Edward Said Extra --サイード オンライン

アメリカ人の集団的無意識のうちに燃えさかっているのは、度し難い罪人に対しては仮借なき懲罰が下されるべきだという清教徒的な情熱である......このほとんど宗教的といえる憤怒によって支えられた「天誅を下す」という態度は、およそ国際政治の場にはふさわしからぬものである。しかし、合衆国にとってはそれこそが世界に向けての行動様式を決定する中心教義なのである。また、合衆国にとって懲罰とは黙示録に謡われるような破壊的なものでなければならない。ベトナム戦争当時、ある有力な軍司令官は、爆撃によって敵を石器時代に戻してやるのが目標なのだと公言していた。91年の湾岸戦争においても同様の意見が有力だった。罪人は極限の惨たらしさをもって終末を迎える定めだとされ、その際に彼らがどんな苦しみを味わおうがお構いなしなのである。ニュースを漠然と見ているアメリカ人の多くが現在まず念頭においているのはイラクに対する“正当な”処罰という考えであろう。ここから、イラクとの対決に備えてペルシャ湾岸に軍事力が結集されるという浮かれ騒ぎが展開していくのである。
地獄の黙示録
Apocalypse Now
米・英によるイラク攻撃について(1997年11月?)

イラクと合衆国の間に起きていることの基本的な背景として、一方にアラブの意地と主権の表明があり、他方にこれに対立するアメリカ帝国主義があるということは紛れもない事実である。しかし、すべてをそれだけに還元してしまうのは大きな間違いであろう。いかに心得違いをしているにせよサダム ・フセインは利口な男である。その賢さがあらわれているのはアメリカとその同盟国を分断しようとしているところではなく(この点では、彼は具体的な目的を達成できたためしがない)アメリカの外交政策の驚くべき不手際を利用しているところだ。サダムがアメリカにいじめられている無垢な犠牲者だなどと信じこまされるような人はほとんどいないだろうし、サダム本人もそんなこと全く信じていない。彼の不幸な民(イラク国民)が、国際社会によって認知されることのない甚大な被害をこうむっているということには、彼の冷淡なシニシスムが大きな責任を負っている――クウェート侵略という弁解の余地のない蛮行、クルド人の迫害、そして自分自身とその政権を強化するために途方もない犠牲を(私の意見では、まったく不当な権限において)支払ったように血も涙もないエゴイズムとおおげさな自愛心。クウェートやイランに対して国家の保安や主権を平然と踏みにじった彼には、もはやそうしたものを尊重せよと訴えることなどできはしないのである。

それはどうあれ、事態を悪化させたのは合衆国の懲罰的な性癖(その由来については、後段で論じる)である。合衆国はイラクに対し制裁措置を発動させたが、それはサンディ・バーガー Sandy Berger 安全保障担当大統領補佐官が誇らしげに述べたように世界史上いまだかつてないほどに厳しいものである。湾岸戦争以降、 56万7千人のイラク市民が死亡した。そのほとんどが病気や栄養失調、きわめて貧しい医療体制などによるものである。農業や産業は完全に行き詰まっている。これはもちろん不当な仕打ちであるが、そのような事態を招いたことについてはアメリカ政策当局の鉄面皮な冷酷さにも大いに責任がある。

しかし、サダムの側もこの冷酷な仕打ちを故意に煽っていることも忘れてはならない。それによって合衆国とアラブ世界の対立を脚色しようとしているのである。合衆国(あるいは合衆国が牛耳る国連)との間に危機を招くことによって、サダムは当初、制裁措置の不公平さを劇的に描き出すことができた。けれども彼が(現在のように)それをいつまでも繰り返すうち、問題の焦点は次第にずれていき、彼の不従順が議論の中心に据えられる一方、制裁措置の悲惨な影響については脇におかれていくこととなった。ともあれアラブ-合衆国危機の底流をなす要因は今も残っており、この危機の注意深い分析を不可欠のものとしている。

合衆国は、アラブのナショナリズムや独立の動きに対しては常に神経を尖らせてきた。その理由は、みずからの帝国主義的な利害によるものと、イスラエルに対する無条件の支援に由来するものの両方である。1973年の戦争(第4次中東戦争)以来「ピース・プロセス」(クリントン政権の推進する中東和平推進政策)に至るまで、一時的に石油戦略を採用することはあったものの、アラブ側はほぼ一貫してこの緊張を解きほぐそうとしてきた。その実現のために米国に助けを乞い、"行儀よく"ふるまい、イスラエルとの和平交渉にも前向きに応じてきたのである。しかし合衆国の意向に従順に従っているだけでは、 “穏健”と合衆国がみなす指導者に対しときおり容認の発言が与えられるだけで、それ以上のなにものも引き出すことはできない。アラブ側の政策はこれまで、アラブ各国の協調や集団的圧力行使や完全な目標の合意などによるバックアップを常に欠いてきた。その代わりに、それぞれの政治指導者が個別に合衆国およびイスラエルと単独協定を結ぼうとしてきたのであるが、そのような努力は相手方の要求を増長させるばかりで、イスラエルに対して圧力をかけるように合衆国を説得することはできなかった。むしろイスラエルの政策が過激になればなるほど合衆国がその肩を持つケースが多かったし、それは同時に、オスロ合意のような実体のない約束に未来と幸福を託すことになった大勢のアラブ一般大衆の立場が軽視されることにつながっていったのである。

