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ペンと剣

活動家や進歩的な立場の人々にとって現在最も重要な課題は、さまざまな方法による独立メディアの活用を早急に進めることでしょう。その方法としては、新聞や定期刊行物やニュースレターなどのほか、よそから人を招いて講演会を催したり、もっと内輪の少グループによる話し合いの場を設けたりすることも有効です。映画やビデオの上映会、テープをコピーして友人間で回しあうということだっていいのです。企業メディアが送り出す右寄りの情報の洪水に対し守勢に回るばかりでなく、反撃によってそれを打ち負かすことが可能になるようなメディアを構築することが必要です。

David Barsamian
デービッド・バーサミアン:

コロラド州ボールダー市を拠点にコミュニティーをベースにした放送活動を行っている。アメリカのメインストリーム・メディアには取り上げられない反体制的な見解や批判をラジオ番組を通じて積極的に一般の人々に提供することを目的として、1986年後半「オルターナティブ・ラジオ」を創設。エドワード・サイードの他、バーバラ・エーレンライク、ラルフ・ネーダーなどのプログレッシブな批評家の声をアメリカ全土に放送している。特にノーム・チョムスキーとのインタビューは膨大な回数におよび、これらをまとめたインタビュー集が3冊出版されている。1945年ニューヨーク生まれ。両親は第一次世界大戦中のトルコ領内におけるアルメニア人大虐殺(1915年)を免れてアメリカに渡ったアルメニア人。


政治とメディア
−Colin Wrightによるインタビュー(「ワシントン・フリープレス」1995年2/3月号掲載)の抄訳

--「オルタナティブ・ラジオ」をおはじめになって、もう8年になりますね?

DB:
全国放送を始めたのは1986年ですが、コロラド州ボールダー市のローカル放送は、1978年以来続けています。1986年になって、衛星システムを利用すればラジオ番組が非常に安価に配給できるということがわかったんです。いまではカナダを含めて、北米100ヶ所ほどの放送局が僕の番組を放送しています。

--あなたの活動の背景には、どのような考え方があるのでしょう?

DB: 僕は、企業に支配された大手メディアが無視したり、歪めたりしているような主張や見解を、多くの人々に提示することを目的として、毎週一時間の枠で番組を制作しています。 中心となるトピックは、まず第一に、メディアそのものです。政治文化や社会文化を撹乱し、プロパガンダを行なう最大の手段がメディアである、と認識していますから。その他には、環境や、アメリカ先住民、人権などのテーマが中心になります。

ここ数年は、貿易と経済問題に、とくに注目してきました。現在、企業収益は急増しているのに、人々の生活は苦しくなるという、大きな逆説が生じています。これはアメリカ経済の歴史においては、きわめて特異な現象です。本来なら、企業収益が増大すれば、それに伴って労働者の賃金や待遇が改善するはずです。

しかし過去20年というもの、アメリカ労働者の賃金はずっと停滞してきました。この事実は、メディアにはほとんど取り上げられませんでした。メディアは企業の支配下にあり、自分たちのオーナーのイメージを損ねるような情報は、もちろん流したくないからです。しょせん企業支配下のメディアの機能は、オーナーの利害に貢献することであって、損ねることではないのですから。

しかし、それゆえにこそアメリカでは、オルタナティブな、企業支配を受けない独立メディアが強く必要とされているのです。活動家や進歩的な立場の人々にとって、現在もっとも重要な課題は、さまざまな方法による独立メディアの活用を早急に進めることでしょう。その方法としては、新聞や定期刊行物やニュースレターなどのほか、よそから人を招いた講演会や、もっと内輪の少グループによる話し合いの場を設けることも有効です。映画やビデオの上映会や、テープをコピーして友人間でまわしあうことだっていいのです。企業メディアが送り出す右寄りの情報の洪水に対し、守勢にまわるだけではでなく、反撃によってそれを打ち負かすことを可能にするメディアを構築することが必要です。

−−「オルタナディブ・ラジオ」は100にのぼる都市で放送されているとおっしゃいましたが、なぜシアトルでは定期放送ができないのですか?

