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2004年7月 フロンティアスピリットと西部劇

革命児サパタ

Zapata

参考上映:「革命児サパタ」(エリア・カザン監督、1951年)

場所:キノ・キュッヘ
日時:2004年7月25日(日)16:00〜
料金:無料(打ち上げ¥1000)
問合せ:042ー577ー5971(キノ・キュッヘ)

解説:佐々木健

「ゴッド・ファーザー」や「地獄の黙示録」で注目された俳優マーロン・ブランドが死んだということもあり、今回は彼の出演作を探してみた。マーロン・ブランドは若い時に「欲望という名の電車」や「波止場」などエリア・カザン監督作品で人気を博した俳優だが、「波止場」での受賞に続き「ゴッド・ファーザー」での二度目のアカデミー賞主演男優賞受賞に対し、アメリカ映画界での先住民にたいする描き方に問題があるとして、賞を辞退するという経歴があり先住民問題に関心があるとされてきた。だからというわけでもないのだが、今回はマーロン・ブランド主演作の中から、メキシコ先住民、農民の立場にたった革命家エミリアーノ・サパタを演じた「革命児サパタ」を取り上げてみたい。

物語は1911年のメキシコ革命当時の話だ。ディアス大統領の30年に余る独裁体制下に苦しんでいたメキシコ農民の中にサパタという若者がいた。彼は兄(アンソニー・クイン)、友人パブロと山に隠れていたところ、訪ねてきたフェルナンドという男から1910年の大統領選挙でディアスのライバルで民主派で革命家であるマデロがテキサスに亡命している話を聞く。マデロに気を惹かれたサパタは友人パブロをテキサスに派遣する。

ある日、知り合いの老農民が官憲に連れられて行くのを救ったサパタは追われる身となり捕えられるが、兄やパブロが農民達の協力のもとサパタを救い出した事が革命の口火となりサパタは南部を制圧。北からのマデロ軍と南からのサパタ軍の協力により革命軍が勝利し、マデロは大統領となった。

しかし、マデロが政治的民主主義を求めて革命を起したのに対し、サパタを始めとする農民は今日の飯と明日の食糧の為の土地を確保するために革命に参加したのだった。しかし、大農園主だったマデロにはそんなサパタや農民の気持ちをわかりもせず、武装解除を要求した。

そうしたマデロのやり方にサパタは激怒し、関係は決裂。しかもマデロはディアス時代から軍を抱えていたウェルタ将軍の裏切りにあい、暗殺される。

ウェルタを倒したサパタは大統領に推されたが、もう一方の北部の革命家フランシスコ・ビジャと共に辞退する。二人にとっては、メキシコの政治よりも農民の生活向上にたいする関心があったのだ。そんなサパタにたいし違和感を感じていたフェルナンドは、サパタ討伐軍を組織、ある屋敷におびき出したサパタを一斉射撃により殺害。しかし、サパタを慕う農民達の心の中には永遠にサパタは生き続けているのだった。

● メキシコ革命

この物語を理解するためには、時代背景であるメキシコの歴史と1910〜のメキシコ革命のことを少しわからないといけなが、これはかなりしんどいので極めて簡単に言ってしまうのだが・・・。

16世紀にスペイン人が入植し、当時のアステカ帝国を徹底的に侵略。植民地初期には、銀鉱脈が発見され、鉱山開発が経済活動の中心となった。この時労働力として先住民がかりだされ、人口が激減、その原因は苛酷な労働だけでなく、旧大陸から持ち込まれた感染症だという。鉱業は18世紀半ばまでに衰退し、次第にアシエンダ制といわれる大土地所有制が台頭、20世紀まで封建的な経済・社会制度としてメキシコ農村部を支配した。

近代化への過程で重要な役割をはたしたのが、独立革命(1810~1821)、レフォルマ(改革)時代(1854~1867)、メキシコ革命
(1910〜1940)である。独立革命は1810年、イダルゴ神父がメスティソ(混血)やインディオを率いて武装蜂起して始ったが、結果はスペイン本国人による支配が、植民地生まれのスペイン人の支配に変っただけだった。1910年に始ったメキシコ革命はディアス独裁政権に対し政治的民主主義を求める勢力が立ち上がって起きた。それまでの革命との違いは、ディアス政権下で政治・社会的に啓蒙された労働者や農民が存在し、彼らを率いて戦う革命勢力が存在したことだった。しかし、社会改革を求める勢力同士が対立する動乱期は1917年の憲法制定まで続いた。

● サパティスタ民族解放軍(EZLN)

という訳だが、この映画「革命児サパタ」は、監督はエリア・カザン、脚本がジョン・スタインベックと豪華メンバーだが、いまいちラストがスッキリ来ない。そこで、かなり強引だが、このエミリアーノ・サパタの精神に近い「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」の事に触れて最後としたい。

1991年1月1日、サパティスタはメキシコ最南部のチアパス州で、マヤ系の先住民を主力として武装蜂起した。蜂起当日は北米自由貿易協定(NAFTA)の発行日。アメリカ、カナダ、メキシコ域内の関税撤廃を骨子とするこの協定により、メキシコのアメリカ経済への従属制がより強固となり、零細農民の大半の生活はさらに厳しくとしてサパティスタは協定に反対したのだが、そこにいたるコロンブスの時代からことごとく人権を奪われてきた先住民の権利の回復に主眼点があったといっていい。

サパティスタの武装蜂起のニュースは即日のうちに世界中を配信され、アメリカ主導で進む新自由主義によるグローバル化を「富めるものは富み、貧しき者はさらに貧困の度合いを増す」と主張する世界中の反グローバリゼーションの活動家によって支持された。サパティスタの武装行動は2週間で事実上終了、そこから言論による政府批判、自分たちの主張の正当さを繰り返し表明し続け、2001年2月から3月にはサパティスタの「尊厳の行進」が行われた。2000年12月、71年間メキシコを独裁してきた制度的革命党を破った国民行動党出身のビセンテ・フォックスは選挙中、サパティスタの行動をに理解を示しつつ、先住民の人権回復を公約したのである。

大統領選挙に影響するほどサパティスタの庶民的人気は高く、芸能雑誌にサパティスタ民族解放軍の事実上の指導者マルコス福司令官がリッキー・マーティンたちとともに目出し帽姿で登場するという程庶民から人気があるのだという。何かメキシコ革命時代のエミリアーノ・サパタに対する庶民感情と通じるものをそこに感じてしまうのだ。