「テロ撲滅の名のもと」



テロ撲滅の名のもとにも、無残に多くの命が失われ
残されし者の心には、永遠に消えることのない耐えがたい
悲しみ 苦しみが 深く深く刻み込まれ
恨みを 憎しみを 拠りどころにしなければ
とても生きてはゆけない
そんな思いを持つ人を、多くうみだしてしまいます。

そう
テロの大きな原因の「恨み」「憎しみ」が
テロ撲滅のための戦争、掃討作戦などと呼ばれるものによって
新たにうみだされてくるのです。

テロは認められない
「だから」
テロ撲滅のための戦いに
参加しなければ、協調しなければ
この思いは思い込みは、本当に本末転倒なのです。

テロの大きな原因
「憎しみ」を新たに世に広げている以上
こんなことでテロを撲滅することなどできないのです。

大義名分でどんなにきれいに飾ろうとも
戦争、戦闘
これらは、壊すこと、殺すこと以外何ものでもありません。
そんなものから何も生まれるものはない。

誰もが知ってるこのことを
私たちは今一度、心底、魂で
承知しなおす必要があります。
そう思います。

さらに
私たちに本当にできることはなんなのか、
「目には目を」しかホンとに方法はないのか、
しっかり見極めるためにも 今
戦争がもたらす悲しみを苦るしみを闇を
ちゃんと承知しなおす必要があります。
そうも思います。

戦争
政治家が「する」と決める戦争を
実際に「する」のは国の若者です。
そこで彼らは

人を殺すのです
人殺しとなるのです

戦地に赴き兵として
死にゆきし者、生き残れし者
共に人殺し、人殺しの協力者なのです。

なんて理不尽なことなのでしょう

戦争をすると決断する政治家
無事に帰ってきてと送り出す私たち
共に国にいて誰も殺さない
そんな私たちには
実際に殺す者の闇は背負えません

大事な人を闇の中に送り出す突き落とす
そんな私たちの罪はあまりに大きくあまりに深い
なのにその罪、裁く法はない

帰還した兵もまた多くは裁かれることなく
区切りをつけることのないままに
自分の心の中の闇
自分の中だけで処理することを 暗黙に強いられながら、
その後の人生 生きてゆかれます

戦争なのだから多くを殺すのは当たり前のこと
深い闇の中で
自分にだけしか聞こえないそんな無言の声を
おそらく生涯 聴き続けながら・・・・・

戦場
国が兵士に徹底した教育や訓練をして
厳しい規則、罰則も設けて
相手を前にして逃げ出すことを硬く禁ずるのも

相手の姿が見えない遙か彼方から
確実に殺傷できる兵器を作り続けるのも

「国を守る守れる 愛するものを守る守れる」
この思いだけで、
人は人を殺しつづけることなどできないことを
国はちゃんと承知しているから。
そんな気がいたします。

殺すか殺されるしかない戦場
生きる道は殺しつづけるしかない戦場

どんな訓練つもうとも人から心を消すことなど
できません
心をもったままつよい感受をもったまま
殺すことを自らに強いてゆく・・・

殺さなければならない そんな場で
兵士は何を思うのでしょう
想像することなどとてもできませんが、
こんな地獄から一日でも早く抜け出したい
との思いが、拠りどころになったりするのでしょうか。

地獄の底で生死を共にしている仲間との
強い絆は、大きな支えになるのかもしれません。
でもどんなに頑張っても生きることに、
殺し続けて生き伸びることに疲れてしまう
そう思うことも少なくないよな気がいたします。

愛する人、国家、恐怖、闇、理不尽などなど
多くの思いが胸の中で渦巻きもがき
とうとう心閉ざして、何も感じようとせず
ただ淡々と銃の引き金、まるで機械のように
引き続けるようになってしまう人いるかもしれません。

心高揚させようと無理に元気を装っていても結局耐えられず
密かに薬に頼ってしまう人もいるかもしれません。
もう耐えられない と病になってしまう人も、
おそらくいることでしょう。

