米軍は沖縄を既得権益とし、さらにグアム移転費用まで水増し − Wikileaksが明らかにした沖縄米軍基地をめぐる政府の実態 |
ウィキリークスから日米関係に関する米公電が暴露され、朝日新聞が訳文や分析を新聞紙上やwebサイトに掲載した。公電は、大部分が2006年1月から2010年2月末までのものといわれ、在日米軍再編ロードマップ合意から、グアム移転協定、政権交代を経て普天間基地県外移設検討などに関するものが紹介された。 私たちは、いまのところ報道された範囲でしか内容を知り得ないが、それでも日米外交のでたらめさ、国民に対する隠ぺいやウソなど、見過ごすことのできないものである。 報道は主に4点に焦点をあてている。1点目は、2006年11月に仲井真沖縄県知事が就任し、辺野古へのV字型滑走路建設に対し、沖合修正を主張したのに対し、久間防衛相や小池防衛相が50メートル沖合への修正に対し、容認し、密約まで行っていたこと。 2点目は、在日米軍再編のロードマップ合意及び自公政権末期のグアム移転協定に含まれる、数字の粉飾の事実である。一つは、移動する米海兵隊員及びその家族の人数の水増しを行い、もう一つは、不要な軍用道路の整備費約10億ドルを含めることで、日本側の負担割合を小さくみせた。さらに、政権交代を懸念した防衛省が、グアム移転協定の締結を急ぎ、米への費用支払いを確定させたこと。 3点目は、鳩山政権発足直後に、普天間移設代替案の検討を行っていたときに、米側がそれら代替案を否定する説明を執拗に行い、最後には中国脅威論まで口にしたこと。 4点目は、代替案をあきらめさせるために、米側がさまざまな圧力を加えていたこと。民主党政権内でも、「検討は形だけのもの」との発言や、社民党との連立解消の声が早くから出ていたこと。 これらの概略を、日付順に表にして、以下にまとめた。 |
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2011年5月4日以降の朝日新聞及びasahi.comでの報道を基に構成 |
自公政権(1) 2007年の自公政権当時の久間防衛相及び後任の小池防衛相とメア沖縄総領事とのやりとりに関する公電より 防衛相は仲井真知事の沖合修正に含みをもたせて、環境影響調査を進めたいと考えていたのに対し、米側は現行案に対する修正は必要ないとの立場を主張していた。その中で、小池防衛相が「09年までには政権交代があるから、何を約束しても問題ならない」として密約を結んでいたことが明らかになった。 |
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時期 | 情勢 | 公電 |
2006年5月 | ロードマップ合意 V字型滑走路 |
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2006年11月 | 仲井真知事当選 沖合修正 |
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2007年3月 | 3/12在沖縄総領事館から国務省あての「秘」公電 | 久間(章生・防衛相=当時)は、仲井真知事を環境影響評価(アセスメント)で協力するよう同意させるためには、50メートルの修正が必要だと強く論じた。私(メア在沖縄総領事=同)はその必要はないと応じ、この点でいかなる柔軟さをみせることも間違いであり、沖縄の情勢を見誤っているとした |
2007年7月 | 防衛相 久間→小池 小池は仲井真と密約 |
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2007年8月 | 小池防衛相更迭 | |
2007年11月 | 小池、メア総領事と会談 11/7 在沖縄総領事代理からの「秘」公電 |
(小池は)防衛相として、環境影響評価が終了した後なら、政府は滑走路を50メートル沖合へ移すことに同意する、との非公式な『約束』を(仲井真)知事に対して与えていた 総領事は、「現行案に対するいかなる修正にも我々は強い嫌悪の念がある」とした上で「もしアセスの結果、滑走路を動かす科学的な根拠がなかったらどうするのか」と尋ねた。 小池氏は「『09年までには違う政権ができているから、我々が彼(仲井真知事)にこれまで何を約束したかは問題にならない』と返答した」という。 公電起草者(おそらく総領事)は、末尾のコメントで記した。「現行案修正の可能性について、知事が日本の現内閣からこうした形で非公式の目配せを受け続けるとすれば我々は懸念を抱く」。そこで「今は普天間代替施設の修正可能性について、いかなる柔軟性も仲井真知事に示すべきでない、と(日本政府側に)伝え続けるべきだ」と提言した。 |
