奥山たえこ:東京都杉並区議会議員(無所属)

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桜井勝延南相馬市長の講演@杉並区

杉並区主催の、南相馬市桜井市長を招いてのシンポジウムがありました。
市長の基調講演の後、ジャーナリスト二木啓孝氏、杉並区長田中良氏とのパネルディスカッション。
前半部分の内容を記録してきました。
なお、奥山の文責によるものであって、逐語議事録ではありません。

桜井勝延南相馬市長の基調講演@杉並区 於座・高円寺 聴衆250人くらい
2011年9月2日(金)午後1:45~2:30
文責:奥山たえこ@杉並区議

◇発災時:議会中。津波を心配した。
◇避難所開設:すぐに開設。相馬市市長から「避難所が1つあいているから、いらっしゃい」。飯舘村からスク−ルバス7台を借りて、市長判断で市民を避難させた。市長は何をしているんだという職員の声があったと後で聞いた。
 南相馬市が屋内避難地域になったことは、TVで知った。国から知らせはなかった。
 原子力防災計画は、10km圏内の自治体に限るとされている。その圏外は、国は「作る必要ない」と言って作らせてくれない。市民が不安になるからという理由で。だからどこに逃げなさいと言えなかった。市民は自分たちで判断して避難した。
◇支援の手:多くの自治体から支援のオファーがあった、泉田新潟知事からは「南相馬市7万人を受け入れる、いつでもいらっしゃい」と。当時バスは、市内に入ってこれなかったので、杉並区からはバスで市民を迎えに来てくれた。自治体の支援が本当にありがたい。
◇情報遮断:国からも、県からも全く指示なかった。電話もインターネットも通じない。docomoの携帯メールがたまに通じるのみ。情報が入らなかった。東京にいた人の方が多くの情報を得ていたそうだ。
 3月15日にNHKのインタビューを受けた、その後いくつも受けて、食料が足りないことを訴えた。
◇避難指定:市は、4か所に分断されている。4月22日に屋内退避が解除になったが、但し、子どもや移動困難な高齢者は除くとされた。現在中学生の50%、小学生の40%が就学できている。6千人強の子どものうち2,400名程度が市内にいる。ホットスポットも含めて、いま市は5種の地域に分断されている。
◇市民の声と市長との乖離:発災直後は「避難させてくれてありがとう」と言われた。そのうち「いつまでこんなところにおいておくんだ」、「(放射線量の高い)あんな所には戻らない」と言うようになった。
 また、30km圏外は補償対象としない、ホットスポットは避難しないと補償金が出ない。補償地域外に行くと「ここの水飲んでみろ」、「ここで取れた枇杷食ってみろ」と言われる。
 自分がユーチューブに出て訴え、注目されるようになると「市長は自分が目立ちたいだけでないのか」と避難の声を聞くようになった。今日の(シンポジウムの)ことも伝わればそう言われるだろう。
◇国の現場軽視:東電の事務所からは、3月22日に一報があった。国と連絡が取れたのは3月17日が初めて。松本龍大臣が来たのは18日。病院に案内して医者や看護士がいなくなり患者たちだけ残された状況を訴えた。大臣は「国の責任でやる」と言って自衛隊のヘリを飛ばして、3日間で移動させた。やれるのだったら早くやってほしかった。現場を見にこないからだ。
◇マスコミの身勝手:市の記者クラブの記者たちは連絡もなくいなくなった。そのくせ、4月になって牛の稲わら餌のセシウムが問題になると農家を非難しにやってきた。マスコミなら事前に危険性を伝えることだってできただろうに。我々は逃げずに戦ってきたんだ。
今回マスコミの報道の在り方が大きな問題になった。自分のユーチューブ報道の後、世界中のマスコミから取材を受けた。まだ危険指定される前に防護服を着て原発の取材をする記者がいたが、マスコミとは本来そういうものだろう。
◇東電の社長:「誠意をもって対処する」と言うから、「それでは市民は納得しない。東電の責任でと言ってもらわねば」と言うと、去り際に「東電の責任で」と言った。
◇国の責務:30km圏外も含むことになり、全市一帯が補償対象となった。10月から支払いに入る。しかし事業所は再開できない。従業員や看護士が戻ってこないからだ。避難指定が解除されなければ戻ってこない。国がどこに避難するかを知らせるべきだ。国は自分たちで全て解決しようとし金も出すから、市民からすると「市は何もしてくれない」と言われる。「市も被害者だ」と言うと、「市長は問題をすり替えるな」と言われる。しかし責められるべきは、東電や国ではないのか。被災地の首長は同じような立場に立たされている。
◇市の人口と除染:市の人口は震災前7.1万人だった。震災後は6万人が避難した。まだ3.5万人が戻っていない。住民票を転出した人が3千人。いま除染に必死で取り組んでいる。市民が戻ってこれるようにと。しかし、この費用をなぜ市が負担しなければならないのか。国に言ってもやってくれないので、市が取り組んでいるのだが。
◇今後:我々は努力するとともに多くの人たちと一緒に放射能について勉強していきたい。心をつなぐ作業をひとつひとつ作り上げて、汚染から安全なまちに作り直していきたい。原発はいらない、いまのところ。全国を震撼させた原発はいらない。
 今後流された農地に、太陽光パネルを設置すれば、土地が活かせる。自らの力で生活再建し、まちを立て直していく。ホールボディカウンターも買いました。自治体では初めてだろう。南相馬市がみなさんの財産になるよう、健康で安全は日本を作り上げていきましょう。
<大きな拍手>

後半、パネリスト(ジャーナリスト二木啓孝氏、杉並区長田中良氏)との話は、奥山はほかの仕事があったので聞いていない。
 参加者から聞いた話では、基調講演を超える話はなかったが、基調講演同様、心に訴えるものがあった。南相馬ではいま、家族がばらばらに生活している人たちがいる。早く一緒に住めるようにしたいなどの発言あり。
以上

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