エル・エスパシオ・デ・ラ・ペリクラ

「ラテンアメリカ 光と影の詩」

El Viaje
1992/フランス=アルゼンチン
監督 フェルナンド・E・ソラナス
出演:ウォルター・キロス / ドミニク・サンダ / ソルダード・アルファロ / クリスティーナ・ベセラ / マルク・ベルマ


参考上映:
場所:キノ・キュッヘ
日時:2004年12月19日(日)15:30〜

解説: 佐々木健

この作品は、ビデオで見たのだが映画館で見たかった!と思わせる作品だ。とにかく映像の持つ力=美といったものに圧倒される。久々の体験といっていい。
監督はアルゼンチン生まれのフェルナンド・E・ソナラス。多数のコマーシャルを製作していたのだが、1968年「燃える時」で長編映画にデビュー。しかし軍部の検閲により公的な活動を制限される。1976年の軍事クーデター直後にフランスに亡命。パリに住む亡命アルゼンチン人を描いた「タンゴ・ガルデルの亡命」で多くの国際映画祭で賞を獲得。この「ラテンアメリカ光と影の詩」で、アルゼンチンの政治腐敗を激しく批判したためにメネム大統領に名誉棄損で訴えられ、法廷で証言した翌日に銃撃を受け負傷するといった事件にもあっている。オクタヴィオ・ゲティーノという監督と共に「第三の映画」という映画論を持つ。これは自分たちの作る映画が商品としての映画でも実験精神の表れでもなく、革命の意識と精神の表れであり道具であるという主張である。

物語  アルゼンチン最南端の島、フエゴ島のウスワイアという街に住むマルティンは国立師範学校に通っている。抑圧的な学校での方向性には夢を抱けず、家では義父とよりが合わず、妊娠した彼女は自分に相談もなしに堕胎したことから、実の父に会うために自転車で旅に出る事を決意する。いわゆる、ここから南アメリカの風景が溢れたロードムービーがはじまるのだ。  植民されたニュー・パタゴニア、洪水で浸水したブエノスアイレス、先住民たちに日々増額する税金を強制するボリビア、ブラジルの鉱山での非人間的な労働などを経験しながら、自分が今まで知らなかった世界を垣間みる。また父親を探しながら、父親の実像を知るにつれ一人の人間が生きて行く上での悩みは自分自身が決定していく以外ないのだと認識し、父親への精神的依存から自立していくのだった。  

コメント  まず、アルゼンチンといっても、タンゴが有名なことと、自殺した中国の人気男優レスリー・チャンが出演した「ブエノスアイレス」くらいしか知らないので、この映画をどこまで理解したか心もとないのだが、最初のシーンの崩れ落ちるビルからして象徴的な意味合いを感じさせる。

 最初のウスワイアの学校では。教室の中に雪が降り積もる中で授業が進められ、廊下の壁に掛かっている歴代の政府の要人と思われる肖像画が次々に大きな後と共に落ちていく。また画面が急に傾き地震かと思うとテレビで「今日はめでたい傾斜日和で、島の統制解除により島全体が傾くでしょう」と天気予報のように言っているのだが、学校では島の異常事態の発生と言い、これでもかと言う位ぐらぐらと島が揺れる。それに続き「この島売ります」という看板が何故かカタカナ混じりで登場する。これらは国の厳しい統制の割には不安定な状況が続き、明日に希望を持てないことへのアイロニーだったりする。

 また、主人公の父が書いたとされる童話が随所に注入され、ラテンアメリカの先住民やアフリカから連れて来られた黒人の悲惨な歴史が表現される。面白いのはその童話に登場するインコンクルーソというトラック運転手で、マルティンの現実の旅の途中で何度か現れるのだ。インコンクルーソは独裁の時代も侵略の歴史もサンディーノの虐殺もトリホスの殺りくもことこまかに覚えているという。また、パナマ侵攻では3千人もが殺りくされたにも関わらず、そのことが報道されないことを嘆く。インコクルーソは歴史の目撃者というわけだ。

 浸水のブエノスアイレスの場面では、交通手段はボートになるが、水面にはウンコが浮かぶ。カエルの水かきを付けた大統領は下水完備が一番の目標だと言い、底打ちの経済を「順風満帆」だという。市民には「波風」立てずに、「信じよう、いつか浮上する。アルゼンチン人よ、しっかり泳げ」というのだ。マルティンの祖父は死んでしまったが、反体制派の検事で「騒音の声」という「リブレ・ラジオ〔自由ラジオ)」で「黙っていてはいけない、一致団結して騒がしい戦いを始めよう」と呼びかける。しかし、こうした洪水の最中でも投資家は水で儲けることを考える。市民の生活よりもいかにして金を稼ぐかしか頭にないのだ。ニュースは「騒がしい戦い」が禁止され、その戦いに呼応した「希望の使者」であるティトが行方不明だという。これも反体制の人間が暗殺されていることの暗示だろう。

 このように、各シーンで体制批判的な姿勢に貫かれているのだが、それを声高に主張するというよりも、権力を笑い飛ばし、現実と幻想が入れ混じる映像に満ちあふれている。使われている言葉にも細かな象徴や諧謔的暗示がかなり隠されていると思われるのだが、そうしたものを探し当てるのも面白い。反体制的な映像の方法論としても考えさせられる面があり、かなり見ごたえのある映画だといえる。

 最後にアルゼンチンといえばタンゴ、タンゴといえばピアソラと言われるほど有名なピアソラのタンゴがこの映画にはかなり使われている。監督のソラナスもマルティンが旅立つ時の曲を作っていて、それを歌うのがアルゼンチンを代表するロック歌手フィト・パエスが歌うのだが、これも見てのお楽しみ。ちなみにフィト・パエスは「アルゼンチンの夜」で長編映画監督デビューを果たした。                          

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