個人より、社会(国家)への奉仕の強制
*(A)はなによりもまず国家や社会全体の利益を重視する人間を育てようとしている。「私」や「個」の軽視さらに否定に向かう。戦前への回帰。
*(B)は大きなタイトルとして 1、人権を守る 2、くらしを豊かに 3、豊かな地球をめざして の三つを掲げ最初の人権を守るでは個人の尊厳を中心に説明
(B)X社 中学社会 (公民的分野) |
(A)扶桑社 新しい公民教科書 |
この憲法では、天皇は、主権者としてすべての権力を握っただけでなく、神聖で侵すことのできない存在であると定められた。国民に保障されたのは、「天皇の臣民」としての権利であり、範囲はせまく、法律や勅令で制限できる定めがあった。 大正デモクラシーをはじめ、憲法にもとづく政治を守り民主主義を進めようとする運動もあったが、1925年の治安維持法や1938年の国家総動員法などにより、次々と抑圧された。そして、思想・言論・集会・結社の自由や、財産権。職業選択の自由までもが奪われていった。 軍隊の最高指揮官は天皇のものとされ、議会には、軍部の独裁を防ぐ力がなかった。軍部が権力を握ると、国民生活のすべてが戦争目的のために統制されるようになった (P23) <日本国憲法の成立> その内容(ポツダム宣言)を実行する為には、明治憲法の根本的な改正、つまり新しい憲法の制定が必要であった。 …・日本政府の原案は、「天皇主権」「臣民の権利」にこだわるなど、明治憲法を少し修正しただけのものだった。そのため、連合国軍最高指令官は、国民主権を基本とする改正草案をつくり、政府に示した。これをもとにした政府の……。 悲惨な戦争を体験し、平和と民主主義を求める大多数の国民は、人権の尊重、国民主義、戦争放棄を柱とする日本国憲法を強く支持した。 (P24)人権宣言としての日本国憲法 @基本的人権の尊重、A国民主権、B平和主義 |
(P55)この憲法では、日本の伝統文化と西洋の政治理念をいかに結びつけるかに力がそそがれ、わが国は万世一系の天皇が統治する、立憲君主制であることを明らかにした。 ……(P56)また、国民には法律の範囲内において、権利と自由が保障され、その制限には議会の制定する法律を必要とさえた。この憲法は、アジアで初の近代憲法として内外ともに高く評価された。 大正時代には憲法の理念をいかそうと憲政の常道が主張され政党内閣の誕生や普通選挙制度の実施など、いわゆる大正デモクラシーの時代を迎えた。しかし、昭和にはいり、国際情勢の変化によって危機感を深めた軍部が、憲法に記された統帥権(軍全体を指揮する権限)を理由に政治に介入し、国家総動員法の制定をはじめ、戦時体制が整えられるなど、立憲政治の理想に反した運用が行われた。 <日本国憲法> 政府は当初、ポツダム宣言の内容から見て、大日本帝国憲法の改正が必要とは考えていなかった。しかし、連合軍最高指令官マッカーサーが、憲法の改正を政府に示唆したため、政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成した。だが、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを受け入れず、みずから1週間で憲法草案を作成した後、日本政府に受け入れをきびしく迫った。政府は英語原案を翻訳し、修正を加え、総司令部の強い始動のもとに改正案を作成した。…・ 日本国憲法は戦後日本の新たな政治原理として内外に受け入れられた。 |
*(B)は1945年以降の戦後日本の新しい理念として日本国憲法をとらえ、基本的人権の尊重を中心に天皇主権から国民主権へ、軍事国家から平和国家へとはっきり戦前からの決別を説明している。
* グラビア写真でも
1.しあわせを築く(人権尊重)
2.国民が政治の主人公(国民主権)
3.平和を求めて(平和主義
として、日本国憲法の三つの基本原則を説明している。
*(A)は大日本帝国憲法が天皇主権であり、国民に保証されたものが「天皇の臣民」として制限されたものであることをきちんと説明していない。
*日本国憲法の精神を否定するために成立経過を押し付けと印象付けるため詳細に記述。
