[フィールドワーク報告] | |
何故、原爆は広島に落とされたのか? 「戦跡をたどるフィールドワーク」その1 広島平和教育研究所 フィールドワーク |
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原爆慰霊碑から原爆ドームを望む |
講師の江種祐司氏(被爆教職員の会) |
2010年8月4日、広島平和教育研究所主催の「戦跡をたどるフィールドワーク」が行われました。「岩国・祝島・広島ツアー」(福島老朽原発を考える会、空と海の放射能汚染を心配する会、ピース・ニュース共催)の一環として、このフィールドワークに参加しました。 このフィールドワークの講師は「被爆教職員の会」の江種祐司さんです。江種さんは17歳の時に学徒動員で働いていて広島で被爆されました。江種さんは被爆の後遺症に苦しみながら、また83歳というご高齢にも関わらず、酷暑の中で精力的に説明をされました。 ・・・ 何故、広島に原爆が落とされることになったのか。 これは決して偶然ではありません。広島は1894年(明治27年)日清戦争を始めとして日本が朝鮮、中国に侵略を進めるための一大軍事拠点であったのです。広島と言うと原爆被害の面だけに注目しがちですが、このフィールドワークは軍都広島の実態をつぶさに見ながら原爆へと繋がってゆく広島の歴史をしっかりと学べる素晴らしいものでした。 フィールドワークの内容を3回にわたり連載します。 |
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文責:ピースニュース | |
歩兵第11連隊跡 − 日清戦争に始まる朝鮮・中国・東南アジア侵略の拠点 広島駅の西方向、広島城の近くに歩兵第11連隊跡があります。1871年(明治4年)広島城内に鎮西鎮台という天皇の軍隊を置いて以来、広島に置かれた陸軍は年を経るごとに強化されて行きます。 1875年歩兵第11連隊が設置され、その後広島鎮台(旧鎮西鎮台)は第5師団司令部となりました。師団は独立して作戦行動にあたる権能を持っており、歩兵第11連隊はこの師団の基幹部隊となりました。 日清戦争前は6個師団1万2千人〜2万人、日中戦争(1937年、昭和12年))時には24個師団28万8千人〜48万人の歩兵部隊がいました。 |
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歩兵第11連隊跡 門柱と石碑 |
熱心に説明を聞く参加者 |
1894年日清戦争ではこの門柱から歩兵第11連隊が行進して宇品港まで行き、そこから朝鮮へ渡りました。それ以降日本は朝鮮、中国、満州へと侵略して行ったのです。この門柱から4列縦隊で出て行った兵士ですが、その後、戦死した兵士が「白木の箱」で帰って来たのも、この第11連隊の門柱であったことを考えて下さい。 1940年には日本の「生存圏」と称してインド、東南アジア、オーストラリア、南洋諸島等、広大な領域を支配下におさめようとしました。そして太平洋戦争の結果、元の領土に戻りました。その間、東南アジア、南陽諸島に送られた日本兵の60%は戦闘でなく餓死で死んだと言われています。何とおろかなことをしたのでしょうか。 広島の第5師団は最強の陸軍部隊として恐れられていました。中国では「奪いつくし」「殺しつくし」「焼き尽くす」三光作戦を最も激烈に行ったのが残念ながらこの第11連隊であったのです。そのため中国では第5師団は「東洋の鬼」と言われたそうです。この事実を歩兵第11連隊のこの門柱を通して考えてみて下さい。そして広島城を中心とした広島のもっとも大事な場所が軍事拠点であったということを考えていただきたいのです。 |
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広島大本営跡 - 明治天皇自らが朝鮮、清への侵略の戦争指導を進めた場所 広島城のすぐそばに広島大本営跡が残っています。 1894年(明治27年)6月に山陽鉄道が広島まで開通します。東京駅で兵隊が列車に乗れば広島まで一気に来ることができる時代になったのです。 |
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広島大本営跡 広島城のすぐそばにある |
そして山陽鉄道が開通してすぐの、8月1日に明治天皇は日清戦争の宣戦布告をします。8月4日からは広島市民を動員して、広島駅から宇品港までの軍用鉄道宇品線の仮設工事を行います。住民の土地をとりあげ昼夜24時間体制の工事で、なんと16日間の工事で開通させたのです。 東京から広島まで列車で兵士を運び、広島からは宇品線で宇品港まで運び、宇品港から大陸へ次々と兵士を送り込んだのです。 |
地図提供: http://www.arch-hiroshima.net 広島大本営は第5師団司令部として使われた |
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1894年9月に明治天皇は自ら広島に赴き、大本営を開この場所に開いたのです。大本営とは天皇がいて、国会議員がいて、軍隊の上層部がいて戦争を指導してゆく組織です。この大本営は日清戦争が終了する1896年までここにおかれました。 江種さんは日中戦争のころ、当時まだ残っていたこの大本営の建物の中に入り、明治天皇のやったことを学ばされたそうです。「戦争に必ず勝つ」という精神を植え付けられたのです。 ここは明治天皇自らが戦争を進めた場所なのです。 |
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その2へ続く |