Edward
Said Extra サイード・オンラインコメント |
|
トニー・ブレアが本気で親アメリカ姿勢をとっていることは、わたしのような部外者にとっては不可解なことだ。ほっとさせてくれるのは、イギリス国民にとってもブレアはユーモアのない例外的な存在だということだ──ヨーロッパ人でありながら自分のアイデンティティを抹消して、嘆かわしいブッシュに代表されるような別のアイデンティティを獲得した逸脱者なのだ。ヨーロッパがいつ正気を取り戻し、アメリカに対する対抗勢力としての役割を引き受けるようになるのか、それをみとどける時間がわたしにはまだ残されている。その規模や歴史によって、ヨーロッパにはその資格が与えられている。その時がくるまでは、戦争は容赦なく迫ってくるだろう。
|
ヨーロッパ VS アメリカ
Thinking ahead
Al-Ahram Weekly 2002年11月14〜20日 No.612号 |
|
イギリスは何度となく訪問したことがあるが、一度に一週間から二週間ぐらいを超えて滞在したことはなかった。今年はじめて、わたしはケンブリッジ大学に二ヶ月近く滞在している。同大学のカレッジのひとつに招かれて、大学における人文科学研究についての連続講義を行なっているからだ。
この経験について第一に指摘したいのは、ここでの生活は、ニューヨークのわたしの大学コロンビアでの生活に比べて、ストレスもせわしなさもずっと少ないということだ。このゆったりしたペースは、たぶん英国がもはや世界大国ではないという事実に一因があるのだろう。だが同時に、この国の古い大学は思索と研究の場なのであって、企業や国家に奉仕する専門家や技術者をつくり出す経済センターではないという健全な考え方もまた、その一因であろう。このポスト帝国的な状況は、わたしにはうれしい環境だ。現在のように、合衆国が不快きわまりない圧倒的な戦争熱の渦中にあるときには、とくにそうだ。アメリカ政府に籍を置き、この国の権力集団にある程度のコネがあれば、残りの世界はみな自分の面前に地図を広げたように横たわり、好きなときに、好きなところに干渉してくれと誘いかけているように見えるのだろう。ヨーロッパの論調はもっと穏健で思慮深いが、そればかりでなく、抽象性もより少なく、もっと人間的で、複合的で、鋭敏だ。
ヨーロッパ全般、とりわけ英国では、人口統計のうえでムスリム系住民の存在がずっと重要な位置をしめ、この人々の見解が、中東での戦争や反テロ戦争をめぐる議論の一部に組み込まれている。従って、きたるべき対イラク戦争についての論議には、ムスリムの意見や躊躇が反映される傾向が、アメリカでの議論に比べてずっと強い。なにしろアメリカでは、アラブ系はすでに「あちら側」(なにを指すのかは不明だが)についているとみなされており、「あちら側」についているということは、サダム・フセインを支持するも同然であり、「アメリカ人らしくない」un-Americanということに等しいと考えられているのだから。こういう考えはアラブ系やムスリムのアメリカ人には不快きわまりないものであるが、アラブ系やムスリムであればサダムとアルカイダをやみくもに支持しているはずだという考えは、いつまでたっても消えない。(ちなみに、公敵を表す方法として国民性をしめす語に "un-" [形容詞につけて否定を表す接頭語]をつけるような表現を用いる国は、アメリカ以外にはきいたことがない。Un-Spanish とか un-Chinese などとは誰も言わない。これはアメリカ特有のしかけで、自分たちがみな自国を「愛する」のは自明のことだと言っているのだ。いずれにせよ、ひとつの国家というような抽象的で内容の測りがたいものを「愛する」などということは、実際にどうしたら可能になるのだろう?)
アメリカとヨーロッパの相違として気づいた二番目に重要なポイントは、宗教とイデオロギーが前者においてははるかに大きな役割を果たしていることだ。合衆国で最近行なわれた世論調査によれば、アメリカ人の86パーセントが、自分たちは神に愛されていると信じている。世界共通の厄災とされている狂信的イスラームや凶暴なジハーディストについては、おおげさな苦情の声がずいぶんと発せられてきた。彼らが狂信的で凶暴であるというのは勿論そのとおりだが、それは自分たちが神の意志になり代わって、神の名において、神の戦いを行っているのだと主張するどんな狂信者たちにもあてはまることだ。それにしても奇妙このうえないのは、合衆国にこれほど膨大な数のキリスト教の狂信者たちがいることだ。彼らはジョージ・ブッシュの支持基盤の中核を形成しており、総勢6千万というその数をもって、合衆国史上最強の組織票を形成している。イギリスでは教会に出席する者の数が激減しているが、合衆国ではもとより多かったことはない。それにもかかわらず、この国の不可思議な原理主義キリスト教諸派は、わたしの意見では世界全体の厄災となっており、ブッシュ政権が悪を懲らしめると標榜して堂々と各地の住民全体を服従と貧困に追いやるようなことに、理論的根拠を提供する役割を果たしている。
ユニラテラリズム(自国本位の一方的外交)、弱いものいじめ、神聖な使命という感覚などに向かって突き進むアメリカの時流に油をそそいでいるのが、キリスト教右派といわゆる新保守派(ネオコンサーバティブ)の同時発生である。新保守主義運動は70年代に、共産主義へのたゆまぬ敵意とアメリカの覇権というイデオロギーにもとづいた反共主義の布陣として始まった。「アメリカの価値観」という、今では世界にいばり散らすためにあまりに気軽に持ち出されるようになった文句は、もともとはアービング・クリストルIrving