( B )X社 中学社会 (公民的分野) |
( A )扶桑社 新しい公民教科書 |
基本的人権の尊重 (P14)<管理社会と個人> 個人の尊厳を軽視する集団主義や管理主義の弊害は、すでに数多く指摘されている。だからこそ、個人の存在を何よりも尊いものとする民主主義は広まり、世界中で、民主主義を育てていく努力が行われている。 民主主義は、個人の人権をかけがいのないものとして認め、誰もが自分の意思にもとづいて、自主独立の人生を送ることができるような社会にしていこうとする。企業や国家などの集団は、そのような個人を支えるものとして、その存在理由が認められている。 (P15)<自主独立の人生> 個人の尊厳とは、一人の人間の存在には、それだけでかけがいのない限りないねうちがある、ということである。何かの役に立つからではなく、人間として生きている事に意味があるというのである。個人の尊厳が認められるようになったのは、何よりもまず、一人一人の人間が、自分のねうちの存在を自覚しそれを社会に訴えて認めさせたのである。もちろん個人は、その社会のために役立とうと努める。 人権は、「不断の努力」のうえに成り立つものであるから、世界中で多くの努力が重ねられている、法律や条約だけでなく、多くの市民団体も国際的な連帯を強めている。個人の自主独立の人生は、他者を無視するのではなくて、これら多くの人々の努力と結び合ってこそ、築きあげられるものである。 |
「公民」とは (P6) <市民と公民> 一つは社会の中で他人とかかわりながらも、もっぱら自分の利益を追い求めたり、自分の欲望を中心に考えたり、自分の権利を追及したりする面であり、もう一つは、自分の利益や権利よりも、むしろ、国家や社会全体の利益や関心の観点から行動しようとする面である。前者が「私」を中心とするならば、後者は「公」を中心としている。私たちは、この二面をもって市民として社会生活を営んでいるのだが、とくに後者を中心に市民をみたとき、これを「公民」という。 (P7)<公民の意味> 古代ギリシャの都市(ポリス)では、市民は、財産を使って必要なものを生産させ、家族とともに暮らすという「私的」な生活を営んでいた。加えて政治に参加して、外敵から都市を守る防衛義務を負う「公的」存在でもあった。この意味では「市民」と「公民」は同義だった。ところが、近代社会では、「私」の権利や「私」の利益追求が強く唱えられ「市民」が「公民」から分離する傾向がある。しかし、人は、他人とともに共同社会をつくっている限り、「私」の利益を追求する場合でも、その前提として、社会のルールを守り、社会生活を改善し、社会を外敵から守るという課題を引き受けなければならない。 第1章 現代文化の価値と規範 第2節 人権の思想 (P36)<民主主義の基礎としての公民> …人々が自分だけの権利を主張していたのでは民主主義は成り立たない。民主主義は、法を守り、社会を守り、他人の権利も自分の権利と同じように守り抜くという強い義務感をもった人々がいて初めて実現される。つまり「私」の事がらよりも「公」の事がらを優先させる公民がいて初めて実現されるのである。 |
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(p38)<高齢化と社会保障> (p39)<社会保障制度> |
6. 人権思想の発展と福祉国家の登場 (p39)<福祉国家の意義と限界> しかし、最近では、福祉国家もさまざまな問題が指摘されるようになってきた。よく指摘されるのは、福祉における財源の問題である。わたしたちは、高齢者や障害者などの対する援助を国や自治体に期待するあまり、そうした人々を私達自身の力で支えていくという気概(強い意思)を失いがちになっている。福祉国家になったからといっても、家族や地域社会の役割がなくなったわけではない。家族、地域社会、そして私達自身の大きな役割と責任が、依然として残されている。 (P40)<近代以前の福祉活動に学ぶもの> …・むかしの考え方をそのまま現代社会に適用できないのは当然であるが、個人主義的価値観がいきすぎて自分だけよければかまわないという考えが支配的になったのでは,社会がいきづまってしまうことも明らかである |
