Edward Said Extra  サイード・オンラインコメント

これは民主主義のほぼ完全な破綻だ──イラクのではなく、わたしたちの。アメリカ人の七〇パーセントがこれを支持していることになっている。だが、行き当たりばったりにつかまえたアメリカ人に「戦時には、わたしたちの大統領と軍隊を支持しますか」という質問をしたというこの世論調査は、詐欺とごまかし以外のなにものでもない。バード上院議員がスピーチで言ったように、「あせりと危険感が広くゆきわたり、あまりにも多くの疑問に答えが出されていないまま・・・上院議会室に幕がおろされた。わたしたちは、すべてのアメリカ人の心の中心を占めるこの重大なトピックについて討論するという、自分たちの本分を回避している。わたしたちの息子や娘の多数がイラクに行って誠実に彼らの義務を果たしているというのに。」中西部の田舎からやってきたトミー・フランクス将軍が部下に周囲を囲まれてバグダード宮殿のサダムの机に勝ち誇って座るとき、だれが質問をするのだろう。


わたしたちの民主主義を返せ
Give Us Back Our Democracy
The Observer Sunday 20 April 2003

イラク戦争が始まった三月十九日、アメリカ上院議会でのスピーチでウェストヴァージニア州選出の民主党議員ロバート・バードはこう尋ねた。「いったい、この国ではなにが起こっているのでしょう。いつのまに、わたしたちは友人たちを無視したり、叱りつけたりするような国民になってしまったのでしょう。わたしたちの強大な軍事力を行使するにあたって急進的で狂信的なやり方を採用し、国際秩序を脅かす危険を冒すことに、いったいいつ、わたしたちが決めたというのでしょう。世界中の混乱が外交的対処を求めて叫びを上げているこの時に、どうして外交を放棄するなどということができるのでしょうか」。
あえてこれに答えようとする者はいなかったが、イラクに送り込まれたアメリカの巨大な軍事機構が、アメリカ国民の名において、彼らの自由への愛、彼らの根本的な価値観を理由に、別の方向に落ち着きなく動きはじめた現在、これらの質問はわたしたちがこれまでずっと享受してきた民主主義が破綻し、崩壊したとさえ言える現状を、切実なものとして浮き彫りにする。
ジョージ・W・ブッシュが三年前、一般投票ではなく最高裁判所の判定によって最終的に当選して権力の座に就いて以来、アメリカの中東政策がどのように変わってきたかを、まず検討してみよう。九月十一日の大惨事が起こる前から、ブッシュ政権はアリエル・シャロンの政府に、西岸地区とガザを植民地化して、すき放題に住民を殺害・拘禁し、彼らの家を破壊し、彼らの土地を奪い、外出禁止令と軍事封鎖によって彼らを囚人状態に陥れ、全般的に彼らの生活を不可能なものにする自由を、無条件に与えていた。九・一一事件が起こってからは、シャロンは「テロリズムとの戦争」にここぞとばかりに便乗し、三十六年にわたる占領の下におかれた無防備な一般住民への一方的な略奪行為をエスカレートさせ、文字通り何十回もの国連安全保障理事会決議がイスラエルに対し占領地から撤退すること、あるいは戦争犯罪や人権侵害を止めるように要求しているのを公然と無視した。ブッシュは昨年六月にシャロンを平和を愛する人と呼び、年間五十億ドルの経済援助を、イスラエルの無法な暴虐行為がそれを危うくしているとほのめかすことさえなく、引きつづき同国に与えつづけた。
二〇〇一年一〇月七日、ブッシュはアフガニスタンへの侵略に着手し、緒戦で集中的な高高度爆撃を行い(「テロ防止」の軍事的な戦術とされるが、その効果や構造はむしろ通常の、月並みなテロリズムにそっくりだ)、十二月までには荒廃したこの国に傀儡政権を樹立させたが、その権力はカブール市の二、三の区画より先には及ばないようなものだった。アメリカは再建の努力をたいして払わす、この国は以前の悲惨な状態に戻ってしまったようだ──タリバンの一部が復活していることや、麻薬経済がおおいに繁栄するようになったことを除けば。
二〇〇二年夏から、ブッシュ政権はイラクの専制政府を攻撃するプロパガンダ・キャンペーンを遂行し、安全保障理事会に無理やり承諾を迫って失敗した後、英国と一緒になってこの国に戦争をしかけた。昨年十一月ごろから、メインストリームのメディアからは反対意見が姿を消したようで、そのかわりに明けても暮れても退役軍司令官や元情報機関職員ばかりが登場し、そのすきまをぬってワシントンの右派シンクタンクから呼び出された最近のテロリズム活動についての専門家が登場する状態だ。
批判的な意見を吐く者が、なんとかマスコミに出現することができた場合には、誰であろうが反米の烙印を押され、学者崩れが運営するウェッブサイトに、指示に従わなかった「敵方」の学者としてリストアップされる。批判的な立場をとる少数の有名人は、電子メールがパンク状態に陥り、生命の安全を脅かされ、彼らの思想は、アメリカの戦争の歩哨の役割を買って出たメディアの解説者たちによって、ぼろくそに叩かれ、散々に嘲笑される。
