−−−−−−−

奥州街道+鎌倉街道をあるく会
会報233号/1999.10 発行より


古代東海道の駅路を歩こう! 11

(天羽田〜立野〜海士有木)

■企 画■
古代官道・東海道/上総編(袖ヶ浦〜市原)
■日 時■
1999.10/31(日)11時30分〜17時頃
■集 合■
内房線・姉ヶ崎駅/駅前広場バス乗場(1140発馬来田・茅野行き日東バスに乗車)
■コース■
姉ヶ崎駅…(バス)…天羽田〜中高根[昼食]〜立 野〜光風台団地〜新 生〜
大坪橋〜海士有木駅[歩行約9KM]
■その他■
○集合には、東京発1008総武線快速→千葉乗換1058君津行(姉ヶ崎1121)が便利です。
特急利用なら、京葉線東京発1030さざなみ9号で、五井(1108)にて上記普通に乗換。
が便利です。特急利用なら、京葉線東京発1030さざなみ9号(木更津1123)が速達
○途中に飲食店がありませんので、各自昼食を持参して下さい(駅前でも購入可)。
○雨天の場合は延期します。不明の場合は大竹までお電話下さい。
■今回主催■
大竹 亮■自宅:043-213-1621/職場:03-5251-1906
■今後の予定■
11月 古代東海道の駅路を歩こう!12(上総国府+国分寺)
12月 古代東海道の駅路を歩こう!13(八幡宿〜鎌取)+忘年会

■活動主旨■
○古代東海道の駅路は、時代とともにたびたび変遷していますが、初期には三浦半
島から東京湾・浦賀水道を渡って、房総半島に上陸していました。今回歩くのは、
この初期東海道のうち、相模国府(平塚)と上総国府(市原)を結ぶ路線の一部で
あり、房総半島に上陸した後、陸路を北上するコースです。

○海を渡り、丘陵を越えた前回までに続き、上総方面の古代官道・東海道を推定
・探索します。地元で『鎌倉街道』と呼ばれる一本道を養老川まで歩けば、上総
国府・国分寺はもうすぐそこです。時あたかも世紀末ならぬ千年紀末ですので、
1200年以上もの昔から歴史の舞台となった道=古代東海道の駅路を一緒に歩きま
しょう!

▲古代官道▲
           
奈良・平安の中央集権国家時代には、都から全国に向けて7つの『官道』が整備さ
れた。約16kmごとに駅家が置かれ、幅員6〜12mの立派な側溝付舗装道路が、ほぼ
一直線の最短距離で各地の国府を結んでいた。従来は記録文書からの類推の域を出
なかったが、近年になって各地で壮大な道路遺構が続々と発掘され、往時の実態が
判明しつつある。

  

▲古代東海道▲
都から海沿いに関東に至る行政圏で、官道名称でもある。足柄峠から関東に入り、
相模国府(平塚)、武蔵国府(府中)、下総国府(市川)等を経て、常陸国府
(石岡)が終点であるが、その先は勿来関等から奥州へ伸びていた。

▲古代東海道の変遷▲
初期東海道は、相模(平塚)から東京湾を渡って上総(市原)から常陸(石岡)
に至っていたが、武蔵国の東山道から東海道への編入(771年)、下総4駅の廃止
(805年)、鹿島道の廃止(815年)を経て、延喜式(927年)に示す《相模−武蔵−
下総−常陸》の陸路による最短経路が成立したと考えられる。

▲鎌倉街道と東海道▲
今回のコースのうち、天羽田から東に向かう尾根道は、地元で「鎌倉街道」
と呼ばれている。古代の東海道が中世に至り、木更津湊から金沢六浦へ渡海
した鎌倉道の一部として継承されたのであろう。

「あるく会」メニューに戻る

問い合わせ

onochan@jca.ax.apc.org

●“onochanのページ”に戻る