映画紹介

「プリチャピ」

監督・撮影 ニコラウス・ゲイハルター
1999年 オーストリア
 


 プリチャピ市はチェルノブイリ原発から4km、発電所のために建設された街だった。映画「プリチャピ」は事故から12年後、この街を含んだ原発から30km圏内の立入制限区域「ゾーン」内で生きる人たちが語る姿を追っている。




 プリチャピ市はチェルノブイリ原発から4km、発電所のために建設された街だった。映画「プリチャピ」は事故から12年後、この街を含んだ原発から30km圏内の立入制限区域「ゾーン」内で生きる人たちが語る姿を追っている。

 「ゾーン」内への出入りはきびしくチェックされ、そこで働く労働者への管理も細かい。一方その中の村で暮らす農民たちは畑を耕し川で魚をとる。「ゾーン」から持ち出さなければなんでもOKだ。自然豊かにみえるが、インフラは整備されず村は打ち捨てられていく。10年間移住を望みながら果たせぬ人もいる。住民がみな希望して住んでいるわけではなかったのだ。

 音楽もナレーションも一切ないモノクロの画面は、人びとの言葉と表情と風景でこの世界の異常さを語っている。出入り口を警備する兵士、研究所で働く技師、村の住民たち、彼らと暮らし続ける医師・・・子どもはもちろん、当時は稼働中だった3号機内を除けば若者さえ見当たらない。その3号機で働く職員は普通の服装に見える。若い兵士たちは何も知らずに汚染されていった、若い人をここで働かせないために私は働いていると語る中年の女性技師の言葉が重い。荒れ果てて雑草が茂る元スタジアムにたたずむ彼女の心に浮かぶのは、どんなおもいだろうか。カメラは立ちつくす姿をずっと追い続ける。

 映画はいやおうなく私たちに福島のことを思い出させる。常に「ゾーン」が存在しそこで暮らす人がいることを忘れまい。原発が稼働する限り、いやたとえ今すぐ廃炉と決定しても新しい「ゾーン」が生まれる危険性をゼロにすることはできない。なんというものを作り出してしまったのか。その言葉ばかりが頭のなかで繰り返された。

映画「プリチャピ」公式サイト
http://www.uplink.co.jp/pripyat/
Y.A