本の紹介

「昭和天皇・マッカーサ会見」岩波現代文庫 豊下楢彦著


  日本の政治・外交・軍事政策が卑屈なほどにまで対米追従的で、日本が本当に独立国なのかどうか疑いたくなるほどのものであることは、反戦平和運動を闘う人々にとって共通の認識であろう。

 米軍再編計画では沖縄駐留米海兵隊のグアム移転のために、グアムの米軍基地や施設を日本の予算で建設し、普天間返還のために新基地建設までしなければならない。その総額は3兆円と言われている。日米地位協定では米兵の犯罪について捜査権が極めて制約されているし、基地返還時に米は現状復帰の義務を負わないなど極めて不平等なものである。沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故ではその不平等な地位協定すら無視して米軍が勝手に警戒線をはり、日本の警察・消防は現場検証をすることができなかった。・・・等々。

 こうした状態を深く知れば知るほど、何故、日本の戦後体制がこれほどまでに対米追随的であるのか? そのような状態に日本を押し込めている根源的な問題を掘り下げてそこに切り込む必要がある、との問題意識が浮かび上がってくる。


  豊下楢彦氏が2008年7月に出版した「昭和天皇・マッカーサ会見」はそのような疑問を解きほぐす上で大変大きなヒントを与える本である。

 本書では、戦後の講和条約締結の過程で、新憲法のもと「象徴天皇」となった昭和天皇が、東京裁判で自らの命を救ってくれたマッカーサをバイパスしてまでも、直接に米側の対日講和条約問題担当のダレスらと会見、口頭メッセージ、文書メッセージ等を通じて米軍の無条件駐留、基地提供という安保条約の決定的な枠組みについての見解を直接伝え、影響力を行使したということが明らかにされている。

 以下に、その焦点とも言うべき部分を引用する。

 ――天皇は新憲法が施行され「象徴天皇」になって以降も、事実上「二重外交」に踏み込み、吉田(吉田茂首相のこと:筆者注)に強い圧力を加えてまでも、「自発的なオファ(日本側からの基地提供の提案のこと:筆者注)」による米軍への無条件的な基地提供という方向に突き進んだのである。そこには、昭和天皇のきびしい情勢認識があったと言える。・・中略・・つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」とのクールな判断を背景に、「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていたのである。要するに昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境に立つならば、それはソ連による直接侵略か国内共産主義者による間接侵略かはともかく、「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。

とすれば、戦争放棄の新憲法のもとにあって、この未曾有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであったろう。・・中略・・つまり、日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件となったのである。

こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的オファ」に徹しなければならないのである。それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。――(引用ここまで)。


 本書では、講和条約と安全保障体制だけでなく、東京裁判と戦争責任問題や憲法成立過程において昭和天皇ヒロヒトが、自らの生命と地位、そして天皇制を死守するために極めてアグレッシブな政治的行動をとったことが豊富な資料の裏付けをもとに論証されている。
 
 もちろん日本の政治・外交・軍事政策での対米追随を、昭和天皇の「二重外交」のみに帰結させることはできない。60年安保改訂や安保再定義での変化も考慮しなければならない。しかし、少なくとも安保制定時におけるこうした事実が、政府の資料非開示の影響もあり戦後60年以上経っても歴史的事実として明らかにされていないことは大きな問題である。

 戦後の日本の政治・外交・軍事の枠組みを決定付ける過程があいまいなまま隠蔽されている状況は、結局以下のような状態を生み出しているのではないか。

@ 戦前の帝国主義的侵略主義とそれを支えた絶対主義的天皇制が、本当の意味で国民一人一人のレベルから克服されていないこと。
A 戦後今日までに至る日本の支配体制の基盤が戦前のそれと基本的には連続しており、戦前の神道主義的天皇の権威が、戦後は親米的象徴天皇制としての権威にすりかわったといえること。

 日本の政治・外交・軍事の対米追従の異常さは結局、日本が戦前の帝国主義的侵略主義と決別できておらず、その侵略主義の新たな形態なのではないだろうか。

2009.5.8 K