Edward Said Extra サイード・オンラインコメント | |
ここに抜粋した舞台芸術の現在と今後の展望をめぐるインタビューは、1991年に座談会に近い形式で行われたものです。もとは、Performing Arts Journal 37に掲載されたものですが、現在は、Power, Politics, and Culture ? Interviews with Edward W. Said, 2001 Pantheon Books に再録されています。 今月発売予定の季刊雑誌『舞台芸術』第三号のために翻訳したものですが、同誌の御厚意により、一部を公開させていただきました。 |
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パフォーマンス・アートをめぐって Criticism, Culture and Performance: An Interview ith Edward Said by Bonnie Marranca, Marc Robinson, Una Chaudhuri 「批評、文化、パフォーマンス−サイードとのインタビュー」 ボニー・マランカ、マーク・ロビンソン、ウナ・チャウドゥリー 『舞台芸術』 03号 2003年3月発行 |
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ロビンソン:現代のアーティストがクラッシックの伝統、いわゆるカノン(古典として選別された作品群)に対処するには、二つの方法があると思います。ひとつは、ひたすらそれを避け、新しいものを書いたり、作曲したりすることです。いま一つは、ハイナー・ミューラーやホーフマンスタールのような方法で、それを吸収し、それを作りなおすことによって、ある意味で無効化してしまうこと、破壊的なエネルギーを再充電することです。 サイード: 僕の立場は後者ですね。カノンについての文学研究や、西洋的な伝統そのものへの疑問についてはいろいろ議論されてきましたが、そのなかで僕には大きな詭弁と思われるものに、カノンがいかに「陰謀」──白人男性の秘密結社のようなもの──の産物であるかを、まさに君のような人こそが、示しているのだというものがあります。そういう人々が、例えばホーソンのような作家をアメリカ文学における偉大な崇拝対象にしたてあげ、当時もっと人気のあった女性作家や地方作家などたくさんの他の作家たちが入り込むのを妨害した、というような議論です。そこで、こういう見方をする人たちは、ホーソンをわきへ押しやって他の作家を読まねばならないと考えるようになります。でも、それは一つのカノンを別のカノンで置き換えることにしかなりません。僕に言わせれば、じつはそれはカノンという考え方そのものを強化するものでしかなく、もちろん、それに付随するすべての権威も強化することになるのです。これが、後者の立場をとる最大の理由です。 第二には(半分は教育、半分は年齢や好みによるものですが)、僕自身がカノンに興味を持っているのです。ある意味で僕はとても保守的で、長い年月を持ちこたえて残った作品、嫌悪から崇拝までにわたるさまざまな解釈を施され、そういうものが膨大に付着している作品には、少なくとも好みや楽しみのレベルで、なにか擁護すべき側面があってもよいはずだと考えています。知識の一部として自分を豊かにするものだと思うのです。だから、多くの人々のようには積極的に、自沈させてしまえという気になれないのです。僕はむしろ、カノンのなかに他の対位旋律を徐々に吸収させていこうという意見です。 ベンヤミンを極端に解釈することもできます。すべての文明の記録は野蛮の記録でもあります。もう十年越しで書きつづけている文化と帝国主義についての本でも論じているのですが、偉大な文化的記念碑というもの(僕の本では『アイーダ』を取り上げました)は、それに勝るとも劣らぬほどに、みずからが、あさましい世界観と「共犯関係」にあるということを記念するものにほかなりません。それは極端な場合ですが、もうすこし穏やかな場合でも、みずからが社会的、歴史的なプロセスに関与し、荷担していることを記念しているのです。これは面白いことだと思います。こういうものを、きれいさっぱり投げ捨てて、「さあ、新しいものに注目しよう」なんて気にはどうもなれないのです。「新しさ」というものは、それだけでは僕にじゅうぶんな滋養をもたらしてくれないのです。 ロビンソン: 非西洋人の作家にとっても、カノン全体がとてつもなく強力な武器になっています。