人質となっていた反劣化ウラン活動の今井さんのご家族らを迎えて                

「3人を救え!」「イラクとサマワでの劣化ウラン被曝の警告」を訴える

UMRCドラコビッチ博士の緊急報告会

     4月12日(月)  午後 国会議員会館でブリーフィングと記者会見(参議院議員会館)  
 夜   緊急報告集会(文京区民センター)   


 3人の解放が揺れ動いている緊迫した状況の中で、サマワからの帰還米兵の劣化ウラン汚染を明らかにしたUMRCドラコビッチ博士の緊急報告の会が、4月12日午後には参議員会館会議室で100名近く、夜には文京区民センターで150名の参加のもとに行われました。主催はUMRCイラク・ウラン被害調査カンパキャンペーン事務局で、夜の緊急報告集会は8団体・17個人が共催・呼びかけに加わりました。

 参議院議員会館でのブリーフィングと記者会見では、劣化ウラン被害の深刻さをいろいろな世代に伝えたい思いで絵本を企画し、今回イラクへ入って拘束された今井さんのお母さんと友人を迎えて、「3人を救え!」の声と、ドラコビッチ博士の「イラクとサマワでの劣化ウラン被曝への警告」を1つに結びつける集会となりました。

 お母さんは、今井さんが劣化ウラン弾の被害の深刻さに関心を寄せ、今回イラクに初めて行って、本当にイラクの子供たちがどのような生活をしているのか、どういう子供たちなのだろうかを実際に見たくて、自分が被曝するかもしれない怖さを感じながら出発したいきさつを静かに話しました。そして「私たちもそれに反対できなかったという思いがありますので、無事に帰ってきてくれればいいなと思います」とも。
 NO DU サッポロプロジェクトの友人である本田さんは、「なんとしても生きて今井君を取り戻さなければ。これからもお母さんを支えていく」と励ましの言葉を述べました。
 また、記者の質問に答えて、お母さんは、息子なら言いたいことはたくさんあるだろうがと言いながら、劣化ウラン弾が45億年の先まで被害が及ぶということ、戦争とはまったく関係のない子供たちの体が癌や白血病の被害を受けるということに怒りを感じます、と話しました。そして「息子救出の条件は自衛隊の撤退でしたが、軍隊はいらないという思いと人命を尊重してほしいという思いは同じで、子供を取り戻すためにイラクの人々と一緒に闘って行きます」と疲れきった中にも静かに力強く語りました。

 ご家族ら退場の後、主催の事務局吉田さんは、3人の解放について、@イラクに直接働きかけて解放のために頑張っているのは家族と市民であり、そのものすごい数の声が、いま少し揺れているけれども釈放しようとしている原動力になっている、Aしかしこのことがマスコミを通じてなかなか知らされておらず、逆に自衛隊を撤退させないという毅然たる態度をとっているから向こうがひるんだのだというまったくデタラメを流していること、Bアメリカに依存して安全を確保するというのは、人質の命を一番危なくする方法であること、すなわち、アメリカ軍は歴史的にも人質のことなどまったく考えず、それを拘束している犯人を全部殺してしまうことを目的とする軍隊であること、したがってアメリカに依頼することは人質を殺してくれというに等しいこと、C拘束されているといわれるファルージャでは、ここ4〜5日で子供や女性を含めて600人ぐらいが殺され、大虐殺が行われていること、3人を救うためにはファルージャの人達を殺すような米軍の包囲を解かせなければならないこと、などを強く訴えました。

 その後、本題であったドラコビッチ博士の講演に移り、吉田さんからはじめに、ウラニウム戦争に対して科学者として不屈の闘いをやってこられたドラコビッチ博士の経歴と、今回の講演のポイントの紹介がありました。通訳はきくちゆみさんでした。

 博士はまず、「この国を一歩一歩を歩くことは1945年に起こったあの悲劇を思い起こさせます」と語って、しばらく沈黙した後、1948年の無差別兵器を禁じたジュネーブ条約が1991年の第1次湾岸戦争で破られ、続いてコソボ、ボスニア、アフガン、そして第2次湾岸戦争が起こったこと、そこで使われているウラン同位体は人類にとってもっとも危険な物質であること、そして25年間このウランの研究を続けてきたこと、しかしそれはウラニウム戦争を進める政府からの妨害と圧力の連続であったことを、一気に語りました。
 その上で「今日は科学のみを話します」「数字のみを話します」と前置きして、実際のデータにもとづく話に入りました。
 なお、博士の講演全体をよく理解するためには大変重要ですが、前回来日時の講演と重複する部分は割愛させてもらって、今回新たに提示されたデータのみを以下に簡単に報告し、講演全体については詳細な別報告に委ねたいと思います。