DB:
それはラジオ局の経営陣の問題によるところが大きいでしょう。視聴者にとって「適切な番組」であると彼らが判断するものに、「オルタナティブ・ラジオ」は合致しないということです。僕の番組は無料で提供されていますから、それを拒絶する理由は番組の内容でしかありえません。

残念ながら、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)のうち200局ほどは、僕の番組を放送していません。彼らがますます順応を深めつつある合衆国の既成体制や特権構造に対し、「オルターナティブ・ラジオ」の思想が非常に危険なものであると判断しているからです。1960年代半ばに「公共放送法」が成立したときに目指されていたのは、そんなことではなかったはずです。この立法の成立当初の目的は、公共ラジオや公共テレビを通じて、発言の場のない人々、利害が十分に反映されないマイノリティ集団など様々なコミュニティーの声を取り上げることにあったはずです。

しかし30年あまり経過した現在のありさまはどうでしょう。PBS(公共放送サービス)も NPRも、ほとんどの番組は思想範囲を狭く限定したものになっています。むしろPBSでは右傾化したものが多いと言えるでしょう。

それどころか、この右傾化の動きに平行して、PBSとNPRが左派に偏っている、というプロパガンダが推進されているのです! これはまさに、ジョージ・オーウェルの世界です。何を根拠に、PBSが左傾化しているなんて言うのでしょう。ウィリアム・バクリーの「The Firing Line」という番組でしょうか? マクローリン・グループでしょうか? 「ウォールストリート・ウィーク・イン・レヴュー」でしょうか? それとも「ブルーンバーク・ビジネス・レポート」でしょうか? 確かにどれをとっても、PBSの番組には明白な偏りがあります。ただしそれは、左ではなく、右への偏向です。

その点については、疑問の余地はありません。なぜ、PBSは「The Panama Deception」のようなアカデミー賞受賞作品を放映しないのでしょう。あるいは、「Manufacturing Consent」のような、多くの国際的な賞を受けたドキュメンタリー映画を上映しないのでしょう。PBSの右傾化を示す例は多々ありますが、左派の視点に近いといえるものは、例を挙げるのが困難です。

いまお話したのはPBSについてですが、 NPRが放送する番組もこれと大差はありません。ニューヨークのメディア監視団体「Fairness and Accuracy in‘Reporting (FAIR)」は「誰の意見が放送されるか」について、厳密な資料的裏付けに基づいた報告を行っています。この報告書は、NPRの番組ゲストのほとんどは、現職または前職の政府高官、企業経営者、右派シンクタンクの専門家で占められていることを明確にしています。.

−−そうした公共放送の右傾化と並行して、トークラジオの世界でも右派の席巻が起こっています。このことは、アメリカの一般市民に、どのような影響を与えるとお考えですか?

DB:
こういう右派のトーク番組ホストは、すべて白人男性です。彼らの役割は、失業してしまったり、かろうじて職には繋がっているものの過去20年間に収入は減少の一途をたどっている白人男性たちの不満を、煽り立てることにあります。

これらのトーク・ショーのおもな手口は、スケープゴートをつくり上げることです。差別是正措置(Affirmative Action)や社会福祉に頼る女性、移民や難民などが攻撃の対象となります。反撃される恐れのない、社会のなかでも最も無防備で脆い部分がスケープボートになります。合衆国における貧困の激増に大きく責任のある企業に対し、攻撃の鉾先が向けられることはありません。

これは、偶然に起こったことではありません。右派のトーク番組の増加には、資本のバックアップがあります。たとえばラッシュ・リンボーがその例です。彼は、カリフォルニア州サクラメントでまったく芽の出なかったトーク番組ホストです。そんな男がニューヨークに移り、世界有数のメディアグループ、キャピトル・コミュニケーションズ傘下のABCが所有するWABCスタジオに雇われるやいなや、たちまちにして全米500のラジオ局、100のテレビ局、有料購読者数 50万人にのぼるニュースレターに登場することになりました。 なぜ、こんなことが起こったのでしょう? それは、明確な思想的意図を持つ資本グループが、放送時間を金で買い占め、リンボーのような代弁者の口を借りて自分たちのメッセージを全国に流すことができたからに他なりません。

