Edward Said Interview

ペンと剣

後年の小説『ペスト』 では、あの都市で死んでいくのは主にアラブ人なのですが、彼らについては何も語られません。カミュとヨーロッパの読者にとって問題になるのは、いまも昔も、ヨーロッパ人だけなのです。アラブ人はただ出てきて死ぬだけです。おもしろいことに、この物語はつねに、ドイツによるフランス占領の比喩ないし寓話であると解釈されています。これに対して、僕流のカミュの読解は、特に後期の作品については、彼が1950年代後半にアルジェリア独立に強く反対していたという事実から始まります。・・・・・・・・「アルジェリア民族などというものは存在しない」――彼はムスリム帝国主義を公然と非難しました。人間の状況に対する偏見のない観察者どころか、カミュは植民地の証人なのです。
Albert Camus
アルベール・カミュ

DB:アルベール・カミュ〔Albert Camus フランスの作家・評論家、1913-60〕については「とても興味深い人物」だと見てらっしゃいますね。このノーベル賞作家は、人間の状況を鋭く洞察する普遍主義者 universalist として賞賛され、人間の品性と、ファシズムに対するレジスタンスの象徴になっています。しかし、あなたの手にかかると、まるで異ったカミュ像が現れてきます。

カミュは、重要な作家であると同時に、それに劣らぬほど大したスタイリストです。多くの点で模範的な小説家であることは間違いありません。たしかに彼は抵抗について語っています。しかし僕がひっかかるのは、この作家が、本人の素姓や過去から切り放されて読まれていることです。カミュの素姓は、植民地人 colon、ピエ・ノワール です。彼はアルジェリアの海岸に面した、アラビア語で アンナバ 、フランス語ではボーヌ と呼ばれる都市の近郊で生まれ育ちました。この町は1880年代から1890年代にかけてフランス化したのです。彼の先祖はコスタリカや南欧やフランス各地からの移民です。彼の小説は、じつは植民地的な状況を表現したものだと僕は見ています。『異邦人』 L'Etranger (1942)に出てくる主人公ムルソーはアラブ人を殺しますが、カミュはこのアラブ人に名前も素性も与えていません。小説の終わりの方で、ムルソーが裁判にかけられる場面の着想は、完全に思想的フィクションです。植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人など存在しません。これは偽りです。彼は虚構を構築するのです。

第二に、後年の小説『ペスト』 La Peste (1947)では、あの都市で死んでいくのはアラブ人なのですが、彼らについては何も語られません。カミュとヨーロッパの読者にとって問題になるのは、いまも昔も、ヨーロッパ人だけなのです。アラブ人はただ出てきて死ぬだけです。おもしろいことに、この物語はつねに、ドイツによるフランス占領の比喩ないし寓話であると解釈されています。これに対して、僕流のカミュの読解は、特に後期の作品については、彼が1950年代後半にアルジェリア独立に強く反対していたという事実から始まります。彼は事実、1956年のスエズ動乱の後、FLN(アルジェリア民族解放戦線)とエジプトのナセルを引き比べています。

DB:彼は1957年に、「アルジェリアに関しては、民族独立というのは感情論だ。アルジェリア民族などというものは存在しない」と発言しています。

その通り。「アルジェリア民族などというものは存在しない」――彼はムスリムの帝国主義を公然と非難しました。人間の状況に対する偏見のない観察者どころか、カミュは植民地の証人なのです。いらだたしいのは、彼が決してそんな風には読まれないということです。僕の子供たちは高校生と大学生ですが、最近、それぞれフランス語の授業で『ペスト』と『異邦人』を講読しました。息子と娘のどちらの場合も、カミュを植民地という文脈からは切り放して読まされました。カミュが加担していたこの異論の多い歴史については、なんの言及もなかったのです。カミュは、ただの中立的な観察者ではありません。彼は筋金入りの反FLN派だったのです。

DB:彼の『追放と王国』 Exile and Kingdom (1958)のなかに、「不貞の女」という題のとてもおもしろい物語があります。この作品のなかの言語について鋭い指摘をなさってますね。

言語だけのことではありません。これは後期の作品で、1955年以降に書かれたものです。物語はジャニーヌというフランス女性についてのもので、彼女はセールスマンの妻です。夫妻はアルジェリア南部に向けてバスで旅しています。彼女は、自分の国にいるのに外国人に取り囲まれていると発言していますが、これは当時カミュ本人が感じていたことでしょう。ジャニーヌはアラビア語が分かりません。現地人を、かけ離れた生き物のように扱います。一行はついに目的地であるアルジェリア南部のひなびた町に到着し、ここで宿を取ります。ジャニーヌは眠れません。彼女は、夜になって外出します。性的な充足の瞬間と解釈されるべき場面で、彼女はアルジェリアの大地に横たわり、その土地とコミュニケーションをとる儀式を行います。これについては、カミュ自身は後に、その土地からエネルギーを引き出すことにより自己を刷新する手段だったと記述してます。これは、一種の実存主義的な比喩として読まれることが多いのですが、じつはフランス人の(ジャニーヌはフランス人ですから)アルジェリアの領土(自分たちのものだと思っている)に対する宗主権の宣言なのです。この物語を僕は こうした文脈で読みますが、普通はそのようには読まれません。

