日頃、成田空港の暫定滑走路の使用をめざし、奮闘する皆様に敬意を表します。 さて、本年3月、ベトナム平和委員会から、20名の公式招待状が、旧べ平連代表の小田実さんに届きました。そして、4月26日出発、5月3日帰国の日程で、平和委員会だけでなく、グエン・チ・ビン副大統領、ベトナム共産党、祖国戦線、ベトナム戦争証跡博物館等との交流という公式行事に結実しました。この動きが、ブッシュの単独行動主義による戦争挑発政策の遂行に対決し、世界平和実現に向けた日本・ベトナム交流のあり方を創造する新たな動きにつながればなあ、と思います。 昨年8月、現在私が事務局を担当する「市民の意見30・関西」(代表/小田実)と「良心的軍事拒否国家日本実現の会」の共催で、「良心的軍事拒否国家実現に向かう、日米独市民交流」を持ちました。アメリカから、75年4月30日、サイゴン陥落時に米大使の脱出を指揮し、以降現在に至るまでベトナム戦争の誤りを指摘し続ける元海兵隊員ジェームス・キーンさんらを招きました。その現場となった大使館跡等も見ることが出来るこの話が私にもたらされた時、歴史の偶然とはいえ好機だな、という思いとともに、ちらっと不安がよぎりました。成田を利用するのではないか、と。幸か、関西組は、関西空港からということで、この点はクリアしたものの、何か釈然としない気持ちを持っていました。今回の同行者の山口幸夫さんが「成田を使用するのなら、行かない」と主張されたと聞かされ、今後団体行動でも、自らの意志を大切にしなければならないことに気づかされました。 今、「市民の意見30・関西」では、本年の課題を「21世紀に向けた新たな市民の提言の作成」と設定しています。公共交通機関のあり方を含め、経済運営とエネルギーの関係について、どんな提言をなしうるか、今回の経験をふまえて、検討していきたいと思います。 戦争を直接知らない小泉純一郎らが「有事三法案」を強行しようとしているのと同様、国益をふりかざし、三里塚農民らの抵抗闘争の歴史を乱暴に無視する扇千景など、国土交通省の強行策に抗し、新たな原理に基づき対抗闘争を推進しうる空気の醸成とそれを制度に定着させる政策提起能力を結合させていきたいと思います。ちょうど70年代のベトナム反戦闘争と三里塚闘争の結合をめざしたように。 |
ここ数年、三里塚・東峰の現地を訪れる機会がまた多くなりました。来るたびに風景が一変し、のしかかるような高い鉄板に覆われた息のつまる状況に、あらためて怒りがこみあげてきます。 ここには、農を営み、毎日をせいいっぱい生きている人々がいるのです。そうした人々は空港にとって邪魔だと言って、力ずくで追い出すことなど誰にも許されるものではありません。暫定滑走路など不要です。何よりも現地の人たちにとって、そしてこの地に住むのではない人たちにとっても不要なのです。 先日、イスラエルとパレスチナの二人の女性が来日し、ささやかな交流会が行われました。二人は、成田空港に着いてそのまますぐに三里塚を訪れ、石井紀子さんや柳川泰子さんの話を聞いたのです。そこで彼女たちは、国家の暴力によって、農民が土地を追われ、暮らしを破壊される現実にパレスチナとの共通性を見たと語りました。彼女たちは、空港から直接東京に向かった大多数の人にはわからない「もう一つの日本」を見ることができた、と言いました。 この私たちにとって敵対的な「もう一つの日本」を、民衆にとっての「もう一つの日本」に変えていくために、手を携えて進んでいきましょう。それは、確実に世界の人々とつながる道だと思います。 |