たとえば、ショインカのような作家は〔ジュネの〕『バルコニー』や〔エウリピデスの〕『バッカスの信女たち』、〔ブレヒトの〕『三文オペラ』などを取り上げて、それを植民地主義の寓話に書きかえることができます。 サイード:そして、そこにとどまるものではありません。最高のものでは──ショインカよりもっと面白いのはスーダンの小説家タイーブ・サーレフの作品だと思います。彼はいくつも小説を書いていますが最高傑作は『北に遷りゆく時』という六〇年代末の作品で、これはきわめて意識的にコンラッドの『闇の奥』に対抗し、書き返しているものです。物語は、アフリカにやってきた白人男性のものではなく、ヨーロッパに行く黒人男性のものなのです。そして、結末は、あるレベルではもちろんコンラッドへの反発です。つまり、これは、黒人男性がロンドンに行ってイギリス女たちに次から次へと狼藉を働いて回ると何が起こるかというポストコロニアル寓話なのです。それは一種のセクシャルな寓話です。でも、もっと掘り下げて見ると、そこには脱植民地化と西洋帝国主義への反発の歴史がこめられているばかりではなく、僕の意見では、その悲劇性が深められています。この男の反発としての復讐は、第三世界の者たち、アラブやアフリカの者たちにとっては、正義の復讐です。でもサーレフが新鮮なのは、それが不毛で、病的であり、最終的には悲惨なものであることを示しているところです。なぜなら、それはアイデンティティ・ポリティクスの不全による孤独のサイクルを増幅するからです。たんに白人に狼藉を働く黒人であるだけでは不充分です。生きるべき別の世界というものがあるはずです。そういう意味では、これはコンラッドよりずっとゆたかで興味深い作品です。だって、コンラッドの限界を脚色しているのですから。僕はコンラッドを賞賛することでは誰にもひけをとらない人間ですが、ここにあるのは驚嘆すべき種類のことです。この小説は、それそのものとしても(英語ではなく、アラビア語で書かれています)すごく強力なのですが、コンラッドの小説に依存しながら、同時にまたそこから独立しているのです。それはきわめて魅力的です。 ロビンソン:まったく、その通りです。そして、ここのところで、僕はボニーの考えに賛成できないのです。そこに暗示されているローカルなものと普遍的なものの対比では、僕にはローカルなもの方が面白いと思えるのです。それは、どこから見ているのかという視座によって変わってくることです。植民地化された世界から見れば、ファノンの言うように、普遍的なものはつねに現地人の犠牲によって達成されたということになります。それにぴったりの例を挙げましょう。カミュの場合を考えてみてください。カミュは、実際的に現代フランス文化の他の誰よりも普遍性を体現しています。しかしその作品を注意して読めば、主要フィクションのどれをとっても、また短編集においてさえも、ほとんどはアルジェリアが舞台になっていることがわかります。とはいっても、それはアルジェリアではありません。それらはつねにドイツによるフランス占領のたとえ話なのです。これをさらに注意深く読み、アルジェリアの独立という視点を探したとします(アルジェリア独立はカミュの死後、一九六二年に達成されました。そして、もちろんジュネはこれに回答しています。ジュネも『屏風』で同じ問題を扱ったからです)。ここに注目すると、カミュがその作家活動を通じてやっていたことは、フランスのリセにおける文化的言説──それは普遍主義と人間の条件を生み出し、ナチズムやファシズムへの抵抗といったような一切合財のもとになりました──を手段に用いて、独立国アルジェリアの出現を阻むことだったのです。ここに、ローカルな知識の重要性があるのだと思います。ローカルな知識をテクストに加え、それを現場状況と背景のなかに戻してやるのです。そうすることによってテクストの面白さが少しでも殺がれるようなことはありません。むしろ、一方に普遍的な影響力の到達範囲、名声といったものがあり、他方にローカルな状況への加担があるという、その矛盾によって、いっそう面白いものになるのです。ちょと、この話に深入りしすぎたかもしれませんが… マランカ:なんだか、わたしたちは別々のことを話しているような気がします。文学や一般的な世俗的知識人の生活は、論争や国際政治という点では演劇にくらべてずっと現在も進行中という性格が強いからです。わたしが指摘したかったのはただ、もし演劇がある意味で国際的なレパートリーにもはや何も付け加えなくなり、ローカルな演劇(私もそれは評価しています)ばかりになるというのであれば、それはまったく違ったことだということです。たとえば、演劇の世界では、文学にあるような世俗的な演劇知識人というものはほんとうには存在しません。