展覧会やシンポジウム・レクチャーの会場にいらした方の感想など、直接実行委員会のほうにいただいたご意見のページです。
東京 Y.S.さんより ***************
先週の日曜日に、「シャヒード、100の命展」を見てきました。照明を落とした室内の展示は、写真とお名前、遺品、とシンプルでした。
実は、それをただ見ているだけではあまりぴんとこなかったのですが、会場に置いてある100人のシャヒードの生い立ちや、性格亡くなった経緯などの書かれた本(会場に見本が置いてありました。受付で販売しています。)を読むと、その一人一人が私の心の中でよみがえり、動きはじめました。シャヒードたちの中には子供からお年寄りまでいました。デモに参加してイスラエル兵に撃たれた人、武装組織のリーダーの暗殺に巻き込まれた人、突然失踪して翌日亡骸が発見された人、イスラエル兵に投石して撃たれた子供、銃撃の中に取り残された子供を助けに行って自らも命を落とした人・・・。女性は少なかったですが、子供の数はとても多かったです。遺品は、生前お気に入りだった洋服、仕事道具、大事にしていたカバン、学習ノート、自転車、自作の投石機・・・いろいろな物がありました。一人一人がどういう人で、どういう人生をおくったのかを知った上でそれらの遺品の前に立つと、シャヒードたちがどんな思いで亡くなったのか、家族や友人はどんなに悲しんだろうか、と深く思いをめぐらすことができ、そして彼らをとても身近に感じ、涙がでてきました。
展示会のスタッフの方々、このような機会を設けてくださってありがとうございました。
ぜひ、この本を読みながら100人のシャヒードの写真と遺品の前に立ってみてください。
東京 M.Hさんより ***************
昨日『シャヒード、100の命』展に行ってきました。想像力の欠如。ネット社会にいて、あらゆる情報を手にすることができる(特に日本にいる)われわれにとって、この想像力が致命的に貧困であるということを、ジーパン、ゲーム、キャップ、サッカーボールなど展示物の1つ1つが語りかけてきました。
新聞の片隅に追いやられて、ともすれば見逃してしまいそうなベタ記事の、「パレスチナで衝突 死者数人」と言う文字に書かれた「数人」が、どのような生と死を生きてきたか。そこに及ぶような想像力が今のわれわれには決定的に欠けていると思います。想像力の働かない人間には、他者の思いや痛みが当然分かるわけがなく、他者とのその違いを力で埋めてしまうというのは、昨今のイラク戦争を見てもよく分かることです。人の生の重みは同じである。考えてみればこんな子供にも分かることにも、われわれは鈍感になっていたのかもしれません。
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