護している。 そして藤岡氏は第一の「東京裁判史観」でも、第二の「大東亜史観」でもない第三の 歴史観として「自由主義史観」なるものを提起している。この「自由主義史観」なる ものがどのようなものか、それを代表するものとして司馬遼太郎の歴史小説の方法を 「司馬史観」としてとりあげている。その性格をB健全なナショナリズム、Aリアリ ズム、Bイデオロギー不信、◎官僚主義批判をあげ、「自由主義史観」と呼ぶにふさ わしい内実を持っていると主張する。そのポイントは明治期と昭和期をまったく違う 時代、異なる時代であって、明治期というのは日本を植民地化の危機から救い出し、 国民国家を成立させた希望に満ちた明るい時代であったという。しかし日露戦争の教 訓を正しく受け継がなかった一部軍人や政治家のために昭和期というのは狂ってし まったのだという歴史認識で近現代史を構成しようとしている。そしてそれを誤らせ たのは「戦路論」がなかったからとして、岡崎久彦の「戦略的思考」を持ち上げてい る。日本の近代の時代とは「(日本は)基本的にアングロ・サクソンにつくかロシア につくか迫られていた。」日露戦争のときは「祖国防衛戦争」として戦い、国際的に はアングロ・サクソンについたので勝利することができた。しかしアメリカの鉄道王 ハリマンが南満州鉄道の共同経営を提案したとき、資本の余力のない日本はそれを受 け入れたらよかったのに、アメリカに権益を譲り渡すからという小村寿太郎の反対で 結局だめになったという。これさえうまくいっていれば昭和期のような失敗をせずに すんだのだと展開する。さらに藤岡は自分の主張を強めるため、自由主義者の代表と して「東洋経済新報」の石橋湛山を持ち上げ、彼が展開した「植民地放棄論」を自分 の主張の中に位置付けようとしている。 藤岡の出してきた第三の歴史観の「自由主義史観」というのが何か新しい歴史認識で あるように見せかけるが、その内実は80年代に出てきた「戦略論」を認識の基礎にし て、戦略論による「近現代史像」と「司馬史観」による英雄主義を結びつけるもの で、何ら目新しいものではない。この「戦略論」というのは戦前の「地政学」に流れ を持つものであり、帝国主義の国際関係論そのものである。その認識の仕方は「国 家」の利益がすべての前提にあるもので、それにすべてを従属させるところに特徴が ある。また「地政学入門」(曽村保信著)では会話体で地政学を紹介しているが、そ の学問としての科学性について自らむつかしさを次のように認めている。A「・・独断 と偏見の固まりではないかと感じられる部分も、かなり多いと思われますが.・・」 B「その点は私も同感です。何しろ膨大なデーターを個人の考えで処理しようとする と、そこにどうしても先入見が入りやすい。・・いったんどこかでインプットする材 料を取り違えると結果はひどいことになってしまう・・。」しかも藤岡は「司馬史 観」による近代史の総括として次のようなことをいって何も恥じないのである。「日 本近代の歴史を見ますと、実は満州事変に始まる15年間だけが、非常に異常な時代で あって、その以前と以後とは、一以後いうのは戦後の時代ですが−、日本は国際的に 見てそんなに間違ったひどい行為をしていなかった。」(藤岡講演「2l世紀の社会科 の展望」明治、社会科教育別冊) 司馬遼太郎の歴史小説が伊藤らの明治期の元勲らの悩みという歴史の一面を映し出し ているとしても、また戦略論から15年戦争期において支配階級が選択を誤ったことを 浮かびあがらせたとしても、それは歴史の大きな展開の中での一面に遇ぎない。それ で歴史を叙述するということは歴史学、歴史教育を支配者の教訓話に追いやっていく もので、手のこんだ国史教育の焼き直しに過ぎない。その結果、第二に「自由主義史 観」では歴史の舞台に民衆は常に除外されており、民衆が歴史にどう主体的に働きか けどう成長していったのか、どのような課題を抱えていったのかという視点はまった く見られない。それは氏の「自由主義史観」なるものが支配者の学間であることを象 徴している。そして第三に必然的に日本のアジア侵略の視点がまったく抜け落ちてい るのである。たとえ15年戦争を侵略戦争であることを認めた(一部政治家や軍人の責 任)としても、その出発点が明治期の日清戦争にあり、そのアジアへの帝国主義的進 出の上に昭和期の15年戦争が連続していることを認めようとしない。しかしすでに虐 殺行為は日清戦争から始まっており、また日本のアジアヘの帝国主義的進出がすすむ につれて、意図的にアジア蔑視が学校教育などを通じて注ぎ込まれてきた。「満蒙生 命線」論がこうした帝国主義的侵略とアジア蔑視の中で作られてきたことは周知の車 実である。それが15年戦争につながってきたことはこれまでの歴史学が明らかにして いる。また石橋湛山のデーターを使い日本が、植民地経営に国庫の資金を注ぎ込み 「植民地をいかに本土並に扱い橋を作り、学校を建て、いわば『善政』を施してき た」とする大東亜戦争史観の言い分に「事実として」「正しい面もあることを実感す るに至たった」という。しかし石橋湛山は日本帝国の「善政」を証明したのではな く、「満蒙放棄論」の経済的側面を強調したのに過ぎないのである。。湛山はJSミ ルの植民地放棄論とその思想を早稲田の天野為之や三浦槻太郎から受けつぎ「大日本 主義」に反対し、「小日本主義」を主張してきた人物で、辛亥革命を一貫して支援し 中国の民族独立の展望を語ってきた。また、彼の「満蒙放棄論」ば単に「経済的」な 側面だけを言っているのではなく、「政治外交論」「人口・移民」「軍事」「国際間 係」も含め、「1910年代に一段と体系化された満蒙放棄論」として形成されたもの で、日本の植民地支配を根底から否定したものである。(3) しかも「帝国日本」の 軍国主義による民主主義圧殺が石橋湛山の「満蒙放棄論」を実現させなかった最大の 理由であることを忘れてはならない。このような石橋湛山の思想や見解を「自由主 義」であるからといって藤岡の「自由主義史観」とどこで結びつくのか不明である。 そして第四に、歴史の発展についての視点がまったく欠如しており、全体像をまった く示すことができないでいる。ある意味ではそれは必然である。それは15年戦争期だ けが「異常な時期であり」「その前後はそんなに間違ったことはしていない」という 歴史の見方から出てくるもので、自分の都合のよいと思われる意見や見解をつなげて いるに過ぎないからである。石橋湛山の例はその典型で、「『数量データー』から見 た日本近現代史」(4)の中に登場させるが、湛山の主張とまったく反対のことを「実 感」しても何とも思わないところに「自由主義史観」の無節操さを表している。 2.歴史観、歴史教育をめぐって一東京裁判史観という認譲にかかわって一 (1)東京裁判史観という歴史認識について  藤岡氏の「東京裁判史観批判」の中心的な柱は南京大虐殺についての教科書記 述と「南京大虐殺派」の研究者批判にある。そのボイントは、a.南京事件の犠牲 者(死者)の数が十数万人、二十万人、三十万人以上と、数字の主張者を示さず まちまちに記述していること。そしてb.これらの数は「日本を犯罪国家として断 罪した東京裁判の呪縛」を受けた教科書著者の中国側、もしくは東京裁判の結論 をあげている自主性のない態度を示している。B東京裁判二十万人説は日本を戦 争犯罪国家として政治的に断罪するために信憑性のない中国人の証言をうのみに してでき上かった白髪三千丈式の数を合算してでき上がった数字である。C南京 事件の死者の数についての教科書の扱いが不当だということが立証できれば、教 科書記述のもとにある「東京裁判史観」の問題性に迫ることができる。しかしこ れらの内容がいかに根拠のない主張であるかについては「アジアの中の日本軍」 (著者、笠原十九司)に詳しい。すでに明らかなように東京裁判にしても埋葬 隊、その他の団体の埋葬記録に基づいたものであり、日本の代表的な研究者の洞 富雄氏の「二十万人をくだらない中国軍民の犠牲者が生じた」(「決定版・南京 大虐殺」徳間書店)という結論にしても洞氏自身の埋葬記録を検討した結果に基 づいている。この事実だけでも藤岡氏の「東京裁判史観批判」は崩れ去ってしま うものである、しかし藤岡氏が一連の人物の文章を引用して「東京裁判史観批 判」の根拠を出してくる。さらにアジア太平洋戦争のみならず、近現代史全体に その認識を広げている。 ■富士信男(「私のみた東京裁判史観下」) 「東京裁判法廷が下した本判決の内容をすべて真実であるとなし、日本が行った 戦争は国際法、条約、協定など侵犯した侵略行為であって、過去における日本の 行為・行動はすべて犯罪的であり、『悪』であった、とする歴史観」である ■安藤仁(「東京裁判勝者の裁きマイテイア著」訳)「第二次世界大戦後のわが 国でば、いわゆる東京裁判史観なるものが幅を手I!かせている。これはある意味 で、東京裁判の検察側の主張や多数意見に範を取り、要するに戦前の、ひいては 明治以後の日本の歴史が、富国強兵と侵略のそれであったとして、これを全面的 に否定するとともに、その責任を一部の財閥や旧軍部に帰す発想である」 そしてこの安藤の主張をもとに、東京裁判が直接対象としてl928年からl945年の 間のみならずそれ以前の時期を含む、明治以後の日本の近現代史全体の評価に及 ぶものとして「東京裁判史観」なるものを定義づけている。その根拠として明治 維新の廃藩置県の評価を取り上げ、それが日本を欧米の植民地化から守った革命 的な事業であったにもかかわらず「東京裁判史観」に基づく教科書は「明治の変 革を日本民族が列強の圧力下にあって自前の近代国家を創出する生みの苦しみと してロマンと共感を持って描き出すという姿勢がまったく欠如している」(5)と いう。そして「そういう民族の歴史の大きな物語を欠いているがゆえに、教科書 は気の抜けたビールのような客観主義か職業的歴史家以外に関心のない個別抹消 の事象の羅列に陥るのである。」(6)とまで言い切っている。そして近現代史を 暗く描いてきたのが「マルクス主義歴史学」であり、これが東京裁判と結びつ き、日本人の「洗脳」作戦が国民的規模で展開されてきたと主張している。そし て近現代全体を暗黒に描き出す歴史像を「東京裁判史観」と勝手にけているので ある。 そもそも「東京裁判史観」というの言葉はl985年、当時の中曽根康弘首相が自民 党の研修会・軽井沢セミナーで述べた「『東京裁判史観』を克服する必要があ る、日本人のアイデンテイテイーを確立する必要がある」が最初であった。それ ば中曽根首相が「戦後政治総決算論」を唱え、首相としてめて靖国神社公式参拝 を行ったり、文部省通達という形で学校に「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱の徹 底を指令を出すという、一連の右傾化のなかで登場してきたものである。しかし 藤岡がこれまでの右翼学者たちと異なる点は、全面的に近現代史そのものを書き 換え、教科書や授業そのものを根本的に変え、戦後の歴史学や歴史教育、民主教 育が創造してきた成果を根本的に覆そうというものである。 (2)戦後の歴史学や歴史教育の立場 藤岡の言い方では、戦後の歴史学や歴史教育はすべて「東京裁判史観」である。 戦後の歴史学や歴史教育、社会科教育、さらには教育のあり方の出発点が戦争へ の「反省」と平和の大切さ、さらにはその基礎となる民主主義の尊重を基本とす るものであった。いわば日本の過去について正しく認識することを基本とすると ころから出発したのである。(l947年「学習指導要領試案」)しかし藤岡は「青 年時代に、いかに間違ったことをした人間でも、どこかいいところがあるはずで す。その人格を全昔的に否定することばできない。」(8)とい、同様に「日本の 国の歴史についても同じことが言える」と主張する。