米軍再編の狙いと各地での反対運動(1/6)

- 我々は何をすべきか -


この記事は2005.12.8に行われたピース・ニュース学習会での資料と議論をもとにまとめたものです



 2005.10.29日米安保協議委員会(2プラス2)の中間報告が発表されました。マスコミ報道では、日米政府間での沖縄県辺野古沖の海上基地を巡る交渉経緯や沖縄からの海兵隊司令部7000人のグアムへの移転など、在日米軍基地縮小、在日米軍の縮小などが進められたかのような印象を持ちます。

 しかしこの「中間報告」の内容をよく見ると、基地縮小・米軍削減どころか、米とそれに追随する小泉政権の世界的な軍事戦略の強化に向けた、新たな基地強化、米軍と自衛隊との一体化による機能強化であることが分かります。

 そのため、全国各地で従来からの反戦・反基地団体だけでなく、自治体が強い反対の声を上げ始めています。

 今回の中間報告の内容とそれに対する、各地での運動の状況を学ぶなかで、私たちは何をしてゆくかを議論しました。

 [目次]
 1. 辺野古での基地建設阻止の闘いと「中間報告」

  
(1) 辺野古での海上基地建設阻止の闘いの経緯
   (2) 「中間報告」の内容
 2.中間報告の狙いと背景
 3.各地での反対運動
   (1) 自治体など
   (2) 政党
  (3) 労働運動など
   (4) 反戦平和・反基地運動
 4.我々は何をすべきか
 

 1.辺野古での基地建設阻止の闘いと「中間報告」
   (1) 海上新基地建設阻止の闘いの経緯



月 日 経緯
1995年
9月4日 米兵による少女暴行事件
10月21日 沖縄県民総決起集会 。8.5万人が参加。沖縄県内の保守層まで をも含めて基地縮小、撤去を要求。
1996 年
4月12日 日米政府による普天間基地返還合意 。
12月2日 SACO合意 。日米政府による 「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」 合意。普天間返還の条件としてヘリ基地の 沖縄県内移設が盛り込まれた。


辺野古の美しい海
1997年 1月7日 辺野古住民が基地建設阻止のため、 「命を守る会」結成。
12月21日 名護市民投票。基地受入れ反対が過半数 で勝利。
12月24日 比嘉市長が基地受入れ表明を行い、 同時に市長辞任を表明。
1998年 2月8日 名護市長選挙 。岸本(基地受入れ賛成派) が当選。
11月15日 沖縄県知事選 。稲嶺(基地受入れ賛成派) が当選。
1999年 12月28日 普天間移設先として辺野古沖を閣議決定 。
2003年 4月8日 基地建設予定地の海底地形調査 。
2004年 4月19日 辺野古漁港前で基地建設反対の座り込み開始 。
9月9日 那覇防衛施設局ボーリング調査強行 。海上で の阻止行動開始
10月 リーフ内作業のため単管やぐら設置。
2005年 4月26日 防衛施設局夜間作業強行。反対派は24時間体制 で海上座り込み。
9月1日 11ヶ月設置されていた単管やぐら撤去。反対派の阻止行動により、1箇所の調査もさせなかった。
10月29日 日米安保協議委員会(2プラス2)中間報告。 日米政府が辺野古『沿岸案』で合意。
10月30日 県内移設に反対する県民大会。1万人が参加。