理性を保ったままじゃとてもやってられないと
自ら心のタガを外し、自分の中の狂気を呼び覚まし
残忍残虐な戦場で自分もまた鬼畜と化して生きてゆく
そんな人も少なくないよな気がします。

生きるためならなんでもする
そんな思いから「自分さえ・・・」
そんな闇を持った人へ、変わってゆく
そんな人がいても不思議じゃない気もします。

戦場
とても想像すらできない地獄の沙汰で狂気の沙汰を
尽くすことしか生きる道がなかった兵士たちが
やがてふと我に返ったとき
果たしてどれだけの人が、心修復できるのでしょう。
その後の長い人生
誰も変わりに背負うことなどできない闇を抱えたまま
どんな思いで生きてゆかれるのでしょう。
忘れてしまう、考えないようにする
そんな風にして皆生きてゆかれるのでしょうか

それでもやっぱり
国によって教育、訓練をされる最も国よりの兵士でさえ、
もがき苦しむことだけは確かな気がいたします。

物も命も心も壊してしまう戦争
目の前で助けを求める人を救えなかった救わなかった
大事なあの人を生かしてあげることができなかった
自分だけが生き残ってしまったことを悔やみ
生涯自分を責めつづけて生きてらっしゃる方も
多いと耳にします。

いたるところに消えない悲しみを闇を鬼をこんなものを
うむことしかしない戦争を
するかしないか決めれるのは

       政治家
                    だけです

勝った勝ったと自分を褒め称え
戦争で喜び感じれるのは、
おそらく今ではもう
政治家と死の商人だけ・・・・・。
いろんな情報が耳に入る時代です
国に煽られるまま勝った勝ったと喜ぶ市民は
もういないような気がします。

死の商人と並び称されないよう
どうか政治家の皆様、プライドをもってください。

悲しみを土台にしてまで築かれる世に
人は喜びを感じることなどできないのですから
どうかどうか
戦争すると決めないでください
兵を送ると決断しないでください

戦争は殺される人がいるから始まるのではありません
殺す側があるから始まるのです
どうか戦争すると決めないでください
未来ある若者の手を血に染めないで!心を闇に包まないで!
殺さぬ私たちには彼らの闇 決して
背負うことなどできないのですから。

お願いします。



今ある戦地から帰ってくる彼らを、どうか責めることだけは
なきよう、国民の皆様にもお願いします。
私たちの想像もできないほどの深い闇、
おそらく抱えておられると思います。
そんなことを考えもせず送り出した私達の罪のほうが
遙に遙に大きいのですから。




協調がとにかく大事だと
人道援助、国際平和の名のもと
兵器、武器を携えた兵を海外へ送り出すことは
自立した国家として責任ある行為。
こんな思いが世に大きく広がりつつあります。

本当にそうなのでしょうか
こんな風なことすることが、自立した国家の証しとなるのか
そこを吟味せぬまま
国に誘導されるがままに 私たちは
世論を統一し、この道に本当に
踏み出して行っていいのでしょうか・・・・・

かつて少数の大国により
我先に奴隷貿易 行われました。
かつて少数の大国により
地球全土を覆うほどの国が 植民地になりました

「協調」
流れに乗る この意味も持つ
この言葉に流されるように
私たちは自衛隊の方々に武器を兵器をもたせて
海外へホンとに送り出してしまっていいのでしょうか。

奴隷貿易、植民地、から
数十年、数百年経ってもその傷癒せないでいる私たちは
また
国に煽られるまま、吟味しないままに
先に進んではいけないように思います。

今、日本が
海外派兵を恒久的に
自衛隊の本来の任務とする
国際平和協力法
という法律をつくろうとしています。

憲法の枠から外し、何の束縛も受けないようにして
未来永劫永遠に海外へ自由に迅速に兵を送ることを目的とする
長くてやっぱり難しいこの文章を
頑張って丁寧によんでゆくと
素人の私たちにも「今の世の流れ」が
なんとなく感じ取れるような気がします。

