ピース・ニュース学習会報告

改憲論議の高まりにストップをかけよう!
国民投票法案の国会上程を止めるための運動に合流しよう!

自民党新憲法草案と民主党憲法提言
の危険な内容



この記事は05.12.18ピース・ニュース学習会で使用した資料を編集し直したものです。



 先の総選挙での圧勝の後、自民党は、10月28日、党新憲法草案を決定しました。一方、民主党は、党首に改憲論者である前原が就任、自民の「新憲法草案」に対し、改憲論議に乗り遅れまいと10月31日、「憲法提言」を発表しました。憲法改悪が現実のものになる危険性が非常に高まっています。

 しかし、改憲派にとっても、憲法改悪はそれほど簡単なことではありません。

 というのは、
 @ 改憲派の最大の狙い目のひとつである9条改悪には、様々な世論調査でも過半数が反対である。
 A 9条改悪を含めて、自民や民主の狙う改憲の内容が、広範な日本の民衆にとって根本的に不利益な内容である。

 という事実があるからです。ところが、この点について、まだ十分な暴露がされておらず、多くの日本の民衆はまだ気付いていません。

 憲法の改悪を阻止し、日本国憲法の平和主義や基本的人権の先進的な内容を守るためには、この自民・民主の改憲案内容が、反人民的で危険なものであることを暴露し宣伝していかなければなりません。

 今回は、自民党の「新憲法草案」と民主党の「憲法提言」について、そのもっとも重要な部分について、その危険性について確認したいと思います。

1、 自民党「新憲法草案」の危険な内容

 自民党が目指す改憲の内容には、主要には、2つの方向性があります。
第一に、9条改憲による侵略戦争、海外派兵・武力の行使の自由獲得。
第二に、国家による人権の制限、義務・責務の強制。
これに加えて、将来の改憲のための改憲要件の緩和がその主要な内容と言えます。

自民案が「穏健なもの」という報道は一面的

 「改憲草案大綱」や改憲「要綱」などに比べて、自民改憲草案は、民主党や公明党との妥協を狙って、「自民党らしさ」や「復古色」が抑えられた穏健なものであるとの報道がされました。

 しかし、本質的な内容については根本において何も変わっていません。「穏健なもの」という評価は極めて一面的なものです。
自民党の改憲草案の中身は、「権力を縛る規範」から「人民を縛り支配する規範」への憲法観の大転換が貫かれています。

(ア) 前文改悪

 自民草案前文に、戦争国家化と人権制限の2つの方向性が明瞭に示されています。

 現行憲法の前文に明記された「平和的生存権」=「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という思想・精神は、自民党草案にはすっぽり抜け落ちています。

 それに対し「圧制や人権侵害を根絶させるために、不断の努力を行う」ことを表明しています。
⇒これは、米国式(ブッシュ式)の先制攻撃型の侵略主義・介入主義を表明しているものです。

 平和の実現のためには、明治憲法下で制限・侵害されていた人民の自由を保障することが必要であるとの反省から、日本国憲法前文には、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し」との規定があります。
⇒この思想を欠落させ、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概を持って自ら支え守る責務を共有」すると、「愛国心」を強制しています。「国や社会」のためには自由は制約されるという思想を表明しています。

 これを国民主権を装いながら、国民の名のもとに確定しようと目論んでいるのです。

(イ) 9条改悪

 戦争の出来る国つくり=軍国主義国家体制を作りあげようという狙いが詰め込まれています。

@ 「戦争放棄」を否定

 日本国憲法の第2章の表題は「戦争の放棄」。これに対し、自民草案では「安全保障」。すなわち「戦争の放棄」を放棄しています。

A 9条1項に手をつけず、現行2項を削って代わりに「自衛軍」の保持を謳う欺瞞

A-1. 日本国憲法の第9条

 日本国憲法第9条1項に謳われる「平和主義」すなわち「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」の放棄は、2項の「戦力不保持」「交戦権の否定」と一体のものであり、それにより担保されています。それこそが、日本国憲法の「平和主義」=「戦争放棄」なのです。

A-2. 2項を失った9条1項は有名無実なもの

 「自衛軍」=軍隊を持った上での戦争と武力行使の放棄は欺瞞です。日本国憲法は、過去の日本が「自衛権」の名のもとに悲惨な戦争を犯したということの歴史的事実と、その痛切な反省の上に存立しているのです。

 現行憲法下でも、「復興支援」を口実に戦地イラクに多国籍軍の一角として自衛隊が参戦している事実に照らせば、自民党の改憲草案を許せば、9条1項があったところで、無制限の他国への軍事介入、侵略戦争が事実上可能になることは明白です。

