Edward
Said Extra サイード・オンラインコメント |
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マキヤを見ていると、笑っていいのか泣いていいのかわからなくなる。明らかに、この男には、記録に残るような政府の体験もなければ、市民としてのそれさえない。複数の国や文化のはざまにあって、目に見えるような深い関わりは誰とも持たない(出世には熱心だが)この男は、合衆国政府の奥深くにようやく安住の地を見つけたようだ。ここを足場にして、彼は驚くほどあてずっぽうな空想の世界へと飛翔している。知識人の責任と独立した判断について同業者に説教してきた人物にしては、ご本人が示す手本はそのどちらにもそぐわない。むしろ正反対といってよかろう。いっさいの説明責任を免れられる説教壇に席を占め、彼は自分の奉仕と融通の利く良心に対してたっぷり報酬を支払ってくれる主人に使えている(かつてサダムに雇われていたように)。マキヤがこのような殊勝らしいふるまいや虚栄に身をゆだねたことは信じ難いと思ったが、考えてみれば彼がそれを拒む理由などどこにもないのだ。彼はこれまで一度も、同じイラク人の誰かとおおやけに討論したことはなく、アラブ人に向けてものを書いたこともなければ、個人的な勇気や献身を要求されるような政治的役割や官職を引き受けようと申し出たこともない。彼がしてきたことは、ペンネームをつかってものを書くか、あるいは自分が中傷しても反論の機会を持たないような人々を攻撃するかのいずれかだった。
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イラクについての誤情報
Misinformation about Iraq
Al Ahram Weekly 11月28日−12月4日号 No. 614 |
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イラクの独裁者サダム・フセインに対する合衆国の戦争が迫るなか、報道やリークや誤情報の嵐はいっこうにしずまる気配がない。そのうちどの程度のものがイラクに向けたみごとな心理戦の遂行であり、どの程度が、つぎに打つ手のさだまらぬ政府がもたつきをさらけ出しただけのものなのか、判別することは不可能にちかい。いずれにせよ、戦争になると考えることも、ならないと考えることも、おなじ程度に可能だと思われる。たしかに、一般市民に対する言論攻勢のすさまじさは前例のないほど凶暴なものであり、その結果、ほんとうに何が起こっているのかについて、確言できることはきわめて少ない。連日のように報道される軍隊や海軍のさまざまな動きを独自に確認するなんてことはだれにもできないし、ジョージ・W・ブッシュの真の意図は、ぐらぐらとして不明瞭な本人の思考様式も手つだって、読み取ることがむずかしい。だが、世界が懸念するのは(実際、ひどく心配している)、イラク国民に対してアフガニスタンのような空爆が行なわれた場合、そのあとに来るであろう破滅的な無政府状態についてであり、それについてはまず疑いはない。
それにもかかわらず、洪水のようにあふれる意見の一角を占めているのは、矢継ぎ早に登場する、ポスト・サダムのイラクについての記事である。真意がなんであれ、その事実そのものがきわめて憂慮されることだ。とくにここで取りあげたいのは、カナン・マキヤKanan
Makiya という外国住まいのイラク人が、彼が呼ぶところの「非アラブ」で分権的な、バース党排除後の国家の生みの親として自分を売り込もうとして書いたものである。バース党の統治が、開発と建設を掲げた当初の公約にもかかわらず、長年のあいだに破滅的な結果をもたらしてきたということは、この豊かで、かつては繁栄していた国が現在直面する苦悩に少しでも関心のある者には明白なことである。それゆえ、サダムがアメリカの介入か内部クーデターのいずれかによって倒されたならば、イラクはどのようになるかを考えてみることに異議のある者はほとんどいない。この方面において、マキヤは放送番組と高級誌の両方に自分の見解を発表する場を与えられて、着々と提言を重ねてきた。その見解については、すぐこのあとにわたしの意見を述べるが、それにしても、これまであまり明らかにされなかったのは、彼が何者であり、どういう背景から出てきたのかということだ。単に彼の提言の価値を判断し、その考え方や思想の特質をより正確に理解するというためだけであっても、それを知るのは重要だろう。
