Edward Said Extra サイード・オンラインコメント | ||
実際のところ、400ページにもおよぶ『ムスリム再訪』の基になっているのは、このどちらかと言うとばかばかしい侮辱的な理論だけしかない。問題は、この理論が正しいかどうかではなく、どうしてナイポールのように知性と才能に恵まれた男に、これほど馬鹿らしく退屈な書物を書くことができたのかということである。これでもか、これでもかと次々くりだされる物語が例証するのは、いつも同じ、あの稚拙で初歩的で不充分で単純化された理論、すなわち、たいていのムスリムは改宗者であり、どこにいても同じ宿命に苦しむことになるはずだという理論である。歴史や政治や哲学や地理なぞ、どうでもいい。アラブでないムスリムはまがいものの改宗者でしかなく、この悲惨な虚偽の宿命にとりつかれているのだ、というわけだ。どこかの時点で、ナイポールは、どうやらご本人の知性に深刻な事故をひき起こしたようだ。イスラムについての妄想が、いかにしてか彼の思考を停止させ、おなじ定式を脅迫的にくり返す一種の精神的自殺に陥らせてしまったの だ。わたしなら、これを第一級の知的破局と呼ぶ。 | ||
知的破局 An Intellectual Catastrophe Al Ahram 1998年8月6-12日No.389 | ||
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イスラムは奇妙に西欧を魅了しつづける。つい最近、トリニダードで生まれ、現在は英国人の作家VS・ナイポールが4つのイスラム国家(すべて非アラブである)への旅を題材にした大著を発表した。18年ほど前、彼が同じ4つの地域について書いた本の続編である。はじめの本はAmong
the Believers: An Islamic Journey(邦訳『イスラム紀行 上・下』 TBSブリタニカ 1983年)、最近出版された方は、Beyond
Belief: Islamic Excursions Among the Converted Peoples(『イスラム再訪 上・下』斎藤兆史訳 岩波書店 2001年)である。二冊目の出版までのあいだに、ナイポールは叙爵してVS・ナイポール卿となった。いまや恐ろしく有名となり、(これは言っておかねばならぬが)才能に恵まれたこの作家は、小説とノンフィクション(おもに旅行記)の業績によって、今日の世界文学のなかでも、真に誉れ高く、ふさわしい名声を博している。 たとえばパリでは、サンジェルマン大通りにあるソニア・リキエルのしゃれたショールームに、スカーフやベルトやバッグに混じって『イスラム再訪』のフランス語の翻訳書が山積されている。むろんこれは一種の賛辞の表現であるが、ナイポール本人はあまり嬉しがってはいないかもしれない。一方、同書は英米有力紙の批評欄を総なめにし、鋭敏な観察眼をそなえた偉大な作家の作品であるという賛辞をほしいままにした。特にその示唆に富んだ詳細の記述、イスラムについての啓発的で徹底的な暴露は、それに対して底なしの食欲を持っていると思われる西欧の読者に大いに歓迎されたのである。同じような種類の本を、キリスト教あるいはユダヤ教について書こうとする者など、今日ではだれもいないだろう。しかしイスラムの場合は格好の標的となるのだ。たとえ、その「専門家」が現地の言葉を解さず、主題についてさえよく知らないとしても、そんなことはいっこうにかまわない。しかし、ナイポールの場合は特別だ。彼は職業的オリエンタリスト(東洋学者)でもなければスリルを求める冒険家でもない。彼は第三世界の人間として、第三世界からの現地レポートを送ってくる。その聞き手と想 定されるのは、第三世界に幻滅した西欧のリベラルたちである。彼らは、第三世界の神話――民族解放運動、革命の目標、帝国主義の弊害──について、どれほど芳しくない話を聞いてもそれで満足することはない。ナイポールの意見では、アフリカやアジアの国々が、貧困や生来の無気力や生半可に吸収された西洋思想(工業化とか近代化とか)などの重圧のもとに傾いていく情けない現状を説明するには、これらの神話は何の役にも立たない。この人々は、電話を使うことはできても、それを修繕することや発明することはできないのだ、とナイポールは著書のひとつで述べている。