この日、早朝から東峰地区一帯にわたって大量の機動隊・私服刑事、公団職員を配置し、小見川県道から東峰神社に通じる道路を封鎖状態に置くという戒厳状況を敷いてきた。正午30分、ヒノキやサクラの木19本を次々と根元から伐採し、クレーンで引き上げ撤去した。東峰神社立ち木伐採攻撃に対して駆け付けた農民と住民たちの抗議に対して機動隊を前面に押しだし暴力的に排除し、不当弾圧を繰り返したのだ。 反対同盟世話人である石井武さんは、「国のやり方は30年前もいまも変りなしだ」と述べ、公団の暴挙に対して毅然とした対応をとっていくことを明らかにした。さらに石井恒二さん、樋ケ守男さん、小泉英政さんなど東峰部落農民と住民たちも駆けつけ、次々と抗議と怒りの声をあげ抗議行動を闘いぬいた。この中で機動隊は、東峰農民の一人を不当逮捕した。 公団中村は、この日の記者会見で立ち木の抜き打ち伐採を「大変つらい選択で住民に対して申し訳ない」などと開き直り、来年5月よりも前倒しで暫定滑走路を完成し、供用開始を早めていくことを強調した。さらに公団は、立ち木伐採強行の根拠を「神社の土地は買収しており、民法上、立ち木も土地と一体のものである」という強引な解釈をして強行したことを明らかにした。 東峰神社立ち木問題は、高さ18メートルの立ち木が暫定滑走路南端約120メートルに位置し、飛行進入コースに存在しているためジェット機の離発着に支障が生じることが工事開始と同時に明らかになっていた。航空法は、滑走路近くの構造物を地上から5メートルを規制の対象としている。公団は、暫定滑走路早期完成のためになにがなんでも押し進めたいがために「土地と立ち木は一体」論をデッチ上げたのである。 東峰神社は、「農民の神様」として1953年11月23日に東峰部落農民が総出で建立した。東峰神社は部落の鎮守となり、毎年、11月23日は、農閑期、農業の苦労をともにねぎらう記念日となった。そして部落の共有財産としてヒノキやサクラの木が植林された。神社の掃除や補修、杉の木の枝おろしなどの育成作業は、部落の共同の仕事として行われ続けてきた。この間においても部落の共同出資によって杜の一部の補修、鳥居の立て直しを行った。東峰神社は、明らかに部落の共有財産として維持され続けているのである。 東峰神社をめぐってこのような経過があるにもかかわらず、なぜ「土地と立ち木は一体」論が成立するのか。立ち木の伐採は、明らかに部落の共同財産権に対する侵害である。ブルジョア法的にも器物損壊罪ではないか。 公団は、当初からこの東峰神社立ち木問題に対して沈黙し続け、水面下では土地所有者とカネを積んで取り引きし、買収を進めていた。しかし、東峰神社は明らかに東峰部落の共有財産であるため、完全にデッドロック状態に入っていた。このため公団は、抜き打ち撤去というワンパターンの手法を選択したのである。 今回の場合、少くとも最低の合法的体裁を整えるためには、航空法を盾に千葉地裁に仮処分申請を行い、除去許可を無理やり引き出さなければならなかったが、公団はこのような最低限のハードルを一挙に飛び越して伐採を強行したのである。このような形で強行しなければならないほどあせりに満ちた状態にまで追い込まれていたのだと言える。 公団中村は、「神社については今後移転をお願いしていく」などと表明したが、つまり今回の暴挙に続いて、すべての防風林伐採、東峰神社そのものの破壊をねらいながら、暫定滑走路工事の早期終了、秋にもジェット機のテスト飛行を強行し、轟音による追い出し攻撃によって東峰農民と住民をたたき出していくことを宣言したのである。 立ち木強制伐採を行った公団の犯罪を絶対に許してはならない。東峰部落農民と住民の怒りは頂点に達している。公団の暴挙を弾劾し、暫定滑走路工事をただちに中止に追い込む闘いを強化していかなければならない。三里塚闘争は、この夏から秋にかけて重要な局面に突入する。 すべての闘う仲間は、公団による一連の卑劣な攻撃を糾弾し、暴露しぬき、東峰部落農民と住民の人権破壊を許さない闘いを作り出していこう。公団に対する抗議をたたきつけていこう。三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会は、立ち木伐採強行糾弾!ジェット飛行機のテスト飛行阻止に向けた三里塚東峰現地行動を9月9日(日)に行うことを決定している。現地行動への結集を強く訴える。(遠山裕樹) 最近の三里塚 4.22東峰現地行動報告 三里塚―小泉よねさんへの強制代執行に対する訴訟に決着 三里塚で旗開き 羽田国際化をめぐる対立と三里塚闘争の課題 11.12東峰住民と連帯して現地行動 |