Edward Said Interview | ペンと剣 |
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この土地には――いささかお国びいきになりますが――ある種の普遍性があるということです。実際、だれもがこの地との関係性を主張できるような異様な関係力を持つことによって、エルサレムは世界の中心なのです。ぼくの生まれたエルサレムは、世界の中でも他に類をみない地位を持っています。少なくともその実存的な、また想像的な地位を考えれば、普通の都市とは言えません。しかし、エルサレムを誰か一人の人物にだけ結びつけたり、キリスト教発祥の地としてだけ、あるいはギリシャ正教の総主教の権威の座としてだけとらえることは、その価値を貶めるものです。この都市は、古い表層を次々と剥ぎ落としていく異様な力を持つ都市なのですが、この地を支配したいずれの政治構想も主権(イスラエルの場合)も、必ずといってよいほど、それを裏切ってきたのです。 |
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Palestine パレスチナ |
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DB:一般に「パレスチナ問題」という言い方をしますが、パレスチナ人にとっては、「問題とされている」ということは、どういう状態を意味するのでしょうか。「クエスチョン」という言葉には、よくわからない、不確かなものだということが暗示されているように思います。 わからないだけではなく、本当に存在するのかどうかさえあやしい、ということが暗示されているのです。パレスチナ問題というと、「パレスチナというものは、本当に存在するのか」という問いに還元されがちです。このことこそが、「問題とされている」ことの意味する最大の特質です。もちろんパレスチナという土地はかつて存在していたし、いまも「パレスチナ人」を名乗る人々が世界中に450万人もいるのですが、それにもかかわらず、パレスチナの存在を抹消したがる傾向があるのです。「パレスチナ」という名称に強い反発を感じる人々が、この世の中に多数存在するということです。 残念ながら、当のパレスチナ人でさえ、この名称を口にするたび、何やら脅迫めいた挑戦的なことを言ったような気がして、軽い動揺を覚えることがあります。このように、「パレスチナ」という名称には、常に何かしらの色合いがつきまとわざるを得ません。 DB:そのような状態におかれていることに対して、文化面ではどのような対応がなされてきたと言えるのでしょうか。政治面での対応は明らかですが。 文化面での対応は、いろんな意味で政治面よりずっと興味深く、そのあり方も多様です。1948年に難民化した直後の10年間というもの、パレスチナ人は、沈黙した、知られざる存在でした。自分たちの社会を破壊され、失ってしまった打撃があまりに大きく、ほとんど虚脱状態にあったのです。 50年代の後半に入ると、ある種の復興運動が起こってきます。パレスチナ民族意識の最初の復興と言えるでしょう。この動きは、イスラエルに住むパレスチナ人の作家やジャーナリスト、活動家などのグループのなかから出てきました。例えば「エル・アルド」〔El Ard「大地」の意〕というグループがありました。そこには、詩人や小説家に加えて、ジャーナリストたちも参加していました。しかし、その活動は長くは続きませんでした。彼らは印刷所を持ち、新聞を発行していたのですが、2年後にはイスラエル当局によって活動を停止させられてしまったのです。 それでも、ナーセル主義の影響のもと、多くのパレスチナ人が民族意識を小説や詩や戯曲、またルポやエッセイのかたちで表現するようになりました。特に1967年の戦争〔第三次中東戦争〕以降は、みずからの偽善とイスラエルの軍事力によって大敗北を喫したアラブ世界において、文化的にはパレスチナ人の声が真実の声を代表・表象するようになったのです。 マフムード・ダルウィーシュやガッサーン・カナファーニーなどに代表される流浪と抵抗のパレスチナ詩人たちが、直裁的で優れた表現によって、国際的な名声を獲得することになりました。同時にまた、女性の作家も出現し、労働者とか教師といったような、これまでは文筆能力を磨けなかったような階層からも書き手が現れたのです。 DB: ということは、パレスチナ人を、テロリストとか、遊牧民とか、難民とか、ハイジャッカーなどとして性格づけようとする試みは、成功していないというわけですね。 長期的には成功していないと思いますね。たしかに一部の人々のなかにはパレスチナ人を、ご指摘のようなネガティヴな特徴と同一視するような態度が見受けられます。でも、そのような常套句は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻のような事件が起これば、たちまちにして吹き飛んでしまいます。人々はイスラエルの現実に対する認識をあらため、不安な眼差しで見るようになります。 しかし、それは決してたやすいことではありません。表現活動に対する取締りは非常に強硬ですから。けれど、パレスチナ人の物語《ナラティヴ》、その経験のいくつかは、否定的な描写の網の目をすり抜けて人々に届き、常套句を雲散させてしまうのです。 