プロフィール2015
奥山たえこのプロフィール
職業 杉並区議会議員(現在3期目) ▲1
生まれ
• 1957年生。2015年現在57歳。温泉で有名な、九州大分県別府市生まれ。
• 実家は八百屋で看板娘(「奥山商店」。継ぐ人がいなくて現在開店休業中)。小学校から放課後は店に立つ。物おじしない性格はこれで養った?
• 結婚歴なし・子どもなし。高円寺の風呂なし木賃アパートに34年間住んでいる。
高校
• 大分県立別府青山高校10期生。当時は女子校(今は共学。2005年夏甲子園に出場したのには驚いた)。
• 活動は水泳部と生徒会・会長。
• 冬のダスターコートが、指定のものしか認めないお仕着せであることを拒否して、真冬もコートなしで通う。そう言えば、小学校家庭科の裁縫箱も推奨セットだったが、そのまま乗っかることがいやで、針山からすべて自分で揃えた。
大学
・ 一浪(予備校には行かずに、宅浪)して、東京都立大学(現「首都大学東京」)法学部法律学科入学。ボート部で、オールを握る(シングルスカル=一人乗り)。
• 大学卒業翌月の1981年4月、(当時)大学のあった目黒から、杉並区高円寺(梅里→高円寺南)に引越してきた。
職歴ほか
• 1981年4月金融会社に新卒入社(借金の法的回収方法、総務/経理実務を学ぶ)。2年半で退職後、原宿でハンコ屋を起業したり近所のパン屋でバイトなど。将来の展望が開けないなか、図書館で山ほど本を読んだ、いまから思うと幸せな日々。
• 1985年、当時出来たばかりの労働者派遣法による求人新聞広告を見て「ファイリング」業務の派遣社員となる。パン屋の(床が油ですべる環境でドーナツを上げていた)危険な時給700円から、オフィス事務時給1200円になってビックリ。勤務の合間をぬって’84〜85年、女性学を学びに和光大学に聴講生として通い、多くの人に出会う。デパートで試食販売のバイトもやった。
• 派遣勤務を辞め、自動翻訳ソフト会社に就職。総務/経理担当。
• 友だちの紹介で、演劇・教育の出版社(晩成書房)入社。総務/経理/営業/編集担当。9年間(’90年〜98年)。
• 1999年4月区議選に落選後、出版社には戻らずに、浪人生活。ご紹介で同年6月頃から、ミニコミ出版社などで、バイトして、生活をつなぐ。
• 2003年区議に初当選。以後3期連続当選。
運動・議会活動ほか
・知人から選挙のと投票依頼を受けたことから何となく1995年の区議選を応援。それを機に、会社とアパートの往復OLの日々から、地域の政治仲間や知り合いが出来る。
•1995年、国連の第四回世界女性会議@中国北京に日本婦人問題懇話会のメンバーと参加。
• 2001年9月から年末まで中国南西部雲南省都昆明市の雲南師範大学の外国人向けコースにて遊学。911のビル崩壊は、中国のテレビで見た。
• 2003年4月統一地方選挙にて杉並区議会議員に初当選。会派名「社会民主党・緑の人々」(全2名)。
• 2007年4月再選(2期目)。会派名:社会民主党・みどりの未来(全3名)。2010年3月会派の構成を変えて、「みどりの未来」を称する(全2名)。
• 2008年5月緑の党第二回世界大会に参加(ブラジルのサンパウロ)。帰りにニューヨークに寄る。
• 2009年5月「開かれた議会をめざす会」の総会にて、代表に就任。
• 2009年12月「議員年金を廃止する市民と議員の会」設立。世話人に就任。
• 2010年5月緑の党アジアネットワーク大会(台湾台北市)に参加。台湾第4原発、台北市議会などを見学。
• 2011年4月再選(3期目)。会派名:「生活者ネット・みどりの未来」(全5名。女性ばかりの会派は珍しかった)。
• 2013年8月、初めて一人会派となり、「緑の党」」を名乗る。
▲1:知的障害者のガイドヘルパー
知的障害をもつ方が外出する際に同行して、安全を補助するヘルパー。杉並区では’02年夏から試行を 始め、2003年4月から本格稼動。資格をもっていても活動する人の少ないのが目下の問題点。奥山は区の講習を受けて資格取得。議員になってからは、従事する時間がとれないのが残念。