ナイポールはいまや、第三世界出身者の模範的な姿として引き合いに出されるようになっている。 トリニダード生まれのナイポールは、ヒンドゥー系インド人の家系の出身である。1950年代に英国に移住した彼は、英国の体制内で高い地位を築き、ノーベル賞候補としてつねに話題にのぼる──第三世界について真実を語ることでは、つねに信頼できる人物として。1979年のある書評では、ナイポールは「未開人のふりかざす道義的要求についてのロマンティックなたわごとなどにはまったくとらわれず」、しかもそれに際して「植民地化したことに由来する西欧の遠慮がちな態度や郷愁といったものなど、彼には微塵もみられない」と評されている。そのナイポールにとってさえ、イスラムは、第三世界を悩ませる諸問題のなかでも、とりわけたちの悪いものである。みずからのヒンドゥー系ルーツを意識しながら、ナイポールは最近、インドの歴史における最大の災難はイスラムの進出と定着であり、それがこの国の歴史をゆがめたのだと述べている。彼の「イスラム」への旅は、たいていの作家のように一度きりではない。この宗教、その民族や観念に対するきわめて強い反感を確認するため、彼は再度そこを訪れるのだ。皮肉なことに、『イスラム再訪』は彼の妻ナディラに捧げられているが、 彼女はイスラム教徒である。彼女の考えや感情はそこには語られていない。はじめに出した方の本においては、彼はなにひとつ学ぼうとしていない──彼らムスリムは、ナイポールがすでに知っていることを証明するだけである。何を証明するのかって?イスラムへの逃避は「麻痺させられる」ことだということだ。マレーシアで、ナイポールは「あなたが書く目的はなんですか。ことの本質を人々に伝えるためですか?」と尋ねられた。「そうです。理解のため、と言わせてください」と、彼は答える。「金のためではない?」「いや、それもあります。でも、どんな性格の仕事をするかということが重要です。」というわけで、彼はムスリムのあいだを旅して回り、それについて書く。それにより出版社から多額の稿料を受け取り、書籍から一部を抜粋して掲載する雑誌からもたんまり金が支払われるのだが、その理由は、それが重要だからであり、そうするのが好きだからではない。ムスリムは彼に物語を提供し、彼はそれを「イスラム」の例証として記録する。 この二冊の本には、楽しいところほとんどなく、愛情もほんのわずかしか記されていない。先に出たほうの本では、愉快な場面はムスリムをだしにしたものばかりだ。ナイポールを読むイギリス人やアメリカ人からすれば、ムスリムはつまるところ「ワッグ」〔肌の浅黒い外国人、とくにアラブに対する蔑称〕であり、潜在的な狂信者でありテロリストなのだ。世故にたけ、ややうんざりしている欧米の判定者からみれば、文字もつづれなければ論理性もなく、まともな話し方もできない存在なのである。かれらがイスラムの弱点をさらけ出すたびに、すかさず第三世界の目撃者ナイポールが登場する。ムスリムがなにか失態を犯し、欧米に対する恨みの言葉がひとりのイラン人の口から出たとする。さっそくナイポールは次のように説明する──「優れた中世文化をもつ民族が、石油と金、権力と侵犯の感触、包囲してくる傑出した新文明〔西洋〕の知識などに目覚め、混乱におちいっている。それは拒絶されるべきものであったが、同時にまた、依存の対象でもあったのだ」。 この最後の文章を覚えておいてもらいたい。これがナイポールのテーゼであり、世界に向けて彼が語りかけるときの拠り所だからである──「西洋は、知識、批判、技術的ノウハウ、ちゃんと機能している制度の世界である。イスラムは、それに従属する知恵遅れの存在であり、ほとんど制御できない新しい力に目を開かされて怒り狂っているのだ」。西洋は、外部からイスラムによい影響を与える。なぜなら「イスラムを活性化してきたものは内部からは生じなかったからだ」。このようにして、10億人ものムスリムの存在が、たったの一行で要約され、捨て去られる。彼によれば、イスラムの欠陥は「その起源にある──イスラムの歴史をつらぬく一貫した欠陥とは、自分の持ち出した政治問題に対して、なんらの政治的あるいは効力のある解決も提供しなかったということだ。提供されたのは信仰だけだった。提供されたのは、すべてを解決する──だが、すでにこの世にはいない──あの預言者〔ムハンマド〕だけだった。