(1)昨年9月、10月にUMRCのチーム3人が10都市で100以上の生物学的、土地、水のサンプルを持ち帰った。
 5人のバスラに住む一般人の分析結果は、3人は劣化ウランに汚染されていた。この場合、ウランの総量についてはそれほど高いとはいえず、U238とU235の比率において明らかに汚染の確証があった。
 ナシリアの一般人では、あまり劣化ウラン汚染は発見されなかったが、ウラン236という原子炉の中でしか作られない人工の同位体に汚染されていた。

(2)UMRCチームの3人のうち2人は劣化ウランに汚染されていた。そのうちレイマンは現在重い症状にある。彼らがイラクに行ったのは、わずか1〜2週間である。

(3)持ち帰った土のサンプル、水のサンプルは、少数を除いてすべて高濃度の劣化ウランが検出された。これが意味するのは、イラク全土が劣化ウランで汚染されているということである。
 IAEA、WHO、ユニセフなど国際機関は、このような調査を何一つやっていない。

(4)サマワから帰還した米兵9人のうち4人は劣化ウランに汚染されており、7人はウラン236に汚染されていた。この事実は、4月3日から3日間、100万人の読者を持つニューヨーク・デイリー・ニュース紙に発表さ
れ、軍や政界に大きなショックを与えた。
 この9人は病気になって帰ってきたが、ワシントンの病院では尿検査されず、UMRCに駆け込んできた。症状は湾岸戦争症候群と同じような症状を訴えていた。彼らは戦闘に加わったわけではなく、戦争が終わった後に行った憲兵だった。
 サマワはオランダ軍が放射能レベルが非常に高いので街での駐屯を拒否したところ。そこに今日本の兵士が行っている。

 最後に博士は、「たった1人の人間を救うことができる人は、人類全体を救うようなものだ。たった1人の人間の命を奪うものは、すべての人類の命を奪うのと同じことである。日本の皆様が私を助けてくださる、そして注目してくださることにお礼を申し上げます。」と述べて、講演を終えました。


 夜の文京区民センターでの緊急報告集会も、「3人を救え!」と博士の講演が1つに結びつけられ、緊迫した中で行われました。博士の講演や事務局吉田さんの話は重複するので省略し、写真家豊田直己さんの話を簡単に報告します。
 豊田さんは、3人を救出するためにできることは何でもやろうと、家族の皆さんのところにつめ、懸命に連絡を取ったり、マスメディアに出たりしておられます。豊田さんは、@自衛隊の撤退以外にないこと、A政府が交渉に意思を示すこと、B家族の皆さんへ少しでも情報を流すこと、をいろんなところで言っていると話しました。
 しかし、政府は「今情報を収集している」ばかりで、全く打開しようという意志がないこと、さらには妨害している事実を指摘し、また、アメリカにお願いするということは3人を殺してもよいということと同じだ、と政府を強く批判しました。
 また、劣化ウランについては、サマワでは、昨年3月母子病院で麻疹がゼロだったのに、今年3月では2週間で200人だという事実や、ファルージャ、ラマディ、バスラ、サマワに行ったが、劣化ウランが出ないところは
ゼロであったこと、などが紹介されました。

 なお、劣化ウラン兵器禁止市民ネットワークの柳田さんからも、今井さん救出の連日の行動の報告がありました。

  「無事に帰ってくれれば」と訴えられる
      今井さんのお母さん


   (参議院議員会館での
     ブリーフィングと記者会見にて)
      サマワからの帰還米兵の
     劣化ウラン汚染分析結果を説明する
         ドラコビッチ博士


     (ブリーフィングと記者会見にて)
     サマワからの帰還米兵の
     劣化ウラン汚染を報道した
  ニューヨーク・デイリー・ニュース紙を見せる

          吉田さん

    (ブリーフィングと記者会見にて)
         3人の救出と
  イラクでの劣化ウラン汚染の深刻さを訴える
        写真家の豊田直己さん


    (文京区民センターでの緊急報告集会にて)
    講演するドラコビッチ博士と
      通訳のきくちゆみさん


      (緊急報告集会にて)
ドラコビッチ博士の講演に
熱心に聞き入る集会参加の皆さん


(緊急報告集会にて)