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深夜まで続く集会の熱気 韓国の反戦平和運動との交流・連帯の報告 言葉の壁を乗り越えてより深い交流を |
03.08.13〜17 |
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深夜まで盛り上がる「平和と統一のための8.15民族大会(平壌)支持統一連帯決意集会」 8.16 A.M1:00 慶熙(キョンヒ)大学にて |
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★韓国でも「一坪反戦」や「爆音訴訟」が−−日韓交流で運動も学びあう 韓国へ行くのは今回がはじめてでした。それでなくてもめったに海外旅行などしないものですから、準備を含めてやや緊張しました。しかし結果としては、今回のツアーは非常によく準備されていて、初めて行く者にとっても問題なく各地を回ることができましたし、非常によかったと思っています。計画・準備をされた方々には大変感謝します。 私はこれまでにも、「ピース・ニュース」の学習会やフィールドワークなどを通じて、過去の日本の植民地支配やその下での朝鮮人強制連行、強制労働などの歴史について学んだことがあります。しかし、現在の韓国での反米・反基地運動や南北統一を目指す運動については、具体的なことはほとんど理解できていませんでした。今回のツアーでは特に駐韓米軍基地とその被害に対する闘いが主要なテーマの一つでもあり、私自身としても関心を持って参加することができました。 |
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実際に見たり、聞いたりしたことの印象は強烈で、やはりツアーに参加して得たものは多かったと感じています。なかでも私が一番印象に残ったのは、平澤(ピョンテ)市の烏山(オサン)基地拡張に反対しているキム・ヨンハン氏をはじめとする皆さんの運動です。 「一坪反戦」や「爆音訴訟」など、日本の反基地運動と同じことが行われようとしているのには驚きましたが、これも実は日本の運動との交流が行われているからということがわかりました。厚木基地に行ったことがあるという発言を何人かの方から聞きました。 現在、駐韓米軍では南北境界線に近い基地を後方へ移動させる計画が進められています。オサン基地はそれらの基地が集約されるため、面積も人員も大幅に増加することになるそうです。米兵が増えることで事件・事故の増加が予想され、基地の地元への経済効果はほとんどないか、むしろマイナスのようです。また、移転費用も韓国側の負担になるそうです。 |
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CAMP HOWZE |
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ツアー全体の感想としては、とにかく記録だけは残そうとの思いで写真をとったりメモを取ったりと、けっこう忙しく、あっという間に5日間が過ぎ去ったように感じられます。それにしても通訳や街の案内をしてくれたKさんの活躍には大変感謝しています。韓国語がまったくわからない者にとっては、通訳なしではほとんど何もできなかったのではと思います。まして交流ということですと言葉の問題は重要です。 |
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「龍山(ヨンサン)を愛する市民の会」や「駐韓米軍犯罪根絶運動本部」からは、たくさんの資料をいただいたのですが、当然ながらハングルで書かれているためまったく読むことができません。やはり外国の運動と交流するには言葉の壁を何とかしなければ、ということもよくわかりました。 最後に、今回のツアーに参加された皆さんとは今後とも協力関係を保つことができれば幸いです。 |
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(M) | |
日本から韓国へと、韓国から日本へ寄せ書きの交換をしています。 |
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★夜を徹して行われた |
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そのような訳で、私は事実上、韓国の光復節(8月15日:日本の植民地支配から開放された日)58周年を、朝鮮半島の平和と自主統一を願い闘う人々とともに祝い、闘いの拳をあげる、そのために行ったということになります。このような体験は、そう簡単に出来るものでは有りません。この日を、自分の目で見、肌で感じることが出来たことは、大変意義あるものとなったと思います。日本では、なかなかお目にかかれないと思います。 |
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刑務所内に残された絞首刑台 被告席のすぐ後ろにあった |