僕はそれを、カミュが〔独立反対派が依拠していた〕「アルジェリアはフランスと特別の関係にある」という観念の放棄を拒んだことに関連づけています。彼の発言としてよく引用されるのは、もし戦争状態の中で、正義や道義といったものと自分の母親の生命のいずれかの選択を迫られたならば、自分は迷うことなく母親を選ぶ、というものです。しかし、そのような問いは、選択肢の設定自体が誤りです。選択を迫られているのは、正義と真実に対する知識人としての責任を貫くか、それを偽るかのどちらかです。カミュのファンの多くには、それが見えないのです。

DB:フランスは、アルジェリアではアラビア語は外国語であると宣言しませんでしたか?

アラビア語は第二次世界大戦の終結まで排斥されました。なぜなら、アルジェリアはフランスの一部と考えられていたからです。この言語を教えることができた唯一の場所は――今日のアルジェリアの状況に大きく関連することですが――モスクの中でした。イスラム教は、当時も今も、ナショナリズムの最後の避難所だったのです。FLNは1962年に政権を奪取すると、アラビア語を復活しました。そのアラブ化政策には、やや行き過ぎた点もあったようです。アラビア語の学習が強要されました。ベン・ベラ Ahmed Ben Bella や ブーメディエン Houari Boumedienne の世代は、アラビア語をまったく知らなかったのです。彼らの実用言語はフランス語でした。方言を話し、コラーンを読むことはできましたが、東アラブ世界の僕たちが使うようにはアラビア語を使えなかったのです。そこで彼らはそれを学ばねばなりませんでした。一方、FLNは、民族の党であるだけでなく、国家の党となっていきました。30年以上にわたり権力を独占した結果、FLNは信念に忠実な人々の反抗を招くような勢力になってしまいました。そうした背景から、FIS(Front Islamique du Salvation イスラム救国戦線)が誕生します。これは同じ歴史の繰り返しです。

DB:知識人の責任と言われましたね。あなたが異議を唱えるように、こうしたことの一切を取り除いて文学を提示し、カミュを研究しながら本質的なところを除外してしまうようなことをするのは、どういう階層の人々なのでしょうか。あなたが明白にそこにあるとおっしゃるものを解釈しながら、何も見ようとしない人々です。

階層 class というかたちで一括するのは、ちょっと難しいですね。でも、はっきり言えることは、こうしたことに注意を向けさせ、それらの読みとりを可能にさせるものののひとつが、植民地解放の経験だということです。植民地解放闘争の時代を体験すれば、こうした文章 text に戻ったとき、普通は見過ごされてしまうようなポイントを敏感にすくい上げるようになります。一方、文学は文学でしかなく、他の一切のことには関係がないという態度に固執するならば、文学を世界から切り放し、ある意味でそれを不具にするのが仕事になってしまいます。文学に現実性を与え面白味を加える側面、現実に進行していた闘争にからませるような側面を、切除してしまう役目を果たすことになるのです。

僕はなにも文学を政治として教えるべきだなどと提言してはいないし、むしろそれには強く反対しています。政治パンフレットと小説の間には区別を設けています。授業が政治的な考えを提唱する場であるとは思いません。僕は授業で政治思想を教えたことなどありません。教師としての僕の役割は、文学テキストの解釈と読解だと思っています。

DB:でも、それは政治性を持つでしょう?

ただ一点においてのみです。文学から外装を剥ぎ取り、文学が内包する大きな問題点を骨抜きにするような読み方に反対するという意味では、政治的です。

DB:しかし、教師として一定の選択をしているのではありませんか?

もちろんです。教師は皆、選択しています。それを否定するつもりはありません。でもその選択は、こういう古典文学に異なった読み方を提案するためのものです。僕は、それが唯一の読み方だなんて決して言ってません。それも意味のある読み方であり、これまで取り上げてこられなかった読み方だと言っているだけです。学問の自由が問題の核心だと思っていますから、僕の読み方を学生に押しつけ、こういうふうに読まないと単位はやらないよ、などと言うつもりはありません。まったく逆です。僕は、これらのテキストについて、これまでにない新鮮な探索を促し、より懐疑的で詮索的な姿勢の綿密な読み方が起こってくるようにしたいのです。そこがポイントです。

< 『ペンと剣』(クレイン1998)からの抜粋 :Copyright 1998 Crane>

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