ハーヴァード大学の研究にかかわり、ブランダイス大学(ともにボストンにある)の教授をつとめる人物として知られるマキヤは、わたしが1970年代初期にはじめて知り合ったときには、DFLP(パレスチナ解放民主戦線)と緊密な関係にあった。わたしの記憶では、彼は当時マサチューセッツ工科大学の建築科の学生だったが、わたしが見かけるような機会には、ほとんどなにも発言しなかった。やがて彼は姿を消した──というかわたしの視野からは消え失せた。1990年になってふたたび登場したとき、彼はサミール・ハリールという名のもとにThe
Republic of Fear(『恐怖の共和国』)という書物を著していた。大げさに賞賛されたこの本は、サダム・フセインの統治を恐怖とドラマに満ちたものとして描いたものだ。『恐怖の共和国』は、先の湾岸戦争においてメディアを煽った作品のひとつであり、雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたマキヤへのお世辞たっぷりのインタヴューによれば、マキヤがイラクにある父の建築事務所を手伝っていたときに、時間を割いて書かれたらしい。彼はインタヴューのなかで、ある意味では、サダムが間接的にこの本の執筆を財政支援していたことになると認めている。だからといって、マキヤが自分の嫌悪している政権に協力したことを非難する者はいなかった。
次の著作Cruelty and Silence(『残虐と沈黙』)のなかで、マキヤはアラブの知識人を背徳的な日和見主義者として攻撃し、アラブの諸政権を褒め上げるか、これらの政権による自国民の虐待に沈黙を守っているかのどちらかだと非難している。とはいえマキヤは、自分自身がイラク政府の寛大さの恩恵にあずかり、沈黙を守り、共犯関係にあったという過去については、口をつぐんでいる───もちろん、彼にだって自分の好きな人物のために働く権利はあるのだが。だが、この男は、マフムード・ダルウィーシュやわたしのような者について、ナショナリストであるとか、過激派を支持しているらしいとか、ダルウィーシュに関してはサダムに捧げる抒情詩を書いたというような、下劣きわまる中傷を浴びせている。マキヤがこの本に書いていることの大半は、わたしに言わせれば胸が悪くなるようなしろもので、卑怯な当てこすりと誤った解釈に基づいている。それでも、当然ながら、この本は一度ならず大きな評判を呼んだ。アラブ人は悪辣で卑劣な順応主義者だという西洋の見方を追認しているからだ。マキヤ自身がサダムのために働いていたことや、『恐怖の共和国』を発表するまで、すなわちイラク国外に出て、そこでの雇用関係を断ち切るまでは、アラブの諸体制について何ひとつ書いたことがないという事実は、問題にはならないらしい。アラブ知識人の自己検閲的な習慣に風穴を開けた勇敢で良心に忠実な男としてマキヤはアメリカの各地で喝采を浴びたが、そういう賞賛をマキヤに寄せる人々が往々にして知らないのは、マキヤ本人はアラブ国家の内部でものを書いたことが一度もなく、彼のどんなつまらない作品もすべて偽名の陰に隠れて、リスクの無い西欧世界の繁栄のなかで書かれたものだという事実である。
この二冊の書物と、先の湾岸戦争時にアメリカ政府のバクダッド占領を力説した記事を除いては、マキヤについてはあまり聞かなかった。昨年になって、彼は、「岩のドーム」がほんとうに一人のユダヤ人によって建設されたことを証明する、つまらない小説を書いた。この本はたまたま版元が送ってきたので、正式に出版される前にざっと目を通したが、文章の拙さはさておくとして、著者がどれほど多くの本を下敷きにしたかをひけらかしたい気持ちを抑えきれず、そこらじゅうに脚注をふっているのには唖然とした。フィクションと称する作品にしては、たしかに異常なことである。とはいえ、この作品は安楽死を遂げ、マキヤはふたたび沈黙の淵に沈んで行った。