Kristol、ノーマン・ ポドレッツNorman Podhoretz、ミッジ・デクター Midge
Decterなどのように、かつてはマルクス主義者であったが、のちに完全に(かつ宗教的にで)反対陣営に転向した人々が発明したものだ。彼らはひとり残らず、イスラームと共産主義から西欧民主主義と文明を守る盾としてイスラエルを無条件に防衛することを、信仰の中心に据えていた。おもだった「ネオコン」たちの多く(全員ではない)はユダヤ系である。しかし、ブッシュ政権のもとで、彼らはキリスト教右派の支持というおまけを歓迎している。キリスト教右派は、もうれつなイスラエル支持派であるものの、同時にまた根深い反ユダヤ思想の持ち主である(南部の再洗礼派を中心とする一部のキリスト教徒たちは、世界中のユダヤ人がすべてイスラエルに集結すべきであり、それによってはじめてメシアが再臨すると信じている。キリスト教に改宗するユダヤ人たちは救済されるが、それ以外の者たちは地獄に落ちる運命だとされている)。
対イラク戦争を推進する圧力の黒幕は、リチャード・パールやディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、コンドリーザ・ライス、ドナルド・ラムズフェルドのようなネオコン第二世代である。ブッシュがこれに押し流されるのを止められるとは考えにくい。コリン・パウエルはあまりに用心深く、自分のキャリアを守ることを優先し、原則がなさすぎるため、このグループにとってたいした脅威になるとは思えない。なにしろ彼らの背後には「ワシントン・ポスト」の論説委員をはじめとする多数のコラムニスト、CNN、CBS、NBCなどに登場するマスコミの識者たち、アメリカの民主主義を世界に広めるため、どれほど多くの戦争が必要になろうが果敢に戦う必要があるという決まり文句を繰り返す週刊全国誌などの支持がついているのだから。
このような種類の思考は、ヨーロッパではみじんも見られない。また、決定的な力を持つ莫大な金と権力の結合によって、選挙と国家政策が意のままに操作されるということもない。ジョージ・ブッシュは二年前の大統領選挙で二億ドル以上も使って当選したことを思い出そう。ニューヨーク市長マイケル・ブルーンバーグでさえも、選挙費用に六千万ドルを使ったのだ。こんなものが、他の国々が希求するような民主主義とはとうてい思われず、手本になるなど論外だろう。にもかかわらず、大多数のアメリカ人はこれを無批判に受けいれているようだ。その明白な欠陥にもかかわらず、彼らはこんなものを自由や民主主義と同一視している。今日の世界におけるどの国よりも、合衆国は大多数の市民から遠く離れたところで制御されている。巨大企業と圧力団体が「国民」の主権を勝手にあやつり、真の反対派や政治変革が出現する機会はほとんど残されていない。民主党員も共和党員も、たとえば戦争をする無制限の権限をブッシュに与えるようなことに、一緒になって賛成した。あの場面で彼らが示した熱意や絶対的な忠誠をみると、いったいこの決断には思考というものが存在したのだろうかと疑ってしまう。体制内の人々がほぼ例外なくとっている思想的な立場は次のようなものだ。アメリカは最高であり、その思想は完璧で、歴史には汚点が無く、その行動や社会は人類の偉業と偉大さの最高水準にある。それに反論することは(もしそんなことが少しでも許されるならばだが)「アメリカ人らしくない」ことであり、反米主義という天下の大罪を犯したことになる。反米主義などというものは、正直な批判からではなく、善良で純粋なものへの憎しみから生じたものに違いないからだ。
これでは、ヨーロッパのような組織された左派や本物の野党がアメリカには一度も出現しなかったのも無理はない。アメリカにおける議論の本質は、黒か白か、善か悪か、われわれの側かやつらの側かにふり分けることだ。このような善悪二元論が、不動の思想的側面として永遠に組み込まれているように思われ、それを変えようとすることは一生をかける大仕事である。たいていのヨーロッパ人にとっても、それは同じだ。アメリカはこれまで自分たちを救済してくれたし、いまや保護者となっているが、それでもアメリカを全面的に受けいれることは、やっかいで鬱陶しいことだと彼らは考えている。
それゆえになおさら、トニー・ブレアが本気で親アメリカ姿勢をとっていることは、わたしのような部外者にとっては不可解なことだ。ほっとさせてくれるのは、イギリス国民にとってもブレアはユーモアのない例外的な存在だということだ──ヨーロッパ人でありながら自分のアイデンティティを抹消して、嘆かわしいブッシュに代表されるような別のアイデンティティを獲得した逸脱者なのだ。ヨーロッパがいつ正気を取り戻し、アメリカに対する対抗勢力としての役割を引き受けるようになるのか、それをみとどける時間がわたしにはまだ残されている。その規模や歴史によって、ヨーロッパにはその資格が与えられている。その時がくるまでは、戦争は容赦なく迫ってくるだろう。
Al-Ahram Weekly Online 14 - 20 November 2002 Issue No. 612
|
Home| Edward Said|Noam Chomsky|Others | Links|Lyrics
|