*(B)は、基本的人権の内容として、自由に生きる権利、平等の権利、人間らしく生きる権利、労働者の権利、子供の権利と教育を受ける権利などを詳しく説明し、その中で「高齢化社会と社会保障」のタイトルで福祉について語っている。
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(P47) <公共の福祉> 人権は最大限に尊重されるべきではあるが、それを主張する事によって他の人びとの人権を侵害する事は許されない。個人の人権の主張には、同時に人権全体を守るという責任が伴うのである。 生存権の主張が強まると、財産権や経済活動の自由の主張と対立するという問題がおこった。社会的・経済的弱者の立場にある多くの人々の生存権を保障するためには,財産の自由にも制限を加えるべきだとする原則が生まれた。これが公共の福祉の原則である。それは、社会正義のあり方を考えながら、人々の関係を調整し、人権を平等に保障して、社会全体の利益を実現しようとするものである。日本国憲法もこの原理に立ち、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律でこれを定める」(第29条)として、財産権を制限する道を開いた。 日本国憲法は、人権を保障するために、国民のたえまない努力を求めるとともに、権利の濫用をいましめ、社会全体の利益(公共の福祉)のためにこれを利用する責任を定めている(第12条)。 新しい人権 (P44) <新しい権利の主張> 人権の内容は、人びとの要求と努力が強まるにつれて、また、時代や社会の進歩につれて豊かなものになる。幸福を求め、人間らしい生活を守ろうとする人々の諸要求をもとにして、新しい権利の主張が次々とうまれている。 |
4. 基本的人権の尊重 (P62) <公共福祉による制限> 憲法に保障された権利や自由は、無制限に保障されたものではない。他人の権利や自由を侵してはならず、社会の秩序や利益に配慮する、という意味での制限が設けられてる。(▽1)憲法はこれを「公共の福祉」という言葉を用いて表現している。 8. 国民の義務と新しい人権(P73)<国民の義務> 日本国憲法は、国民の義務として、子供に普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務に三つを定めている。… しかし、憲法の理念に沿って国民生活を営むという事はこの三つのの義務を果たしてさえいればよいというわけではない。まずすべての国民が等しく憲法に保障された権利と自由を享受できるよう、憲法の定めた秩序を守らなくてはならない。また、国家の基本秩序が、祖先の努力によって長い歴史をへてできあがっていることをよく理解しなければならない。そして、この秩序を次の時代に受け渡し、子孫たちもまた享受できるように努力しなければならない。国家は、その意味では、現在から未来にかけてのすべての国民からなる共同体である。私達はこの共同体を維持する努力を怠ってはならない。(▽2) (P75) <新しい権利> しかし、(プライバシーの権利、知的所有権、環境権など)憲法から新しい権利を導き出す最近の傾向には、憲法に明記された権利自体の価値を相対的に低下させさせるではないかとか、自分の欲望や利益を正当化させるために権利を主張しているにすぎないのではないか、との批判もある。 |
国民の義務、公共の福祉、新しい人権
* 日本国憲法第12条(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)
この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
第13条(個人の尊重と公共の福祉)
すべて国民は、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。
(B)でこのふたつの憲法の条文が説明されているのは、明らかだろう。
人権の制限、何よりも共同体(国家)の秩序維持義務の強調、そのための「公共の福祉」の勝手な解釈