 自民党改憲草案は、米軍と一体となってイラク戦争のような侵略戦争や軍事介入を進めることを憲法上も容認させようというものです。

 1項だけそのまま残すと言うのは、世論調査に見られる日本国憲法の「平和主義」が国民の間で広い支持があることに対する国民を騙すための仕掛けに他なりません。

B 米国型の侵略・介入戦争を米国と一体となって行うことができる憲法

 自民草案9条2項の3「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動を行うことができる」は、「国際的に協調して」武力行使するということです。

 要するに、米軍と一体となって世界中で侵略戦争・介入戦争を行うことの宣言です。前文にも同様の趣旨が盛り込まれています。(イラク戦争そのものだ!)

C 軍事警察国家を目指す憲法

 自民草案9条2項の3「緊急事態における公の秩序を維持する」活動は、軍隊の銃口が国民に向けられることを意味します。

D 「委任立法」の危険性

 自民草案は「自衛軍の組織及び統制に関する事項」を「法律で定める」としています。このような条項は極めて危険です。憲法による「委任」を名目にしてどんな法律でも可能となります。例えば徴兵制。

(ウ) 国家による人権制限・義務責務の強制

 自民草案は12条に「国民の責務」という見出しをつけて、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」と謳いあげました。

 これは、9条改悪による軍国主義国家作りと一体の、国家が国民生活を「公益」の名の下に容易に統制できる社会作り=国内治安体制作りを目指すものです。

 一方、国に対する縛りである政教分離については緩和を盛り込んでいます。

@ 「公益及び公の秩序」の危険性

 現行憲法の「公共の福祉」という文言がすべて「公益及び公の秩序」に

 現憲法にある「公共の福祉」は「侵すことのできない永久の権利」としての基本的人権を唯一制約するものですが、しかし、この文言の「公益及び公の秩序」への転換には重大な意味が含まれています。

 現行憲法:「公共の福祉」=ある人権が他人の人権と矛盾・衝突する場合の解決を図る公平の原理=「人権に必然的に内在する制約」。

 自民草案:「公益及び公の秩序」=国家が求める秩序全般=「人権の外部にあって人権を制約する」もの。国家利益が人権に優越することを憲法上認めさせようとするもの。(自衛軍の任務に「公の秩序の維持のための活動」(第9条の2第3項)が含まれていることに注目)

 これは、明治憲法の言う「公益」「安寧秩序」「法律の範囲内において」という制約に通ずるものがあります。明治憲法下の歴史が示していることは、国家秩序による人権の制約を認めれば、人権保障など無いに等しいと言うことです。また、憲法が国家の権力行使を縛る「制限規範」だという近代立憲主義の理念を完全に無視するものです。

⇒例えば、「立川テント村」事件のようなことは、明らかに「公益」「国家秩序維持」の観点から有罪となります。「立川テント村」事件は現憲法下でも、2審で有罪という不当な判決が出ています。自民草案のような憲法を許せば一体どうなるのか。国家に対して従順な者以外、言論の自由は一切無くなります。(「立川テント村」事件はhttp://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/参照)

A 「新しい権利」の欺まん性

 自民草案の言う「新しい権利」は以下の通りです。
 ・ 「障害」による差別の禁止
 ・ 「個人情報の保護」(プライバシー権)
 ・ 「国政上の行為に関する説明の責務」
 ・ 「環境権」
 ・ 「犯罪被害者の権利」
 ・ 「知的財産権」

 これらは、わざわざ新しく明文化しなくとも、日本国憲法下の人権闘争の中で憲法上の根拠が与えられてきたものです。プライバシー権は幸福追求権(第13条)を根拠に、知る権利は表現の自由(第21条)を根拠に、環境権は幸福追求権(第13条)と生存権(第25条)を根拠に。

 しかも、「公益及び公の秩序」を優先する人権規定のもとでは、「新しい権利」を言ったところで、それは、全く欺瞞的で空虚なものです。

 自民党が持ち出す「新しい権利」は、改憲機運を高めようとする偽りの方便に他なりません。

 さらに、「新しい権利」自体には問題もはらんでいます。
⇒例えば、プライバシー権を強調しすぎれば、「立川テント村」事件のような弾圧行為が合法化されることになります。