数ヶ月前に政府がしかけた反イラク・キャンペーンが始まるまでは、マキヤは反テロ戦争や9・11事件、アフガニスタンの戦争などについて、ほとんど発言していなかった。確かに彼は一度、モハメド・アタのイスラム・テロリスト・ハンドブックとされるものについて評論らしいものをアメリカの隔週大衆誌に載せたことはあるが、この記事は彼の標準に照らしてさえ取るに足らない仕事だった。はっきり覚えているが、去年の夏の終わり、たまたまラジオで彼のインタヴューを聞く機会があり、そこではじめて、彼がアメリカ国務省でサダム後のイラクについての戦後処理計画チームを率いていることを知った。彼の名前は、合衆国の資金提供を受けたイラクの反体制グループの一員としてあげられた人々の中には登場しなかったし、パレスチナ・イスラエル紛争をはじめとする中東問題について一般大衆の目に触れるような媒体に書くことはいっさいしていなかったからだ。ただ、彼がイスラエルを何度も訪問していたということは耳にしたことがある。
アメリカが侵略した後のイラクについての彼の計画(米国務省の在米外国人職員という現在の地位から生じたものだ)がもっとも完全な形で示された記事は、わたしも予約講読している英国の良質リベラル派月間誌「プロスペクト」の2002年11月号で読むことができる。マキヤは彼の「提案」の出だしで、自説が基づいているという突飛な前提を列挙しているが、特にそのうちの二つは、とても考えられぬような、とてつもない代物である。ひとつ目は、サダムの「引きおろし」のために大規模な爆撃が起こることはないという前提だ。戦争になっても、イラクが大々的に爆撃されることはないなどと想像するとは、マキヤは火星にでも住んでいたに違いない。イラクの政権交替を実現するための計画として流布されているものは、どれをとってもイラクを徹底的に爆撃すると明言しているのだから。ふたつ目の前提も同じように独創的だ───マキヤは、あらゆる証拠に逆らって、アメリカがイラクの民主化と国民国家建設の推進に力をつくすと信じているらしいのだ。どうしてイラクが第二次世界大戦後のドイツや日本に似ている(両国とも、冷戦のために再建された)とマキヤが考えるのかは、もうわたしの理解力を超えている。その一方で、米国がイラク政府を倒そうとするのは、この国の埋蔵石油資源とイスラエルへの敵対的な姿勢のためだということを、マキヤは一度たりとも言及しない。こうして、あらゆる証拠に真っ向から逆らうような途方もない前提を並べるところから、彼の議論は出発する。
そういうつまらぬ考慮に拘泥することなく、彼は先へ先へと意見を進める。イラク人は、中央集権的な政府よりも、むしろ連邦主義に傾倒していると彼は言う。その裏づけとして彼が示す証拠は、取るに足らぬものだ。さも大事な指摘をしているかのように彼が思わせぶりな態度をとっている他の場面と同じように、空想的な仮定と本人の怪しげな独断に基づいているため、彼の理屈はあまりにも脆弱だ。彼自身は連邦主義に傾倒しており、クルド人も同じ考えであると彼は言う。連邦制というシステムがいったいどこから(国務省にある自分のデスク以外の)やって来るというのかについては、彼はあえて語ろうとしない。彼はイラクが連邦制をとるという結末に「皆」が同意しているという、ほとんど根拠のない主張をしているが、実のところは外部からそれを押し付けるつもりであることは明白だ。これは「バグダードから諸州へ権力を委譲させることを意味する」のであり、それをさせるのはおそらくトミー・フランクス[米中央軍司令官]の命令書なのだ。チトー後のユーゴスラビアなどというものは存在しなかったし、あの悲劇の国の連邦主義は完全に成功していたと考えてもよいのかもしれない。けれどもマキヤは、王様きどりの統治理論家として自説に肩入れするあまり、因果関係や歴史や民衆や共同体や現実などをすべて無視して、とうていありえぬような主張を展開する。これぞまさにアメリカ政府が望んでいるものだ。つまり、責任をとらされる支持基盤というものを持たない雑多なアラブ知識人を利用して、アメリカ軍が戦争に乗り出すように懇願させ、自分たちはそこに「民主主義」を持ち込むのだという、アメリカの真の目的とも、これまで実際にやってきたこととも、完全に矛盾するような見かけを取り繕おうというのだ。インドシナ、フガニスタン、中央アメリカ、ソマリア、スーダン、レバノン、フィリピンなどにおける合衆国の破壊的な介入について、あるいはこの国が現在およそ八〇ヶ国に軍事関与しているということについて、マキヤはどうやら聞いたことがないらしい。