サダム・フセインの暴政をたんに邪悪だというだけでなく、知られるかぎりのあらゆる犯罪と同一視するような素材が、粗雑なものから洗練されたものまで、なだれのように次から次へと発表される。それらの多くは、部分的な事実は正しいのだが、サダムの台頭を促し、彼の破壊的な戦争に油をそそぎ、彼の権力を維持させたアメリカとヨーロッパのとびぬけて重要な役割については述べることを避けていた。実際、ほかならぬドナルド・ラムズフェルドそのひとが八〇代初期にサダムを訪問し、イランにしかけたサダムの破滅的な戦争にアメリカが承認を与えることを保証したのだ。アメリカの企業は、イラクが所有しているとされる大量破壊兵器(イラクと戦争する理由とされたものだ)の材料となる核物質や生物・化学物質を供給しておきながら、後にはしらじらしく公開の記録からそれを抹消した。
こうしたことはみな、イラクをさらに破壊する(一ヶ月前から実施している)理由を捏造するために、政府やメディアによって故意に曖昧にされたのだ。悪者扱いによって、この国と、そのつっぱり屋の指導者は、半ばメタフィジカルな恐るべき恐怖の肖像へと変えられてしまった。だが実際には──このことは、くりかえし指摘しなければならない──士気の低下した基本的に役に立たないこの国の軍隊は、誰の脅威でもなかった。イラクが恐るべきものだったところは、この国の豊かな文化と複雑な社会、長い間苦しめられてきた国民だ。だがそういう存在はみな隠蔽され、この国を粉砕するのに都合がいいように、まるで盗賊と人殺しが巣くう洞穴しかないところのように描かれた。証明されることのないままに、あるいは詐欺的な情報をによって、サダムは大量破壊兵器を隠匿していると非難され、七千キロも離れたアメリカに対する直接の脅威だとされた。彼はイラク全体と同一視されている。「あっちにある」この砂漠の国(今日にいたるまで、たいていのアメリカ人はイラクがどこにあるのか、どんな歴史を持っているのか、サダム以外のなにがあるのかについて、まったく知らない)は、アメリカがエイハブ船長のように現実を作り変え、そこら中に民主主義を与えてまわろうとする中で、世界中を怯えさせるために不法に解き放たれるアメリカによる力の行使の、標的になる運命なのだ。国内においては、愛国法とテロ防止法によって政府は市民生活を無作法に支配する力を与えられた。萎縮しておとなしくしている国民は、切迫した安全保障上の脅威についてのばかげた話(事実だとしてまかり通っている)をおおむねのところ受け入れており、その結果、予防拘束や不法な盗聴、公共空間の厳重警戒態勢がかもしだす脅迫的な感覚によって、大学のようなところでさえ、自立して考えたり話したりしようとする者にとっては、冷淡できびしいところになってしまった。
アメリカとイギリスによるイラク介入がもたらす恐ろしい結末は、まだその始まりが見え始めたにすぎない。まずこの国の近代的なインフラが冷酷に計算づくで破壊され、つづいてこの世界で最も豊かな文明の一つに対する略奪と放火が始まり、仕上げとして、多種の大企業と「亡命者」の寄せ集めを使って、国の再建とされるものに従事させ、イラクの石油ばかりか近代化の方向まで横取りしようとするアメリカのまったくシニカルな試みが実施された。最終的には占領軍に責任のある略奪と放火の恐ろしい場面への対応によって、ラムズフェルドは、十三世紀にバグダードを略奪し、大図書館を破壊して収蔵品をティグリス川に投げ込んだモンゴル帝国の統治者フラグ汗さえ顔負けするようなレベルに身をおくことになった。「自由とは乱れたものだ」と彼は発言し、また別の機会には「そういうこともあるさ」と述べた。遺憾の気持ちや後悔の念は、ついぞ表明されることがなかった。
この仕事に直接任命されたジェイ・ガーナー将軍は、テレビドラマの『ダラス』からそのまま引っぱり出されてきたかのような人物だ。たとえばペンタゴンお気に入りの亡命者アハマド・チャラビは、イスラエルと講和条約を結ぶというような考えをおおっぴらに示唆しているが、そんなものはどうみてもイラク人の考えではない。ベクテル社はすでに巨大な契約を獲得している。こういうこともまた、アメリカ国民の名のものとに行なわれているのだ。こうしたことすべてが髣髴とさせるのは、イスラエルによる一九八二年のレバノン侵略をおいて他にはない。
これは民主主義のほぼ完全な破綻だ──イラクのではなく、わたしたちの。アメリカ人の七〇パーセントがこれを支持していることになっている。だが、行き当たりばったりにつかまえたアメリカ人に「戦時には、わたしたちの大統領と軍隊を支持しますか」という質問をしたというこの世論調査は、詐欺とごまかし以外のなにものでもない。バード上院議員がスピーチで言ったように、「あせりと危険感が広くゆきわたり、あまりにも多くの疑問に答えが出されていないまま・・・上院議会室に幕がおろされた。わたしたちは、すべてのアメリカ人の心の中心を占めるこの重大なトピックについて討論するという、自分たちの本分を回避している。わたしたちの息子や娘の多数がイラクに行って誠実に彼らの義務を果たしているというのに。」中西部の田舎からやってきたトミー・フランクス将軍が部下に周囲を囲まれてバグダード宮殿のサダムの机に勝ち誇って座る今、いったいだれが質問をするのだろう。