ただし、パレスチナ人にネガティヴな特徴づけをしようとする試みがうまくいかなかったとは言いきれません。それは大きな成果を挙げていて、実際、パレスチナ人は、人間性を失った存在、テロリストなどとして一般に認識されています。でも、パレスチナ人自身にとっては、このようなレッテルには何の意味もないし、パレスチナ人の話に喜んで耳を傾けようという人々にとっても、何の意味もありません。 僕らのように書いたりしゃべったりする職業の人間を感激させるのは、この国〔合衆国〕の人々は話を聞きたがっており、その理由はこれまでそのような物語に接する機会がなかったからだということです。 DB: このような状況の背景には、パレスチナ問題には単なる政治的な状況変化の問題ではすまない、なにか別次元のものが絡んでいるという感覚があるのではないでしょうか。 その通り。なぜなら、パレスチナ自体が例外的な場所だからです。すべての場所は例外的であると言えるのでしょうが、ただパレスチナの場合は他の場所よりも、もっと例外的なのです。言うまでもなく、そこには聖書の余韻があります。それはとても強烈なものです。また歴史の余韻もあります。パレスチナは数千年にわたって存続し、悪魔や聖者や神々を産み出してきました。 地理的な位置のおかげもあって、この土地は、宗教のみならず文化においてもメジャーなものの交錯点にあたっています。東と西の文化圏がここで交わります。ざっと見ても、ヘレニズム、ギリシャ、アルメニア、シリア、レヴァント〔地中海東部沿岸地域〕などの諸文化が交錯するうえに、ヨーロッパ人、キリスト教徒、アフリカ人、フェニキア人などの影響が重なり、夢のような錯綜を織り成しています。 その意味で、パレスチナ自体は、どれかひとつのレッテルを貼られてしまうことを常にすり抜けてしまう存在なのです。これは、とても大切なポイントです。パレスチナ人は、このようなパレスチナの複合性、多重的共同体構造という側面を体現しているのですから。 僕らの闘争の目標は、他の者たちを排除してパレスチナが意味するところを独占することではなく、パレスチナのなかにある数多くの共同体や文化の交錯によって形成されている豊穰性にパレスチナ人自身が参加することです。これまで僕たちが闘ってきた相手は、パレスチナは「イスラエル」という名でユダヤ人だけに属しているのであって、現にそこに存在し、劣った地位に置かれている他の人々には属していないのだと主張する人々とその思想です。これこそが、僕らのシオニズムに対する闘いの本質です。 DB: 『オリエンタリズム』では、中東における英・仏の帝国主義的な意図や権力に与した知識人、学者、専門家の役割について論じていらっしゃいますね。こういう人々は征服と支配の枠組みを構築し、それを正当化し合理化する方便を提供しました。今日、パレスチナ問題について同じような役割を果たしている階層があるのでしょうか? あると思います。特に合衆国とイスラエルには。1948年の建国の当初からイスラエルには、オリエンタリスト、もしくは「アラビスト」と呼ばれる階層が存在しています。彼らの仕事は、政府と一体になってパレスチナ生まれのアラブ系住民たちを鎮圧し、支配し、熟知し、管理することです。 こういう人たちはヨルダン川西岸地区やガザの占領政府にも存在します。そこではオリエンタリスト、つまりイスラム史やイスラム文化のエキスパートたちが、占領軍の顧問として働いているのです。1983年まで西岸地区の民政長官をつとめたメナヘム・ミルソンは、実のところはアラブ文学の教授です。 こういう具合に、イスラム世界をはじめ世界各地で展開された古典的オリエンタリズムと西洋帝国主義の関連の構図が、そっくりそのまま占領地区におけるイスラエルのオリエンタリズムと帝国主義に受け継がれているのです。 合衆国でも、似たような現象が起きています。エキスパートと呼ばれている人材、僕ならオリエンタリストと呼ぶような人たちが、イスラムやアラブ世界についての専門知識を通じて、メディアと政府の両面から、アラブ世界について敵意があるとしか思えないような方向に世間の注目を煽っているのです。 例えば、最近、米国の大手出版社が出版したテロリズムについての論文集がありますが、編集したのは、イスラエルの国連大使です。そのなかの3つの論文は著名なオリエンタリストたちが執筆したもので、イスラムとテロリズムの間には無視できないほど多くの共通項が存在するのだと、やっきになって証明しようとしています。こういうことが、際限なく繰り返されます。 こういう人たちがおよそ30人から40人くらいいて、人質事件とかハイジャック事件とか虐殺事件とかといった危機が発生するたびに、しゃしゃり出てきて、イスラムやアラブ文化、また時にはアラブ気質とかイスラム気質とか言われるようなものと、みさかいのない暴力行為の間に、必然的な関係があることを示そうとするのです。 とりわけ不幸なことだと思われるのは、こういうオリエンタリストたちは、アラブ人やイスラムの文化を理解し解釈するのが仕事であり、この文化で飯を食っているというにもかかわらず、実はこの文化に露ほども共感を抱いていないことです。彼らは、敵意を持って、対立者の立場から、この文化を取り扱うのです。