そして藤岡にすれぱ「マル クス主義歴史学」が日本の近現代史を暗く描き、国家を全面否定し、ひいては人 格の全面否定をし、「東京裁判史観」として「日本人から国家意識を奪い、国家 への誇りをそぎ落とす『洗脳』工作」(9)の役割を担ったとするのである。その ことは南京事件の犠牲者の数の問題について教科書の扱いが不当であることを証 明することによって明らかにできるというのである。しかし同じことを主張して きたのが南京事件を幻とする人達である。彼らは侵略戦争の謝罪と反省を進める 世論が強まるのに危機感を抱き、侵略戦争であったという認識を覆そうと、東京 裁判は勝者の論理にたって一方的に侵略戦争という認識を押しつけたものである と主張したい。彼らにとってその決定打は南京事件の犠牲者の数の問題でなので ある。しかし30万人か、20万人かということの違いはその本質を変えることにな るはずがないにもかかわらずである。そして「戦後50年、日本人の史観を持って アメリカ式の戦争史観・東京裁判史観を払拭して日本人の心・真実を求めて、国 家・民族の尊厳を取り戻し、確立してほしい」(畝本正己)(I0)と願うのであ る「日本人の心・真実」「国家・民族の尊厳」とば一体どういうものだろう。実 は戦後の教育、歴史教育はそのためにこそ歴史の真実を大切にして平和と民主主 義を基本とした多面的な教育をしてきたのである。すなわち侵略問題で言えぱ、 真実に目をつむるのでばなく「負の歴史を直視」して再び同じ失敗を繰り返さな いために歴史的教訓を学ぶことを重視してきたのである。南京事件の犠牲者の数 に難癖をつけて「負の歴史」をあいまいにしていくことは歴史の過誤を民族の教 訓としない道であり、それこそ「国家・民族の尊厳」をおとしめるものといわな ければならない。そして明確にしておかなければならないのは過去の問題に目を つむる人達が実際には政治権力を握ってきたのであり、彼らはその権力で学習指 導要領を「法的拘束力」あるものとし、内容的には神話の復活、日清・日露戦争 を大国主義的に美化する認識を持ち込み、l 5年戦争についてば侵略戦争であるこ とを明記することを拒否してきたのである。そして真に「国家・民族の尊厳」を 求める憲法や教育基本法の空文化をはかり、今やそれを根本的になくしてしまお うと画策しているのである。それに対し国民の側が教科書裁判をはじめ、多様な 形態で憲法や民主教育擁護の運動を展開してきた。これらの運動が教科書問題の 「国際化」を呼び起こし、それが侵略戦争についてのわれわれ日本国民自身の歴 史認識をさらに深めさせたし、これらの運動が必然的に日本の民主主義の発展へ とつながってきた。このような国民の運動と意識が憲法や教育基本法を守ってき た。決して現在の支配者の側が守ってきたのではない。 藤岡はこのような国民の運動や平和への願いを戦前使い古された「言霊主義」と いいくるめ、日本の平和教育は平和へのタプーをつくってきた「言霊主義」と断 定し、「戦争への怒りと憎しみの感情を育てる」感性を刺激する教育に終始して きたという。(11)しかしこのような「総括」は戦後の歴史教育、平和教育の発 展の過程の歴史を無視したものであると同時に平和への願いを育てる教育を敵視 するものにほかならない。 3.日本の近現代史をどう構想するか一戦争学習を中心に一 (l)戦後50年の地点にたって一戦前50年との関連を軸に一 l 945年から50年とは第二次世界大戦、日本に引き寄せていえばアジア太平洋戦争 が終わってから50年というだけでなく、1945年までの50年、すなわち日清戦争か ら15年戦争の敗戦まで、言い換えれば「日本帝国」の形成から100年、滅亡してか ら50年たつという歴史の時点にたって考えるという視点を抜きにして、今日の近 現代史を構想できない。私たちのまわりには「日の丸・君が代」間題、「日本国 家」のアジア諸国の人達と日本国民への戦争責任に対する「戦後処理の未処理問 題」、「天皇制」をめぐる問題、「近代的人権意識と民主主義の問題」など実は 日本の近代史との関連を抜きにして考えることのできない問題が山積しているの である。そのことが戦後50年たった今日、現代の課題と結びつきながら私たちの 前に明確な形となって現れてきたということではないか。 1894年から95年にかけての日清戦争をへて日本が「西欧型国際秩序」のもとに入 り、帝国主義の世界支配の中で「極東の憲兵」としての役割を積極的に果たし東 アジアの「植民帝国」の地位を築いてきたのであり、そのいきついた先が15年戦 争の敗北、「日本帝国」の滅亡であった。(2)また日本近代史のそのような過程 は同時に世界の「西欧型国際秩序」による「パワーポリテックス」の帝国主義的 な世界支配と植民地支配に対し、民族独立、民族問の対等平等とファシズムに反 対し民主主義を規範とする、世界平和をめざす民衆や被圧迫民族による闘いが前 進して、世界史が大きく発展していく過程でもあった。しかし学習指導要領をは じめ、反動勢力は日清日露の戦争によって植民地を獲得してきた膨張的大国主義 を賛美し、それを日本の発展として見てきた。そして15年戦争を「日本だけが悪 くない」としたり、たまたま失敗したのだとする見方をするのである。藤岡の 「自由主義史観」もそのひとつであるが、このような歴史観かいかに皮相で、世 界史の流れに反するものか明らかである。 (2)日本の敗戦の意義一ポッダム宣言受諾の歴史的意義 ポツタム宣言を受諾したということは「太平洋戦争」に敗北したというだけでな く、日本近代の膨張的大国主義そのものを否定されたことを意味する。カイロ宣 言(l 943年11月、日本国に対する英、米・中の三国宣言)では「・・l 914年の 第一次世界大戦の開始以後において日本国が奪取しまた占領したる・・一切の島 並びに満州、台湾及び膨湖島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域 を中華民国に返還する・・・やがて朝鮮を自由独立のもの・・」とし、ポツダム 宣言ではその履行を保障している。このことは「つまり、日本が受諾したポッダ ム宣言は、実ば日清戦争にさかのぼって、近代日本の日清戦争、義和団事件、日 露戦争、韓国併合、第一次世界大戦、シベリア出兵、そして三次にわたる山東出 兵、満州事変、日中戦争、そしてアジア太平洋戦争と膨張の成果を完壁にトータ ルに否認したもの」(江口圭一著、日本の侵略と日本人の戦争観)であることを 表している。つまりl 5年戦争というのがそれまでの近代日本行ってきた対外侵略 戦争と密接に結びついていること、また切り離して考えることができないという ことを歴史は示しているのである。そのことはいわゆる「戦勝国」の一方的な解 釈でなく、当時の日本政府も、侵略されていたアジアの人達もそう考えていたこ とは次の発言でも明らかである。(江口、前掲書) <日本政府の認識> l 941年10月、東条英機陸相の発言(日米交渉が行き詰まったとき)「撤兵問題は 心臓だ。撤兵を何と考えるのか。陸軍としてはこれを重大視しているものだ。米 国の主張にそのまま服したらシナ事変の成果はせん滅するものだ。満州国も危う くする。さらに朝鮮も危うくなる」l 945年5月、第一(作戦)部長宮崎周一中将 (本土決戦をめぐって中国戦線の兵力を本土へ「収約」するかどうかで) 「いったいこの戦争の終末をいずれに帰着せんとするや。大東亜戦争前か、日支 事変か、満州事変か、日露戦争後か前か、日清戦争前か後か、更に遡って御一新 なるべきや」 <中国の認識、周恩来首相の発言>1972年9月26日 「1894年から半世紀にわたる日本軍国主義者の中国侵略によって、中国人民はき わめてひどい災難を被り、日本人民も大きな損害を受けました。前のことを忘れ ることなく、後の戒めにする、といいますが、我々はそのような経験と教訓を しっかり銘記しておかなければなりません」 (3)戦争違法化の歴史(13) 極東軍事裁判、いわゆる「東京裁判」を戦勝国が敗戦国に対し、ー方的に押しつ けたものと断罪し、そのものを認めないとする人達がいる。しかしそれがいかに 皮相で一方的であるかというだけでなく、「東京裁判」の歴史的意義を確認しな ければならない。 <無差別戦争観から戦争犯罪ヘ> 第一次世界大戦前までは戦争は合法的なもので、「戦争の本来の動因としての政 治的目的は、軍事行動によって達成されなければならぬ目標を設定するための尺 度」(クラウゼビッツ「戦争論」)とされ、戦争は権力者の政治的目的を達成す るための手段となってきたものである。このことを無差別戦争観といい、一般に 二国間ないし、わずかの国の問で行われ、多くの国々が中立国にとどまるような 戦争を前提にしていた。つまり「無差別戦争観のもとで、国家ないし戦争を遂行 する君主あるいは指導者は戦争責任を負わないし、正規軍の構成員またはそれに 相当するパルチザンは敵に捕らえられれば捕虜として待遇され戦争犯罪人にはな らない」(藤田久一著、戦争犯罪とは何か)とされていたものである。しかし、 l 899年、1907年のハーグ陸戦条約によって、「捕虜の取り扱い」「害敵」「手 段や方法」「軍使」「降伏規定」などが規定されていた。しかしこれはあくまで民 事責任に限られ、交戦国兵士の戦争犯罪の処罰はもっぱら交戦国の国内制度によっ ていた。 しかし第一次世界大戦は無差別戦争史観が想定していた「戦争」の様相を大きく 変えた世界大戦であったということ。多国間、さらには中立国までまきこみ、世 界中を戦争にまきこんだことである。第二に毒ガスや潜水艦、航空機など兵器の 高度化やその結果大規模な残虐行為が行われたことである。その結果、1919年の 連合国による平和予備会議でばA「戦争を企てたものの責任」A「戦争法規慣例 違反」−32項目の犯罪リストB「個人責任」が検討されていた。そこでは無差別 戦争観では不問にされていた戦争開始者の責任を取り上げ、三国同盟の侵略政策 を取り上げ初めて「侵略」に言及した。結果的にドイツのウイルヘルム2世の戦争 犯罪追及はできなかったが、はじめて戦争を始めること自体を違法とし、また犯 罪としてその責任者の処罰することを始めたのである。そして世界大戦の残虐さ に対し、戦争禁止を求める国際世論の高まりを背景に不十分ながら国際連盟規約 に戦争の禁止・制限が規定されるにいたった。しかし1928年の「戦争放棄に関す る条約」(不戦条約)が日本を含む15か国で調印された。これは「国際紛争解決 のため戦争に訴えることを非とし且其の相互関係に於て国家の政策の手段として 戦争を放棄することを其の各自の人民の名において厳粛に宣言す。」(第1条)と いうもので、画期的なものとなった。つまり戦争を行うことが違法となったので ある。これは無差別戦争観に立つ国際社会の秩序を逆転させたものであった。し かし違反者に対して罰則がないことや戦争犯罪を処理する国際刑事裁判所は設置 できなかった。いずれにしても第一次世界大戦後の戦争違法化のあゆみの中で頂 点に位置するものであった。 <第二次世界大戦の歴史的意義> 第二次世界大戦では第一次世界大戦の被害をはるかに上回る犠牲者が出た。日本 やドイツでは「ナチズムや軍国主義が政治を支配し、人権無視の国内専制体制を 作り上げ、戦争を契機にそれを周辺諸国や自己の勢力圏に持ち込もうとしたので ある。それが外国でのその住民のさまざまな抵抗にあい、人間性無視の残虐行為 が一層平気に行われ住民の被害は急増した」(藤田前掲書)のである。このよう な第二次世界大戦の中で、194l年8月の「大西洋憲章」ば「すべての国民が彼ら自 身の政治形態を選ぷ権利を尊重する。また両国は強制的に主権と自治を剥奪され た国民に対し、これらが回復されることを望む」とし、ファシズムに対する民主 主義の立場を明確にした。