(奥州街道+鎌倉街道をあるく会)

−−−−−−−


古代東海道の駅路を歩こう!7【アゲイン】
<(海老名)→浜田駅→用田→一之宮(寒川)→相模国府(四之宮)>

前回活動は、降雨のため途中で中止となりました。 今回は、その続きとして、
古東海道・神奈川編を実施します。前々回、壮大な相模国分寺跡へ辿り着きま
したが、今回はさらに古代東海道を南下し、相模国府の推定地として有力な
平塚四之宮を目指します。早春の休日を街道歩きで過ごしてみませんか?
■企 画■
古代官道・東海道 7−2(浜田駅〜相模国府)
■日 時■
1999年4月25日(日)12:00出発(12:08発 杉久保住宅ゆきバスに乗車予定)
■集 合■
小田急線海老名駅 改札付近
      (新宿より45分 新宿発11:11急行 前6両が便利です)
      (相鉄線の場合 横浜より急行30分)
■コース■
海老名→浜田駅→吉岡→用田→一之宮(寒川神社)→四之宮
      (歩行約10KM)(途中一部区間でバス利用予定)
      昼食は出発後、途中でとります。
■当日定点■当日利用予定の移動電話
■その他■
■雨の場合は中止します。
■今回主催■
片桐拓朗
■今後の予定■
以降は次回決定

▲【古東海道/武蔵〜相模について】▲
              
奈良・平安時代には、都から全国に向けて官道が整備され、約16KMごとに駅家が置か
れ、ほぼ一直線の最短経路で国府の間を結んでいた。このうち、古代東海道は、都から
海沿いに関東に至る道であり、その中期後期には足柄峠を越えて相模国に入り、武蔵、
下総を経て常陸国府(石岡)へのびていた。
この時代、相模国においては、2回ほど国府の移転が行われたとの説が有力であり、   
相模国府は中期には平塚市四之宮付近(箕輪駅?)、後期には大磯町国府本郷付近であ
ったとされる。古代東海道のルートは、初期には相模→走水→上総→下総→常陸であっ        
たが、その後の変遷により、武蔵国を通るルートが形成された。今回は、後期延喜式の 
コースとされる、相模国府−−浜田−−店屋駅−−小高駅−−丸子−−大井
について、東側より踏破中である。
なお、今回の目的地である「相模国府(平塚四之宮)」は、この時代に国府があった
とされる候補地の中では、現在もっとも有力な場所である。

▲【今回のコースについて】▲
●浜田駅 海老名市大谷字浜田地区は、古代東海道の「浜田駅」の推定地である。なお、
浜田歴史公園の中にある案内図には、「古東海道」の文字が見られる。

●用田村 用田辻は、中原街道との合流点である。初期の官道は中原街道であったこと
から、ここから北に分かれる古道が、後の古東海道になったと推定する。

●寒川神社 相模川の東800mのやや小高い台地上の上に位置し、南へ約1kmの参道がつ
づく。祭神は寒川比古命・寒川比女命の二神。「延喜式」神名帳の中に寒川神社名神大」
とあり、相模国唯一の名神大社で相模国一宮。建立は765年とも727年ともいわれてい
る。現在も広大な境内をもつ。

●一之宮村 現在の寒川町一之宮。江戸時代には、中原道と大山道の人馬継立場となっ
ており、また、相模川には田村渡があるなど交通の要衝であった。

●四之宮(相模国府推定地) 相模国の四宮である前鳥神社は、「延喜式」神名帳にも
現れる。さらに少し西南の地区には、四之宮下郷遺跡群が発掘されており、相模国府に
関連する官衙跡が存在するらしいとされている。

「あるく会」メニューに戻る

問い合わせ

onochan@jca.ax.apc.org

●“onochanのページ”に戻る