合衆国によるイラク侵略を正当化するマキヤの議論の頂点にあるのは、新生イラクは非アラブとなるべきだという提言である(その過程で、彼はアラブの世論について侮蔑的に言及し、それは決して何かに到達することがないと主張する。これによって、これまでのすべてを一気にぬぐい去って、未来と過去についての自分の空想的な憶測を書き込もうというのだ。)こんな魔法のような脱アラブ化という解決法がどうしたら実現すると言うのか、それについてマキヤは語らない。イラクがいかにしてイスラムのアイデンティティと軍事力から解放されるというのか、それを彼がわたしたちに示さないのと同じである。マキヤは、「領土性」territorialityと彼が呼ぶなぞめいた錬金術的特性について語り、その上にもうひとつ砂の城を築いて将来のイラク国家のいしずえとするという議論を展開する。しかし、最終的には、こういうものはみな「外部から」、合衆国によって、保証されることになるだろうと彼は告白している。そんなことが以前にどこかで一度でも起こったことがあるのかという疑問がマキヤを悩ませることはないらしいのは、合衆国の自己本位な外交や不必要な破壊性について彼が懸念しているようには見えないのと同じである。
マキヤを見ていると、笑っていいのか泣いていいのかわからなくなる。明らかに、この男には、記録に残るような政府の体験もなければ、市民としてのそれさえない。複数の国や文化のはざまにあって、目に見えるような深い関わりは誰とも持たない(出世には熱心だが)この男は、合衆国政府の奥深くにようやく安住の地を見つけたようだ。ここを足場にして、彼は驚くほどあてずっぽうな空想の世界へと飛翔している。知識人の責任と独立した判断について同業者に説教してきた人物にしては、ご本人が示す手本はそのどちらにもそぐわない。むしろ正反対といってよかろう。いっさいの説明責任を免れられる説教壇に席を占め、彼は自分の奉仕と融通の利く良心に対してたっぷり報酬を支払ってくれる主人に使えている(かつてサダムに雇われていたように)。マキヤがこのような殊勝らしいふるまいや虚栄に身をゆだねたことは信じ難いと思ったが、考えてみれば彼がそれを拒む理由などどこにもないのだ。彼はこれまで一度も、同じイラク人の誰かとおおやけに討論したことはなく、アラブ人に向けてものを書いたこともなければ、個人的な勇気や献身を要求されるような政治的役割や官職を引き受けようと申し出たこともない。彼がしてきたことは、ペンネームをつかってものを書くか、あるいは自分が中傷しても反論の機会を持たないような人々を攻撃するかのいずれかだった。
マキヤが、自分は未来のイラクの声であり手本であると暗に提言しているのは残念なことだ。その一方で、すでに何千という生命が彼のパトロンの残酷な経済制裁によって失われており、そのうえさらに多くの生命と暮らしが、ジョージ・ブッシュの政府が彼の国にしかける電子戦争で破壊されようとしているのは悲しいことだ。だが、そういうことはいっこうにこの男をわずらわせない。同情も真の理解も欠いたまま、彼は英米系の聴衆に向かって駄弁をたれる。この聴衆たちを満足させているのは、とうとうアラブ人の中にも、アラブ世界の帝国主義的な分割によってイギリスが演じた役割や、アメリカがイスラエルやアラブの専制体制への支持を通じてアラブ人たちにどのような被害を与えてきたかということをまったく気にせず、自分たちの力や文明にふさわしい尊敬を払ってくれる人物が現れたということだろう。
マキヤのような人物は、しょせんは一過性のものだろう。しかし、この男はいくつかのことを同時に示すような徴候である。彼は、権力に無条件で奉仕する知識人を代表している。権力が強大であればあるほど、彼のちゅうちょは低下する。彼は虚栄心に満ちた男で、同情心もなければ、人間の苦しみについてのはっきりした認識も持ちあわせない。安定した原則も価値観もないという点で、彼は冷笑的な反アラブ強硬派(リチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、ドナルド・ラムズフェルドのような)の特色を示している。このような人々がケーキにたかるハエのようにブッシュ政権内部に点在しているのだ。英国の帝国主義も、イスラエルの残忍な占領政策も、アメリカの横柄さも、一瞬たりと彼を引き止めることはない。最悪なのは、彼が見かけ倒しの気取り屋で、同胞にさらなる苦悩と混乱を宣告しておきながら、自分のものわかりのよさを自慢していることだ。イラクは災いなるかな。
chu
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