その年の12月の日本の東南アジア、ハワイ真珠湾への 軍事攻撃に始まる「太平洋戦争」に突入する中で1942年1月、大西洋憲章にそっ て、26か国による「連合国共同宣言」(l4)が出されファシズムの日独伊三国軍 事同盟に対する民主主義擁護の戦争を宣言した。これらの内容が先のカイロ宣 言、ポツダム宣言の民主主義的な内容上の基礎となった。また戦後の国際連合に よる集団安全保障の方向を明確にしていった。ニュールンベルグ国際軍事裁判や 極東国際軍事裁判では第一次世界大戦によって創出された戦争違法化のあゆみと ファシズムに反対する民主主義の戦争としての性格を受け、戦争犯罪を追及して いった。そこでは「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」を訴追事 項として、第一次世界大戦のときば設置できなかった国際軍事裁判所が設置され るようになった。 「平和に対する罪」では、「侵略戦争」が犯罪であることをはじめて明確にし、 また国際条約や協定に反する戦争も含め、計画準備、開始、また実行、もしくは 共同謀議に参加することも犯罪であるとした。この規定はまさに第一次世界大戦 からの戦争法の発展である。そして国家の責任追及は前提だか、同時に国家機関 の地位にあるものの個人責任として追及することを重視した。しかしこれ事後法 にあたるとして罪刑法定主義に反する批判もあったが、侵略戦争の犯罪的性格に ついて裁判所は「国家の政策の手段としての戦争の放棄(不戦条約)は、かかる 戦争が国際法上違法である、そして、かかる戦争を計画しかつ実行するものば、 その不可避のかつ恐るべき結果とともに、そうすることによって犯罪を犯してい る、という命題を当然含む。」という見解を出している。これは第二次世界大戦 の実態を反映した当時の国際社会の要求の添うものであり、その後の第1回国連総 会において「ニュールンベルグ裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」 として決議されているのである。それは国連のシステムの中で戦争犯罪の概念が 確認され、普遍化されていったことをしめしている。 おもに国際法の発展を軸に戦争違法化の歴史を確認してきたが、同時にそれはま さに世界史の発展を反映しているものであることば明らかである。それを承認せ ず一方的な「勝者の裁き」であるとする見方は世界史の発展を見ない独りよがり の認識といわざるをえない。逆に極東国際軍事裁判では戦争違法化の歴史から見 れば「平和の対する罪」で天皇を訴追すべきであったにもかかわらず、そうなら なかったという不徹底さを持っていたと言わざるを得ないのである。それが今日 の時代錯誤の戦争認識を残してきたひとつの大きな原因となっていると考えるの は不当なことだろうか。 (4)平和を願う民衆の声は歴史とともに発展してきた 明治以降日本は、「西欧型国際秩序」による「パワーポリテックス(力の政 治)」の世界の中で、日本は欧米諸国による植民地化の危機にあり、中央集権国 家による富国強兵政策により軍事力を増強して西欧諸国のようにアジアへの植民 地を求め進出していくことは必然であったとして、日本のアジア侵略を合理化す る意見がある。当時その意見を代表するのが福沢諭吉の「脱亜論」であった。 「百巻の万国公法は数門の大砲に若かず・・」(通俗国権論l878年)「各国交際 の大本は腕力にあり」(時事証言188l年)というもので、「パワーポリテック ス」の国際社会を認識していたといえる。そんな中で日本は急速に近代化の方向 に進んで行ったが、アジア全体で見れば清を中心とする封建的な「華夷秩序」が 依然として存在していた。だから日清戦争を野蛮=清と文明=日本の戦であり 「正義」の戦争であるという主張がされたのである。内村鑑三でさえ、一時その ような主張をしたほどである。 しかしすべての人達が「力の政治」に妥協していたわけではない。すでに自由民 権論者である植木枝盛は「力の政治」の国際社会に対抗して戦争や侵略を否定す る「無上政法論」(1883年)を発表していたのである。ここでは「万国共議政府 を設け宇内無上憲法を立つる」ことを主張している。その基本は「無上政法は民 権伸長の上について最も大なる関係あり」として自主・独立と民権の伸長を訴え ている。(5)この主張は当時では、理想主義的であり「一片のユートピア」 (「革命思想の先駆者」家永三郎)であったが最も根本的な批判的な立場を明ら かにしていた。その後、日露戦争のときキリスト者の内村鑑三や社会主義者の幸 徳秋水が非戦・反戦論をとなえ、さらには中国の辛亥革命のときは三浦銕太郎や 石橋湛山らは「東洋経済新報」で中国革命を断国として支持したのである。そし て大正デモクラシーの流れのなか、石橋湛山は「満蒙放棄論」「軍備全廃論」ま で発展していくことになる。世界史的に見ても、社会主義者たちの第二インター ナショナルの反戦運動、さらにさきにみた第一次世界大戦を契機に侵略戦争を否 定する国際世論が大きく盛り上がることになる。また三一運動や五四運動に象徴 されるようなアジアを中心に植民地主義に反対する民族解放運動が大きく発展し ていくことになる。 これらの契機になったのが19l 7年のロシア革命であることは誰も否定はできな い。とくに革命直後、レーニンの提起した「平和についての布告」は無併合、無 賠償の即時講和を提案し、「力の政治」に対し「民族が、どれほど発達した民族 であるか、あるいは遅れた民族であるかにかかわりない。最後に、その民族が ヨーロッパに住んでいようと、遠い大洋を越えた諸国に住んでいようとかかわり な」く、完全な民族自決権を主張している。またこれまで帝国主義国による取り 引きの場となってきた秘密外交の廃止を宣言した。これがウイルソンの「平和の ための14か条」を引き出し、先に見たように戦争の違法化の本格的あゆみを作り 出してきたのである。 このように近代の歴史は「力の政治」の現実に対し、平和と民主主義と道理を基 調として国際関係や政治のあり方を民主主義的に変革させていったのである。し かしこの方向ばはじめば決して「現実」的ではなかったが、素朴に平和や生活向 上を求める民衆の願いを基礎に発展してきたのである。それば民衆として世界の それぞれの国民が「主権者lとして成長していく過程でもあり、そして「国家」の あり方も民主主義的に変革していったのである。近現代史の歴史を学ぶとき、 個々の局面の連続面だけで見るのではなく、やはりl 9世紀から20世紀全体の変遷 を見通した、民主主義を軸にした大局的な歴史の発展の構造が見えるかどうかが 鍵になってくる。歴史の個々の局面の流れに一喜一憂するような近現代史学習で は未来への展望は見ることはできないのである。 (注)(1)から(15)については、省略させていただきます。(by PEACE)                                   以上 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 目次に戻る □歴史教育者協議会の声明 ====================================== kyokasho 96.12.20 本庄@PEACEです。新潟歴教協の緊急アピールを入手しましたので、投稿します。 さまざまな場所に転載して下さい。私たちのネットワークを広げ、歴史を歪曲す る企てを阻止しましょう。 以下転載です。 ======================================                                   転載自由 【緊急アピール】  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ■  歴史の真実を歪曲することなく、正しい歴史教科書を中学生の手に!  ■  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  −「中学校歴史教科書の訂正についての意見書提出に関する陳情」に反対する−                           1996年12月19日                           新潟県歴史教育者協議会  今次、新潟県議会に新潟県高等学校教育正常化促進会議(会長 星野慎一郎)なる 団体から、「中学校歴史教科書の訂正についての意見書提出に関する陳情」が提出さ れ、総務文教委員会に付託されている。  私たち、新潟県の小学校・中学校・高等学校・大学の歴史教育に携わるものとして この陳情の内容をみたときに、到底容認することのできない問題点のあることを指摘 せざるを得ず、この陳情の採択に反対の立場を明らかにするものである。  この陳情書は、来年度から使用される中学校社会科歴史分野の教科書すべてに「従 軍慰安婦」問題をはじめとして『事実を歪曲し、ことさらに自国の歴史をひぼうする ような、史実と相違する記述が多く認められる』と述べている。また、『評価がいま ださだまらず、信頼度の極めて低い記述のあることが、歴史の専門家ほか多くの識者 たちにより、具体的かつ客観的事実を元に数多く指摘されているところである。』と も述べている。すなわち、従軍慰安婦問題に限らず、中学校の歴史教科書全体の記述 に問題があるとの主張である。  陳情者はこのような主張の根拠を全く示していないが、察するに、奥野誠亮氏らの 「明るい日本」国会議員連盟や、東京大学教育学部藤岡信勝氏らの主催する「自由主 義史観研究会」などが主張する論調によるものと考えられる。しかしながら、「従軍 慰安婦」を「商行為」であったと言うなど、およそこの間、数々の体験者の証言や防 衛庁所蔵史料などから明らかにされ、1993年の官房長官談話によっても認められ た歴史の真実とは大きくかけ離れたものである。陳情者の言う『評価がいまだに定ま らず、信頼度の信頼度のきわめて低い記述』というのも、彼らの論調を受けてのこと と思われるが、これらの主張については歴史学者や現場の教師から徹底的批判を受け て、既に歴史の論争としては決着済みのことである。  また、従軍慰安婦問題を、中学生の発達段階からしてその教科書に取り上げること がふさわしいかという疑義についても、中学生のしなやかな感性であるからこそ、事 実を真正面から受け止めることが可能なのであって、しっかりとした自国の歴史に対 する認識を育成し、国際的素養を正しく身につけることができるのである。  この陳情の目的は歴史の真実を歪曲、隠蔽するために文部省の教科書検定のあり方 に圧力をかけ、すでに各方面から強い批判の起こっている検定について、さらにその 強化をはかろうとするものにほかならない。私たちは、中学生に正しい歴史の真実を 伝えていくためにも今回の陳情の趣旨には到底賛意を表することはできない。「従軍 慰安婦」の記述削除を要求する動きは、歴史研究の成果にたった教育内容に対して、 きわめて乱暴な政治的介入をしようとするたくらみだと言わざるを得ないのである。  このような陳情がかりにも採択されるならば、新潟県民の歴史感覚、国際感覚が疑 われ、今後のアジアをはじめとする国際交流、友好親善の推進にとって大きな汚点を 残すことになるであろう。  私たちは、新潟県の小学校・中学校・高等学校・大学の歴史教育に責任を持つ教師 の集まりとして、今回の陳情が不採択となるよう強く求めるものである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 転載は、ここまで。 歴教協宛のEmailは本庄@PEACE宛にお願いします。FAXで歴教協本部に送付した いと思います。歴教協会員の方で、誰か協力してくれる方はおられませんか?       _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/       HPM20797@pcvan.or.jp (private Eml) _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ KYOKASHO 96.12.27 目次に戻る 本庄@PEACEです。amlに参加する皆さんの奮闘で、この間の教科書攻撃に対しては、 一定の歯止めをかけられたのではないかと思っています。3月議会が正念場となり ます。ふたたびよろしくお願いいたします。>みなさん! 歴教協関係の資料をいくつか投稿します。来年の1月には浜林氏、弓削氏らのよび かけで「教科書に真実と自由を」連絡会が発足する予定です。amlと連動できたら いいなぁと思います。資料の提供は、歴教協事務局長の石山さんです。       PS.野村さん、市民訴訟はPC-VANの平和SIGに登録しました。 転載ここから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    ■歴史を歪め教科書を歪める地方議会決議に反対する■                         1996年 12月 24日                         歴 史 教 育 者 協 議 会  12月にはいって、いくつかの県議会ならびに市町村議会で、陳情・請願また は議員提案の形で、「従軍慰安婦」についての記述を中学校教科書から削除する ことなどを求める意見書を採択しようとするうごきがおこっている。  これらの主張は、すでに防衛庁所蔵史料をはじめとする多くの文献や、被害者 の証言などによって明らかにされ、1993年の官房長官談話によってさえ不十 分ながら認められてきた歴史の事実を、なんの根拠も示さず無視するものである。  かれらの意図は、過去における日本の戦争犯罪を覆い隠そうとするところにあ る。かれらは「国家に誇りをもたせるため」と称しているが、真実を隠した虚構 の上に組み立てられた「国家への誇り」こそは、かつて無謀な侵略戦争へ国民を かりたてたものであり、私たちが二度と繰り返してはならないことである。アジ アをはじめとする諸国民との友好と信頼に結ばれた未来は、過去に対する真摯な 反省の上にはじめて成り立つものである。  歴史の事実について慎重な検討を加えることもなく、日本の未来について深く 考慮することもなく、このような決議が次々と採択されていくならば、日本人の 歴史認識と国際感覚について、世界に大きな疑念をいだかせる結果となり、今後 の国際交流と友好親善に大きな障害をひきおこすことになるであろう。  さらにまた、学問的教育的真理にもとづいて執筆されるべき教科書を、議会決 議という政治的圧力によって歪めたり、文部省による検定強化を促して教科書の 内容を変えさせようとするようなことは、教育へのきわめて乱暴な政治的介入で あり、教育基本法に定められた基本原理を大きく歪めるものである。  よって私たちは、このような歴史の真実を歪め、教科書を歪めようとする地方 議会決議のうごきにたいし、強く反対し、多くの心ある人々とともに、このよう な決議を阻止するために力をあわせていく決意である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      ■教科書執筆者と教科書出版社にたいする脅迫に抗議する■ 目次に戻る                         1996年 12月 24日                         歴 史 教 育 者 協 議 会  今年6月の「明るい日本」国会議員連盟の発足以来、一部教育学者や一部マス コミ、さらに右翼団体も合流した教科書記述にたいする攻撃が、ますます激しさ を加えている。かれらは、来年度から使用される中学校教科書に登場した「従軍 慰安婦」に関する記述を最大の標的とし、根拠のない非難を繰り返している。  とくに10月以来、右翼団体は教科書出版社にたいして連日のように街頭宣伝 車でおしかけ、抗議を繰り返すという常軌を逸した行動に出ていたが、最近にい たってさらにエスカレートし、教科書執筆者に対しても、直接脅迫状を送りつけ るにいたっている。このような事態は、学問・思想・言論・出版の自由、ならび に真理・真実にもとづいて行われるべき教育にたいする、まさに暴力的な攻撃で あり、民主主義社会において絶対に許すことはできない。  私たちは、このような暴力と脅迫に強く抗議し、ただちにこのような行動を中 止することを要求する。司法当局には、法にもとづき、厳正なる処置をとること が当然求められている。  また、このような右翼の行動を激励しつづけている一部の政治家、学者、評論 家、マスコミに対して強く抗議する。そして、暴力と脅迫を容認しない態度を明 確にすることを要求する。  私たちは、暴力的脅迫を受けている教科書執筆者や出版社を励まし、断じて暴 力を許さない大きな世論をおこすことをよびかけるものである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                              転載、ここまで。 [aml]京都歴教協が「従軍慰安婦教科書削除問題」に対してアピール 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#PEACE@pcvan.or.jp PEACE 文書名:[aml:3162] JUGUNIANFU 97.1.22 Date: Wed Jan 22 22:51:56 1997 本庄@PEACEです。京都歴教協が「従軍慰安婦教科書削除問題」に対してアピールを出 しましたので、転載します。転載大歓迎です。よろしくお願いします。 以下、転載です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    ■歴史の真実をゆがめ教育に政治的介入をする議会決議に反対する■                            1997年1月18日                            京都歴史教育者協議会  昨年の12月20日、岡山県議会に続き、京都府加茂町議会においても「中学校教 科書から慰安婦についての記述の削除を求める意見書」が議員提案され、8対7とい う僅差ながら採択されるという事態が起こった。  その内容は「『反日的』グループの日本の歴史教科書にいわゆる従軍慰安婦の虚構 の記述」と、何の根拠も示さず一方的に断定したものになっている。これは内容上の 問題はもとより、学問的教育的真理にもとづいて執筆されるべき教科書に対し、議会 決議という形で政治的に介入し、圧力をかけるものである。さにに文部省による検定 強化を促して、教科書の内容を変えさせようとすることは、教育への直接的な政治的 介入である。この問題は、学問・教育の自由という憲法・教育基本法の根幹にかかわ る問題である。学問・教育の自由とは、戦前天皇を頂点とする政治権力が学問や思想 の自由を押さえつけ、教育をコントロールして、子どもたちや多くの人々を戦争へ追 いやったことへの痛恨の反省から生まれた原則であることを再確認しなければならな い。  「従軍慰安婦」については、すでに防衛庁所蔵の資料や多くの文献、被害者本人ら の証言でも明らかになっているもので、1993年の官房長官談話によって、政府も 不十分ながら認めているものである。これらの事実をまったく無視して、事実を歪曲 することは許すことのできない暴挙である。まして、「反日的」という戦前感覚の民 主主義否定の用語を使い、人々を分断しようとするのは、二重三重の誤りである。  しかも「従軍慰安婦」とされた多くの人々は、そのいまわしい過去のため、筆舌を 尽くしせない苦労を強いられてきた。彼女らにとって自分の過去を語ることは、癒し がたい過去の傷を疼かせるものである。今回の決議は、そのような人々に対する、許 すことできない冒涜になっていることも知るべきである。  これまでも、戦争の真実を隠そうとする「教科書問題」が日本で大きな社会問題に なってきた。それは80年代以降、今日も含め国際問題にまで発展してきた。その背 景には、依然として侵略戦争や植民地支配に対して、無責任な発言や態度をとり続け る政治家や一部の学者の存在がある。今回もそういう背景のなかで起こされた問題で ある。  しかし、このような無責任な態度をとる大人に対して、「そういった事実を今なお 隠そうとする現在の大人たちに対して、情けなさとやりきれなさを感じずにはいられ ません」(1月11日付「朝日新聞」声の欄)と怒りの声をあげ、「日本人として自 分の国の歴史をしっかりつかんで21世紀の世界にむかっていきたい」(同上)と決 意を固めている高校生も存在するのである。  今日、残虐な事実を含め、戦争や近現代史の真実をどう学ぶかは、歴史教育上の重 要な課題である。いかし、従軍慰安婦はもちろん、南京事件などの残虐行為、植民地 支配の実態、残留孤児など、今なお未解決の課題について、日本の多くの中学や高校 ではほとんど満足に取りあげられていない。これらの問題でアジアの中高生との間 に、大きな事実認識の差を生み出しているのが現状である。このまま放置すれば、 21世紀に大きな禍根を残しかねない。  私たち歴史教育者は、歴史の真実をゆがめ教科書をゆがめようとする、あらゆる動 きに強く反対するとともに、真実を見抜く力と勇気を広げていくため、今後とも一層 力を尽くすものである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *#2329/2412 「平和の森」博物館 目次に戻る ★タイトル (PEACE ) 96/12/14 23:48 ( 66) [aml]「新しい歴史教科書をつくる会」呼びかけ人と賛同者名簿 ★内容 (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#kmaruyama.hgen@med.tmd.ac.jp (MARUYAMA Kazuo) 文書名:[aml:2623] Atarashii Rekishi Kyokasyo Date: Fri Dec 13 18:36:49 1996 「新しい歴史教科書をつくる会」の呼びかけ人と賛同者の名簿です。藤岡信勝・西尾 幹二や、あの小林よしのり・林真理子・阿川佐和子などが呼びかけ人になっています。  提供は『週刊金曜日』。転載の際は『週刊金曜日』の提供であることを明記して下 さい。  なお、今週の『週刊金曜日』(第151号、1996.12.13)に関連記事があります。  ・「新しい歴史教科書をつくる会」の許しがたい「日本優越史観」(梶村太一郎) ****************************************************************************** 「新しい歴史教科書をつくる会」(五十音順) 呼びかけ人(九人) 阿川佐和子(エッセイスト)/小林よしのり(漫画家)/坂本多加雄(学習院大学教 授)/高橋史朗(明星大学教授)/西尾幹二(電気通信大学教授)/林真理子(作家 )/深田祐介(作家)/藤岡信勝(東京大学教授)/山本夏彦(エッセイスト) *SAPIO(小学館)2月26日号の「新ゴーマニズム宣言」で小林よりのりが書いて いるところによると、呼びかけ人として、以下の11人が加わり、また賛同人に西部邁 が加わった。 