自公政権(2) 2008年12月19日 沖縄総領事代理からの「秘」公電より 2006年のロードマップ合意では、海兵隊のグアム移転に関して、要員や家族の人数、費用と負担割合が明記されている。しかしこの数字が操作されたものであったこと、及び2009年2月のグアム移転協定を締結する際に、米側が実態に近づけるよう修正しようとして、日本側が断っていたことが明らかになった。 |
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2006年5月 | ロードマップ合意 | 日米両政府による政治的な配慮から、沖縄海兵隊の要員や家族の人数や、グアム移転の財政面での全体像について、実態と違う装いを施す文言を含んでいた。 |
軍用道路整備費について | 全体の費用見積もりを増やし、日本側の負担割合を(数値上)減らすために盛り込まれた。 ロードマップ作成時の交渉では、日本側の負担割合が大きな焦点となり、米側が当初、75%を要求。最終的に59%で決着した。しかし、この軍用道路整備費をのぞくと、日本側負担は約66%に跳ね上がることになる。 |
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沖縄からグアムに移転する海兵隊8千人、その家族9千人という人数について、 | 予算措置上の上限定員に基づいた数字とし、ロードマップ交渉時には「(日米)双方ともに、この数字が(実態と)かけ離れていることを認識していた」と言明。「日本国内での政治的な効果を最大限引き出すために、意図的に大きく見積もられた」 | |
2008年12月 | 「グアム移転協定」暫定合意 | 第1に、米国は、この前文において、沖縄からグアムへ移転する8000人の海兵隊員の「約9000人の家族」という表現について「関連する家族」という表現を導入するよう要求した。 第2は、約10億ドルをかけたグアムでの軍用道路への言及を削除してほしいという米側の要求である。この軍用道路は、2006年4月にコスト共有のための交渉の過程で、総体のコスト見積もり(つまり分母)を増やし、それによって日本側が負担するコストの比率を減らすために含まれることになった。 日本側は二つのポイントを認識したが、既存で公になっている表現と異なる、いかなる語句についても、そうした変化が国会での詮索を招きかねず、移転協定の主要な課題を妨げることになるとの懸念から、強く反対した。 米側は既存のロードマップの文言を変えないという日本側の要求を受け入れた。 |
政権交代によるリスクを回避するための協定締結の計画 | 日本政府は、早期の総選挙によるリスクを最小限にするため協定の国会承認を迅速に進めるための計画を示した。日本側については国会承認を必要とする条約に準じる協定を結び、日本政府にグアムへの複数年度の資金拠出を義務づけ、第3海兵遠征軍の在沖部隊を移動させる前提条件として普天間代替施設を完成させるよう決めたことで、沖縄の地方政治や、東京での中央政府の政権交代によって2006年5月1日にできた再編合意が崩壊するリスクは相当減少した。 | |
2009年2月 | グアム移転協定 署名 | |
新政権警戒 2009年7月~10月は、総選挙による民主党政権誕生前後の時期。自公前政権の外交政策見直しを表明する民主党新政権に対して、米が不信感を募らせていたことが当時の公電から読み取られる。 |
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2009年8月 | 8/7 総選挙前 | 外交、安保政策の専門家の中には、一般的に米国と日米同盟に好意的な立場を示す有力者が多い |
2009年7月 | 7/17 キャンベル国務次官補と岡田外相の会談 | (岡田克也外相)「ひとたび政権につけば、米政権との対話を経た上でのみ取り組む」 |