最近の選挙〔94年の中間選挙〕に大きな影響を与えたのは、女性や非白人を標的にして、彼らは犠牲者ではなくアメリカ経済の衰退の元凶であると攻撃する、反動的な動きでした。そのように主張するため、 リンボーのような人物でさえアメリカ経済はいきづまっていると述べていました。おかげで彼は、少なくとも一度は真実を述べることになったわけです。

しかし、彼が経済衰退の原因として指摘したのは、企業の権力ではありませんでした。家族についての価値観が衰えたからだというのが、彼の挙げる元凶でした。すなわち、かつてのように女性が結婚して家庭にとどまり、今日みられるような男を漁りまわって婚外子を設けたり、ポルノグラフィーを見たり、ドラッグに手を出したりという恐ろしい行動をやめたならば、アメリカの気高く名誉ある伝統が復興できるだろう、というわけです。その理想が実現するまでのあいだは、ふしだらな風潮に終止符を打ち、家族の価値を取り戻すために、個人の居間や寝室へ公権力が踏み込んで、一般の人々の目にふれる番組や書物を制限すべきである、というのが右派の主張です。ここで論じられているのは、すべてライフスタイルの問題であり、その方面では政府による大幅な干渉が求められています。

しかし住宅や教育や医療制度といった社会問題となると、彼らは打って変わって、政府は消えてしまうべきだと主張します。政府に代わって、民間がこれを行うべきであるというのです。これは、とりもなおさず、わたしたちの生活のすべての側面にわたって、企業が無制限の支配力をもつということです。

−−そういう傾向を、いかにして覆すかという問題に戻りましょう。おそらくあなたはノーム・チョムスキーへのインタビューを世界中の誰よりも数多く行っているでしょう。チョムスキーとの共同作業を通じて学んだことがあれば、聞かせてください。

DB:
僕が学んだのは、事実と実証をレトリックで置き換えたようなものを、受け入れてはならないということです。チョムスキーの影響で、僕は常に実証を要求する習慣を身につけ、同時に人々を思いやるようになりました。つまり、僕たちの中にある人間性を忘れないようにするということです。最終的には人間性こそが、個々の違いを超越する普遍的な性格ですから。腐敗した、陳腐で、出世と僅かな利益のために自分を売り渡した日和見主義者ばかりが目につく政治の世界で、チョムスキーは特異な存在です。

−−お仕事で全米各地を回られたと思いますが、そこで接触したオルターナティブ・メディアの世界に、何か前向きの動きは見られますか?

DB:
ここで、こうして僕たちがインタビューを行っていること自体が、その前向きの動きの一つだと思いますよ。シアトルにも独立系のメディアがあり、Red & Black Booksや Left Bankのような書店が在るということ、独立した団体が存在するということは、明るい材料です。これらは地域で育成し、増幅してやる必要があります。教育や健康や環境などに関心を持っているコミュニティに、浸透していかなければなりません。

世界全体として、国全体として考えることも大切ですが、同時にまた身近なところの問題に引き寄せて、自分に何ができるだろうと考えることが必要です。自分にはどんな才能があるだろう、他の人にソフトウェアの使い方を教えたり、パソコン通信を手ほどきをしたりして、電子通信能力を与えることができるかもしれない、というように。しかしそれを実行するには、努力と決意が必要です。単なる言葉の遊びではないのです。

また、企業メディアのみならず公共ラジオや公共テレビに対してもまた、彼らが常に標榜するが決して実現してはいない客観性と公正の基準を本当に保つようにさせるよう働きかける必要があります。これらの団体の役員会議に出席し、もし自由討論の機会が与えられれば、積極的に発言すべきです。役員たちに「あなたがたの選択した番組は一方の側に偏向している。右寄りのものばかりだ。別の立場の番組は、いつ放送してくれるのか」と聞いてやるべきです。

この国には明らかに右派への偏向があります。メディアがそれを煽っているのです。だからこそ。94年11月8日の中間選挙のように、人々は次第に現実の問題を離れ、クリントン大統領の個人的問題や、メディアの左傾化などというでっちあげ、仕事を奪う移民の増加とか、福祉に頼る未婚の母に向けられた怒りに、左右されるようになるのです。

(2000年ごろの翻訳)


< Contents on this page were published in the February/March, 1995 edition of theWashington Free Press.
Copyright ゥ 1995 WFP Collective, Inc.>

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