B 政教分離の緩和は軍国主義の復活を意味する

 日本国憲法の厳格な政教分離規定は、過去に、国家神道が侵略戦争に突き進み、植民地支配を正当化したという事実に対する反省によるものです。

 自民草案は、これを緩和し、「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」であれば、宗教教育その他の宗教的活動をしても良いことを規定しています。

 まさに小泉の靖国参拝の事態を合憲化しようというものです。

 自民草案が日本に軍隊と武力行使を復活させようとしているとき、そこに同時に政教分離の緩和が追求されるのは偶然ではありません。戦前・戦中の靖国神社が「英霊」を祀る場所として軍国主義を鼓舞したことを忘れてはなりません。新たな戦死者=殉国者が出る事がすでに織り込まれているのです。

(エ) 憲法改正要件の緩和

 現行の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議」が、「衆議院又は参議院の議員の発議に基づき各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決」に変更しています。

 最初の改憲でやれないことでも、再度の改憲のハードルを低めておいて、いつでも憲法改悪を実施できる体制を狙い目にしています。

 最初の改憲が自民党にとってどんなに妥協的で「自民党らしさ」がなくても、どんなに控えめで露骨でなくとも、この点が盛り込まれれば、次は憲法改悪の自由度が増すのです。

 この点を考慮に入れれば、改憲の策動に対して、最初の一歩のうちに大きなダメージを与えておかなければ大変なことになります。
2、 自民案と似たりよったりの民主「憲法提言」

 民主党は自民党に遅れまいと、「憲法提言」で改憲ありきの自民の土俵に乗りました。
 そのために、日本国憲法は極端な危機にさらされています。

 民主党の「憲法提言」は、実質的に自民党の改憲の方向性と同一の内容をもっており、自民党の改憲策動を補完する性格を持っています。

(ア) 平和主義


 「「平和主義」については、深く国民生活に根付いており、平和国家日本の形を国民及び海外に表明するものとして今後も引き継ぐべきである。」は、9条1項を現行憲法の条文をそのまま採用した自民草案と同じ考えです。

そして「提言」には、武力の放棄も交戦権の放棄もないので、自民草案が現行憲法9条2項を削除したのと全く同じ立場です。

一方、「制約された自衛権」と称される軍隊・武力集団が唱えられている。これも自民の「自衛軍」と実質同じです。「制約された自衛権」は国連憲章51条が規定する「自衛権」を想定しています。

 武力の行使については、「必要最小限の」という虚しい言葉をつけつつ、明確に容認しています。「憲法附属法たる安全保障基本法等」を別に設けようとしている点も、自民草案と同じです。(「委任立法」の危険も同じ)

(イ) 人権規定

 自民が「国民の責務」なら、民主は「共同の責務」

 そして、その「共同の責務」の思想は、「<国家と個人の対立>や<社会と個人の対立>を前提に個人の権利を位置づける考えに立つのではなく、国家と社会と個人の協力の総和が「人間の尊厳」を保障することを改めて確認する。」としています。これは、自民の「公益及び公の秩序」を持ち出した議論と同じでづ。

民主党もやはり「公共の福祉」に対して、「再定義」せよといっています。

程度がどうあれ、ひとたび国家秩序を優先して人権規定を制約する議論に組したならば、その時点でその権利規定は空虚なものになります。民主党はやはりここでも自民党の改憲草案と同質のものです。

民主党のいう「新しい人権」もまた、自民党のものと似通っています。

 ・ 犯罪被害者の人権
 ・ 国民の「知る権利」、行政機関等への情報アクセス権
 ・ 情報社会に対応するプライバシー権
 ・ 対話する権利
 ・ 自由な労働市場の確保、職業訓練機会の保障などに関する国及び企業等の責務、無償労働への参加の保障
 ・ 知的財産権  等

3、 国民投票法案の国会上程をさせない運動を

 改憲、勢力が実際の改憲に向けて準備を進めているのが「憲法改悪のための手続き法」=国民投票法案です。

今、憲法の改悪を許さない、平和憲法を守る闘いは、策動=国民投票法案の国会上程を潰す闘いを構築しなければならなりません。ひとたび国会に上程されたならば、憲法改悪の手続き法が成立してしまう危険性が非常に高いのです。

国民投票法案を国会上程させないための団体共同声明や、国民投票法反対の請願署名が準備され取り組まれています。

(請願署名はhttp://www4.vc-net.ne.jp/~kenpou/shomei.pdf、団体共同声明はhttp://www4.vc-net.ne.jp/~kenpou/seimei.pdfを参照)

国民投票法案の中身の問題点について簡単には、国民投票法案を国会上程させないための団体共同声明を参照願います。