井沢元彦(作家)/伊藤隆(東京大学名誉教授)/大月隆寛(国立民俗博物館助教授) /大宅映子(評論家)/賀来龍三郎(キャノン代表取締役)/川嶋廣守(プロ野球セ ントラルリーグ会長)/佐藤愛子(作家)/遠山一行(音楽評論家)/濤川栄太(作 家・新松下村塾塾長)/芳賀徹(国際日本文化研究センター教授)/山本卓眞(富士 通会長) うち、伊藤隆/大月隆寛/大宅映子/佐藤愛子/芳賀徹/山本卓眞 の6名は、賛同者からの「昇格」 賛同者 ■言論界■ 合田周平(電気通信大学教授)/會田雄次(京都大学名誉教授)/阿川弘之(作家) /飯田経夫(国際日本文化研究センター教授)/石堂淑朗(脚本家)/井尻千男(評 論家)/伊藤隆(埼玉大学大学院教授・東京大学名誉教授)/泉三郎(作家)/市村 真一(京都大学名誉教授)/大月隆寛(国立民族博物館助教授)/大原康男(國學院 大學教授)/大宅映子(評論家)/岡田英弘(常磐大学教授)/桶谷秀昭(文芸評論 家・東洋大学教授)尾崎護(元大蔵事務次官)/小田晋(筑波大学教授)/加地伸行 (大阪大学教授)/勝田吉太郎(鈴鹿国際大学学長・京都大学名誉敦授)/加藤寛( 千葉商科大学学長)/上条俊昭(経済評論家)/神谷不二(東洋英和女学院大学教授 )/河盛好蔵(共立女子大学教授)/川勝平太(早稲田大学教授)/北方謙三(小説 家)/木村治美(エッセイスト)/日下公人(多摩大学教授)/草柳大蔵(著述業) /小島直記(作家)/小室直樹(政治学者)/佐伯彰一(文芸評論家)/佐々淳行( 元内閣安全保障室長)/佐藤愛子(作家)/佐藤勝己(現代コリア研究所所長)/佐 藤誠三郎(埼玉大学大学院教授・東京大学名誉教授)/澤田昭夫(東京純心女子大学 教授・筑波大学名誉教授)/白井浩司(慶応大学名誉教授)/鈴木明(ノンフィクシ ョン作家)/田久保忠衛(杏林大学教授)/竹内義和(作家)/中川八洋(筑波大学 教授)/芳賀徹(国際日本文化研究センター教授)/長谷川慶太郎(経済評論家)/ 秦郁彦(千葉大学教授)/馬場のぼる(漫画家)/林健太郎(東京大学名誉教授)/ 平川*弘(福岡女学院大学教授)/藤井昇(国際問題評論家)/藤本義一(作家)/ 松木道弘(名古屋外国語大学教授)/村上兵衛(評論家)/八木義徳(作家)/屋山 太郎(政治評論家)/吉田和男(京都大学教授) ■経済界■ 相田雪雄(野村証券常任顧問)/朝倉龍夫(日本合成ゴム取締役会長)/石井公一郎 (元ブリヂストンサイクル社長)/石坂泰彦(松屋会長)/上野公夫(中外製薬会長 )/淡河義正(大成建設相談役)/大島陽一(東銀リサーチインターナショナル社長 )/岡本和也(東京三菱銀行専務取締役)/亀井正夫(住友電気工業相談役)/川島 廣守(セントラル野球連盟会長)/川村茂邦(大日本インキ化学工業顧問)/古賀正 (東邦レーヨン取締役社長)/櫻井修(住友信託銀行取締役相談役)/鈴木三郎助( 味の素取締役名誉会長)/武山泰雄(武山事務所代表)/田島栄三(丸善石油化学相 談役)/種子島経(BMW東京社長)/田中敬(横浜銀行相談役)/玉置正和(千代田 化工建設代表取締役会長)/中村功(東日本ハウス会長)/松谷健一郎(中国電力相 談役)/森村太華生(森村商事会長)/山野博司(紀之国屋食品会長)/山崎誠三( 山種総合研究所取締役会長)/山本卓眞(富士通会長) (以上七八名、第一次集約分)  『週刊金曜日』提供  (注:*は示偏に右) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *#2332/2412 「平和の森」博物館 目次に戻る ★タイトル (PEACE ) 96/12/17 19:45 (103) [aml]「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピールとあいさつ (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#ogr@nsknet.or.jp (Toshimaru Ogura) 文書名:[aml:2653] Stop Jiyushugi Shikan!!!! Date: Tue Dec 17 01:32:47 1996 Reply-To: 下記のような賛同のお願いが来ています。至急です。ぜひよろしく。小倉利丸 なお、新しい歴史教科書をつくる会の賛同者名簿はaml2623に丸山和夫さんが投稿し てくださっています。ぜひご参照ください。大月隆寛、林真理子、小田晋などこの手 のものではお目にかかれない人の名前が並んでいます。 文中にある「別紙」(新しい歴史教科書をつくる会の「声明」)はまだ入力していな いので、今回は省略です。 =============== 「自由主義史観」なるリビジョニズム妖怪の席巻に歯止めを!! とっくにご承知だと思いますが、昨年あたりから蠢動を始めた藤岡信勝氏らによる「 自由主義史観」は今年になってマンガ家小林よしのり氏らを巻き込んで大きな動きに なってきました。この十二月には別紙のように「新しい教科書をつくる会」を発足さ せ、中学校教科書から「従軍慰安婦」の記述削除を経要求しています。同時に地方議 会での削除攻撃も始まり、このリビジョニズム妖怪は日本を席巻しかねまじき勢いです 。  これに対して様々なところから抗議の声が上がっていますが、「従軍慰安婦」問題 が焦点になっていることもあり、女性による抗議の緊急アピール(別紙2)を出すこ とになりました。ぜひ女性の方は賛同人になってください。男性は周りの女性にお知 らせください。  住所・氏名・名前の公表の可否を下記にFAXで。 044-900-1254 (加納) 03-5374-5856 (辻元) 12月18日(水)pm1:30記者会見をして発表します。 暮れの忙しい時期ですが、なんとか都合をつけてぜひご参集ください。 衆議院第二議員会館第三会議室(辻元清美議員)に正午集合 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ================ 「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する 女たちの緊急アピール ================  さる12月2日、藤岡信勝・西尾幹二・小林よよしのり氏ら9人の呼びかけ人に「新し い歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が結成されました。結成にあたっての 声明文では、この6月に検定を通過した7社の中学歴史教科書が「日本の近現代史全体 を、犯罪の歴史として断罪」する「自己悪逆史観」に貫かれているとし、その例とし て、「証拠不十分なまま『従軍慰安婦』強制連行説をいっせいに採用した」ことをあ げています。さらに記者会見では、「慰安婦」問題の記述全体の削除を要求しました 。同様の要求はすでに「明るい日本」国会議員連盟、「日本を守る国民会議」、自由 主義史観研究会などによってなされていましたが、今回の「つくる会」結成には言論 界・経済界から78人が賛同人として名を連ね、さらに広がる気配をみせています。  私たちは、「従軍慰安婦」問題解決への真摯な取り組みが、アジアとの共生と女性 の人権確立につながると考え、ひれびれに努力を続けてきました。今回の「つくる会 」の欠制覇こうした私たちの努力を真っ向かに否定するものであり、なによりも勇気 をねって名乗り出た元「慰安婦」の方々の名誉と尊厳を傷つけるものです。とうてい 見過ごすことはできまません。  そこには意図的としか思えない歴史的事実の歪曲・問題の矮小化があります。「つ くる会」の声明文では、7社の教科書が「強制連行説」をいっせいに採用したことを 「慰安婦」記述削除の論拠にしています。しかし、教科書の記述には「強制連行」と いう言葉は使われていません。  また、「つくる会」では「慰安婦」問題を「強制連行」の問題にすり替え、さらに 奴隷狩りのような「強制連行」に限定して「証拠不十分」とその有無だけを問題にに しています。発掘された歴史的事実として、フィリピンをはじめ占領国では暴力的な 強制連行そのものの証言が、元軍人の回想録なども含め数多くあります。しかし、こ こで強調したいのは、こうした暴力的な連行だけが強制連行ではないということです 。本人の意思に反した連行は、すべて強制連行です。だましたり、脅かしたり、前借 金でしばったりして連れて行くことが、これにあたります。これらは、当時の国際法 (婦人・児童の売買禁止に関する国際条約等、日本も参加)に違反する行為でした。 また、この国際法では未成年の使役も違法と規定しており、朝鮮・台湾から徴集され た女性達の半数以上は未成年だったので、これも国際法違反でした。  しかし、そもそも「慰安婦」問題の核心は、「強制連行」か否かにあるのではあり ません。人格をもった女性の性を鉄砲の弾や軍馬同様に「戦争遂行の道具」にしたこ と、そこにこそ問題があります。しかも、朝鮮人女性をはじめとするアジアの女性た ちは、他国の戦争遂行のために侵略者の男たちへの性提供を強要されたのです。  12月2日の「つくる会」結成にあたっての記者会見では、「今の基準、今の価値観 」で当時を批判することの非も言われました。当時、日本には国家公認の公娼制度が あり、したがって戦場における慰安所も合法的というわけです。  しかし、こうした考えをおしすすめれば、女性の性的自己決定権を踏みにじった当 時の国家公認の買春システム(公娼制度)や、他国の主権を蹂躙した植民地支配や侵 略戦争も「正しかった」と是認することになります。過ちを再び繰り返さないために は、過去の負の歴史に学ぶ必要があります。  そして、子どもたちの未来を考えるならば、日本の負の歴史も事実として踏まえな がら、アジアとの共生と人権の尊重を基調にした教育を自由分に保障することが、大 人の責任ではないでしょうか。 1996念12月15日 呼びかけ人 加納実紀代、鈴木裕子、川田文子、山崎ひろみ、金富子、石川逸子、高 嶋たつ江、森川万智子(12月13日段階) *呼びかけ人は、今後増える予定です。 *この抗議アピールに賛同する女性の賛同人を募っています(目標1000人)。以下を 切り取りFAX先に送ってください。また、この用紙を周囲に配り広げてください。 FAX先 03-5374-5856 -------------キリトリセン---------- 「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピールの趣旨に賛同します 。 名前:             名前の公表(よい・しない) 住所 -------------------------------------------------------------------------- (以下あいさつ文) お元気で新年をお迎えのことと存じます。 昨年暮れ二は「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピールにご協 力いただきましてありがとうございました。12月中旬、50余名の連名をもって賛同 を呼びかけたところ、年内に1000人という目標は軽く突破、1750余人の署名が 集まりました。地域は北海道から沖縄まで、さらにはアメリカ・ドイツ・フランス・オ ランダ・インドネシア・オーストラリアからも賛同の声が寄せられました。 いまも賛同のファックスがとどいていますが、ともかくも女たちの怒りの声をはやく届 けようと、1月15日、同封のアピールを「新しい歴史教科書をつくる会」の呼びかけ 人9人、賛同人78人に郵送しました。  ところがその後、「つくる会」の賛同人が25人増えていることがわかりました。う ち作家の半村良、石原慎太郎、岸田秀、豊田有恒、遠山一行、牧野昇(三菱総合研究所 相談役)、賀来龍三郎(キャノン会長)の7人にはアピールを送りましたが、あとの1 8人は名前がわかりません。ご存じの方はお教えください。  年あけて、地方議会での「慰安婦」削除決議の動きも強まっているようです。市町村 を含めると、すでに10議会で陳情・意見書を採択。