Edward Said Extra  サイード・オンラインコメント

最近のサイードのスピーチの映像や音声が二本ほどウェッブに載っているので紹介します。
まず、こちらは5月8日にシアトルのワシントン大学での講演です。内容は4月26日NHKのサイードの番組のもとになったカイロ・アメリカン大学での講演の続き、という感じの内容で、まさに「イラク戦争、その後・・・」というものです。画像も鮮明で、質疑応答まで全部はいっていて、おすすめです。 → 聴いてみる
もう一つは その二週間後の6月14日に行われたアラブ系アメリカ人の団体American Arab Anti-discrimination Committeeの記念講演で収録されたもの。こちらは、聴衆がアラブ系アメリカ人ということで、先のものとはまたちょっと違うものです。
→ ラジオのみ 画像つき(画質はPoor) スクリプト


気品と連帯
Of Dignity and Solidarity

五月のはじめ、わたしは講演のため数日間シアトルに滞在した。そこにいるあいだに一度、レイチェル・コリーの両親や姉妹とディナーを共にした。三月十六日にレイチェルがガザ地区でイスラエルのブルドーザーにひき殺された事件のショックから、彼らはまだ完全に回復してはいなかった。コリー氏は、自分もブルドーザーを運転したことがあると言ったが、彼の娘をひき殺したブルドーザーは家屋破壊のために特別に設計されたキャタピラー社製の六〇トン級の怪物のようなマシンで、彼がこれまでに見たことや運転したことのあるどんな機種よりも格段に大きなものだった。レイチェルはラファで破壊されるパレスチナ人の家を勇敢に守ろうとしたため、故意にひき殺された。この短いコリー家の訪問で、二つのことが印象に残った。

一つは、娘の遺体を引き取ってコリー夫妻がアメリカに戻ってきたときのでき事だ。彼らはただちにパティ・マーレーとメアリー・カントウェルという地元の上院議員(二人とも民主党だ)に面会し、事件のことを相談した。二人の上院議員は予想通りショックを受けて憤慨と怒りを表明し、この件について調査することを約束した。だが彼女たちがワシントンに戻った後、コリー家には二度と連絡がなく、約束された調査も実施されなかった。予想された通り、イスラエル・ロビーに現実を諭され、彼女たちは二人ともあっさり退散してしまったのだ。アメリカ市民が、アメリカの庇護国の兵士に故意に殺されたというのに、政府からはたいして不満の声もあがらず、そればかりか家族に約束された絶対に必要な調査さえ行われていないのだ。

二つ目は、レイチェル・コリーの行動そのものが、勇敢であると同時に気高いものだったことだ。わたしにはこちらの側面の方がずっと重要に思われる。彼女はシアトルの南六〇キロのオリンピアという小さな町に生まれ育った。国際連帯運動(ISM)でガザに行き、これまで自分にはなんの関わりもなかった人々の迫害の苦しみに連帯する活動に加わった。故郷の家族へ宛てた手紙には、彼女の普通の人間としての感性がじつに見事にあらわれており、読むのがちょっとつらいほど感動的だ。特に心を動かされるのは、そこで出会ったパレスチナ人たちが示す優しさや気遣いについて書いているところだ。パレスチナ人たちはレイチェルを自分たちの仲間としてはっきり歓迎していた。彼女が自分たちとまったく同じ生活をし、生活も悩みも分かち合い、イスラエルによる占領の恐怖と、それによるひどい影響が幼い子供たちにさえ及んでいることを理解してくれたからだ。レイチェルは難民がどんな目にあわされているかを理解し、この人々が生活していくのをほとんど不可能にしている一種の集団虐殺といえるようなイスラエル政府の狡猾なたくらみ(彼女のことばだ)を理解していた。彼女の連帯精神は非常に感動的なものであり、それに感化されてダニーという名前のイスラエルの予備役兵が従軍を拒絶し、彼女に手紙を書いて、「あなたの活動は素晴らしい。お礼を言わせてください」と告げたほどだった。

