フィールドワーク報告

 ハルピン
「中国東北部・平和と交流の旅」に参加して(その6)


 
 「その1」 「その2」 「その3」 「その4」 「その5」 に引き続き「中国東北部・平和と交流の旅」をレポートする。

  帝政ロシアが中国侵略の拠点として建設した街がハルピンである。革命後も亡命してきたロシア人やユダヤ人が多く住みロシア正教やユダヤ教の教会も建てられていたが、多くは文化大革命のときに破壊されたそうだ。残された聖ソフィア寺院はライトアップされて今もみごとな姿を残していた。

 ハルピンは松花江のほとりにある。この川はアムール川(黒竜江)と合流しオホーツク海へ注いでいる。ロシアはウラジオストクから川を遡って資材を運び、この街を築いたそうだ。冬は4mの氷が張り車も渡れるという。遊覧船がたくさん浮かぶ川が凍るという寒さはどんなものだろうか。想像がつかない。


松花江の岸辺

松花江

  満州国の警察署だった建物が東北烈士紀念館となり、抗日の勇士を讃える場となっている。監獄や処刑の様子なども展示されていた。過酷な弾圧のなかで戦った英雄たちは皆りりしく、ちょっとかっこよすぎる気がした。エスペランチィストで日中戦争中に反戦運動を行った長谷川テルのコーナーもあった。

 今年はハルピン駅で伊藤博文が安重根に撃たれて100年になる。安重根紀念館はビルの中にあり、朝鮮民族発展資料館といっしょだった。ここにも事件現場のジオラマがあった。安重根は単なるテロリストではなく、抗日義勇軍を何度も立ち上げた朝鮮民族の英雄だった。日本との認識の違いを改めて感じた。隣の吉林省には朝鮮族の自治州もあり、少数民族の朝鮮族の文化を守っていることが感じられた。



安重根像

 駅前の雑踏は朝から凄まじかった。大きな荷物を持った人も瀋陽よりずっと多い。鉄道はシベリアへとつながっていて、ロシア人の観光客も多くこの先の世界の広がりを感じた。

 
ハルピン駅前の雑踏

 駅の中はさらに混雑していて改札前のホールでは立つのがやっと状況だった。

 暑さと疲れでうんざりしていた時、「64年前、みんな何時間も何日もここで列車を待ってたんだよね」という言葉にハッとした。満蒙開拓団等の避難民の悲劇も戦争によって引き起こされた。



 中国で日本が行った行為はおぞましい。上官の命令=天皇の命令と教えられ、逆らうことなどありえなかった兵士たちは人間としての感情をなくしていた。だが、戦場でロボットとなるのは日本軍だけではない。パレスチナやイラク・アフガンでも今も繰り返されていることだ。

 だからこそ、戦争とはどんなものなのかをきちんと伝え、一人ひとりの心の中に平和の砦を築かなければならない。道は遠いが、気づいた人々は着実に増えている。その思いを強くした今回の旅だった。
 
「中国東北部の旅」レポートは今回で終了します。毎回お付き合いありがとうございました。
この旅行を企画していただいた「沖縄平和ネットワーク首都圏の会」に心から感謝します。

Y.A