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奥州街道+鎌倉街道をあるく会
会報232号/1999.9 発行より


古代東海道の駅路を歩こう! 10

(清川〜飯富〜天羽田)

■企 画■
古代官道・東海道/上総編(木更津〜袖ヶ浦)
■日 時■
1999.10/3(日)10時30分〜17時頃
■集 合■
川崎駅東口広場/木更津行バス乗場(1040発高速バスに乗車)
■コース■
川崎駅…(東京湾アクアライン)…木更津駅…(久留里線)…上総清川駅
〜万年橋〜大寺〜有吉[昼食]〜飯富(飽富神社)〜袖ヶ浦公園(郷土資料館)
〜大曽根〜のぞみ野〜天羽田 [歩行約9KM]
■その他■
○木更津から参加の場合は、東京1008総武線快速→千葉乗換1058君津行(木更津1138)
が便利です。特急利用なら、京葉線東京発1030さざなみ9号(木更津1123)が速達
○久留里線は木更津発1151に乗り、上総清川(1159)で下車します。車中で合流下さい。
○雨天の場合は延期します。不明の場合は大竹までお電話下さい。
■今回主催■
大竹 亮■自宅:043-213-1621/職場:03-5251-1906
■今後の予定■
11月 古代東海道の駅路を歩こう!11(袖ヶ浦〜海士有木)
12月 古代東海道の駅路を歩こう!12(上総国府)+忘年会

▲活動主旨▲
○古代東海道の駅路は、時代とともにたびたび変遷していますが、初期には三浦半
島から東京湾・浦賀水道を渡って、房総半島に上陸していました。今回歩くのは、
この初期東海道のうち、相模国府(平塚)と上総国府(市原)を結ぶ路線の一部で
あり、房総半島に上陸した後、陸路を北上するコースです。

○海を渡った6月、丘陵を越えた7月に続き、上総方面の古代官道・東海道を推定
・探索します。今回は「古代東海道の復活」とも言われる東京湾アクアラインを通
って、海路からアプローチしましょう。時あたかも世紀末ならぬ千年紀末であり、
1200年以上もの昔から歴史の舞台となった道=古代東海道の駅路を一緒に歩こう!

▲古代官道▲
           
奈良・平安の中央集権国家時代には、都から全国に向けて7つの『官道』が整備さ
れた。約16kmごとに駅家が置かれ、幅員6〜12mの立派な側溝付舗装道路が、ほぼ
一直線の最短距離で各地の国府を結んでいた。従来は記録文書からの類推の域を出
なかったが、近年になって各地で壮大な道路遺構が続々と発掘され、往時の実態が
判明しつつある。

  

▲古代東海道▲
都から海沿いに関東に至る行政圏で、官道名称でもある。足柄峠から関東に入り、
相模国府(平塚)、武蔵国府(府中)、下総国府(市川)等を経て、常陸国府
(石岡)が終点であるが、その先は勿来関等から奥州へ伸びていた。

▲海を渡る東海道▲
初期東海道は、平塚(相模国府)から藤沢を経て、三浦半島西側を鎌倉、逗子と
南下し、葉山から半島を横断して大津・馬堀の海岸を経て、走水に至っていた。
走水から対岸の富津岬までは、最短距離でわずか6kmに過ぎない。ここから海路
で大貫海岸に渡り、北上して君津・木更津を経て市原(上総国府)に向かった。
まさに、街道でなく「海道」である。

▲古代東海道の変遷▲
初期東海道は、相模(平塚)から東京湾を渡って上総(市原)から常陸(石岡)
に至っていたが、武蔵国の東山道から東海道への編入(771年)、下総4駅の廃止
(805年)、鹿島道の廃止(815年)を経て、延喜式(927年)に示す《相模−武蔵−
下総−常陸》の陸路による最短経路が成立したと考えられる。

▲東京湾アクアライン▲
1997年12月に開通した海を渡る高速道路。長年の夢が実現し、対岸まで20分。
途中「海ほたる」「風の塔」などの名所も。千葉県当局は、行き止まりだった
房総半島を主要交通路に組み込んだこの道を“古代東海道の復活”とまで言い
切る。
http://www.aqua-line.com/

▲飽富神社と藤瀦駅▲
延喜式内社の飽富神社は、古くは飫冨(おう)神社と称した。南から来ると小
櫃川低地から台地に上った所にあり、古代東海道・藤瀦駅の推定地とされる
[島義信/旧街道通信3号 p.9]。近くには袖ヶ浦公園や園内に郷土資料館が
ある。

▲鎌倉街道と東海道▲
今回のコースのうち、飽富神社(袖ヶ浦公園)から東に向かう尾根道は、地元
で「鎌倉街道」と呼ばれている。古代の東海道が中世に至り、木更津湊から金
沢六浦へ渡海した鎌倉道の一部として継承されたのであろう。

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