家族に宛てた彼女の手紙(後にロンドンの『ガーディアン』に発表された)のなかで一貫して光っていたのは、パレスチナ人たち自身が示す驚くべき抵抗の精神だ。迫害と絶望の恐ろしい状態に押し込められた普通の人々が、それでも耐えてこれまでと同じように生きつづけている。最近は「ロードマップ」と平和の見通しについて多くが語られているが、そこで見過ごされがちな、もっとも基本的な事実は、イスラエルとアメリカが力をあわせて集団懲罰を加えてくるような状況におかれてさえも、パレスチナ人は降伏することを頑として拒否しているということだ。この驚くべき事実こそが、「ロードマップ」が存在する理由であり、それ以前にも無数のいわゆる「和平構想」が登場してきたことの理由なのだ。アメリカやイスラエルや国際社会が、人道主義的見地から殺し合いと暴力は止めなくてはならないと思ったからではまったくない。欠点や失敗にもかかわらず、パレスチナ人の抵抗が持つ力(結局は害の方が大きい自爆攻撃のことを言っているのではない)についてのこの真実を見落としてしまえば、なにひとつ見えてこない。パレスチナ人はいつもシオニストの計画にとって悩みの種だった。いわゆる「解決策」がしょっちゅう提案されているが、それらは問題を解決するというより、最小化するためのものだ。アリエル・シャロンが「占領」という言葉を使おうが使うまいが、あるいは使ってもいない錆ついた塔を一つや二つ解体しようがしまいが、イスラエルの公式政策は一貫してパレスチナ人が対等の人間であるという現実を受け入れようとせず、建国以来イスラエルが破廉恥なほど踏みにじってきたパレスチナ人の権利を決して認めようとはしていない。少数の勇敢なイスラエル人によって、この隠蔽された歴史に取り組もうとする努力がなされてはきたものの、たいていのイスラエル人や、ユダヤ系アメリカのおそらく大多数が、パレスチナ人が存在するという現実を拒絶し、回避し、否定しようとあらゆる努力を払ってきた。和平が進まない理由は、ここにある。

そのうえ、「ロードマップ」は正義についてなにも語らず、パレスチナ人に与えられてきたあまりにも長い年月にわたる歴史の懲罰についても何も語られない。だがレイチェル・コリーのガザ地区での仕事が認知したのは、ただの恵まれない難民の集まりではなくナショナルな共同体としてのパレスチナ人が持つ、生きた歴史の重みと内容の濃さだった。それが、彼女の連帯していたものだった。そして覚えておかねばならないのは、このような種類の連帯意識は、もはや各地に点在する大胆で恐れを知らない小数の人々に限定されるものではなく、いまや世界中に認められることだ。過去六カ月のあいだにわたしは四つの大陸で何千という人々に講義をした。この人々を結集させるものは、パレスチナとパレスチナ人の闘争だ。敵方がいかに多くの中傷をあびせようが、それはいまや解放と啓蒙の代名詞になっている。

