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国土交通省への申し入れ

問題はないと推測している
―国土交通省に申し入れ―

大野和興
 暫定滑走路供用一〇日前の四月八日午後、メッセージ運動として国土交通省に対し
申し入れ行動を行った。私たちの運動が国土交通省に申し入れを行い交渉をもったの
は、暫定滑走路建設が発表された当時、多くの方に呼びかけて「成田空港の滑走路暫
定案を白紙に戻すよう訴えます」という声明を出した一九九九年一〇月一日に引き続
いて二回目になる。仲介の労をとっていただいたのは社会民主党衆議院議員の北川れ
ん子氏。交渉は衆議院第二議員会館の一室をお借りし、午後二時から一時間三〇分に
渡って行われた。国土交通省からは航空局新東京国際空港課の吉田昭二課長補佐と瀬
井威公企画係長が出席。メッセージ運動からは山口幸夫、中里英章、藤川泰志、山口
泰子、白川真澄、吉岡正志、安達由起、大野和興、林廣治の九人が参加。北川議員と
スタッフには終始同席していただき、後日の国土交通省からの資料受け取りでもお世
話になった。

 はじめに
 交渉は、中里氏がこの申し入れに至る経過と申し入れ事項を説明することから始ま
った。申し入れは、人がくらし、生産活動を続けている頭上わずか四〇メートルをジ
ェット機が数分ごとに飛び交う暫定滑走路のひどさを指摘。その供用中止を求めると
同時に、そうでない場合も、直下に当たる東峰集落の生活と生産に影響を及ぼさない
よう、暫定滑走路南側への離発着をしないよう求めるという、地元のくらしを配慮し
た柔軟なものであった。   
 交渉をはじめるに当たって私たちは、この申し入れに対する当局の回答を引き出す
中で、これから起こりうるであろうさまざまな人権侵害や環境破壊を当局がどう考え
予測しているか、きちんと問いただし、確認をとっておこうと申し合わせた。これか
らの運動、当局との交渉をする上で、いま国土交通省が何を考えているかを事実とし
てきちんとつかんでおくことは、重要であると考えたからである。

 人権よりグローバル化が大切
 吉田課長補佐より、申し入れに対する回答があった。二項目とも拒否。「なるべく
早く本来の二五〇〇メートル並行滑走路を作りたい」と、これからのことにさえ言及
した。
 申し入れ第一項の「供用中止」については、「世界の国々から成田から飛びたいと
いう矢の要望があり、暫定滑走路も四月時点ですでに枠の六割が埋まり、一〇月には
七割が埋まる。二〇〇七年には上限に張り付く。グローバル化の中でわが国が世界の
中で立ち行かなくなるから、要望は受け入れられない」というものであった。人権よ
りグローバル化を優先させるという立場を鮮明に打ち出したわけである。
 また「南側は使わない」という申し入れに対しては、「風の関係で当然使う。南側
が使えないということは暫定滑走路が無きに等しいものになる」とはねつけた。
 頭上からの騒音については「いつでも防音工事をさせていただきますと説明する以
外にない」と語った。
 大気汚染、騒音とも問題なし
 暫定滑走路がもたらすさまざまな人権侵害と環境破壊より、グローバル化に向け空
港の使い勝手を優先させるという回答を得て、交渉は具体的に何が起こりうるか、そ
れを当局はどう考えているか、ということに進んだ。
 まず、大気汚染について。
 吉田課長補佐は「成田空港の大気汚染は千葉県の他の地域と大差ないという調査結
果を得ており、基本的に問題ない。環境庁の基準にも適応している」と答えた。当局
として、大気汚染は問題ないという立場を鮮明に打ち出したわけである。
 次に騒音について。
 これについても、茨城県下の軍事空港・百里基地直下の鶏舎を調査した結果「私ど
もも安心いたしまして鶏舎のほうに影響がないのではないかと考えている」というこ
とであった。
 以上のような問答から、国土交通省としては、暫定滑走路による人権侵害・環境破
壊はありえない、問題が起これば防音工事などで対処すれば事足りるという立場にた
っていることが明らかになった。そこで私たちは、同省がそういう立場を打ち出すに
至った根拠は何か、ということを尋ねた。
 まず大気汚染について、「問題ないというが、その根拠となった調査は暫定滑走路
供用前のもののはずだ。それでも問題ないという根拠は何か。その調査はどういう条
件のもとで行われたものなのか」と質問した。
 これに対して吉田課長補佐は「問題ないという前提に立っている」ことを認めなが
ら、その根拠となった調査については何も答えられなかった。車などほとんど通らな
い辺田地区の農民R氏のビニールハウスが油でベトっというほど汚れたことに端を発
して、共生委員会が行った調査では、異なる結論が出ているのだが、そのこと自体を
出席した国土交通省の二人は承知していなかった。

 他の土地に移転いただくのが一番望ましい
 こうした問答の末、吉田課長補佐は、「おそらく(大気汚染は)ないだろうという
推測のもとに、大丈夫だろうと申し上げた」と語ったB暫定滑走路供用後、何が起き
るか、ほとんど何の根拠もないまま、「大丈夫だろうという推測」のもとに建設を強
行し、いま供用を強行しようとしている当局の姿勢が明らかになったと私たちは判断
した。
 そうであれば、実際に当局の「推測」外の事態、大気汚染が発生したり、騒音で鶏
が圧死したりするようなことが発生したときには、供用中止あるいは少なくとも南側
の飛行は考え直すべきだと思うがどうか、と私たちは問うた。
 これに対する答えは「現段階では暫定滑走路を止めることは考えていない」「後で
被害が出たら、だから空港を止めるということはなしに、何らかの手段で誠意を示す
対応しかない」「一番望ましいのは補償ですとか他の土地にご移転いただくというの
が一番望ましい」というものであった。被害が出たら出て行けばよい、ということか