そのうえアラブの文化や文明は深い溝によって合衆国と隔てられている。アラブについてのまとまった情報や政策の欠如から、合衆国はアラブの人々にも独自の文化と伝統とアイデンティティがあるという考えを容認することができない。アラブ人の人間性は否定され、暴力的で非理性的なテロリストとして常に殺人や爆弾テロに対する警戒の対象とされてきた。合衆国にとって取り引きするに値する唯一のアラブ人は、合衆国に従順な政治指導者や実業家、そして軍人である。アラブの武器購入(国民一人あたりの額では世界一)はアメリカ経済が成り立っていくうえで重要なのだ。それ以外のアラブ人に対しては、合衆国には何の感情もない。例えば現在の状況の下、イラク民衆のアイデンティティーや存在は合衆国の視界にはいっておらず、彼らの被っている被害に対しては完全に無感覚である。アラブ人に対するこのような病的かつ妄想的な恐れと憎悪は、第二次世界大戦このかた一貫して合衆国の外交政策の主題であった。

またややもすると、アラブ人にとってプラスになることはすべてイスラエルに対する脅威であると合衆国では受け取られる傾向がある。この点に関しては、イスラエルを支持するアメリカのユダヤ人、伝統的オリエンタリスト (東洋学者) 、軍のタカ派が破壊的な力を発揮してきた。アラブ諸国は、他の国々には問われることのない道義上の非難を浴びせられつづけてきた。例えばトルコは何年も前からクルド人に対する軍事攻撃を続けているが、これについて合衆国では何ひとつ議論されることがない。イスラエルは30年間にわたって不法に領土を占領し、勝手気ままにジュネーブ協定を破り、アラブ人に対する侵略やテロ攻撃や暗殺を繰り返しているが、それでも合衆国は国連の場でイスラエルの行為に対する制裁発動に反対票を投じ続けているのである。シリア、スーダン、リビア、イラクは"無法者"の国家と分類されている。これらの国々に対する制裁措置は、合衆国の外交政策史上における他のどのケースと比較しても格段に厳しい。アラブ全体の外交課題を敵視しているにもかかわらず、合衆国はおのれの外交政策課題が優先して当然だと思っている(例えば悲惨なほど見当はずれだったドーハ経済サミットを見よ)。イラクの場合には、制裁措置に情状酌量事項が増えていくにつれ合衆国はいっそう抑圧的になっていく。

アメリカ人の集団的無意識のうちに燃えさかっているのは、度し難い罪人とみなされるものに対しては仮借なき懲罰が下されるべきだという清教徒的熱意である。このような態度が原住アメリカ人(インディアン)に対して合衆国政府がとってきた政策の指針となっていたことは明らかである。アメリカインディアンは最初は仇敵とされたが、その後役立たずの野蛮人とみなされるようになり、やがては居留区や収容所に押し込められた少数の生存者を残して根絶しにされた。このほとんど宗教的といえる憤怒によって支えられた天誅を下すというような態度はおよそ国際政治の場にふさわしからぬものである。しかし、合衆国にとってはそれこそが世界における行動をつかさどる中心教義なのである。また合衆国にとって懲罰とは黙示録に謡われるような破壊的なものでなければならない。ベトナム戦争当時ある有力な軍司令官は、爆撃によって敵を石器時代に戻してやるのが目標だと公言していた(実際、その目標はほぼ達成された)。91年の湾岸戦争においても同様の意見が有力だった。罪人は極限の惨たらしさをもって終末を迎えるよう定められているとされ、その際に彼らがどんな苦しみを味わうかと いうことには無頓着なのである。ニュースを漠然と見ているアメリカ人の多くが現在まず念頭においているのはイラクに対する“正当な”処罰という考えであろう。ここから、イラクとの対決に備えてペルシャ湾岸に軍事力が結集されるという浮かれ騒ぎが展開していくのである。

サダムの反抗的態度と危機の切迫を息つく間もなく伝えるニュース速報の合い間に4隻の(今は5隻か?)巨大な航空母艦が誇らしげに進んでいく映像が流れる。米大統領は自分の関心は湾岸ではなく21世紀に向いていると発表する。 “イラクによる細菌兵器の使用という脅威を見過ごすことがどうして我々にできようか?” ――たとえ(ここから先は言及されない) サダムはミサイルの能力も化学兵器も核兵器庫も持っておらず、彼がこれ見よがしに振りかざしているとされる細菌爆弾も実は存在しないことが国連イラク査察団(UNSCOM)の報告によって明らかにされているとしてもである。