事実が明らかになったときはいつでも、即座にそれが認識され、パレスチナの大義の正当性とパレスチナ人のさまざまな努力に対して、心からの連帯が表明される。今年ポルトアレグレで開かれた反グローバリゼーションの大会でも、その対極にある人々のダヴォスやアンマンの国際会議でも、いずれもパレスチナが中心課題であったことは驚くべきことだ。この国(アメリカ)の市民はメディアによって恐ろしいまでに偏向した無知と虚偽を毎日せっせと詰め込まれている。自爆攻撃のぞっとするような描写のなかにも占領の事実は決して言及されず、イスラエルが建設中の高さ七・五メートル、幅一・五メートルで三五〇キロにわたる「アパルトヘイトの壁」がCNNなどのTVネットワークで見せられることは決してなく(「ロードマップ」の精彩のない文章の中にも、ちらりとも出てこない)、パレスチナの一般市民に対する戦争犯罪、理由のない破壊と侮辱、身体の毀損、家屋の取り壊し、農作物の破壊、殺害などが、完全に日常化した日々の苦難として報道されることもない。こんな状況の下では、一般のアメリカ人が、アラブやパレスチナ人についてきわめて低い評価を下すようになっているのも無理はない。結局のところ、既成メディアの主要機関は、左派リベラルから非主流右翼にいたるまで、おしなべて反アラブ、反ムスリム、反パレスチナで一致しているのだから。イラクに対する非合法で不正な戦争がさかんに売り込まれた時期に、メディアがみせた臆病ぶりはどうだ。制裁措置がイラク社会にもたらした莫大な損害について報道されることがいかに少なく、戦争に反対する意見が世界中に大きくほとばしったときにも、いかに控えめな報道しかなされなかったことか。ヘレン・トーマスを除いてジャーナリストはほとんど誰も、政府が戦争前に、イラクはアメリカに対する差し迫った軍事的な脅威であるとして、ひどい大嘘と「事実」を捏ね上げたことを追求しなかった。そして現在、この同じ政府の宣伝屋たちは、大量破壊兵器についての「事実」を冷笑的に捏造して操ったという過去についてはほぼ忘れられ、あるいは無関係だとして無視されて、いまやメディアの大物たちから大目に見てもらい、アメリカが独りで無責任につくりあげたイラクの人々のおぞましい、文字通り言語道断の状態について論じている。サダム・フセインがひどい暴君であったことは間違いないし、そのことはいかようにも非難されようが、それでも彼は水や電気や医療や教育といったインフラについてはアラブ諸国の中で最高水準のものをイラクの人々に提供していた。だが今ではそのどれ一つ、まともに稼動していない。

イスラエルが罪のない非武装のパレスチナの民間人に対して毎日のように戦争犯罪を行っていると批判すれば反ユダヤ主義に映るとか、アメリカ政府を批判すれば「反米」のそしりを受けるということに異常な恐れを抱いている状況では無理もないことだが、バーナード・ルイスやダニエル・パイプスのように粗野で愚鈍な政治評論を行なうオリエンタリストに先導された、アラブの社会、文化、歴史、精神などを攻撃するメディアや政府の悪質なキャンペーンによって、わたしたちのあまりに多くが怯えさせられ、アラブ人は本当に発展途上で役立たずの、消え去る運命の民族であり、民主主義にも開発にもことごとく失敗して、この世界の中でアラブ人だけが、停滞し、時代に遅れ、非近代的でひどく反動的にとどまっていると信じ込まされた。ここでこそ、高潔さと批判的な歴史的思考を動員して、ものごとをきちんと見分け、プロパガンダの網をほぐして真実を解き放たねばならない。

今日、たいていのアラブ国家が不人気な政権の下に統治されており、膨大な数の貧しく恵まれない若いアラブ人たちが非情なかたちの原理主義宗教にさらされていることを否定する者はいないだろう。それでも、『ニューヨーク・タイムズ』が欠かさずやるように、アラブ社会は完全にコントロールされていて、言論の自由も、民間団体も、民衆による独自の社会運動もいっさい許されていないなどと語るのは、まったくの虚言だ。出版物に関する法規制にもかかわらず、今日アンマンのダウンタウンに行けば、共産党の新聞も、イスラーム主義の新聞も買うことができる。エジプトやレバノンには新聞や雑誌があふれており、これらの社会には一般に認知されているよりずっと活発に、論争や議論が実際に行われていることを示唆している。衛星放送は目がくらむほど多様な意見であふれ返っている。市民団体は、社会福祉、人権、シンジケート、研究機関などにさまざまなレベルで関与しており、アラブ世界のいたるところで活発に活動している。わたしたちの民主主義が適切なレベルに到達するまでにはまだまだ多くの課題が残っているが、わたしたちはそこに向かっている。

パレスチナだけでも一千を超えるNGOがあり、このような活力と、この種の活動こそが、この社会を存続させているのだ──これを毎日のように中傷し、滞らせ、損なおうとするアメリカやイスラエルの努力を跳ね返して。最悪の状況に置かれたときでも、パレスチナの社会は打ち負かされることも完全に崩壊することもなかった。子供たちは依然として学校に通い、医者や看護婦は依然として患者の面倒を見ており、男も女も働いている。団体は会合をつづけ、人々はひきつづき生活している。そのことがシャロンや他の急進主義者たちには癪に障るらしい。彼らはただパレスチナ人を監禁するか、さもなければまるごと追い払うことしか考えていない。だが軍事的な解決は奏効しなかったし、これからも決して奏効しないだろう。なぜイスラエル人には、それを理解するのがそんなに難しいのだろう。わたしたちは彼らがそれを理解するよう助けてやらねばならない。ただし自爆攻撃によってではなく、理性的な合意と大衆の市民的抵抗、組織化された抵抗運動を、ここアメリカでも。他のところでも、繰り広げることを通じてだ。

