[映画紹介]

ONE SHOT ONE KILL
−兵士になるということ−


監督■藤本幸久 製作・著作■森の映画社 2009年 

  辺野古の座り込み現場を訪問しているとき、偶然に映画「ONE SHOT ONE KILL −兵士になること−」の初公開を見る機会に恵まれた。


 小さな辺野古地区のコミュニティーセンターの1室を借りた初公開場所は、窓に黒ビニールをガムテープで貼り付けて遮光した急ごしらえの映写場であった。50人も入れば一杯になる部屋に辺野古のオジイ・オバア、座り込みをしていた人々をはじめ、続々と地域の人々が集まり100人以上いただろうか、立ち見ができるほど盛況であった。

 「反戦」のメッセージを込めた作品とはいえ、映画の初公開をなぜあえてこのような辺鄙なところで行うのか驚いてしまう。監督自身が会場案内をし、司会をし、映写操作をする、そんな映画会での、藤本監督自身の挨拶でその「思い」が良く分かった。

――この映画は是非とも、辺野古で最初に見てもらいたかったのです。辺野古に来て基地の内外で見た米兵たちは、皆大変若く「幼い」のです。彼等がどのようにしてこの辺野古まで来たのかそれを知りたい、と思ったのがこの映画を作るきっかけです。――


映画のチラシより


 米サウスカロライナ州パリスアイランドにあるブートキャンプ(新兵訓練所)。

 深夜、甲高い号令のもとバスから降り立った20人ぐらいの男女が事務所の入り口の前に整列するところからこの映画は始まる。

 ごく普通の若者たちを12週間で、人間に銃口を向けて引き金を引くことができる(本当にできるかどうかは分からないが、少なくとも、それができる自信をつけさせる)ブート・キャンプの始まりである。

 映画は、延々と訓練の様子を映し出す。よくもここまで写させたかと、思うほどである。きっと米軍自身はここでやっていることが、普通の若者を短期間で愛国心に燃えて規律正しく、強固な肉体と高度な技術で決然として敵を殺せる、そうした兵士に育て上げる素晴らしい教育として自信を持っているのだろう。

 しかし映画に映し出されるブート・キャンプの訓練は異常な精神改造、人格の破壊そのものである。48時間眠らせずに肉体と精神を限界まで追い詰め、指導教官から絶えず耳元で怒鳴りつけられる。新兵は「Yes!Sir!」としか応えることを許されない。声が小さければ「叫べ!」と何回でも、できるまで繰り返し命じられる。

 朝起きてから夜眠りにつくまで、次から次へと画一的にやることは決められている。個人的な思考や感情を持つ余裕がないようにひたすら身体を動かし大声で叫ぶことを強要される。ベットに入ってからも「ライフル部隊の任務は、白兵戦で、銃撃と、機動力を持って敵を殲滅、撃破すること」と大声で暗唱させられる。

 映画のところどころで挿入されるインタビューで、若者たちはだんだんと変化し、やがて「敵を殺せますか?」という質問に「できると思います」と淡々と応えるようになる。


 最後のシーンはブート・キャンプの卒業セレモニーである。マーチに合わせて帽子を目深にかぶりバリッとした制服で一糸乱れず行進する姿に、両親や家族や友人は歓声を挙げる。しかしブート・キャンプの内実を見た私は、この姿勢の良さや清潔感、規律正しさは彼等若者が捨て去ることを強要された人格の「埋め合わせ」に思えてならなかった。

 映写会の最後に再び藤本監督が言った言葉は極めてインパクトが強い。今後の上映でも何らかの形で観客に伝えてもらいたいものだ。

――こうして彼等は新兵から海兵隊と呼ばれるようになります。実際にはこの後、更に実践的な訓練を経てイラクやアフガンに送られます。しかしその結果、300人に1人の兵士が死亡し、30人に1人が手足や視力、聴覚を失うなどの深刻な障害を受け、3人に1人が治療の必要な心的外傷ストレス障害となるのです。だから米国は毎年15万人の新兵を必要とし、ブート・キャンプの訓練も毎週、新たな若い男女に繰り返し行われなければならないのです。――
K.A

ONE SHOT ONE KILL は4.10(土)よりアップリンク(渋谷)にてロードショー

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