私が三里塚のことを知り、成田空港の問題に取り組みながらも、有機農業を実践する方々と知り合ったのは大学四年のことでした。今から四年前のことです。そのころはまだ暫定滑走路については現実的な問題としてはありませんでしたが、それでも飛行機がもたらす騒音や、地域の環境破壊、そして、長い運動の歴史を踏まえ、これからどうやって農業を軸に環境と共生をしていくか、といった問題に対峙する三里塚の姿がありました。その後、私は運にも恵まれ、アメリカで環境政策を学べる機会を得ることになり、三年半の留学生活を送りました。 日本ではまだ余りなじみがありませんが、アメリカでは「政策」を研究する学問が国だけではなく広く地方自治体や市民運動のレベルで普及し応用が進んでいます。どういった状況のもとで、具体的にどのような政策を立案し、それを実行していくか。そして、その政策がどれだけ実効性のあるものであったかが、政策を打ち出す過程や見直しも含め、実に多くの事例が教科書に載ったり、論文として発表され、広く報告されています。私はエネルギー政策を中心に学びましたが、それだけではなく、アメリカで市民運動をしている方とも多く交流をもちました。ペンシルベニア州・スリーマイル島の原発廃止を求め、常に監視や反対運動をしている地域住民。ニュージャージー州・セーラム原発から出される温排水の環境破壊や事故の不安から、原発の即時停止を求め運動を続けている方々。ガンの発生率が高く土壌汚染のひどい地域に、アフリカ系アメリカ人、そして最近では南米系アメリカ人が多く住んでいるという事実。その、アメリカのひとつの「負」の社会構造である人種差別に取り組み、地域の環境を取り戻す運動をしている方々。 人々の価値観をどう政策に取り入れるか。少数の人々のくらしや文化が、圧倒的な力をもった国や会社の利害と対峙したときに、政策はどうあるべきか。この問題は、現在、世界のあらゆるところで提起され、取り組みが求められていることであると思う。暫定という名目で、滑走路が畑のすぐ横に作られ、強制的に政策を進めるやり方は、何も解決をもたらしません。私は暫定滑走路を開港することに反対です。 |
三里塚。この三文字を目にすると私は反射的に、田中正造で有名な谷中村事件を思い出す。谷中村事件の時も村民は、「公共」の名のもとに銅の鉱毒でいびられ、最後は土地収用法で、住宅を無残にも破壊されてしまったのであった。 実は「公共」のためというのはウソっぱちで、古河市兵衛の経営していた足尾鉱山を守るのが政府・おかみのやったことだった。ところが、一般国民も当時は、銅の輸出で食っていたので、谷中村民に同情はしても目をつぶって知らんふりをした。その結果、谷中村民は、この時虫ケラ扱いにされたのであった。 三里塚闘争が始まったのは、私の学生時代である。初め事の本質がわからなかった。日本のマスコミは闘争のショッキングな場面を伝えるだけで、「なぜか」を報道しなかった。しかし、注意深く見守っているうち次第にわかってきたことは、航空産業のために、「公共」の名を借りて、農民をこの大地から追い払うことだった。だが政府も予想外だったろう。空港大反対運動が起きたからである。とはいえ三里塚闘争も40年。脱落する人は脱落し、踏みとどまる人はとどまって今日がある。恐らく、村の中の反目、利害打算は谷中村民の時と共通のことであったろう。というのは、私は大潟村の青刈り騒動とヤミ米騒動とを経験して、村民の動きを見聞きしてきたからである。 私は5才の時、満州から引き揚げてきて、大学卒業まで赤貧洗うが如し生活の中にあった。子供心に思ったことは、こんなに苦労するならどうして親達は戦争に反対しなかったのかということであった。そして、色々青年の悩みのはてに大潟村に入植した。ここで、先述の「青刈り騒動」を体験することになる。その結果、子供の頃はそんなに意識していなかった「国家と民衆」の関係をはっきり意識することになった。 「前川レポート」によく現われているように、「アメリカから車や家電製品を買ってもらいたいので、日本の農業はアメリカに売り渡します」、というのが、青刈り騒動の背景の原因であったのである。実はアメリカは戦後、世界にドルをバラまき、その金で自動車産業を育て、各国を知らない間にアメリカ的生活様式に組みこむ戦略をもっていた。それによってアメリカ市場圏を拡大できるからである。その優等生は日本であった。アメリカの戦略の中で高度成長をなしとげたのであった。 青刈り騒動とそれに続くヤミ米騒動では、随分醜いことを目にした。おかみから権力のおすそわけにあずかって政府の青刈りを受け入れる順応派。過剰作付を密告する同じ仲間の入植者。入植者はおかみのアメとムチの中で踊っていたのだ。 