わたしが言いたいのは、アラブ世界一般また特にパレスチナについては、ルイスの『イスラーム世界はなぜ没落したか?―西洋近代と中東』(日本評論社 二〇〇三年) Bernard Lewis, What Went Wrong: Western Impact and Middle Eastern Response, Oxford Univ Pr; 2001のように表層的で侮蔑的な本や、ポール・ウォルフォウィッツによる、アラブ世界やイスラーム世界に民主主義を持ち込むなどという無知な発言が示唆するよりも、もっと相対的で批判的に見る必要があるということだ。アラブ人について、これほどまちがった発言はない。そこにはアクティブな力が働いている。なぜなら彼らは現実の人間として、現実の社会に住んでいるからだ。そこにはあらゆる種類の潮流がうごめいており、簡単にひとくくりにして、暴力的な熱狂に走る怒涛のような群集として戯画化できるようなものではない。正義を求めるパレスチナ人の闘争には、とりわけなにか人々に連帯を表明させるものがある──果てしなく批判をくりかえしたり、苛立ちをこめて、失意落胆させるような言葉を吐いたり、不和によってだめにするのではなくて。アメリカでも、ラテンアメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど他のどこでも、パレスチナ人への連帯を忘れないでおこう。またもうひとつ覚えておきたいのは、困難や、ひどい障害にもかかわらず、多くの人々が熱心に支持してきた大義があるということだ。なぜだろう? その理由は。それが正義であり、気高い理想、平等と人権の道義的な探索であるからだ。

ここで、ディグニティ(品格や尊厳)について話したい。言うまでもなくこの観念は、歴史学でも、人類学でも、社会学でも、人文科学でも、およそすべての文化において特別な位置を与えられている。まっさきに指摘しておきたいのは、アラブ人は、ヨーロッパ人やアメリカ人とはちがって個人という感覚を持たず、個々の人生に対する尊重がまったく欠けており、愛情や親密さや理解の表現には価値を認めない(そういうものはルネッサンスや宗教改革や啓蒙主義を経験したヨーロッパやアメリカのような文化だけが持つ資質なのだとされている)と理解するのは、根本的に間違った、オリエンタリズムの、本当に人種差別的な命題だということた。その筆頭に挙げられるのが、教養のない、幼稚なトーマス・フリードマンだ。この男が広めて回っているこういうばかげた命題を、自分のものとして取り込んでいるのは、情けないことに、フリードマンに負けぬほど無知で自己欺まん的なアラブ知識人たちだ。具体的に名を挙げる必要はないだろうが、彼らは、九/一一の残虐行為は、アラブ世界やイスラーム世界がどういうわけか他の世界よりも病んでおり、より重症の機能不全に陥っていることの兆しであると考えており、またテロリズムは、他の文化よりも大きな歪曲が起こっている兆候であるとみている。