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しかし、長い1日となりました。朝は、西大門刑務所跡地を見学しました。日本が朝鮮半島を支配していた時代に、抵抗する人々をいかに拷問し殺していたかを資料や模型をつかっての説明していました。また、実際に残っている牢獄、即決裁判所とそれと隣り合わせの処刑所、遺体を密かに葬り去るための秘密トンネル(これは復元)などを見ました。「他民族を抑圧する民族は自由では有り得ない」まさに醜い日本の姿を痛烈に見せつけられたという場面でした。光復節ということで、入場料は無料でした。 |
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秘密裏に死刑を執行し密かに遺体を捨てたトンネル跡 |
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次に、午前中は、在韓米軍犯罪根絶運動本部のKOさんにソウル龍山米軍基地を案内していただき運動の簡単な現状を紹介して頂いた。地図には画かれていないのだが、ソウル都心部に非常に大きな米軍基地が有る事を皆さんご存知でしょうか?元は、旧日本軍が基地としたのが始まりということで、そのことを知らなかった私はとても恥ずかしい思いを感じていました。米軍による女性殺害事件や毒物垂れ流し事件など、現在もなお韓国の人々を苦しめているのが実情です。平沢への移転の計画があるそうですが、KOさんは「移転にも、移転に伴い米軍が要求している移転費用の負担にも反対する」と言っていました。 |
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反戦平和8・15統一大行進 |
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午後は、4時から、「反戦平和8・15統一大行進」という集会とデモ行進に参加しました。夜の8時までは集会で、それから9時くらいまでデモだというので正直いって、暑い中だったので体力がもつか、集中力がもつか不安でした。 しかし、不思議と全く疲れを感じることなく、集会の雰囲気と一体となることが出来て、時間もあっという間に過ぎてしまいました。歌あり、芝居あり、演説あり、コールありで、非常にリズミカルに飽きさせずに、集会は進行しました。(集会の実行委員は相当準備が大変だと思います。)「No War」と書いたうちわのようなものが皆に配られ、私もそれをコールや歌にあわせてずーと振り回していました。韓国語が全く出来ないので内容がわからなかったのですが、それでも溶け込めました。 ソウルの集会は、大通りの大きな交差点でやるんですね。この日は、市庁舎前を「右翼」の集会に抑えられてしまったので、衝突を避けるため、「鍾路(チョンロ)1街」という交差点で集会をやっていました。片側5車線位のとても大きな交差点で、その中に大量の人々が腰を下ろして集会に参加するというやり方です。詰めても詰めても人があふれるので、十字路の各道の方向に人の群れが膨らんでいくのがわかりました。完全に街を占拠した格好で、なんとなく胸がゾクゾクしました。(新聞発表では1万人ですが本当にそんなに少なかったかな?2万以上という気がしていたのですが??) 8時近くになると、キャンドルデモ用の蝋燭が配られました。風が強くてすぐに炎が消えて困りました。デモは大通りを完全に占拠する形で進みましたが、米大使館近くにさしかかると、警察により道が封鎖されていて、立ち往生。しばらくもみ合いましたが、警察は一歩も前へ進ませませんでした。この時点で9時半くらいだったでしょうか。 |
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道いっぱいに広がって進んだデモ隊 奥に道を封鎖する警察 |
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この日はこれで、終わりません。そのあと人々は、慶熙(キョンヒ)大学に集結し、集会は継続します。私は、食事をとって、あとから慶熙大学に到着しました。翌朝1時を過ぎてもそこで継続していた集会は、「平和と統一のための8.15民族大会(平壌)支持統一連帯決意集会」でした。集会の最後には、平壌で発せられた宣言文のようなものが報告され、皆総立ちで確認しあっていました。ここにも1万人近い人が結集していましたからものすごいどよめきが学内にこだましていました。 私は、そのあと昼間に交流した「龍山市民の会」の方々が出店を出しているということなので、少しお酒を飲みながら、朝の4時過ぎまで交流をさせていただきました。(Yさん韓国語の出来ない私を連れて、朝までありがとうございました。) |
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労働者団体が主催の集会が続く(PM3:00頃) |
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まだ韓国に行っていない皆さん、韓国に行きたくなったでしょう。 |
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(S) |