2009年9月 | 9/4 総選挙後 松野衆院議員が米大使館を訪問 9月下旬 鳩山首相、NYにて胡錦濤中国国家主席と会談 |
(松野頼久衆院議員)「鳩山は日本にとっての米国の重要性をよく認識している。例えば、最近中国は訪米前の訪中を提案してきたが、鳩山は拒否した。鳩山は『最初に会う外国の指導者はオバマ大統領でなければならない』と話した」 *実際は中国が先になった |
2009年10月 | 10/7 東アジア共同体構想 |
現実的ではないとのメディアの批判対象となっているにもかかわらず、鳩山はこの考えを周辺諸国の首脳らに投げ続けている |
2009年10月 | 10/中旬 鳩山「これまで日本は米国に依存し過ぎていた」 |
(キャンベル国務次官補)日本側に「もし米国政府が公に、日本より中国との関係を重視したいと表明したら、日本がどう思うか、想像してほしい」と強い調子で迫った。「そうした発言は日米関係に修復しがたい危機をもたらす」と加えた。 |
(キャンベル国務次官補)「民主政権が同盟の合意事項を多岐にわたり見直し続けるならば、米国の忍耐も限界に近づく」と前原国交相に警告 | ||
鳩山政権(1) 中国脅威論 2009年10月の米公電からは、鳩山政権発足直後の日本政府に対し、米側が普天間代替施設の現行案推進の立場から説明を繰り返していたことが明らかになった。代替施設の日本側提案を否定するための理由のほか、公にできない中国脅威論にも言及していた。 |
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2009年10月 | 鳩山政権発足直後 | |
10/5 グリーン在沖縄総領事からの「秘」公電 嘉手納統合案の否定 |
(岡田外相は、)普天間飛行場を嘉手納空軍基地に統合する案を米国が(現行案の)代わりに受け入れ、その一方で沖縄からの海兵隊員8千人のグアムへの移転は引き続き実行に移すものと自信を持っている 彼ら(民主党政権)は、嘉手納(統合案)について我々がどの程度柔軟で、普天間問題の解決をほかの再編のパッケージと切り離す意思があるかどうかに注目する可能性が高い。(中略)この二つを明確に関連づける姿勢を維持すれば、民主党政権が現行案に変更を加えようとする際の政治的な障壁を、かなり増やせる。 |
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10/15 国務省、国防総省合同訪日団からの「極秘」公電 グアム完全移転論の否定 |
海兵隊出身の在日米軍のトゥーラン副司令官(当時) 「グアム案では、時間と距離や、そのほかの作戦遂行上の課題が生じる」。具体例として、その前々週にインドネシア・スマトラ島で起きた地震の救援作戦を挙げた。「グアムにある海兵隊のヘリだったら現地に直接向かうことはできなかったし、船に積むと4日を要する。一方、沖縄の海兵隊は自己完結した形で被災地入りができた」 |
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伊江島、下地島案の否定 | (トゥーラン副司令官)「日本の自衛隊が(有事に)どの滑走路を必要とするか、特に中国の軍事力増強を背景として日本政府が評価を下している最中であり、その作業を日本側が終えるまで、どの施設が使用可能なのかを米側が判断することは難しい」。(軍民共用施設として有事に自衛隊が使用する可能性がある下地島などを米軍が独占使用できない可能性を踏まえた指摘) ケビン・メア国務省日本部長(当時) 「伊江島や下地島は滑走路だけでは十分でなく、米軍が使用可能と言えるには、給油など支援施設が完全に整っている必要がある」 |
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中国の脅威 | (キャンベル国務次官補) 「中国の軍事力の劇的な増大により、何か事が起きた場合、少なくとも三つの滑走路が利用できることが必要になってくる」。「1990年代には、沖縄の那覇、嘉手納の二つの滑走路を使うだけで、韓国や中国で予測できない事態が起こった際に備えた計画を実行に移すことができた。日米特別行動委員会(SACO)の合意が決まった1995年から2009年までの最も重要な変化は、中国の軍事力の強化だ」 「こうした要素(中国の軍事力)は、今やこの地域に関する米国の軍事的分析を左右する要因なのだが、公に話し合うことはできない」 |