だが両者を比べれば、ヨーロッパとアメリカの方に、二〇世紀に発生した暴力による死者の圧倒的多数についての責任を帰すことができ、それに比べればイスラーム世界のものなどほんの小さな部分にすぎない。この誤った文明と正しい文明というまことしやかなナンセンスの背後には、偉大な偽預言者サミュエル・ハンティントンのグロテスクな影法師が見え隠れする。この世界は相異なる個別の文明に分割することができ、それらは互いに永遠の抗争をつづける運命にあるという考えを、彼は多くの人々に吹き込んだ。だがハンティントンは、その主張のどのポイントにおいてもことごとく間違っている。どんな文化も、文明も、単独では存在しない。個人主義や啓蒙主義といった完全に独占されたものだけでなりたつような文明など存在しないし、共同体や愛情や生命の価値などといった人間としての基本的な特質を欠いた文明も存在しない。この逆のことを示唆するのは純粋な人種差別であり、アフリカ人は生まれつき劣った頭脳を持つとか、アジア人は隷属するために生まれてきたのだとか、ヨーロッパ人は生まれつき優れた人種であると主張するような人々の同類だ。これは一種のヒトラー流の科学のパロディーが、今日では他にみられないようなかたちでアラブ人とムスリムを攻撃するために用いられたものであり、そんなものに対しては論駁の形式さえとらないほど断固として退けなければならない。愚にもつかないたわごとなのだから。一方、もっと信頼できる本格的な記述によれば、アラブやムスリムの生活には、他のすべての人類の場合と同じように固有の価値観や品格があり、それはアラブやムスリムの独特の文化的なスタイルのなかに表現されている。そのような表現が、だれもが見習うべきだとされるひとつのモデルに似せていたり、そっくり真似たものである必要はない。

人間の多様性の本質は、つまるところ、互いに大きく異なった個性や経験が互いに深く関わりあいながら共存する形式にある。一つの優越した形式の下にすべてを還元してしまうことなどできはしないのだ。そういうものはアラブ世界における発達や知識の秩序を嘆く物知り顔の連中が、わたしたちに押しつける偽りの議論だ。それを確かめるには、モロッコから湾岸諸国にまたがるアラブ人によるアラブ人向けの文学や映画、演劇、絵画、音楽、大衆文化にみられる途方もない多種多様性に目をやるだけで充分だろう。そういうものこそが、アラブ人が成熟しているかどうかをみるための指標として考慮されねばならないのであって、単に工業生産統計のある一日の数字が一定水準の工業化指標を満たしているかどうかをみるだけでは不十分なのだ。

さらにいっそう重要なポイントとして指摘したいのは、わたしたちの文化や社会と、現在これらの社会を支配している少数の人々のあいだに、巨大なギャップが横たわっていることだ。国王、将軍、スルタン、大統領などの称号で現在アラブ人を統治している一握りの人々。これほど少数の人々にこれほどの権力が集中したことは、歴史を振り返ってもめったになかった。一つの集団としてみた彼らの最も悪いところは、彼らがほぼ例外なく、国民の最良のものを代表していないということだ。これは民主主義がないというような問題ではない。どうやら彼らは、自分自身も、自分の国民も、ともにひどく過小評価しているらしく、そのためみずからを閉ざしてしまうようになっている。そのため彼らは不寛容で変化を恐れ、自分たちの社会を国民に開放することを恐れ、そしてなによりもビッグブラザー、すなわちアメリカの怒りに触れることを恐れているのだ。彼らは自国の市民を潜在的な国の宝としてみることをせず、みなひっくるめて支配者の権力を狙っている罪深い共謀者なのだとみなしている。

これがほんとうの失敗だ。イラク人に対するひどい戦争のあいだに、このアラブで最も重要な国が略奪され、軍事占領されたことについて何か発言するような品格と自信を備えたアラブの指導者は一人もいなかった。サダム・フセインの恐怖体制がなくなったというのは、たいへん結構なことだ。だが、いったい誰がアメリカをアラブの指南役に任命したというのだ? 市民のためと称してアラブ世界を乗っ取り、「民主主義」と呼ばれるものを持ち込むことなど、だれがアメリカに頼んだというのだ。とりわけ当のアメリカの国内では、学校制度や保健制度や経済全体が一九二九年の経済大恐慌いらい最悪の水準まで後退しているというときに。このようなアメリカの破廉恥で不法な干渉に抗議して、アラブから一斉に声が挙がることがどうしてなかったのだろう。それによってアラブのネイション全体が大きく損傷し、ひどい侮辱を受けたというのに。これは本物の大失調だ──神経と、品性と、内部団結の。