この政治的イスラムは憤怒と無政府状態だった」。ナイポールが挙げる事例や彼が話しかける人々はみな、彼がどこへいってもかならず見つけることにした「イスラムと西洋」と いう対立の図式にきれいに組み込まれる傾向がある。つまるところ、うんざりするほど退屈な、同じことの繰り返しである。 なのにまたどうして、20年の時を経てふたたび、彼は同じように長くて退屈な本を書くのだろう。わたしに思いつく唯一の答えは、自分はイスラムについてあたらしい重要な洞察を抱いていると彼が考えるようになったということだ。その洞察というのは、次のようなものだ。イスラム教徒でありながらアラブでないならば、(イスラムはアラブの宗教だから)そのひとは改宗者である。イスラムへの改宗者であるがゆえに、マレーシア人やパキスタン人やイラン人やインドネシア人は必然的に本物でないものの宿命に苦しむことになる。彼らにとってイスラムは習得された宗教であり、自分たちを伝統から切り離すものである。そのため、彼らはこちら側でもあちら側でもない中途半端なところに取り残される。ナイポールが新作のなかで証明しようとしているのは、この改宗者の運命である。自分たち固有の過去は失ってしまったのに、新しい宗教からはほとんどなにも得ず、ただ混乱が深まり、みじめさが強まり、(欧米の読者にとっては)こっけいな無能ぶりが増しただけのことである。これらはみなイスラムへの改宗の結果なのだ。このばかばかしい議論を延長すれば、完全なローマカトリック教徒 になれるのは生粋のローマ人だけであり、他のイタリア人カトリック教徒、スペインやラテンアメリカやフィリピンのカトリック教徒たちはみな改宗者であり、本物ではなく、自分たちの伝統から切り離されている、ということになる。ナイポール説に従えば、英国人以外の英国国教徒は改宗者でしかない。彼らもまた、マレーシアやイランのムスリムの場合と同じように、改宗者であるがゆえに、まがいものとして無能な人生を送る宿命にある。 実際のところ、400ページにもおよぶ『ムスリム再訪』の基になっているのは、このどちらかと言うとばかばかしい侮辱的な理論だけしかない。問題は、この理論が正しいかどうかではなく、どうしてナイポールのように知性と才能に恵まれた男に、これほど馬鹿らしく退屈な書物を書くことができたのかということである。これでもか、これでもかと次々にくりだされる物語が例証するのは、いつも同じ、あの稚拙で初歩的で不充分で単純化された理論、すなわち、たいていのムスリムは改宗者であり、どこにいても同じ宿命に苦しむことになるはずだという理論である。歴史や政治や哲学や地理なぞ、どうでもいい。アラブでないムスリムはまがいものの改宗者でしかなく、この悲惨な虚偽の宿命にとりつかれているのだ、というわけだ。どこかの時点で、ナイポールは、どうやらご本人の知性に深刻な事故をひき起こしたようだ。イスラムについての妄想が、いかにしてか彼の思考を停止させ、おなじ定式を脅迫的にくり返す一種の精神的自殺に陥らせてしまったのだ。わたしなら、これを第一級の知的破局と呼ぶ。 残念なのは、いまやナイポールにはあまりに多くのことが通じなくなってしまったことだ。彼の著作は、くりかえしの多いつまらないものになった。その才能は浪費されてしまった。彼はもう筋の通ったことが書けなくなった。彼は卓越した名声を食いつぶしているだけだ。この名声に欺かれて、批評家たちは自分たちが扱っているのはいまだに大作家だと思い込んでいるが、実のところそこにいるのは亡霊にすぎない。もっと残念なのは、イスラムについてのナイポールの最新作がひとつの大宗教についての一流の解釈であるとみなされることはまず確実だということだ。その結果もっと多くのムスリムが苦しめられ、侮辱されることになるだろう。彼らと西洋のあいだの溝はいっそう拡大し、深まるだろう。それによって得をするのは、おそらく大部数を売りさばくことになる出版社と、それによって大もうけするナイポールのほかには、だれもいない。 An intellectual catastrophe Al-Ahram Weekly On-line 6 - 12 August 1998 Issue No.389 |
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