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鳩山政権(2) 県外案 2009年末から10年初めにかけ、当時の鳩山政権幹部は、県外移設を含む代替案を模索していたが、米国が受け入れない限り、現行案で進めると米国側へひそかに伝えていたことが明らかになった。形だけの県外移設の検討や、社民党との連立解消も辞さない姿勢だった。 |
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2009年11月 | 日米閣僚級作業部会設置 | |
2009年12月 | 社民党「重大な決意」 | 12/10 大使館発 「極秘」公電 民主党の5閣僚――鳩山由紀夫首相、平野博文官房長官、岡田克也外相(いずれも当時)、北沢俊美防衛相と前原氏――は12月8日夕に会談し、普天間代替施設で前進を得られなかったのは連立相手の社民党のせいだと一致した。 (前原氏)「もし、現行案以外のあらゆる代替案に米国が賛成しなければ、民主党は現行の再編計画を進め、必要ならばゴールデンウイーク後に連立を解消する用意がある」。 |
(ルース駐日大使)「米国側は鳩山氏が米大統領に「トラスト・ミー」と言った際の問題に加えて、自ら議会の問題も抱えている」 今年合意する方法が何かないか尋ねられ、前原氏は、「社民党が今年前へ進めることには合意しないであろうと100%確信している」 |
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12/9 大使館発「秘」公電 (山岡国会対策委員長) 連立維持の必要から「米国が圧力をかけ続ければ状況は悪化する」と説き、年内決着を断念し先送りする「決定がすでになされている」と米側に伝えた。 |
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2009年12月 | 12/17 鳩山首相、クリントン国務長官とコペンハーゲンにて会談 (鳩山首相)「(現行案を)強行すると大変危険だ。新たな選択を考えて努力を始めている」 |
12/30 「極秘」公電 12月21日に開かれた、大使と藪中三十二外務事務次官との昼食会 (藪中氏)「政府による見直し作業で辺野古移設に代わる実現可能な案が見つからなければ、06年の再編合意(現行案)に立ち返る、と鳩山氏は確認した」 |
2010年1月 | 県外移設の公約はほごにせざるを得ないと判断しつつ、なお現行案以外の選択肢として「シュワブ陸上案」など落としどころを探る |
1/26 「秘」公電 (松野頼久官房副長官) 「鳩山首相と、沖縄問題での(日米閣僚級)作業部会は、『形の上だけは』沖縄県内以外の選択肢を検討しなければならないが、唯一現実的な選択肢は、普天間をキャンプ・シュワブかほかの『既存施設』に移すことだ」 (松野氏)「シュワブ沿岸の埋め立て案(現行案)は『死んだ』」 |
核密約公開 2010年3月に、1960年安保条約改定時の日米の「核密約」が一部公開された。この動きに対し米政府は、「米国の航空機と艦船が、核兵器の搭載を肯定も否定もせずに立ち寄ることができること」が必要と、強い懸念が繰り返し伝えられていたことが明らかになった。 |
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2009年 月 | 1960年安保改定時の日米の「核密約」について、民主党政権が調査 | |
2009年11月 | ズムワルト主席公使と梅本和義外務省北米局長が密約問題の扱いを協議 | 11/27 公電 (ズムワルト公使)「艦艇の核搭載をあいまいにしておくことは抑止戦略の重要な要素だ。ルース大使は調査の行方を懸念している。これは単なる国内問題ではなく、より広い地球規模の文脈で米戦略に影響が出る可能性がある」 (梅本北米局長)「やっかいな問題であり、たぶん普天間より難しい。(鳩山)現政権は『密約』調査がもたらす結果を理解していない」 |
2010年2月 | キャンベル国務次官補と梅本北米局長の協議 | 2/4 公電 (キャンベル国務次官補)「米国の航空機と艦船が、核兵器の搭載を肯定も否定もせずに立ち寄ることができること」が必要だと求めた。 |
2010年3月 | 「核密約」調査報告 |