この点で、彼らは結果的に、アラブ・ナショナリズムとイスラム文化を根深く敵視するアメリカ政府の政策の一端を担わされているのです。 このことは、両者の接触が始まって以来ずっと変わらないように思えます。その状況は今後も変わりそうにありません。もっとも、若い世代のなかには、このアメリカ特有の現象を排除しようとする動きも芽生えてきてはいるのですが。それでも、現実には厚い壁があります。 いま問題にしているような人々、つまり、みずからのイスラムについての研究や興味や学術的な専門知識を、合衆国の帝国主義的な目的に奉仕させられているオリエンタリストたちには、主流メディアの門戸が開かれているのです。彼らは「ニューヨーク・タイムズ」、「ザ・ニュー・リパブリック」、「コメンタリー」などに寄稿することができるのです。こういうイスラムに敵意のある人々による記事やコメントは隅から隅までアラブ人に対する非難で覆われていますが、それを阻止するものはほとんどありません。 僕と信念をともにする人々、あるいはチョムスキー派などのように、こうした状況に異論を持つ人々には、それを主張する場がほとんど閉ざされているに等しく、オリエンタリストが「ニューヨーク・タイムズ」やCBSやPBSなどといったメジャーなメディアをやすやすと利用できることに比べたら、とても勝負になりません。 DB: パレスチナ問題は、ジャーナリストや学者にとって「都合が悪い」のだと説明されたことがありますね。これをもうすこし敷衍していただけませんか。この人たちは選挙の洗礼を受けるわけでもないし、ロビー活動などの政治圧力にさらされているわけではありません。すると、なぜそんなに不都合なのですか? 難しい問題ですね。僕は、ここアメリカで少なくとも30年、それに異議を唱え続けてきたのですが。「都合が悪い」と考える人々は、3つのカテゴリーに分類できるように思います。 第一のカテゴリーは、パレスチナ人などはじめから存在しないし、パレスチナ問題も存在しないという、まっかな嘘をつく人々です。「彼ら」〔パレスチナ人〕は1948年に避難勧告を受けて〔シオニストが侵入する前に〕退去した。そもそも本当にここに住んでいたわけではなく、1946年に他のアラブ諸国から流れ込んできたのであり、それが48年に退去しただけのことだと、この人たちは主張します。 この主張をバックアップするために、ひとそろいのお話ができあがっています。つまり、「彼ら」はヨルダン川西岸地区とガザに住む雑多な人々の寄せ集まりであって、パレスチナに住むアラブ人たちではあるが、パレスチナ人などとよべるものではない。これがリクード党 の主張です。 第2のカテゴリーは、正統派リベラルたちです。彼らは南アフリカの問題や、ポーランドやチェコスロバキアやハンガリーや中国やニカラグアの自由化と民主化については大言壮語し際限なく弁じたてますが、ことパレスチナのことになると何も発言しようとしません。ただ口をつぐんでしまうのです。 第3のカテゴリーは、パレスチナについては語るけれど、イスラエルには例外扱いを設けようとする人たちです。彼らに問題を突きつけ、南アフリカやニカラグア、ヴェトナムやソ連や天安門も問題だが、それに加えてパレスチナの問題もあるだろうと迫ると、彼らは、確かにパレスチナも問題だが、イスラエルは「敵方」とは一緒にできない、と応えます。 そこで、こう主張する人々の間では、では、イスラエルでないとすれば誰に責任があるのか、という問いに答える必要が生じてきます。もし、アメリカ政府の資金援助とリベラル派の支持のもとにイスラエルが永続化させている巨大な不正が存在しないのだとすれば、いったい誰に責任があるというのでしょう。困ったあげくに、彼らは、パレスチナ人の責任だと主張するのです。パレスチナ人のせいだ、それに他のアラブ人たちにも責任があるのだと。 しかし、僕には、こうした主張はすべて「都合の悪さ」からくるものだと思われます。つまり、イスラエルのシオニズムが紛れようもない大罪を背負っていることに由来するのです。それには、過去のホロコーストやアンティセミティズム(反セム主義/反ユダヤ主義)との間の、恐ろしく複雑でばつの悪い関係が絡んでいます。だって、ホロコーストの生き残りが償いを受けるためにこんなことをしたのだと言うことはできないし、パレスチナ人に償うべき責任があったからだとも言えないでしょう。 そんなこと口に出して言うわけにはいきません。でも、暗示されてはいるのです。だって、もしそういう立場を取らなかったら、結果としてイスラエルに責任があるということになってしまいますから。 もちろん、パレスチナ人にまったく非がないと言っているわけではありません。ただ、ここで問題にしているのは、1948年にひとつの社会が破壊され、それ以来ずっとパレスチナ人への抑圧が計画的に遂行されていることについてなのです。特に1967年に西岸・ガザが占領されて以来の24年間にわたる抑圧は、僕らを組織的に抹殺することによって、パレスチナ人のアイデンティティそのものに――一つの民としても、文化的にも、政治的にも、果ては存在していること自体にさえ――攻撃を加えているのです。だから当然「都合が悪い」のです。 |
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