演劇の問題についての言説や対話や議論のほとんどは、大衆紙のレビューのしくみのなかに納まっているか(そこには内部で進行している面白い議論はまったく出てきません)、そうでなければ本誌のようにマイナーな雑誌や学問の世界に登場するだけです。だから、演劇の問題は、他の主題が(科学でも文学でも)今日あつかわれているのと同じようには、一般的な文化‐政治問題に関係させられることがありません。この種の喪失は、演劇のほうが小説よりもずっと深刻なのです。 サイード: まったくその通りだと思います。言いたいことはよくわかります。それはずっと大きな枠組みですね。 チャウドゥリー:パブリックな知識人が背負わされる重荷についておっしゃることや、知識の複製と増殖のための機械装置にいかに取り込まれているかという観点からすれば、演劇がローカルなものであり、その意味でプライベートなものであるということは、じつは一種の幸運、賜り物なのかもしれません。さほど多くの公衆的な圧力を受けずに異文化間のものや実験的な思考をためすことのできるような空間を、演劇は占めているのですから。 IIIチャウドゥリー:カノンの話に戻りますが、先ほど、あるカノンを捨てて、代わりに別のカノンを据えるだけではない、というお話がありました。その取り上げ方に欠けていると思うのは、多くの人々はそういうものがどのように教えられ、どのように提示されるのかには目を向けないという事実です。彼らが注目するのは、なにが教えられるかだけです。サイード:その通りです。ただ、「なにが」というのも大事なことですよ。一定の「なにが」が排除されているのは、とても面白いことです。 チャウドゥリー:でも、それではまるで、なにか奥行きの深いもの、テクストを評価するモデルになるものを、捨てられないというようです。 サイード:僕なら崇拝のモデルと呼びますね、実際そういうものですよ。 チャウドゥリー:そういう崇拝は何か他のものに転化されるので、テクストや芸術作品などに向き合ったときには、結局これまで通りの無力な立場にいるのです。 サイード:ああ、それは学問的な論争一般の根本問題のひとつです。でも、そんなものは基本的に現実の世界への真の関与には根ざしていません。おおむね観念的なものです。だからこそ、「なにが」ということが同じように重要なのです。それは資格であり、あるいはある種の権威やなわばりのようなものです。でも「どのように」ということは、ある意味で相対的に重みがなくなります。それは多くの手法の一つになってしまうのです。 例を挙げて説明しましょう。アメリカの文学研究、また文化研究一般も入るでしょうが、それらが過去三〇年にわたって「理論」を通して受け入れてきた膨大な注入が何をもたらしたでしょうか──構造主義、ポスト構造主義、脱構築、記号学、マルクス主義、フェミニズム、こういうもの全てです。事実上、こういうものはみな重みがありません。これらはみな学問的な選択であって、その多くは本来それを生じさせたような状況には結びついていません。例えば、大学における第三世界研究は、ショインカやサーレフがそれぞれ直に接するポストコロニアルな状況の中で、その経験の物語《ナラティブ》を書こうとすることとは大きく異なります。グギ・ワ・ジオンゴ〔キクユ語で書くケニアの作家〕のような批評家が精神を脱植民地化することについて語るとき、それは何度も投獄されたことがあり、母語と英語〔支配者言語〕の対立といったような新植民地主義の諸問題をすべて自分の体験として生きてきた人間が語っているのです。彼らは、「さて、専門分野は脱植民地化か植民地主義の言説にしよう」と決めたという人たちとは、ものすごく違います。これは、たいへん大きな問題です。 チャウドゥリー: 学問の世界はさかんに彼らの重要性を奪っています… サイード:ある意味で、そういうことを完全に排除することはできません。大学は一種のユートピアですからね。ある程度は、そういうことも起こるでしょう。たぶん、ある文化的な手法が出てきた本来の環境がじつに強力で切実なのに比べると、大学での理論的な選択肢として後から変形されたものは、あまりにも大きな差があるのでしょう。 チャウドゥリー:大学はユートピア的であり続けるべきだと思いますか。それがもはや有用性を失ったモデルだということが、問題の一部なのかもしれません。 サイード:まさに、いまそれが問われているのだと思います。とても興味深い変質が起こりつつあります。たいていの学生は──優秀な学生、僕が教えている学生のことですが──直接に接しているとわかるのですが、もう理論には興味を持っていません。