多くの国がこんな法律を持って
アフガニスタンに出向いているからこそ
「出口」と称される解決の糸口を見つけられないでいること。
そう
これを実行したとてテロはなくならないこと。
そう
これは、テロ問題の解決が目的ではないこと。

そんなことが感じ取れる気がいたします。

自衛隊が平和活動してゆく中
怪しいと思えば問いただすことも、拘束することももちろん
銃をその相手に向けて打つことも
現場の判断で行ってかまわない
平和活動をする私たちに逆らうものは
平和を乱す者なのだから・・・・・

この条文の最初から最後まで
徹底してこんな意味のことが書かれています。
検査、確認、立ち入り、拘束、警護警戒
命令、監視監督、教育訓練、助言指導などなどなどなど
まるで高みに立っているかのように、すべてこちらが行うことを
徹底的に書かれています。
しかもこちらが勝手に作ったこの法律を
他国に持ち込み、相手に強いる

逆らえば・・・・・。

殺すことも・・・・・。

はたして憎しみ、恨みをかうことなく、
新たなテロの芽を生むことなく
こんな「平和活動」がやれるのでしょうか。

よめばよむ程、胸が苦しくなるこの法案の目的は
紛争の解決を目指しているのではなく

国際的な協調と言いつつも、
その実また少数の大国同士の協調で、
国境を気にすることなくグローバルに活動できるよう
紛争の混乱の中、こちらの価値観を植え付けてゆく。
そんな流れがあること
この法律が教えてくれているように感じるのは私だけでしょうか。
グローバルと呼び名を変えただけで
かつての奴隷貿易、植民地 そんな流れ、
そんな協調と何ら変わりはないよな
そんな気がいたします。

「国際平和活動のため」「人道援助のため」
ときれいな言葉を並べることで
これからは「戦争」という言葉を一切使わなくとも
戦争ができる そんな世にする可能性もはらんだ法案

交戦権という権利が、本当にあるのかわかりませんが
「第二次大戦の敗戦によって、取り上げられた交戦権を取り戻す。
交戦権を持つことこそ自立した国家の証し」
そんな悲願を、コンプレックスを、持った者たちの
声にならない唸り、叫びのようなものまで感じる
とても胸の苦しくなる法律の案です・・・・・。

人道援助、平和活動と美しい言葉のもとであっても
武器、兵器を持って他国の地に立てば
瞬時に緊張が走り、そう
その瞬間にそこは最前線と化すのです
殺さなければ生きられない世界に変わってしまうのです。

この法律によって平和活動であるとして、
裁かれることのない兵士の抱える闇は
私たちには計り知れないほど、深いものであるような気がします。

平和活動の名の元に、
殺すもの殺される者残されし者

念願の法律作れた運用できたと自分を褒め称える者
共にうまれます

自分の手を汚すことなく戦争によって喜びを感じれるものたちが存在
するという事実

なんとおそろしいことなのでしょう

テロ
それは犯罪です
戦争ではありません
宣戦布告じゃありません
犯罪に対して戦争、戦闘で応じるから
問題は大きくなるだけで
互いの傷を深めるだけで
結局薬局解決の糸口がみつからない・・・。
これは自然の摂理に思えます。

テロは犯罪なのです
警察によって根気よく捜査する!
本来のこの形に戻ること
今、解決に向けてできることはこれだと思います。
掃討作戦の後方支援や
国際平和協力法なるもので掃討作戦に直接参加することが、
やるべきことだとはとても思えません。

特に
これからつくろうとしている国際平和協力法は、
憲法の枠から外され、平和活動であれば
その場の判断で殺しても裁かれることはない・・・
これは法律によって無法地帯をつくるようなもの
法治国家としてこんな矛盾を抱えた行動は、
相手はもちろん、いずれ誰からも信用を失い
ますますもって孤立することに・・・。
そんな可能性も秘めた方法のように感じます。

