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奥州街道+鎌倉街道をあるく会
会報234号/1999.11 発行より


古代東海道の駅路を歩こう! 12

(海士有木〜郡本〜八幡宿)

■企 画■
古代官道・東海道/上総編(上総国府+国分寺)
■日 時■
1999.11/28(日)12時20分〜17時頃
■集 合■
内房線・五井駅/小湊鉄道ホーム(1223発上総中野行き乗車、海士有木で下車)
■コース■
五井駅…(電車)…海士有木〜山田橋[昼食]〜上総国分寺〜上総国分尼寺(復元)
〜郡 本〜阿須波神社〜飯香岡八幡宮[歩行約7KM]
■その他■
○集合には、東京発1107総武線快速→千葉乗換1159木更津行(五井1218)が便利。
京葉線利用なら、東京発1116快速または1130特急で、蘇我にて上記普通に乗換。
横浜駅1050発、羽田空港1120発の五井駅行高速バス(アクアライン経由)も利用可。
○小湊鉄道ホームへは、JRの切符でそのまま入場できます。
○昼食は、出発後にとります(13時頃)。
○雨天の場合は延期します。不明の場合は大竹までお電話下さい。
■今回主催■
大竹 亮■自宅:043-213-1621
■今後の予定■
12/18(土) 古代東海道の駅路を歩こう!13(八幡宿〜鎌取)+忘年会

■活動主旨■
○古代東海道の駅路は、時代とともにたびたび変遷していますが、初期には三浦半
島から東京湾・浦賀水道を渡って、房総半島に上陸していました。今回歩くのは、
この初期東海道のうち、房総半島の陸路を北上するコースです。

○海を渡り、丘陵を越えた前回までに続き、今回はついに上総国府+国分寺に
到達します。時あたかも世紀末ならぬ千年紀末です。1200年以上もの昔から歴
史の舞台となった道=古代東海道の駅路を一緒に歩きましょう!

▲上総国分寺と国分尼寺▲
奈良時代には国府、官道とあわせて全国に国分寺+国分尼寺が建立された。
上総国分寺はほぼ同じ場所に現存するが、当時は今より遥かに壮大な伽藍
配置であったと想定されている。上総国分尼寺(廃寺)は詳しく発掘調査
され、同じ位置に資料館とあわせて往時の姿が復元整備された。なお、上
総国府+市原郡衙もこの附近にあったとされるが、正確な位置は確定して   
いないようだ。

  

▲古代官道▲
           
奈良・平安の中央集権国家時代には、都から全国に向けて7つの『官道』が整備さ
れた。約16kmごとに駅家が置かれ、幅員6〜12mの立派な側溝付舗装道路が、ほぼ
一直線の最短距離で各地の国府を結んでいた。従来は記録文書からの類推の域を出
なかったが、近年になって各地で壮大な道路遺構が続々と発掘され、往時の実態が
判明しつつある。

  

▲古代東海道▲
都から海沿いに関東に至る行政圏で、官道名称でもある。足柄峠から関東に入り、
相模国府(平塚)、武蔵国府(府中)、下総国府(市川)等を経て、常陸国府
(石岡)が終点であるが、その先は勿来関等から奥州へ伸びていた。

▲古代東海道の変遷▲
初期東海道は、相模(平塚)から東京湾を渡って上総(市原)から常陸(石岡)
に至っていたが、武蔵国の東山道から東海道への編入(771年)、下総4駅の廃止
(805年)、鹿島道の廃止(815年)を経て、延喜式(927年)に示す《相模−武蔵−
下総−常陸》の陸路による最短経路が成立したと考えられる。

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