(A)の申請本では、▽1、▽2は以下のように書かれていた。
▽1 このように、憲法に保証された権利や自由は、無制限に保障されたものではない。他人の権利や自由、社会や国家の秩序や利益を侵してはならない、という制限が設けられている。
▽2 その意味で重要なのは、国家に対する忠誠の義務と国防の義務である。これらの義務は日本国憲法では定められていないが、諸外国の憲法には国民の崇高な義務として明記されている。
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「地方自治は民主主義の最良の学校である。」(ブライス)といわれるが、すみよい地域社会をつくるには、住民自身が、ふだんから地域社会や行政にはたらきかけることが必要である。住民運動は、このようなはたらきかけのなかで展開した。公害に反対する運動や自然と環境を守る運動は地域住民の健康と生活に根ざしたものであった。今日、住民運動は、消費者の権利を拡大するものや、自然保護、奉仕活動、町おこし村おこしへと広がりをみせている。 住民運動では、地域エゴといわれる視野のせまさが問題になる事がある。しかし、こうした弱点を克服して、新たな地域社会を築いていくことは、地方自治の重要な課題である。 |
(P79)コラム「住民投票について考える」 住民投票には住民が地域の問題に関心をもって政治に参加することで自治意識が高まる事や、間接民主主義では反映されない民意がそこにあらわれるなどの意義が指摘されている。 しかし、検討すべき問題点も多い。たしかにその地域の住民であれば、原子力発電所も産業廃棄物処理施設も近くにない事にこした事はない。しかし、これらの施設は広域的な、さらには国家全体の利益にかかわるものでもあり、特定地域の住民の意思のみによって左右されるものではないといえる。 |
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(P102)<主権国家> 社会のさまざまな権力のうち、国内では最高の強制力を持ち国外に対しては独立で、他国に支配されない権力を主権という。こうした権力が生まれたのは近代になってからで、国内を統一した近代の独立国家を主権国家という。 (p103)<主権国家の相互尊重 現代では、国家間の相互依存関係はますます親密になり、政府だけでなく国民自身が、相互に平等と友愛の精神をもって交流する事がますます重要となった。各国歌間には、それぞれ独自の伝統や文化が有り、国旗や国歌など国民の心を統合する独自の象徴がある。各国民は、自国だけでなく、他国の歴史や文化を理解し、それぞれの象徴を相互に尊重する事がもとめられている。 |
主権国家と国際関係 主権国家 (P104)<主権国家> ……国後(くなしり)、択捉(えとろふ)、色丹(しこたん)、歯舞(はぼまい)諸島の北方領土、日本海海上の竹島、東シナ海海上の尖閣(せんかく)諸島については、それぞれロシア、韓国、中国がその領土を主張し、一部を支配しているが、歴史的に見てわが国の固有の領土である。 (P105)<国旗・国家> …・・私たちにはまず何より、自国の国旗・国歌を尊重する態度が必要である。…… (P106)コラム「国旗・国歌に対する意識と態度」 サッカーの元日本代表選手ラモスの思い(ラモスの黙示録)より。 |
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戦争を放棄した日本 (p92)<戦争の傷跡> 戦争は、生き残った人々の心に大きな傷跡を残した。戦争は学校を、工場を、病院を、寺院を、あらゆるものを破壊した。しかし、戦争によって最もひどく傷つけられたのもの、それは、「人間性」である。殺しあうことで人びとの心は荒れ家族や恋人を戦争で奪われたことで人々の心は痛んだ。このような心の傷は容易にいやされるものではない。…・・ (P93)<戦争放棄の日本国憲法> 日本国民は、戦争が、どんなに恐ろしく悲惨なものであるかを知った。…・戦争放棄の日本国憲法を、圧倒的多数の国民が指示してきたのは当然である。