本の紹介
たった50数年たらずで 「あの膨大な犠牲の果てに克ち取られた 現在程度の自由を守り続ける事が出来なくなる」 ことのないように、 そして再びけもの以下の残虐行為を 繰り返すことのないようにと、 この「若き日の詩人たちの肖像」は、今、痛切に、 日本人ひとり一人に語りかけている。 |
「若き日の詩人たちの肖像」が語りかけるもの |
「若き日の詩人たちの肖像」 堀田善衛 1968年 |
これから、戦前の2・26事件から太平洋戦争にいたる時期に成長した若者たちが、当時の荒涼たる時代の中でいかに生きようとしたかを書き記した堀田善衛著「若き日の詩人たちの肖像」について考えてみたい。
私達の世界は今どのような姿を見せているのだろうか。昨年の9月11日以来アフガニスタン全土に沢山の爆弾を落として、多くの人々を殺戮した米国のアフガニスタン侵略戦争。それに協力して日本の自衛隊はインド洋に進出し、いまだ米軍に加担している。さらに中東のパレスチナではイスラエルの侵攻で多くのパレスチナ人が殺され、ガザは「青空刑務所」の状態におかれている。新しい世紀になっても、「力は正義なり、正義は力なり」の世界は変わっていない。そしてわが日本国では、ブッシュ政権と一体となって戦争準備をすすめるための法律が作られようとしている。戦争放棄を定めた日本国憲法はすでに形骸化しているのではないか。
私達は、アフガニスタンで医療活動を続ける中村哲医師の国会での証言とその反応をもう一度思い出さなければならない。日本の自衛隊派遣は有害無益のなにものでもないと言いきった中村氏の発言に対し、怒り、次に嘲笑した日本国民の「選良」たる国会議員が大勢いる事を。
戦前、天皇制帝国主義のもとで治安維持法と国家総動員体制の国家は、民衆の精神の自由を奪い、戦争反対者を留置場で殺し、若者を戦争に狩り出して死なせていった。堀田善衛は昭和43年(1969)、「そのような国家に対する怒り」を、自伝小説として作品化した。
物語は作者である堀田善衛が、18歳の「少年」として 北陸の金沢から慶応大学に入学するため、昭和11年2月26日上京し、2.26事件に遭遇する出来事から始まる。それから昭和17年に大学卒業後、19年2月、26歳で召集されるまでを、自伝小説として描いたものである。そこには、思想犯として検挙され拷問により転向した従兄がいたり、被差別部落出身の浅草レビュー劇場のダンサーや、植民地であった朝鮮の上流階級の子息が登場する。そしてマルクス主義による社会変革と文芸を結び付けようとし運動の途中で自らの命を絶った友人「短歌文芸学」、画家の夫が捕まり転向して大陸へ行ってしまう中で自身もまた検挙され性的拷問を受け身体に変調をきたすバーの女の子「マドンナ」がいる。
それから「冬の皇帝」「アリーシャ」、「ルナ」らの新宿の詩人や「汐留君」、「白柳君」、「ドクトル」、「澄江君」、「黒眼鏡の光をきらう君」などの新橋サロンの仲間。物語は、戦争へ戦争へと吹いて行く時代の風のなかにあって、自分たちだけの吹き溜まりを自らつくろうと懸命に努力し、明日を思い煩う心を、つとめて読書や作詩のなかに捻じ込んでいく若き詩人たちを描く。そこには堀田善衛独自の語り口がある。身近な友の死と自らの運命に対する絶望感のなかでユーモアと怒りと悲しみの混じった詩情が読者の心をひきつける。そして芥川龍之介の遺児である「澄江君」との会話が出てくるのである。常に観察者としての目をもって直截的な表現で本質を捉える堀田らしい会話の場面である。
澄江君は「いったいどうなるんだろうね?」という根本的な疑問をだした。
若者: 「どうなるって何が」
澄江君: 「僕ら自身さ。たとえば、ぼくは芝居の仕事がしたい。君は作家の仕事がしたい。だけどそれが戦争で、出来ない。出来ないだけでなく自分がはじめたわけでもない戦争に行かなければならない。それで、行って死ぬかもしれないわけだ。死ねば何にも出来ぬ。そういうわけだ。」
若者:「そういうわけだ」
澄江君:「この頃ぼくはよく夢を見るんだ。僕自身が死んでしまってからこの世にのこった方のぼくが死ぬ前にやりたいなあと思っていたハムレットの全幕をやっているんだ」
若者:「それは、ぼくだってそうだよ。夢の中でどんどん原稿を書いているんだ」
電車が有楽町をすぎてから、しばらく黙っていた澄江君が、また怖ろしく根本的なことを言い出した。
澄江君:「君ね、戦後ってこと、考えた事ある?」
若者:「考えてみようとすることはあるけど、邪魔になるものが多すぎて」
澄江君:「邪魔になる?」
若者:「うん・・・・・」.
若者は口を澄江君の耳へもっていって言った。
「あのな、天皇ってものがある限りは、戦争は終わらんと思うんだ・・・・・・」
澄江君はぎょっとして、若者の顔を見詰めた。若者は自分の言ったことの重大さにあ然としたのだった。
しかし、邪魔は他にもあった。
若者:「そいつはね、簡単なことなんだ。戦後とか、戦争が終わったら、って言うけど、その後とか、終ッタラという前に、もしぼくが死んでしまっていたとしたら、その死ぬことが邪魔になってぼくは、その後も終ッテカラも見られなくなるってことなんだ。」
ここには、当時の天皇制の問題があるし、死という大きな人生の壁を前にどうしようもない若者の心情が感じられ、しかもそれが少しばかりのユーモアを含んだ直截的な表現で痛いほど迫ってくるのである。
堀田善衛はこの作品を昭和43年(1969)に書いてから、後年自らの作品を振り返ってつぎのように述べている。
最後に現代の若い読者諸氏には、近代日本というものが、如何なる時期を内包していたものであるかを知ってもらうためにも、筆者はこの作品を諸氏の手に渡したいと思っている、と言う事を許して頂きたい。この戦争における厖大な犠牲の果てに克ち取られた、現在程度の自由を守り続けるためにも・・・・・・・。
この長編小説は、日本人の「国民の記憶」として伝えていくことができる優れた「戦争の文学」であり、堀田善衛は戦後派作家のなかでも、国際的な視野と世界性を持った作家として、その文学と思想は、これからますます重要になっていくに違いない。
たった50数年たらずで「あの膨大な犠牲の果てに克ち取られた現在程度の自由を守り続ける事が出来なくなる」ことのないように、そしてあの戦争を「国民の記憶」として残さず、再びけもの以下の残虐行為を繰り返すことのないようにと、この「若き日の詩人たちの肖像」は、今、痛切に、日本人ひとり一人に語りかけている。
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