武力で一気に蹴散らし討ち滅ぼし一掃する
文字通り掃討することは
土地も人の心も荒廃させ、結果
治安の悪化を招き、それが内戦の種ともなりかねない
こんな可能性も持った行動に本質的な解決策はないこと
ここ数十年の出来事で為政者は、
もういいかげん学んでいいと思います

もちろん本気で問題解決をする気があれば
のことですが・・・・・

今一度法治国家の原点に立ち返り
時間はかかれども根気良く警察によって捜査を積み
犯人を逮捕し、法によって裁く。
ここにもう、力を入れていい時。
テロ撲滅のための戦争戦闘掃討に
終わりはやってこないのですから

戦争 国と国との戦いは互いの領土で起こり
どちらかが降参したとき、終わりがきました。
ですが
テロ撲滅のための戦争戦闘掃討に
終わりは来ないのです

たとえ目の前の相手を掃討したとて
そこで生まれた憎しみも新たなテロの種となって
まったく別の場所で別の誰かが立ち上がってくるのです。
掃討作戦と呼ばれるものに、こだわればこだわるほど
相手は私たちへの憎しみを深めながら
その場所は転々と移動をし、いずれ国境を超え
地球全土を憎しみとテロが覆う
そんな可能性を大いに秘めた方法なのだと思います。

仮にこの方法で終わりがあるとすれば
テロと「平和活動」のぶつかり合いの果て
人類がたった一人となったとき・・・やっと終わる
そんな意味のない方法を今、私たちはやっている・・・。

そんな気が本気でしてしかたありません。

これまでの戦争のように相手が降参し
勝った勝ったと胸張りながら兵を引き上げる
そんな終わりを夢みていたら
いつまでたってもそんな日はやってこない。

テロ撲滅のための戦争戦闘掃討に
終わりは来ないと自覚して覚悟して

引くのです!!

引いて新たな憎しみ
生まないところから始めるのです

テロの撲滅本気で考えるなら
これはとっても大事なところだと思います。
いいえ、目指してほしい 本気の解決を。

まず自ら戦闘の放棄をやってのけ
テロ行為だけを浮かび上がらせ
原点にかえり犯罪として対処する。

ほかの犯罪と同じように
行われたテロ行為に対して
法治国家として根気良く捜査し
法のもとで犯人を裁くため
もうここらで腹をくくって
自ら戦争放棄をやってのけ
テロ行為だけを浮かび上がらせ
原点にかえり犯罪として対処する。

大きくこじれてしまった問題です
警察で操作したとてすぐに事態がよくなるとは言いません
トラブルが起きないとは言いません
でも
それでもこれしか方法がない
堪忍袋の緒が切れないよう
ただただ根気よく捜査すること
他の犯罪でもそうしてるように。
これしか方法がない そう思います

「負け」といわれても癪に障ることなく
大きな気持ちを持って正直に話せばいい
「この方法に勝ち負けが存在しないことに気がつきました。
私たちの手による新たな憎しみをもう生まない。
そしてそこから出発する。
そんな覚悟を持って兵を引くことにしました。
そして混乱の元になった9.11のテロを犯罪として
国連などで国際的に捜査の方針を決め
警察によるしっかりとした捜査をし
法によってちゃんと裁く
それが法治国家として本当の道だと
思うにいたりました。
掃討作戦なるものでテロとは関係ない方々まで
苦しめてしまったことホンとに申し訳なく思います。
いまさら身勝手なお願いですが、
どうか世界の皆様
どうか警察の捜査にご協力ください。」


自ら戦争放棄をやってのけ
テロ行為だけを浮かび上がらせ
原点にかえり犯罪として対処するんです

世を 人を 
変えたければまず自分が変わること
これが人の基本です。
相手に期待するのではなく
まず自分にできることからやる、やってのける

兵を引くのです 方法を変えるのです 自ら変わるのです

日本もしかりです
一般法として百把ひとからげに
国際平和協力法なるもので、
大まかで雑な行動するのではなく
物事はすべて同じじゃないのですから
対処の方法も自ずと変わるのが当たり前なのですから
そう
特別措置として都度都度対処するのがやっぱりいいのです。
ただしこれまでのような
アメリカのような大国の価値観のままに協調するのではなく、
問題解決に至るにはどんな方法があるのか
どうなることが問題解決となるのか、しっかり吟味して
個々の出来事に都度都度個別に対処する。