彼らがほんとうに興味をもっているのは、二〇世紀後半の歴史を特徴づけてきた歴史や文化についての論争です。文化や、美的形式や、言説などに反映されている人種主義や帝国主義、植民地主義、いろんな形式の権威、いろんな型の解放や独立。だから、僕が行くのはそこです。問題は、それをどのように社会変革に結びつけるかということです。二〇世紀の歴史をこれまで左右してきた論争から、すべてのものが離れ去っていこうとしているように思われます。例えば、社会主義と資本主義というような論争です。というわけで、いまはとても困難な時期なのです。たいせつなのは探求心を持つことでしょう。 マランカ:たしかに、『ガーディアン』紙に寄稿された短い文章のなかで、哲学や政治の歴史、知識生活の一般傾向は、新しい状況への対処にはほとんど役に立たないと感じると書いてらっしゃいましたね。 サイード:ええ、ほんとうにそう思います。 マランカ:人文系と科学系が、なにか新しい認識のもとに一体化するという考えは、どういう方向に発展するのでしょう。 サイード:あまり具体的な細かい話には立ち入らないとして、全般的なところでずっと興味をもってきたものということでは、インターカルチャリズムが明らかにその行き先でしょう。つまり、政治と歴史と美学といったように、従来は共通項のない別々の領域と考えられていたものが、いろんなかたちで結合するのです。ただ、そこで終わらせてしまうのではなく、なにか新しいものに発展させることが、ほんとうに面白く重要なことだと思います。その一つが、たとえば、相互依存と重なり合いの関係でしょう。僕たちは経験をナショナル(国民・民族)なものとして考える傾向があります。僕らは、ポーランド人の経験というものがあると言い、フランス人の経験や、ハイチ人の経験や、ブラジル人の経験があると言います。でも僕にいわせれば、そういうものは、もうほとんど終わっています、基本的なナショナル・アイデンティティに一定の忠誠心と関心を示すことができたということについては。面白いのは、ナショナル・アイデンティティが歴史的には実際(いま現在も助長されていますが)、お互いに影響し、もたれ合ってきたということです。つまり、ブラジルと北アメリカの関係は、熱帯雨林の状況においてきわめて劇的なものになっているということです。北アフリカとヨーロッパの旧植民地帝国との関係も、フランスに多数のムスリム移民が存在するなど、きわめて劇的なものになっています。 ここで気づかれはじめたのは普遍性です。これまでの文化研究の大勢であった不動の普遍性ではなく、移動する普遍性です。ひとつの領域から別の領域へと境界を横断する大規模な流れです。これは僕にはまったく新しい研究題材のように思われます。難民研究と、それに比較される従来型の安定した文化的制度の研究。後者は社会科学や人文科学の理論的枠組みを規定してきました。これがひとつの大きなテーマになると思います。また、もうひとつのテーマは、統合と相互依存と僕が呼ぶものと、国民・民族性やナショナルな伝統といったものを中心とした研究の対比でしょう。イスラムのような新興の、国境を超えた勢力(イスラムは大陸を超えて分布しており、アラブ地域だけでなく、現在ではヨーロッパにも広がっています)のあいだの対立。文化的な景観がすっかり再編されつつあり、そのことは歴史を通じてのみ理解される、というのが僕の意見です。こういうものの一部は、すでにヨーロッパとオリエントの対立にも現れていました。僕が十二・三年前に論じたことです。 マランカ:インターカルチャリズムについて、パフォーマンスに関連した考察、あるいは他のどんな題材に関係したものでもよいのですが、インターカルチャリズムについて書いてみようというようなものはありますか? 劇場芸術史のなかで『アイーダ』のモデルを使った評論のように。 サイード:いまのところ、特にありません。僕は複数の文化のあいだで論争の的になっている領域に深くはまり込みすぎているのです。残念ながら、それが染みつきすぎています。つまり、僕は自分が生まれついた文化と、現在暮らしている文化のあいだの衝突によって、自分の現在の関心が大きく支配されている人間なのです。これは、じつに奇妙な現象です。この二つの文化は異なっているというだけでなく、敵対関係にあり、そのなかで自分は両方に関与しているのです。したがって、僕にはインターカルチャリズムについて話すことはとても難しいのです。それは、一種の正気と落ち着いた思索にふけることを示唆していますからね。 マランカ:インターカルチャリズムは一種のオリエンタリズムだと思いますか? サイード:そうかもしれません──いや、絶対そうです。