ブッシュ政権が全能の神による導きについて語っているというのに、アラブの指導者のなかには、わたしたちは偉大な民として自分たち自身の見解や伝統や宗教をもっているのだと発言する勇気のある者は一人もいないのだろうか。だがそんな言葉は一言たりとも聞こえず、そうするあいだにイラクの哀れな市民たちは世にも悲惨な目に遭っており、残りの中東地域全体は集団的なおびえに震えている。だれもが次は自国の番かもしれないという恐怖でがちがちになっている。主要アラブ諸国の指導者たちが先週、ジョージ・W・ブッシュを抱擁したことは、なんという情けない事態だろう。この男の起こした戦争が、今月アラブの一国を理由もなく滅ぼしたというのに、彼らの中のだれひとり、ジョージ・Wに自分のしたことがどんなにアラブ人々に恥をかかせ、前任者のだれよりも大きな苦しみをもたらしたかを思い出させる勇気を持たない。いったい、この男はいつも抱擁と微笑とキスと深いお辞儀で歓迎されなくてはならないとでもいうのだろうか。西岸地区とガザの占領反対の運動を維持するために必要な外交的、政治的、経済的な支援はどこにあるのだ。その代わりに聞こえてくるのは、外務大臣たちのパレスチナ人に対する説教ばかりだ。やり方に気をつけよ、暴力を避けて、和平交渉をねばりよくつづけよ──シャロンには和平に対する興味などまったくないことはすでに明白であるにもかかわらず。分離壁、暗殺、集団懲罰に対するアラブ側の協調した反応は、いまだにみられない。国務省の公認する使い古しの定式をくり返すだけの、くたびれた一連の常とう句があるだけだ。

パレスチナの大義の気高さを理解することができないという点で、アラブがどれほど最低のところまで落ちているかを感じさせるのは、パレスチナ自治政府の現在のありさまだ。アブー・マーゼンという、彼の同朋のあいだにはほとんど政治的な支持者がいない従順な人物が、アラファト、イスラエル、アメリカによって選ばれて、この役目(首相)につかされた。その理由はまさに、マーゼンが独自の支持基盤をもたず、雄弁家でもなければ優れた組織家でもなく、ただヤーセル・アラファトの忠実な補佐官であるということを除いては本当にこれといったとりえのない男だからだ。彼はイスラエルの命ずることをなんでも実行する男だとみられているのだ。だが、いくらそのアブー・マーゼンでも、アカバ[二〇〇三年六月四日のブッシュ、シャロン、アッバースの三者会談]で、彼のためにアメリカ国務省の役人が書いた言葉を、腹話術の人形のように口にするようなまねが、どうしてできたのだろう。その中で彼がユダヤの苦しみについて語ったのは賞賛すべきだが、驚いたことに自分の民がイスラエルの手で苦しめられていることについてはほとんど何も言及しなかったのだ。どうして彼は、こんなみっともない、操り人形のような役割を引き受けることができたのか、そして一世紀以上も自らの権利のために勇ましく戦ってきた民の代表としての自らの威厳を、アメリカとイスラエルに強要されたからといって、そんなにあっさり忘れてしまうことができたのか。イスラエルが、ただ簡単に「暫定的な」パレスチナの国家ができるだろうと言うだけで、自らが引き起こした甚大な被害や、数え切れぬ戦争犯罪、まったくのサディスト的な、組織的な屈辱をパレスチナのすべての男や女や子供に加えているということについても、いっさい悔恨を表明していないというのに、長く苦しんできたこの民の指導者あるいは代表の位置にある者がそれについて注意を促そうとさえしないというのは、まったくわたしの理解力を超えている。彼は威厳という感覚を完全に失ってしまったのだろうか。自分は単に一人の個人であるばかりでなく、自分の民の運命をも、特にこの重大な局面において、担っているのだということを、彼はわすれたのだろうか。

この難局に際して底力を発揮し、威厳を保ち(彼の民の経験と大義の持つ威厳だ)、プライドをもって、妥協することなく、両義性を持たせず、パレスチナの指導者たちがそんな価値もない白人の親父にちょっとした好意をおねだりするときに使ってきたような半ば恥ずかしそうな、半ば弁解じみた調子を使うことなくその証を立てることに、このように完全に失敗したことでひどく失望させられなかった者がいるだろうか。