新潟・福井・熊本・鹿児島県議会 、青森・長崎の町議会で継続審議になっています。 **女性と若者がターゲットに! 1月19日 東京ウィメンズプラザで藤岡信勝・小林よしのり・秦郁彦   呉善花の講演会。主催は東京レディースフォーラム。入場料3000円! 2月3日 10代20代の若者による「慰安婦」削除要求デモ。   東京・水谷橋公園に午後1時半集合。外務省・文部省にデモとインターネットでよ   びかけ。 ***ぜひご参加をーー東京での反対の動き 1月25日(土)午後1時半「歴史の事実を視つめる会」吉見義明氏   (神田ぱんせ) 2月7日(金)午後6時「「日本万歳!」史観を問う」鈴木祐子・富山妙子・   松井やよりさんほか(文京区民センター 都営地下鉄春日駅そば) 2月11日午後1時「「自由主義史観」を問う」彦坂諦・加納実紀代   (全水道会館 JR水道橋駅3分) -------------------------------------------------------------------------- ====================================== [aml]「新しい歴史教科書をつくる会」記者会見メモ1996.12.2 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#kmaruyama.hgen@med.tmd.ac.jp (MARUYAMA Kazuo) 文書名:[aml:2673] Re: Atarashii KyokasyoNo SeimeiWo TextNisite Date: Wed Dec 18 03:36:10 1996 ********************************************************************** 「新しい歴史教科書をつくる会」記者会見メモ                    1996.12.2 I. 声明文朗読 II.  今までの歴史教科書の叙述姿勢のどこに問題があったか  1. 歴史教科書の執筆者が過去を今の価値観だけで語り、あったがままの過去に立 ち戻り、当時の人の身になってみようとしていない。  2. 教科書執筆者が何かを敵視し、日本(ないし世界)のどかにいる何かに向けて 石を投げている姿勢だけが貫かれている。  3. 日本はある意味で成功した国家ある。成功を説明することができていない歴史 は歴史にならない。   (ひどいイラストの例三枚をお見せする)               (西尾幹二) III . 中学検定教科書からの「従軍慰安婦」の項の緊急削除を要求する    (12月中に文部大臣が指令を出せば印刷に間に合う)  慰安婦の前に「従軍」を付けた「従軍慰安婦」なる造語を、わざわざ子供に記憶さ せる歴史教育って奇妙ではないか?戦地での慰安所は公娼制度のあった当時の遊郭の ようなものである。軍は関与した。「業者の強制連行を防ぐように命令を出す」とい う関与をした。その証拠はある。軍の犯罪、国の犯罪と主張する側は、なぜ「立証責 任」を果たさぬまま、世論を誘導して「冤罪」を作り出そうとするのか?インドネシ アでは2万人の兵隊に2万2千人の慰安婦が賠償金を求めて名乗りを上げる珍事も発 生している。すべて反日運動家の謀略である。私たちは、従軍慰安婦の記述を教科書 から削除することを要求する。                (小林よしのり) IV 現行の教科書と教科書制度の問題点の検討  1. 教科書と教材について   (a)日本と外国の歴史教科書を比較検討する   (b)日本の小中高の歴史教科書を分析する   (c)日本の小中高の教師用指導書を批判的に検討する  2. 教科書制度について   (a)検定制の見直し   (b)無償配布制度の再検討   (c)教科書採択の実態の解明                 (高橋史朗) V 新しい歴史教科書をどうつくるか  1. 歴史には倫理的評価(侵略戦争か否か、平和的か否か)以外にも多様な観点が ある。国際社会の中での日本の過去を見る視点をできるだけ多様化し、多彩な観点を 導入する。  2. 国内史の理解のために、従来のような支配・被支配というテーマから、むしろ 競争を通しての統合というテーマへ切りかえていく。  3. 全体として批判もしくは弁護という姿勢ではなく、過去の人々への共感を通し て叡智を汲みとるという態度で記述していきたい。私たちの父母の歴史という視点が 大切である。  4. 外国とりわけ近隣諸国の歴史のより詳しい紹介と内在的理解に努めたい。                 (坂本多加雄)  以上を通じてわれわれは、賢明・公正・明朗な日本国民の形成に寄与する新しい歴 史教科書をつくり、世に問うことを申し合わせている。各界のご理解ご支援をお願い したい。 ====================================== [aml]教科書問題>新潟情報 予断は許さぬが今回は見送りか? 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#nnpp@ppp.bekkoame.or.jp (中山/市民新党にいがた) 文書名:[aml:2675] kengikai-iannfu Date: Wed Dec 18 04:05:49 1996  先日新潟県議会の報告を流した中山です。何人かの方から激励のメールをいただき ました。またamlを見た方が資料センターの西野さんにも連絡して下さり、彼女から もいろいろと助言をいただきました。ありがとうございました。  こちらでは、もしかすると今回は見送りとなりそうです。予断は許しませんが。  その他各地でいろいろと動きがあるようですね。    井上澄夫さんの話によれば、保守派はすでに今秋、全国キャラバンを展開し各地方 議会での訂正要求決議運動を確認、各地で自民党組織と遺族会などが協議しているよ うです。岡山でも今回の県議会の前に9月段階で町議会で採択されていることがわか りましたし、新潟県では今月6日に栃尾市議会で「教科書の総点検、訂正」を求める 議会決議(意見書)が採択されています。また新潟県に提出されたものとほぼ同じも のが昨日、新潟市議会へ提出されました。現在議会開会中なのでこれは次の3月議会 で議論されることになりそうです。  ところで恥ずかしいことに、今回の新潟県への陳情の件は、産経新聞に掲載された 記事を見た東京の仲間から知らされました。遅ればせながら急きょ対応行動をとって 現在に至っています。社民、共産も当初この件について知らなかったか、関心が低い 状況でした。  私たちは63名の県議会の中で1名の議員しか抱えていませんが、この問題で考えう るさまざまな抵抗を試みました。  まず、ただちに「慰安婦問題」に関する討論資料を作成し各派に配布しました。自 民党でも反論できないよう、政府見解や国連見解などを中心に作成しました。実はこ の資料は、amlにも流れていた半月城さんのページ上のデータなど幾つかの資料を収 集、整理したものです。仲間内でこの資料を読み、「これなら行ける。勝てる」と確 信し、そのエネルギーがさまざまな運動団体へ広がり、各グループが議会内各党会派 への申し入れを繰り返しています。そうした市民レベルの行動を背景にして、この陳 情が付託された総務文教委員会では社民・共産の議員ががんばっています。なんと共 産党の議員までもが私たちが作成した資料を利用して議論しており、その議員からも 御礼をいただきました。また昨日には女性グループの記者会見も行なわれ、緊急集会 も開催されました。  議会は、一般社会や市民運動の感覚が通用しないところでもあります。そうした人 たちに対して説得力のある議論をしかけていくには、いつも私たちが市民運動のノリ で作成しているようなビラや街頭演説ではなくて、冷静な事実分析に基づく議論が必 要となります。そういう意味で、一般的な集会アピールや市民運動内部での資料集ば かりではなく、「議会」を明確に射程にしたこうした討論資料の作成などはきわめて 重要な意味を持ちます。    私たちはさらに、いくつかの国の大使館、報道機関へもこの問題をお知らせし、国 内の他の地域とも情報交換を始めました。社民、自民などの国会議員へも直接働きか けました。    これらの運動の成果もあって、自民党は「事実関係で争うつもりはない」とし、「 ただ中学校で教えることはいかがなものか、と考えている」とコメントしており、本 日の一部報道機関の報道では、自民党は今回は採決を見送る方向で意志を決めたとの ことです。ただし、「不採択」ではなく「継続」扱いとなり、今後も何度も再浮上す る可能性があります。 今回、以下のようなことに気づきましたので御参考まで。 1)各地域で陳情や請願、あるいは議員発議など、形態・内容が必ずしも一定してい ない。岡山では遺族会なども入ってかなり強力な形だったが新潟では「教育正常化県 民会議」単独の陳情。栃尾市議会では議員発議の意見書。文面も「慰安婦問題」だけ でなく「三光作戦」に言及しているものとそうでないものがある。  ただし、これらには共通の雛形もあることが類推され、ところどころの文章が同じ ようになっている。彼らなりの「ゆるやかなネットワーク」ができつつあることの現 れと思われる。 2)「陳情」の場合、他にも議案や請願などたくさんあるので、当該付託委員会所属 の議員でもその存在すら知らないまま、当日気がついてみたら委員会で多数派の自民 に押し切られる、という可能性が充分にある。今回、遅ればせながら私たちが気づか なかったら、社民、共産も充分な対応はできなかったと考えられる。今後も注意とチ ェックが必要。 地方議会でこれらの動きを監視する何らかの手段が必要。  また、社民や共産などの議員も、市民運動などが動いた方が彼らも動きやすい。  なお、私たちが作成した資料は、これまで「慰安婦問題」で活動されてきた女性グ ループなどからも今回の行動にあたり高い評価を受け、感謝されています。この資料 は他の地域でも利用できると思いますが、半月城さんからの確認やコメントもいただ いた上で、さらに必要な修正を加え、よりわかりやすくして電子データの形で提供で きるよう準備したいと思っていますので、他の地域で必要な方は後日でも御連絡下さ い。また、今後他の議会で同様の問題が起こったときにも、いろいろと情報提供でき ると思います。      =======================               中山 均             市民新党にいがた          〒950-21 新潟市真砂1-21-46       電話025-230-6368 FAX025-267-8602        e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp      URL http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/      ======================= ====================================== KYOKASHO from Honjo : Kyoto 目次に戻る 市民新党 中山様   本庄@PEACEです。 新潟県議会の動きについては、中山さんからの情報を社会科関係の ネットに流しています。本当にありがとうございます。新潟歴教協 の抗議声明は入手しましたが、FAXが今一つ鮮明でなく、まだ電 子化できていません。 さて、市町村レベルでも同様の動きがあるようです。以下に入手し た資料は、歴教協本部からFAXで送ってもらったものです。動き については、フォローして下さい。栃尾市は新潟県の地方都市です。 