わたしは、この戦争がどこをとっても不正な操作によるでっちあげであり、必要もなければ人気もなかったと確信している。ウォルフォウィッツ[国防副長官]やパール[国防諮問委員長]やアブラムス[国家安全保障会議中東地域政策長]やファイス[国防次官]を輩出した反動主義的なアメリカ政府機関が、知的・道徳的に不健全な雰囲気をつくりだしている。ポリシー・ペーパーは、同領域の別の専門家による真のチェックを受けることなく流布され、うさんくさい、基本的には違法な世界支配の政策を、正当化する必要にかられた政府によって採用される。専制的な軍事行動という基本政策は、決してアメリカ国民の投票で指示されたわけでもないし、半分眠っているような議員たちの票決で決まったわけでもない。ハリバートンやボーイングのような企業が政府に提案する誘惑に反対して市民が立ち上がるには、どのようにしたらよいのだろうか。空前の規模の予算に恵まれた軍事機構(わたしたちを果てしのない紛争の連続へと引きずり込むことが十分にできる)の戦略コースを立案する仕事は、イデオロギーに基づいた圧力団体(フランクリン・グラハムのようなキリスト教原理主義の指導者たちは、すでにバイブル片手に窮状におかれたイラクの人々をめあてに乗り込んでいる)や、裕福な民間財団、AIPAC(アメリカ・イスラエル広報委員会)のような圧力団体やその関連シンクタンクや研究所の手に委ねられている。
途方もなく犯罪的だと思われるのは、民主主義や自由といった重要な言葉がハイジャックされ、略奪行為や領土侵略や怨恨を晴らすための隠れ蓑に使われていることだ。アラブ世界についてのアメリカの計画はイスラエルのものと同一になってしまった。シリアと並んで、イラクはかつてイスラエルにとって唯一の重大な軍事的脅威だった。だからこそ、壊滅させねばならなかったのだ。ある国を解放し、民主化するとは、いったいどういう意味なのだろう──誰からもそんなことを頼まれたわけではないし、またそのために軍事占領しておきながら、法と規律を維持することができないというのに? サダムが臆病に姿を消してしまったときに大部分のイラク人が感じた、恨みと解放感のない交ぜになった気持ちには、アメリカからも他のアラブ諸国(バグダードが炎上しているというのに、些細な手つづき問題をめぐる諍いにかまけて傍観していた)からも、ほとんどなんの理解も同情も寄せられなかった。十三年にもわたって彼らを隔離し、爆弾を投下しておきながら、「現地人」が自分たちの侵入を歓迎してくれるだろうなどと想定するとは、なんと滑稽な戦略計画だろう。
アメリカの善意というじつに非常識な固定観念が、善行と悪行についての恩着せがましいピューリタズムと一緒になって、メディア報道の隅々にまで深く浸透している。バグダードの自宅を使って運営していた文化センターがアメリカ軍の急襲で破壊されたため、怒りに我を忘れている七〇歳の寡婦についての記事の中で、『ニューヨーク・タイムズ』のデクスター・フィルキンズ記者は、彼女が「サダム・フセインのもとで快適な生活」を送っていたことを暗に非難し、アメリカ人に対する彼女の長たらしい攻撃の弁を偽善的に否定している──「だが、これを述べているのは、ロンドン大学の卒業生だ」。
大量破壊兵器は見つからず、「スターリングラード」決戦は起こらず、砲兵隊による防衛もなかった。こういう数々の詐欺があった以上、それに加えて、もしサダムが、彼の家族と資産の保障と引きかえに国を明け渡すという取引をモスクワで交わした結果、忽然と姿を消したということがあったとしても、わたしは驚かないだろう。南部の戦闘でアメリカは苦戦し、ブッシュはバグダードでも同じことをくり返す危険を冒すことができなかった。四月六日、イラクを離れようとしていたロシア大使館の一団が爆撃され、七日にはコンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官がロシアを訪れた。二日後の四月九日、バグダードは陥落した。どういう結論を引き出すかは読者に任せるが、ラムズフェルドが言及した共和国軍との話し合いの結果、サダムがすべてを米英連合軍に引き渡すことと引き換えに亡命を許され、連合軍の勝利が高らかに宣言されたということもありえたのではないだろうか。
アメリカ人はだまされ、イラク人はとてつもない苦しみを味わい、ブッシュはまるでカウボーイ気取りで、正義の仲間たちをひいきいて悪辣な敵を最後の闘いでやっつけたばかりのシェリフのようにふるまっている。何百万人もの人々にとって非常に深刻な問題は、憲法の原則が踏みにじられ、選挙民は嘘をつかれているということだ。わたしたちこそが、みずからの民主主義を回復しなければならない国民なのだ。

人目を欺くトリックや口のうまい詐欺師たちは、もうたくさんだ。


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