ここで忘れられているのは、合衆国は人類に知られているすべてのテロ兵器を所有しており、一般市民の上に核爆弾を投下したことのある唯一の国であり、そしてほんの7年前にもイラクの上に66,000トンもの爆弾を落としたという事実である。合衆国は、今回の危機に巻き込まれた国の中では唯一、自分の国土を戦場にして敵国と戦ったことがない。この国にとって、またほぼ洗脳されたその国民にとって、終末論的な用語を用いて語ることはたやすい。

11月16日の日曜日にオーストラリアから発信された報告では、イスラエルと合衆国がバグダッドへの中性子爆弾投下を検討しているらしいことが示唆されている。残念ながら剥き出しの力の掟は厳しいものであり、イラクのような弱小国には抵抗の余地などない。制裁措置をかさにきて合衆国がイラクから自国の安全保障の余地を含めすべてを剥奪しようとしていることは異様にサディスティックである。対イラク制裁を監督するために設置されたいわゆる国連661委員会は、合衆国を含む15カ国によって構成され、それぞれの国が拒否権を持っている。医薬品やトラックや肉などを得るために石油を売りたいとイラクは同委員会に嘆願を提出するが、委員会メンバーはどの国もこれこれの品目は軍事目的に使用される可能性がある(例えばタイヤや救急車など)と主張してイラクの嘆願を却下することができるのである。合衆国とそのクライアント(例えば国連イラン査察団長リチャード・バトラー Richard Butler のような不快な人種差別主義者。彼は、アラブ人の真実という観念は世界の他の人々のものと異なっていると公言している)は、たとえイラクが隣国に全く脅威を与えぬほどに完全に軍事を縮小したとしても(事実そうなっている)制裁措置の真の目標はサダム・フセイン政権の転覆にあるのだということをはっきりと示している。すなわち、サダムが辞任するか死なないかぎりイラク側が何をやっても制裁解除には不充分だとアメリカ人は言っているのである。

最後に忘れてならないのが、外交政策上の利害とは全く別の次元で、イラクが今やアメリカの(石油や湾岸とは無縁の)国内問題と密接にからんでいるということである。選挙資金疑惑、セクハラ裁判、立法や内政上の失策などによって人物評価が地に落ちたビル・クリントンは、力強く決然とした“大統領らしい“姿をどこかで見せなければならない状況に追い込まれた。そこに格好の見せ場を用意したのが湾岸におけるイラクとの対決である。おまけに軍事支出の増加によるエレクトロニクス兵器やより精巧な航空機の開発、世界中にアメリカの力を投影させるための機動部隊の整備なども、その成果を誇示する絶好の舞台を与えられた。湾岸では目に見える人的被害が発生する可能性はきわめて小さく、新たな軍事技術の性能をもっとも魅力的な形で試すことができる。

マスコミは嬉々として政府に迎合し、アメリカのひとりよがりによるこの一大イベントの模様を中継し、得意げな愛国心の誇示や「我々」が極悪な独裁者をやっつけているという満悦感などを国内視聴者に伝えている。従来から指摘しているように、分析や冷静な省察どころか、マスコミというものは基本的に政府のために存在するのであり、反対派を生まないようにすることがその使命なのである。一言でいえば、マスコミは対イラク戦争の延長でしかない。

今回の事件全体の最も悲しい側面は、イラクの一般市民がいっそうの被害を受け苦しみが長期化することになるだろうということである。彼ら自身の政府も米国政府も彼らの日々の苦しみを和らげたいとは思っておらず、結局は彼らだけがこの危機のつけを払うことになりそうだ。少なくとも(といっても、たいして役には立たないが)アメリカの軍事行動に対するアラブ諸国の反応は冷たいようである。しかし、それを超えたアラブ諸国の協同歩調というものは見られず、きわめて深刻な人権問題についてさえ何らの統一方針も打ち出されていない。ニュース報道によれば、残念なことにアラブ世界では民衆のあいだにサダムへの支持が高まっているとのことである。現実の力に裏付けられない反抗は惨めな結果を招くだけという過去の教訓が、いまだに学ばれていないかのようだ。合衆国が利己的に国連を操っているのは間違いない。百万ドルにおよぶ合衆国の国連拠出金滞納分の支払いを議会がまたもや否決したというこの時点では、恥ずべき振る舞いである。対イラク制裁措置と罪のないイラク市民が被っている被害の問題を前面に押し出すことが、アラブ人、ヨーロッパ人、ムスリム、アメリカ人のい ずれにとっても最優先事項であるべきだ。この問題をハーグ国際司法裁判所に持ち込むというのは完璧に実現可能な妙案と思われる。だが必要とされているのは、合衆国から酷い仕打ちを受けながらこれほど長い間放置されてきたアラブ人たちを救おうという意志の協調である。

この記事は、アラブ語ではロンドンのアル・ハヤット誌(Al-Hayat)、英語ではカイロのアル・アフラム誌(Al Ahram Weekly) で最初に掲載された

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