以下転載です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 発議案第12号        文部省検定済み平成9年度使用中学校教科書        改訂に関する意見書の提出について  地方自治法第99号第2項の規定により、関係諸官庁に対し、文部省検定済 み平成9年度使用中学校教科書改訂に関する意見書を別紙のとおり提出するも のとする。     平成8年12月6日  提出          提出者  栃尾市議会議員  嶋田 進          賛成者     同     平林豊作           同      同     大塚一夫           同      同     荒木幸男     平成8年度12月  日  議決  栃尾市議会議長  西川洋吉 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        文部省検定済み平成9年度使用中学校教科書        改訂に関する意見書  文部省検定済み平成9年度使用の中学校教科書に慰安婦問題をはじめ、南京 大虐殺、三光作戦など歴史的事実としては充分な検証が成されていないとされ る事柄が記述されており、極めて自虐に満ちた内容となっている事は誠に遺憾 であります。教科書に書かれている内容の信頼性を疑問視する事は、歴史観そ のものの認識が未成熟な中学生段階において皆無に等しいものと見なければな らず、自国を大切に思う子どもを育くむ公教育の場にそぐわないものと思われ ます。よって政府、文部省においては早急に検定済み教科書の再検討を行い、 日本人として生きる事に誇りをもてる内容に改訂する事を強く要望いたします。  以上、地方自治法第99号第2項の規定により意見書を提出いたします。  平成  年  月  日                新潟県栃尾市議会議長 西川洋吉 提出先  内閣総理大臣      様       文部大臣       様 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 転載はここまで。 資料>岡山県議会に提出された教科書「是正」についての意見書 目次に戻る PEACEです。 岡山県議会に提出された教科書「是正」についての意見書です。 歴教協本部石山事務局長より資料をいただきました。 転載ここより ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 付託委員会名         岡山県議会文教委員会 受理番号(受理年月日)    陳情第75号(8.12.2) 提出者            岡山市東山2−1−12                岡山県教科書是正協議会 会長 江見祐道 要旨             今後採択される中学校教科書から「従軍慰安婦」                並びに「三光作戦」等の記述の削除を求める意見                提出について 【陳情の内容】  今後、採択される中学校の教科書から「従軍慰安婦」並びに「三光作戦」等の記 述の削除を求める県議会意見書を提出されるように陳情する。 【陳情理由】 1  当時「従軍慰安婦」という存在はなく、その言葉もなかった。明らかな通俗   用語であり、歴史教科書に不適当である。    ほとんどの教科書が「従軍慰安婦」が強制連行された印象を与えているが、   現在「強制連行」の事実は何一つ判明していない。 2  中学生という性教育も中途な時期に「従軍慰安婦」について社会科の授業で   教えることは、教育的配慮を欠くばかりか、その影響ははかり知れないものが   ある。    内地でも公認で営業されていたことや、外国の軍隊にも同様の施設があった   ことを取りあげ、今日の価値判断で糾弾することほど理不尽なことはない。 3  外国の人々に比べて、日本人だけが好色、淫乱、愚劣な国民であったかのよ   うな印象を、中学生の脳裏に刻み込まれる。 4  日中戦争の「三光作戦」の記述は誤りである。これは、かつて中共軍が国民   党との戦いに用いた言葉で、日本軍を非難したもので、「皆を殺し、奪い尽く   し、焼き払う」の意味であり、日本語にはない。このような作戦を我が軍がや   ったことがないのはもちろん、聞いたこともない作り話である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 転載、ここまで。                               v(^^)/PEACE ====================================== KYOKASHO 96.12.21 目次に戻る 本庄@PEACEです。京都でもついに始まりました。昨日、相楽郡加茂町議会で 従軍慰安婦削除意見書が賛成8、反対7で採択されました。突然提案されて いきなり採決です。反動の草の根ネットワークは広く張られています。 以下、転載です。             資料提供は、宇治久世教組です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【京都府相楽郡加茂町】賛成8、反対7で採択されました。 発議第18号       中学校歴史教科書から元慰安婦についての       記述の削除を求める意見書の提出について  地方自治法第99号第2項の規定により、内閣総理大臣及び関係大臣及び行政 関係機関に対し、中学校歴史教科書から元慰安婦についての記述の削除を求める 意見書を提出されるよう提案します。                  平成8年12月20日                   提案者  加茂町会議員  今西 邦雄                   賛成者     〃    桂  昌一                    〃      〃    山本 喜章                    〃      〃    川地恵美子  昨年、戦後50年の節目を経て、新たな時代に生きていく少年に対し、先人の 築かれれた過去の歴史を悪と決めつけ、国民の誇りを傷つけようようとする特定 の「反日的」グループの日本の歴史教科書にいわゆる従軍慰安婦の虚構の記述は、 文部省の教科書検定基準にも反するものである。  児童生徒の心身の発達段階に添い、健全な情操の育成に配慮するという基準に 即し、正しい歴史を通じた教育となるよう、元慰安婦の記述の削除を強く求める。  以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出する。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ [aml]高岡市>平成9年度使用中学校教科書改訂についての陳情 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#ogr@nsknet.or.jp (Toshimaru Ogura) 文書名:[aml:3325] Takaoka-shi gikai chinjo:Ianfu Date: Fri Jan 31 08:33:11 1997 小倉です。ネットワークの仕事に忙殺されて、リアルワールドの監視を怠っていると 反省しているのですが、実は、昨年12月26日に、富山県高岡市議会に以下のような陳 情が提出されていました。さいわい12月議会では採択は見送られたのですが、3月議 会では再提出される可能性がある模様です。 ================== 子供たちの未来を語る会 代表、住所等 (略)  《件名》 文部省検定済み平成9年度使用中学校教科書改訂についての陳情  《陳情事情》  平成9年4月から使用される予定の中学校社会科歴史分やにおける文部省検定済み教 科書7冊すべてに、「慰安婦」問題をはじめとして事実を歪曲し、ことさらに自国の 歴史を誹謗する様な、史実と相違する記述が多く認められることは、明らかに「学校 教育法」第38条並びに「教育図書検定基準」(社会科)の検定に反し、且つ自国を大 切に思う子供を育む公教育にそぐわないものと思われるので、政府文部省において早 急に検定済み教科書の再点検を行い、日本人として生きる事に誇りをもてる内容に改 訂することを、内閣総理大臣及び、文部大臣宛に意見書を提出されることを高岡市議 会で決議されますよう陳情申し上げます。  《理由》  文部省の「義務教育諸学校教科図書検定基準」(平成元年4月告示)には、各科共 通の条件としてその正確性を求め、 (1)図書の内容に誤りや不正確なところ、相互に矛盾しているところはないこと。 (2)図書の内容に、児童、生徒がその意味を理解するのに困難であったり、誤解し たりするおそれのある表現はないこと。 また、「社会科」の条件としては、 (3)未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと。 (4)著作物、資料など引用する場合には、評価の定まったものや信頼性の高いもの を用いること。 と定めている。 ところが、来る平成9年4月から使用される予定の中学校歴史教科書には、上記の検定 基準に照らせば、7社、7冊の教科書のすべてに、「慰安婦」問題をはじめ明らかに事 実と相違し、あるいは評価がいまだに定まらず、信頼度の極めて低い記述のあるとこ ろが、歴史の専門家ほか多くの識者たちにより、具体的かつ客観的事実を基に数多く 指摘されているところである。とりわけ「慰安婦」の記述は、生徒たちがその意味を 理解するのに困難であったり、誤解するおそれのあることが充分に認められ、教育上 むしろ有害であると言っても過言ではない。  ついては、文部大臣が「教育用図書検定規則」第13条の定めにより、各発行者に対 して所要の訂正の申請を、速やかに勧告するよう、地方自治方第99条第2項の規定に 基づき、国に対して意見書を提出してくださるよう陳情申し上げます。 ==========転載終わり======== ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ [aml]教科書関係者への「脅迫状」から【抜粋】(取り扱い注意) 目次に戻る (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) この転載については、発信者のアドレスはつけませんでした。発信者に危害が及ぶ 心配があったからです。貴重な情報です。このような民主主義の危機に怒りを覚え ます。提供者に被害が及ばないよう、取り扱いには注意して下さい。   PEACE ----------------------------------------------------------------- 文書名:[aml:3256]教科書関係者への「脅迫状」 Date: Mon Jan 27 03:39:27 1997 ---------------------------------------------------------------------- 【中学歴史教科書の出版元、会社社長、教科書執筆者に送付された「脅迫状」 と同封されていたビラ類からの抜粋】  手紙は全文。ほかに、教科書会社社長、教科書執筆者の自宅写真9枚(表札 の拡大写真も)のコピーが同封されていたほか、「草莽論壇」「日本國憲法粉 碎同盟月報 第七十二號」というタイトルのビラ、およびビラあるいは機関誌 からの転載と思われる記事を切り張りしたコピーが入っていた。ビラ類はいず れも出所・出典は明記されていない。 ●手紙  拝啓 偏向自虐的教科書の出版は 国家転覆陰謀罪を構成致します。勿論、 六法全書には書いて有りませんが、民族の血の中には書いて有ります。