そこには、容認されないものがずらりと並んでいるようですからね。それについて、くったくのない調子で話すことができるような段階にはまだ至っていないでしょう。南と北の論争や、東と西の論争の傷跡が残ってないかのような風にはね。こういう世界の地理的な設定は、少なくとも僕がものごとを考えるときの背景には、いまだに強く刻み込まれているのです。 ロビンソン:いまおっしゃったことを敷衍すると、良いインターカルチャリズムと、悪いインターカルチャリズムがあるということになるようです。でも、僕は『オリエンタリズム』を読んだ後、ひどい無力感に襲われました。 サイード:もうしわけない。 ロビンソン: 他の文化について考えてみるときにはいつでも、自分の「権力」的な立場が浮き彫りになるのを感じます。でも、そのような権力に代わる選択肢は、もっと大きな距離をおくことや、孤立主義になることなのでしょうか。そんなのは、いやです。 サイード: いやですとも。できるはずがない。『オリエンタリズム』の大きな欠陥の一つは、ほかの道を選ぶことはできないのだという印象を与えたかもしれないことです。自動的に、それにはまってしまうのだというような。そんなことを言うつもりはなかったのです。いちばん最後のところで、そういうようなことを言ったはずなのですが。誰にだって他の誰かとの一種の「あらかじめ決まった」厄介な関係というものがあります。僕が言いたかったのはただ、格差は──例えば、現地人の情報提供者と白人民族誌学者の視線のあいだにある──それほど大きなものではなかったと考えたいということなのです。自賛しているように聞こえぬよう話すのは難しいのですが(とはいえ、少なくとも僕には興味のあることです)、『オリエンタリズム』は──すでに、そういう気運が高まっていたたこともあると思いますが──それを大きく超えるようなおもしろい研究を多数輩出させたようです。この本は、この種の研究には影響されないと考えられてきた文化的な所産について、ある種の自覚を喚起しました。皮肉なのは、だからといってこうした文化的所産が少しでもおもしろみを失ったわけではないということです。むしろ、おもしろさは増したのです。オリエンタリズムの歴史は(本のことではなく、問題のことですよ)じつは人間の歴史、なんと言ったらいいか、それなしには僕らは生きていけない他者への干渉の歴史のことなのです。 グローバルに考えるとき、たとえば「東洋」対「西洋」でもいいのですが、そういうときに、つねに西洋の勝利を示唆するような説得力のある公式を見つけてくることはいつでも可能です。ナイポールが売れているのはそのためです。それが、ナイポールの魅力の根拠なのです。「世界は電話を発明する人々と、それを使う人々でできている」と彼は言います。電話を使うだけの人々は、いったいどこにいるというのでしょう。僕らは、そんなもの知りません。その罠にはまるのは簡単です。C・L・Rジェイムズは、決してその罠にはまらず、こう言っています。君が白人だったら、ベートーベンは自分たちのものであり、黒人が聴くものではない、彼はカリプソを聴くのがふさわしいのだ、と言うことができる。こういう罠に、はまってはならい。しっかりものごとに区別をつけて、自分が使いたいものを使い、それを全人類の共通財産の一部と考えることができねばならない。きわめてローカルで限局的なレベルの闘争を行なうことなしに、どうしたらそのような境地に到達できるのか、僕にはわかりません。 従って、あるレベルでは、たくさんの異論を歴史的に理解する必要があると思われます。僕が「文学研究」を信じないのはそのためです。イギリス文学の研究などというものは、それ自体としては価値があるとは思いません。それは西インド諸島の文学や、アメリカ文学や、フランス文学や、アフリカ文学や、インド文学などと一緒にして考えられるべきです。文化が生産される背景の事情を歴史的に深く理解し、それと同時に、すべての文化資料がどれほどまでに支配者と被支配者の歴史、指導者と被指導者の歴史を抱え込んでいるかということを鋭敏に理解する必要があります。そして第三に、僕らに必要なのは、自分たちがめざしたい方向をよく理解することです。 copyright 『舞台芸術』 編集・発行:京都造形芸術大学
舞台芸術研究センター 発売:月曜社 |
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Presented
by RUR-55, Link free
(=^o^=)/ 連絡先: mailtomakiko@yahoo.com /Last modified: 2003年3月6日 13:49:528