だがそれがオスロ以来ずっと、パレスチナの統治者たちのふるまいだった。そして実際のところ、ハッジ・アミンの時代からそうだったのだ。彼は場違いな子供っぽい侮蔑的態度と、哀れっぽい懇願とを組み合わせたような人物だった。いったいどうして彼らはいつも、敵に書いてもらった原稿を読みあげることが絶対に必要だと考えてしまうのだろう。アラブとしてのわたしたちの生活の基本的な誇りは、パレスチナでも、アラブの世界全体でも、そしてこのアメリカでも、わたしたちは一つの遺産、一つの歴史、一つの伝統、そしてなによりも一つの言語を持った、自立した民であるということにある。わたしたちの言語には、一九四八年以来すべてのパレスチナ人に押しつけられてきた追放と迫害の経験を通して生まれたわたしたちの真の念願を表現する能力が充分に備わっている。だが、わたしたちの政治的なスポークスパーソンはだれひとり──同じことがアブデル=ナセルの時代からずっとアラブ人についても言えるのだが──わたしたちが何者であり、なにを望んでおり、何を達成し、どこへいきたいと思っているのかということを、自尊心と威厳を持って語ったことが一度もない。

だがゆっくりと、状況は変わりつつある。アブー・マーゼンやアブー・アンマール(アラファト)のような人物で構成される古い体制は終わりつつあり、アラブの世界中いたる所に出現している新世代のリーダーたちによって徐々に置き換えられている。なかでも最も有望なのは、ナショナル・パレスチニアン・イニシアティブ(NPI)のメンバーたちだ。彼らは草の根ベースの活動家たちであり、その主な活動は机に向かって事務仕事をすることでもなければ、銀行預金口座を操作することでも、ジャーナリストの注目を追い求めることでもない。彼らが出てきた階層は、専門技術者、労働者、若手の知識人や活動家、日々のイスラエルの攻撃をかわしながら社会を存続させている教師、医者、法律家、その他の働き手たちだ。彼らが打ち込んでいる民主主義や大衆参加の形式は、民主主義とは安定と自らの安全を意味するものだと考えている自治政府には、思いもよらない種類のものだ。失業者に社会サービスを、保険のないものや貧者に保健サービスを提供し、新世代のパレスチナ人には適切な世俗教育を施し、過去の事象を偏重することなく現代の現実についても教えられるようにする。このような政治綱領のため、NPIは占領を撤廃することが漸進への唯一の道だと述べ、それを実行するためには、国民を代表する統一指導部が自由な選挙で選ばれて、昔の仲間、時代遅れの無能な者たち、前世紀のパレスチナ指導部を蝕んでいたものに取って代わることだと述べている。

アラブ人として、アメリカ人として、わたしたちが自分自身を尊敬し、わたしたちの闘争の真の誇りと正義を理解したときにはじめて、わたしたちは、なぜこんなわたしたちにもかかわらず、レイチェル・コリーや国際連帯運動で彼女と一緒に負傷した二人の若者トム・ハーンダルとブライアン・エイヴリーをはじめ世界中のこれほど多くの人々が、わたしたちへの連帯を表明することができると感じたのかを、充分に理解するようになる。

最後にもうひとつのアイロニーを指摘して、しめくくりとしよう。パレスチナ人やアラブ人に向けた民衆レベルの連帯がこれほど示されているというのに、わたしたち自身のあいだからはそれに匹敵するような連帯や誇りの兆しが出てこないということ、わたしたちが自らに与えているよりも多くの賞賛と敬意を、他者のほうが寄せてくれているというのは、驚くべきことではないだろうか。もはやわたしたちも本来の自分たちの地位にふさわしい態度を取り戻し、その第一段階として、アメリカや他の場所でわたしたちを代表する人々に、自覚を迫るときがきているのではないだろうか。自分たちは正義の気高い大義のために戦っているのだということ、自分たちにははずかしく思うことも弁解すべきこともないのだということを、彼らは悟るべきだ。むしろ、彼らは自分の同朋が成し遂げたことに誇りを感じ、彼らを代表していることに誇りを感じるべきなのだ。


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