敬具。                 関西日本原理主義劇団 冥土の飛脚    新作歌舞伎 「維新あけぼの 矢来のをたけび」 脚本完成。    東京公演企画中。 ●切り張りされたビラからの抜粋 「亡国教育者思想家を殲滅」(見出し) 「敵の偏向売国勢力が、偏向自虐的教科書を作り続けて来た挙げ句に、従軍慰 安婦問題を、事もあろうに、中学の教科書に一斉に掲載しました。これは、彼 らにとって、勢い余っての勇み脚であり、我々にとっては、反撃に転ずる天与 の機会であり、神風であります」 「これを突破口として、南京事件や、更に偏向史観全体を粉砕することです。 竹は、第一の節を割れば、第二第三の節も簡単に割れるものです」 「もし、ここで首相や文相が、外国の干渉を恐れてか、選挙に浮き足立ってか、 職権を発動して、訂正を命じられないなら、もはや合法的手段の見込みは絶た れます。彼らの『不作為』を含めて、非常の決意をもって粉砕しなければなり ません。民族の血が、それを要求します。それをしなければ永久に来ないでし ょう。皇国の興廃まさにこの一戦にありです。単なる教科書だけの問題ではあ りません。時代の流れを変える旗揚げです」 「さて、そのターゲットはと言いますと、執筆者は当然ですが、出鱈目の検定 を許した文部官僚は言うに及ばず、出版会社の社長も忘れてはなりません。そ してその家族も。草の根分けても探し出し……です。赤報隊精神も想起しまし ょう」 「それから『民主党』など、戦後教育を受けた青二才が、政策に歴史認識を持 ち出しているようですが、女子供の票でも集めれば猶更危険です。もともと、 偏向教育を今まで黙認して来たのは、我々世代の無気力です。もはや問答無用、 立上るべき秋が来たと観ずべきです」 ●「草莽論壇 『一人(いちにん)の至誠』」  このビラは1960年の浅沼稲次郎・社会党委員長刺殺事件の犯人を賛美す る文面になっている。 「山口二矢烈士が蹶起したのは昭和三十五年十月十二日。日比谷公會堂で演説 中の社會黨委員長淺沼稻次郎氏を斃した」 「一人至誠に死んで動亂を抑へたのである。國の動向を決するのは諤諤の言論 ではない。通神一人の至誠である。至誠は死。一人の死、よく國を救ふ。二矢 烈士逝きて三十六年。なべておいて純烈二矢烈士の志を繼承すべきの秋である。 粒々辛苦、鍛冶の上にのみ、至誠の行は拓開される」 【参考・教科書問題が発生してからの右翼団体の特徴的な動き】  96年7月11日 「大日本生産党本部」「新生日本協議会総本部」など7団体 が文部省前で街宣活動。文部省と面談し、教科書記述中の問題点を指摘。「盧 溝橋事件は日本がおこしたものではなく、日本が一方的に悪いように書くべき だはない」「南京事件の被害者の人数は諸説があって定説がないのに、30万人、 20万人と被害者数を断定することはできない」「従軍慰安婦は強制ではなく商 行為である」などと主張。文部省はこれに対して「検定の許容範囲である」と 返答。この回答に右翼団体は「それなら次は教科書会社に行く」と通告する。  7月下旬から8月上旬にかけて 大阪の「偏向教科書を正す会」が中学歴史 教科書を出版する教科書会社全7社(日本書籍、東京書籍、大阪書籍、教育出 版、清水書院、帝国書院、日本文教出版)に対して公開質問状を届ける。大阪 に事業所(本社・支社)のある5社には持参し、東京の2社には郵送。街宣車 が乗り付けた社もあった。  9月7日 「日本を守る国民会議」が「中学校教科書から『従軍慰安婦』の 削除を求める全国民の声を盛り上げよう!」と訴える「国民運動に関する緊急 提言」を発表。文部大臣のほか、教科書会社7社の住所・社長名・電話番号・ ファックス番号が記載されていた。同会議は9月20日から従軍慰安婦記述の削 除を求める「全国キャラバン」を開始する。  10月29日 全日本愛国者団体会議・関東協議会などの団体が大型バスを含む 40台の街宣車を繰り出し、東京に本社・支社のある6社を訪問。教育出版や帝 国書院の社前では「○○は悪い会社だ」「教育界から出ていけ」「日本から出 ていけ」「代表者は出てこい」「間違った教科書はつくるな」「社員出てこい。 ぶっ殺してやる」などと叫び、「教科書が直るまで何度もくる」と宣言。以後、 右翼の街宣活動がエスカレート。毎月最終週の火曜日の街宣活動が定例化する。  12月中旬 藤岡氏と公開討論会で同席した教科書執筆者に「脅迫状」まがい の手紙が届く。送り主のひとりは本島等長崎市長(当時)に実弾入りの脅迫状 を送りつけて実刑判決を受けた病院院長。ちなみに、この人物は日本PTA協 議会の幹部らで構成する政治団体「社団法人全国教育問題協議会」の前副理事 長だという。地方議会への教科書記述削除の請願・陳情運動の主唱者だという 情報もあり。また、フェリス女学院大学の前学長・弓削達氏のもとにも「脅迫 状」が送付され、大学周辺に街宣車が登場。  12月13日前後 「冥土の飛脚」が教科書会社と一部の執筆者に「脅迫状」を 送付。  今年に入ってからは1月24日現在、右翼の表だった動きはなし。月の最終火 曜日がいっせい行動日らしいので、次の動きは1月28日か? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ [pmn]自由主義史観・つくる会等の動きを憂慮する在日朝鮮人声明目次に戻る (from 『民衆のメディア連絡会メーリングリスト』 改行位置等若干変更PEACE) ----------------------------------------------------------------- 発信者:INET#ogr@nsknet.or.jp (Toshimaru Ogura) 文書名:[pmn:1864] Appeal:no! Rekishi Kyokasho & Jiyushugi shikan Date: Sat Jan 25 17:05:58 1997 小倉です。緊急のお願いです。下記のようなアピールへの賛同の要請が来ています。 在日朝鮮人の皆さんへの呼びかけです。是非ともご協力お願いいたします。なお、ホ ームページなどを開設されている方はこのアピールを掲載していただけるとありがた いです。 ================== 「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」等の動きを 憂慮する在日朝鮮人のアピール (略称「憂慮する朝鮮人」) (1)私たちは「朝鮮人という呼称を、韓国籍・朝鮮籍・日本籍その他国籍の枠を超 えた、朝鮮民族の総称として用いる。 (2)私たちは、「呼びかけ人」(下記)と憂慮をともにする在日朝鮮人諸個人によ る、自発的かつ自律的なネットワークを形成する。 ***************    アピール ***************  昨年12月2日、小林よしのり、西尾幹二、藤岡信勝ら9名の呼びかけで、言論界と経 済界を中心に78名の賛同者を集め、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下は「つく る会」と略称)が結成された。彼らは検定を通過した七社の中学歴史教科書の近現代 史記述が「自己悪逆史観」に貫かれていると決めつけ、具体的には「従軍慰安婦」に 関する記述の削除を要求しつつ、「自国の正史」を回復せよと主張している。こうし た動きは決して目新しいものではないが、日本社会にさらに広がる気配を見せている。  私たちは、こうした動きを心から憂慮する。  私たちは問いたい。彼らはなぜ「従軍慰安婦」問題の本質を、自分たちが勝手に定 義した「強制連行」の有無の問題にすりかえようとするのか。彼らは、「従軍慰安婦 」記述の削除を要求する前に、日本軍兵士の性奴隷にされた被害者たちの証言に一度 でも耳を傾け、彼女たちの視点から当時を見ようとしたことがあるのだろうか。  彼らは関東大震災で殺された朝鮮人がいたことを認めながら、ごく少数の朝鮮人の 命を救った日本人警察署長の固有名を挙げて、ヒューマンな「美談」に仕立てようと する(『教科書が教えない歴史』)。「「ヒューマン」なるものへの信頼が決定的に 崩壊したこの事件に向かい合うべきときに、なぜ一日本人の「美談」が強調されなけ ればならないのか。  彼らは日清・日露戦争をアジア侵略戦争と位置づけることに異を唱えているが、こ れらの戦争が朝鮮を戦場にして闘われたこと、その結果が日本による台湾や朝鮮など の植民地支配につながったことをなぜ無視するのだろうか。  「従軍慰安婦」にせよ、戦争と植民地支配にせよ、彼らは「どの国も同じようなこ とをしたではないか」と開き直り、なんとかして道徳的免罪符を得ようとする。しか し、かりに他国が「同じようなことをした」として、他がやっているから自分もやっ てもいいことになるのだろうか。幼稚で安易な自己肯定のためのレトリックと言うほ かはない。  私たちの見るところ、「つくる会」等に同調している人々の歴史観には、男性中心 主義・国益至上主義・自国民中心主義・英雄主義のイデオロギーが明確に現れている 。そこには、自己に都合の悪い記憶をすべて否認することによって「汚れなき」国民 の記憶を鋳造し、栄光の国史=「正史」をうちたてたいと欲するナルシスティックな 心理が働いている。  在日朝鮮人である私たちは、たんに歴史の被害者という立場からこうした動きを告 発するという役割に満足しない。「正史」の捏造によって抹殺される過去の記憶を受 け継ぎ、それを客観化・普遍化する努力によって開かれた歴史を築いていきたいので ある。  私たちは「つくる会」等の動きを、一部の特殊な人々のものだと軽視することはで きない。現に彼らの著作は書店に高く積み上げられて無視できない多くの読者を獲得 しており、一部マスコミは彼らの主張を執拗に代弁し続けることで世論を誘導しよう としている。最近では日本社会のいたるところから、「従軍慰安婦という制度は存在 しなかった」などという声まで聞こえてくる。「従軍慰安婦」記述の削除を求める決 議を採択する地方議会も現れた。こうした流れは、このまま放置すれば危険な排外主 義に転化しかねないものであろう。日本社会はそれをくい止めることができるだろう か。私たちは彼らの言説や行動そのものよりも、現在の日本社会の中にそれを産み出 し受容していく素地があることに強い危機感を覚えるのである。  すでに言われ尽くしたことであっても、それが真実であるならば、繰り返し言わね ばならない。私たちにとって、日本の近現代史はアジア侵略と植民地支配の歴史であ る。真実を隠蔽・歪曲しようとする人々の「歴史に対する暴力」を許さない力強い声 が、日本社会に広汎に喚起されることを切望するものである。 1990年1月20日 【呼びかけ人】〔かなだら順〕 金成鳳(コ・ソンボン:大学教員) 金富子(キム・プジャ) 金朋央(キム・プンアン:学生) 金栄(キム・ヨン:フリーライター) 徐京植(ソ・キョンシク:作家) 石純姫(ソク・スニ:大学教員) 宋連玉(ソン・ヨノク:大学教員) 慎蒼健(シン・チャンゴン:大学教員) 梁澄子(ヤン・チンジャ) 趙景達(チョ・キョンダル:大学教員) *できるだけ多くの皆さんの賛同を呼びかけています。賛同される方は以下にお名前 等をお知らせください。(2月8日まで)。ご意見やご提案も期待しています。 FAX:03-5998-6160 ----------------------------------- 私は「憂慮する在日朝鮮人のアピール」に賛同します。 名前(個人名)           名前の公表(してもよい、しない) 職業 住所 TEL FAX ------------------------------------ なお、この署名は、在日朝鮮人の方を対象としたものです。日本人そのほかの方は、 周りの在日朝鮮人の皆さんにお知らせください。