[映画紹介]




蟻の兵隊
池谷 薫 監督作品
香港国際映画祭 人道に関する優秀映画賞受賞

 2001年5月、元日本兵13名が総務庁恩給局を相手に恩給の支給を求めて裁判闘争に立ち上がった。

 提訴時点で原告は最年少で77歳、ほとんどが80歳以上であった。この裁判闘争はメディアや平和運動、政党・団体などの支援もなく、ほとんど孤立無援の闘いをしていた。

 この原告団の最年少、奥村和一がドキュメント映画「蟻の兵隊」の主人公である。監督の池谷薫は、穏和な顔立ちをした奥村さんが、「山西省残留」の話になると「コンチクショーと思っています」という、その怒りっぷりに「惚れた」という。

 日本軍山西省残留問題とは、帝国主義日本が1945年ポツダム宣言を受諾し降伏した時、中国山西省に駐屯していた将兵59,000人のうちの約2600人が敗戦後3年半もの間、中国国民党軍と共に共産軍との戦闘を続け中国に残留した問題である。残留した彼らは帰国後、「自発的意思により現地除隊」したという扱いで日本軍兵士としての補償を一切受けられなかったのである。
 何故、彼らが敗戦後も中国に残り戦闘を続けなければならなかったのか。これが奥村ら原告達が「コンチクショー」と怒る最大の問題である。 

 彼らの最高司令官である北支派遣軍第1軍司令官・澄田●四郎(すみたらいしろう:●は貝へんに來)が戦犯訴追を逃れるために、国民党系軍閥の閻錫山(えんしゃくざん)と取引し、国民党軍として闘わせるために日本軍兵士を命令により残留させたというのである。

奥村和一が真実をもとめて国内と中国を調査して行く。
その1シーン1シーンが事実であるのだが驚きに満ちたドラマだ。

 奥村は何故自分たちが残留兵として闘わなければならなくなったのか、その証拠を求めて事実を追究してゆく。しかしその真実を追究する対象はそれだけにとどまらない。自分たちは中国人民に対してどのようにひどいことをしたのか。そもそもあの戦争はなんだったのか。その真実を追求する対象はついに、奥村自身が「肝試し」として中国人を銃剣で突き殺したことにもおよぶ。初年兵の肝試しのために「処刑された」中国人はどのような状況でそうなったのか。





 真実追求の旅は奥村自身が予想もしなかった、自分自身の中に暗然と残る帝国軍兵士としての自分を再確認し、再度それを反省しなければならない「苦い」真実追求の旅でもあった。

 このように人生の最後の力を全身全霊つぎ込んで真実を追究できるパワーはどこから生まれてくるのだろうか。恩給を求めての金のためではもちろんない。

 自分たちが連れて行かれ闘わされた戦争が侵略戦争であったこと。その結果自分たちがどんなにひどい鬼になって中国人を苦しめたのか。自らの保身のため、そうした兵士をだまして売り渡す司令官の悪辣さ。戦争責任を認めず過去の国家権力、旧軍上層部をまもる政府。そして判決文に署名捺印すらしない裁判官の無責任さ。あの戦争にまつわるこのような全てのことに対する「コンチクショー」という怒りこそがそのパワーの源だ、・・・と私は感じた。


写真は「蟻の兵隊」公式サイトより