百把ひとからげにどこもかしこも
兵器を武器を持って乗り込んでいくのではなく、
まずアフガニスタンで
真剣に問題に取り組む大国の姿勢を見せることで
多くの国から本との意味での信用を得ることができる
そしてそんな姿を見せつづけることで
少しずつかもしれませんが、多くの人の心にきっと
確実な変化をもたらす。
そう思います。そう信じます。
これまでとは違う私を見せること
そこから始めることはとても大事だと
そう思うのです。

イラクなど内戦などをしている人たちにも
大国は自分のためではなく、みんなのために
真剣に問題を解決しようとしていることを
アフガニスタンから示すことで
ホンとに世の流れ
大きく変わってくる気がするのです。

世界が、特に大国がこれまで自己中心的な方法じゃなく
本気でテロ対策に真剣になれば
世界中の人がその姿勢を見るだけで
世は 変わり始めます きっと・・・・

ところで
「事」一つ一つに特別措置で丁寧にあたることでもう
国際平和協力法と言うすべてに応用する一般法なる考え方は
もう必要ない
さすれば憲法改正もまた慌てることはない
憲法全体を、日本を世界をしっかり見直し
これまでのように国民の知らないうちにことが決まらないよう
国民にしっかり見える形で、丁寧に吟味して決める
これも今後の新しい流れとして大事な方法に思えます。

今、日本が協調しようとしている「流れ」も含め
アメリカが先制攻撃を正当化してから
自己の欲求を主張しなければ損だという意識が
地球全土に広がり、これが大きな流れとなって
住みにくい世に益々なって行っています。

多くの国が、
自分の正当性を強く主張をし、それを相手に押し付けようとし
また国民に対しては管理強化。
そんな流れがあるように思います。
日本も例外ではありません。
他国と同じように自己の正当性を主張する外交へと、
変わろうとしています。

そして国民に対しても・・・
これまで憲法は、国民の権利を守るものでしたが、
国に対して国民の権利を守ることをうたったものが憲法でしたが、
今新しく作られようとしている憲法は
国民はどうあるべき と 国民を縛る憲法にされようとしています。

乱暴で醜い言葉の流行、
いたる所で無責任な煽り、
国民の管理強化 そして
国家同士の自己の正当性の主張のぶつかり合い
そう
過去の大戦への道もそうであったように
今の世の流れは、世界大戦へもつながりかねない
大きな流れも持っているのです。

一人は皆のために、皆は一人のために
この言葉は、生き方は、環境問題だけに通じる方法ではありません。
国家間の付き合いでもまた必要なことなのです
世界が笑おうとも、世の流れとずれていようとも
皆自分の正当性だけを主張する中
皆のために主張すること、し続けること
かっこいいじゃないですか!!
あきらめることなく続けることで信用はついてきます。
大国に見放されてもいいじゃないですか。
所詮大国は少数です。
多くの小さな国と仲良くすること
これもひとつの選択肢だと思います。

なにはともあれこれみな 根気 がまず大事

ここ数年で国民を管理する法律たくさん成立してきました。
それらは殆ど議論されぬまま
市町村合併、国民保護法、住民基本台帳法、個人情報保護法
などなどさらに細かいものまで上げればきりがないくらい。
これからもまだまだそんな法案たくさん出てくると思います。
憲法改正もこの流れにあって
国民が暮らしやすくするため国民の権利を守る憲法が
国が国民を管理するための憲法に作り変えられる
そんな管理強化の流れが今、ホンとにあると感じます。

ですから
改革改革と、まるで目くらましのようで、どんどん先に進まれては
ますます国民は混乱するのです。
問題ばかり掘り起こされて、それを解決しないまま
新しいことばかりに手をつけて行っては、いつか足元
ぐらつくときがやってくる。
そんな気がしてなりません。
今は改革のときではないのです。
足元しっかり見つめ、地に足しっかりつける時期だと思うのです。