…・厳しい国際情勢のなかで、この決意も、戦力不保持の条項も、今日までじゅうぶんには実現されてこなかった。しかし、この憲法の制約のもとで、戦後50年間、徴兵制をとらせず、軍需産業や軍事力の無制限な拡大をおさえてきたのも事実である。 平和憲法と自衛隊 (p95) <憲法9条と自衛隊> 国民のあいだには、自衛隊は、「戦力の不保持」や「戦争の放棄」を定めた憲法第9条の規定に違反するという意見がある。また、日本の安全は日米安全保障条約や自衛隊によって守られてきたとして、その存在を認める意見もある。これらの意見がある中で、政府は、自衛隊は憲法9条が禁止している「戦力」ではないとしている。 冷戦後の自衛隊 …・日本国内には自衛隊強化に賛否両論有り、…・自衛隊の予算や装備内容には、とくにアジア諸国のあいだで警戒心が強い。米ソ対立による軍事的脅威が緩和した現在、今こそ憲法第9条の精神を世界に訴えようとする動きもある。…・・ |
(P113)<日本国憲法の自衛隊> 主権国家には国際法上、自衛権があるとされ、世界各国は相応な防衛力をもっている。自衛隊はわが国の防衛には不可欠な存在であり、災害時の救助活動などの面でも国民から大きく期待されている。 (P115)<憲法論議と第9条> 第9条は、すべての戦争を放棄し、いかなる戦力ももたない徹底した平和主義の規定であるという捕らえ方が一方にある。このように第9条をとらえたとき、問題となるのは、自衛隊の存在であり、自衛隊は憲法違反の存在であるということがこの立場から主張されてきた。しかし、国民の多くは今日自衛隊をわが国の防衛のために不可欠な存在ととらえており、政府も自衛隊を第9条の禁止する「戦力」ではないととらえて、日本国憲法に基づいた存在だとみなしている。 他方、自衛隊は国際法上、主権国家に当然に認められた権利であり、自衛のための組織である自衛隊は主権国家として当然の存在であるが、日本国憲法における自衛隊のいちづけが不明瞭ならば、憲法の規定自体を変えるべきだとの意見もある。 さらに、自衛隊が積極的に国際協力ができるよう、集団的自衛権(同盟国が侵略された場合には、同盟国が集団で侵略を排除する権利)を憲法に明記すべきだとも主張もある。…・ |
*日本国憲法第2章 戦争の放棄
第9条(戦争の放棄、軍備および交戦権の否認)を掲げる。
@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
第9条否定と自衛隊による海外派兵の強調(集団的自衛権の主張)
*(A)のグラビア写真では以下のような、国防、軍隊の必要性を感じさせるような写真を配置。
4、阪神・淡路大震災と自衛隊
7、国連の混乱と限界
9、大国日本の役割
(B)X社 中学社会 (公民的分野) |
(A)芙葉社 新しい公民教科書 |
(P98) <ノーモアヒロシマ・ナガサキ> <多様化する平和問題> 米ソ冷戦体制がくずれ、軍縮の進展がいわれる現在も、反核・反戦運動の意義は失われていない。軍縮といっても核兵器の廃絶は実現されず、また武力衝突を繰り返している国々が核兵器を手に入れること(核拡散)も考えられるからである。通常兵器の削減も、まだこれからの課題である。…・ <日本の貢献> 日本が平和に貢献する道はたくさんある。日本は、日本国憲法の理想を堅持し、核の廃絶と軍縮に積極的に取り組む事ができる。またアジア・太平洋地域の主要国として、この地域の緊張緩和や安定に力を尽くす事ができる。さらに発展途上諸国で絶えない「見えない戦争」を終わらせるために、これらの国々の開発と自立を助ける事ができる。これらの課題への取り組みは、……最終的には、国民自身の自覚と努力とが問題なのである。 |
(P117) <核兵器保有国の増加> (▽3)核兵器の廃絶は人類共通の願いであるが、このような国際情勢の中で、各国の防衛のあり方が議論をよんでいる。 (P215)<核兵器廃絶という理想を考える> ……・しかし一方で別の見方がある。もし核兵器廃絶が表面的に合意されたとしたら、そのときが世界にとってもっとも危険な瞬間だともいえるのではないだろうかというものである。 |
このような国際情勢の中で、わが国としても、現実的な対応が求められる。