映画の紹介


スティーヴン・オカザキ監督

ヒロシマナガサキ


 映画の冒頭、東京渋谷の繁華街で
・・・「1945年の8月6日に何が起きたか知っていたら教えてください」・・・
何人もの若者へのインタビューするが知っている人はいない。
テロップでは「日本の人口の75%が1945年以降に生まれた」。
この事実にハットさせられる。

久間防衛大臣(当時)の原爆「しょうがない」発言に見られる歴史認識の著しい誤り、認識不足は論外としても、確実にヒロシマ・ナガサキの被爆体験の風化は進んでいる。

映画「ヒロシマナガサキ」を製作したスティーヴン・オカザキ氏は1952年ロサンゼルス生まれの日系三世である。オカザキの監督としての第一作目「Survivors(生存者たち)」は、「はだしのゲン」を英訳で読みそれを契機に1981年に広島を訪れ被爆者を取材したものである。以来、彼の重要なテーマの一つに広島・長崎の原爆投下がある。

14人の広島、長崎のヒバクシャ自身の語りがオムニバス風に平行しながら進められて行く。ベースはヒバクシャ達の語りであるが、その間にヒバクシャ達が描いた絵、原爆投下直後に撮影され米に没収されたフイルム(その後公開された)が効果的に使われている。
ヒバクシャ達の淡々とした語り口のなかにどんどん引き込まれ、地獄絵の世界、その中での家族や人間のつながり、生き残ったヒバクシャ達の戦後の苦難の歴史が描き出される。

原爆投下から62年。後10数年程度で確実に語り部もいなくなる。原爆・被爆体験の風化・空洞化の危機が迫っているなかでこの映画は資料としても大変に貴重だ。
峠三吉、原民喜、栗原貞子らの原爆詩集、丸木伊里・俊の「原爆の図」など、原爆の実相を想起させ追体験させる貴重な芸術作品が多くある。この映画はドキュメンタリーとして間違いなくこうした作品群の中の最良のものの一つとして加えられるであろう。

1時間39分の映画にどれほどの真実が込められているか、それはオカザキ自身の次のような言葉で想像できるのではないか。

・・『ヒロシマナガサキ』の完成までに500人以上の被爆者に会いました。私たちは、準備のための短い取材を、広島、長崎、東京、ロサンゼルス、サンフランシスコの100人の被爆者に対して行いました。また、広島を訪れた韓国の被爆者数人にも取材をしました。私たちは30人のインタビューを撮影し、最終的に、14人の証言を使いました。私は自分達の貴重な時間を割いて家に招きいれて下さり、率直な対応をして下さったすべての皆さんに感謝しています・・・。




スティーヴン オカザキ監督

岩波ホールはこちら