また
戦後レジームと称して、戦後体制からの脱却を今、国民皆望んでいる
「らしい」のですが、戦後体制の何がどぉ悪いのか吟味せぬまま
ここでもまた煽られるように問題提起しただけで
問題の中身はいったいなんなのか吟味されぬまま、
方向転換されてはホンとにホンとに困るのです。

そもそも改革と言う荒療治、一発逆転をまだ狙わなくとも
問題提起と問題解決を繰り返すことで階段状に丁寧に
登って行くこと進んでゆくこともまた、できると思います

小泉さんの鼻のよさでたくさんの問題提起が行われました。
今は、その一つ一つを
「事務処理」として解決してゆく時期なんだと思います。
その解決方法として、これまでにないほど流れ作業のように
たくさん作られた法律が、実際に解決方法となっているのか
国民の暮らしやすさのためになっているのか
ここで一度立ち止まり
ちゃんと検討し見極める必要があるように感じます。
それをすることなく、政府に煽られるままに改革改革と
先に進みつづけることは、あまりにも無茶に思えます。

こうして数多く決まった法律の、
期限切れる5年なり10年なりの間に
多くの人が苦しむのをほっとかないよう
期限が来ない内にもちゃんと法律の見直しできるよう
そんな法律まず作って歩き始めることも
とても大事なように思います。
たくさんの法律が、ホンとに暮らしに役立っているのか
いつでも検討できるように。
軌道修正しながら生きられるように。

そしてこのことは、
国民の暮らしやすさを目指す行動として、姿勢として
対外的にもアピールできることになると思います。
争うこと以外にも暮らしやすさを目指す方法があること
「日本自らの姿勢で見せる」
ここでもこれが世の変化のスイッチとなる気がします。
日本からそれを発信できる気がします。

また、私達国民も自ら変わる必要があるように思います。
環境の変化、世界の情勢などなどが大きなあおりとなって
世界中の人の心の中で膨らむ不安が
まだ大きく爆発していない、今のこの内に
日本国民もいよいよ腹をくくって
自国に被害が及ばねば、あるいは及ばぬように
集団的自衛権はもっともな権利だと、
他国の領域で争うことを認めるのではなく
自国において被害が出たとき
自国において、愛する人を守るため抵抗をする
これしかやっちゃいけない!
先制攻撃も同じです
やっちゃいけない!!
このことしっかり覚悟すること

私達国民もまた甘えを捨て自ら変わること
そこから始めること
今とっても大事だと思います。

そしてその覚悟してのち
そこから戦争をなくす手段の検討なんだと思います。

戦争、内戦、テロ
たくさんの物が命が失われ深い悲しみの中
これまで多くの人が、恨みを憎しみを拠りどころにすることで
生きてゆこうとしてきました
その結果、やはり争いの連鎖ばかりの世になりました。
それは過ちだったと、もうここらで皆が気づかないと
永遠の憎しみ 永遠の闇
そんな苦るしみは、人の心から出て行ってはくれません。

あるのです
争いを止める生き方が!
あるのです!!

「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」

広島の原爆慰霊碑の言葉です。
許す許さない、誰がよい悪い、そんなレベルの話ではなく
私自身に 全人類に 向けた誓いとして
うたわれたこの言葉にすべてがあるように思います。

この世のすべてが関係しあって
皆は生き合っていることを自覚して
原爆の被害 この地獄に至ったすべてのことも
自分のこととして 自分の罪と痛感して
心から悔い 心から謝り そして
もう過ちは繰り返しませんと誓ったこの思い。