 なおも人権侵害と環境破壊を説く私たちに対し、国土交通省側は「それは価値観の
問題だ。空港というのは必要不可欠なインフラであり、空港の公共性に配慮して欲し
い」と述べた。価値観という概念を持ち出し、話を平行線のままにとどめて、結果的
に話し合いを否定する論理を持ち出したのである。
 だが、人がそのくらしの場所で平穏に、人権や環境を侵されることなく生活し、生
産活動を続けることができる権利は、価値観以前の人類共通の基本的権利であり、何
人も侵すことはできないもののはずである。それを価値観の違いということで否定す
ることは少なくとも世界に通用しない。もし基本的人権を価値観の違いで葬り去るな
ら、独裁政権も正義の名による戦争も、あるいは無差別テロも否定できないことにな
る。それぞれがそれぞれの価値観のもとに独裁政治を敷き、戦争をやり、テロリズム
に走っているのである。私たちは、暫定滑走路の問題を価値観の問題に解消させては
いけないとつくづく感じた。

 有機認定、そんなの知らない
 交渉でもうひとつ大きな論点になったのが、三里塚農民が三〇年にわたってつくり
あげてきた有機農業についてであった。頭上すぐ上を飛ぶジェット機からは、さまざ
まな化学物質が農地に植えられている作物に降り注ぐ。三年前の交渉では、国土交通
省側は「それならどこかに移転すればよい。有機農業はどこに移転してもできる」と
つっぱねた。
 私たちは交渉で、当時とは有機農業をめぐる事情が国の法律によって大きく変わっ
たことを指摘した。JAS(日本農林規格)法で有機農業の条件が定められ、認証制
度がしかれたことだ。最低三年間、化学肥料・農薬散布をしておらず、土の中から有
害物質が検出されないことが有機農産物認定の条件となっている。
 三里塚の農民の中には有機認定をとった人もおり、とっていないまでもその資格を
備えている人は東峰を含め数多くいる。そしてこの法律ができた以上、有機農業者は
国土交通省側が言うようにどこでもできるということにはならない。化学物質の施用
を長年にわたってやめ、そのことを記録し、情報を開示し、その上できちんと認定を
受けなければ有機農産物という表示は使えないのだ。しかもそれを田畑一枚ごとにや
らなければならない。この長年の努力が、頭上を行き交うジェット機がまきちらす化
学物質によって反故になってしまいかねないのである。
 私たちのこうした指摘に対し、吉田課長補佐は「JASの件については知らなかっ
た」という回答であった。「安全」を標榜している有機農業にとって、風評被害だけ
でも大変なことになる。「知らなかった」では済まされないと私たちは強調した。
 
 最後に、国土交通省側はこの日答えられなかった問題について資料をできるだけ早
く提出すると同時に、今後問題が出てくればこうした話し合いを持つことを約束して
、交渉を終えた。

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成田空港の暫定滑走路の使用中止に関する要望書提出
   及び国土交通省交渉に立ち会って

北川れん子
 二○○二年四月八日、表題の交渉での立会い議員をさせていただきました。
 交渉内容については大野和興氏が「問題はないと推測している―国土交通省に申し
入れ―」にきちんとまとめられておられますので省略いたしました。それにしても「
問題はないと推測している」というタイトルは、上手く言い表していると感心してい
ます。
 この「問題はないと推測している」と言い放った行政マンの言葉から思うのは、現
国会に出されている有事法制審議で小泉首相がよく使う「備えあれば憂いなし」と同
義語ではないでしょうか。どちらもおそらく、わずか五パーセント位の権力に近い支
配階層の人々だけを守るための言葉だと思います。
 首相や、首相を支える行政マン、政府の狭量さが人々を息苦しくしていっています
。交渉当日、課長補佐は「価値観の違い」と言って、「他の土地に移転していただく
のが一番望ましい」と問答無用で切り捨ててしまいました。
 まだ、三○代半ばとおぼしき行政に携わる彼らたち。彼らが生きてきた年数以上も
農業を営んできた当事者の方々が同席していないとい、こともあっての答弁だったの
でしょうか。農業当事者との交渉は上司の役割で、知らぬ存ぜぬと言わんばかりであ
りました。
 多くの農業者が去った中、過酷な状況を押し付けられても、今なお三里塚で農業を
営む人たちがいることを、彼らはどう理解しているのだろうか。なぜ、ここにいるの
か思い巡らすことはないのかと、答弁を聞きながら思案にくれていましたら、その時
、唐突に「そこは我々も人間でありますので、例えば、私共も昔の小川プロですか、
作った映画とか、この前やってましたので、観てまいったんですけども……」と話し
出したのです。
 唯一、私が彼らと共通項を持てたのは、小川プロダクションの存在です。
 私が今回偶然の機会を得て立会い議員とならせていただいたのも三里塚→小川プロ
→『ニッポン国 古屋敷村』の関西上映スタッフとして走り回っていた時代があった
からです。一九八二年頃の話でもう二〇年前になります。
 三里塚から山形へ活動の拠点を移した小川プロを訪ねるために山形まで行きました
が、残念ながら三里塚での直接の出会いの経験はありません。映画を通してしか三里
塚闘争を身近に引き寄せることがなかったので、今回その原点の部分に触れ、立ち会
う機会を与えていただいたことをとても感謝しています。
 今年二月、バーバラ・ハマー監督の『Devotion―小川伸介と生きた人々―
』の上映会のトークショーに参加し、出会いの予感を感じていただけに三五年の歴史
の重みを受け止め、きっちり取り組んでいこうと思いますので、よろしくお願いいた
します。

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