多くの人に罪を犯させた、この自分の大罪を知り
もう誰も殺人者にしない もう誰も殺さない
と強く誓ったこの思い、この生き方こそが
戦争をなくす唯一の生き方。

そんな気がしてなりません

憎しみを持たないように心抑えることは
とても苦しいと思います
相手を許そうとすること それも苦しいと思います
そんなことをすすめているのではありません。

憎しみ、許せない気持ち
それを他者に伝染することだけは避けること
強い気持ちを持って自分の心の中だけで抱えること
それはとてもとてもつらく苦しいことですが
自分の恨みを他者に伝えることは
その人に新たな罪を犯させる事につながってしまうのです。
仇討ち
まるで輪廻のように繰り返されてきた
この悪循環のひとつを私がなくす。
そんな強く大きな気持ちを持つことが大事。

今、自分の中に起きてる悲しみを
子々孫々未来永劫、遺伝のように伝えないために
私の悲しみは墓場まで私ひとりで抱えてゆきます!
その覚悟をもって生きること
もうこの悪循環、繰り返しは、私で止める
その強い覚悟をうたったこの言葉、この精神が
世界を救うきっかけになる
そんな気が本気でしています。

そんな悲しみを抱えてる人に出会ったら
抱きしめてあげてください。
そう
恨みを憎しみを共有し、仇をうとうとはせず
ただだまって抱きしめてあげてください
もしよろしければいっしょに泪してください。
仇を討つことよりもそうすることの方が
もっともっとずっとずっとその方の支えになるのです。
そう思います。
そしてそんなひとりひとりの優しさが大きさが
世界を救うきっかけになる
そんな気が本気でしています。

「死なせてしまったと自らを責め、それでも寡黙に生きる人」が
広島長崎そしてこの日本には多くいらっしゃるのです。
その精神を聴きそして学び、そして
根気良く根気良く繰り返し繰り返し必死に
学んだそれを、感じたそれを訴えてゆく。
人類一人一人の心に届くまで。

戦争をなくすなんて、非現実な理想論だと
笑われてもいいじゃないですか
それに耐え行く精神も養いながら
理想を求める過程で得られる素敵なものは、必ずあります。
理想を追わずに得られるものより遙に素敵な何かが
必ず存在します。
それを心の底から本気で信じて。

原爆と言う大きな地獄を経験した日本人だからこそ
できることがあるのです。
個人だけではなく、一国家が
百年千年万年かかってもいい そんな覚悟を持って
人類一人一人の心に届くまで!!
そんな思いをもって訴えつづけること
それは世界の流れに大きく影響する
そんな気がしてならないのです

そしてやっぱりこれも大事なのは根気です♪

よく耳にする、
お国のために働いてくださった方々に感謝していると、
その方たちが今の世を作ってくださったのだと、
心から感謝しています。
この言葉を、
国の犠牲にしてしまい申し訳なく思っています。
皆様を犠牲にして築いてしまったのが今の世であること
しっかり自覚して生きてまいります
と皆が思うことができるように
しっかり現実を見
なぜこんなにたくさんのテロが起きるほど恨みをかってしまったのか、
なぜこんなに住みにくい世になったのか
現実をありのままに見る力を養う必要があります。

そのひとつの方法として
グローバルと称して世界中から地球全土から
物を人を取り寄せ、自国を維持する事にばかりとらわれるのではなく、

食料も作らない、エネルギーもない
そんな私たちが
身の丈以上の暮らしをさせてもらっている現実をしっかりみ
そして多くの国々の方々にちゃんと感謝する。謙虚な気持ちになる。

そこら辺からはじめることが大事だって気がいたします
そしてこれが国家として、真の自立の始まりだって気がいたします
協調が自立でもなく、海外派兵が自立でもなく、交戦権を持つことも
自立じゃない

感謝の気持ち持てることで、謙虚な気持ちになることで
ホンとの自立が始まるのだと思います。
感謝の気持ちがないこと、それを傲慢といい
傲慢な気持ちで行動すること、それは自己中心と言います。
とても自立した行動とは言えません。

感謝の気持ち ここなのです。出発点は。
そしておそらく到達点も。ここなのです。

感謝の気持ちから 始まるものは うまれるものは
何ものにも変えがたい素敵なものと なるのですから。

そう それは人も国も同じです。。。。。


より 

2007.9.9 掲載