私は大潟村の闘争過程で、秩父コミューンの地をたずね昔のことに思いをはせた。明治維新はあまたの百姓一揆のおかげであったのに、武士階級内の権力移転に終わったのは、それまでの江戸時代の百姓一揆がそうであったように経済的要求を揚げた闘争であったからであった。経済的要求が通ると村の中にもぐって静まり返ってしまうというのが、これまでの多くの百姓一揆の姿であったのである。 その中に突然花咲いたのが秩父コミューンであった。秩父コミューンは今日「秩父一揆」と言われず、「秩父事件」と言われているのは、経済的要求を突き抜け政治的要求まで行ったからであろう。 三里塚闘争は、現代の「秩父事件」かどうかは知らないが、土着的にまじめに闘争に向き合う時、「秩父事件」や「谷中村事件」がそうであるように、「国家や公共のために、住民が常に泣き寝入りさせられてきた」(戸村一作)ことを自分のものとすることができるに違いない。 私は三里塚のため何もできないが、連帯の気持だけは持ち続けたいと思っている。 |
「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」というのは、砂川基地反対闘争を闘った農民が生み出した言葉だった。その精神が、いま、成田によみがえる。 |
私は成田に住む素敵な友人たちを知っています。彼らがどんな思いでこの数十年間を生きてきたか、今を生きているか、できるかぎり共有していきたいと思っています。人間にとって一番大事なことは何か、私たちは知っているはずです。利便性だけを追求してきた日本の「近代」がいかに歪んでいたか、私たちは反省してきたはずです。私はサッカーも大好きです。W杯だって楽しみです。でも、フツウに生きるフツウの人の声が届かない社会で、本当に楽しいことが実現するでしょうか? 成田の問題は成田に住む人たちだけの問題ではないはずです。 暫定滑走路の供用をぜひとも中止してほしいと思います。 |
「成田空港」にかかわる運動というと、多くの人が微妙な反応を示す。ふくめんの「ゼンガクレン」がふる赤旗、というイメージの浸透のせいである。成田空港を使っている一人として、私の立場の根底は、「暫定滑走路」を使う航空機の下ではたらく開拓農民の生活支持。からだにいい安心な野菜を作るべく、二代・三代の辛苦をつみ、やっと答を手にした人たちを守りたい。いのちを大切にしないで、地球も国家もありはしないのだから。 |
私たちは、4月18日の暫定滑走路の供用の中止を訴える運動に心から賛同し、よびかけに応えます。巨大開発が何をもたらしたのかは、三里塚の空港建設を見てもあきらかです。そこに生き、生活してきた一切をなりふりかまわぬ暴力で奪い取ろうとするものでした。三里塚の空港反対闘争は、あらゆる知恵と力をふりしぼり、国家権力に立ち向かってきた偉大な闘いを闘いぬいてきました。私たちは、体を張った三里塚農民の大衆的な実力闘争のひとつひとつの闘いに学んで、労働者・人民の運動に脈々と受け継ごうとしてきました。 私たちは、暫定滑走路の供用開始を絶対許さない三里塚・東峰農民に連帯したい、そんな思いで一杯です。 ブッシュがアフガニスタンに戦争を仕掛け、同調する小泉も自衛隊の派兵で参戦しました。今、戦争が行われ虐殺が行われていることを一刻も忘れてはなりません。三里塚空港から飛び立つゴランPKO派兵の自衛隊を阻止する行動もきわめて重要です。 私たちは、暫定滑走路の使用を止めさせる行動を決してあきらめません。当日、現地の反対行動にかけつけ意志表明をします。全国のみなさんとともに、現地でがんばる東峰農民との連帯をめざす決意です。 |
暫定滑走路が民家の40メートル上空を飛ぶようになると伺って、深刻さに今更ながら驚くと同時に空港公団と政府のやり方に強い怒りを感じています。 空港優先の既成事実が進む中で、反対運動と現実に乖離を感じながらも、闘いが30年以上も続けられていることに深く敬意を表するばかりです。 初めて三里塚を子供の手を引いておとずれた時を思い出しています。その子供も今では人の子の親になっていることを考えれば、時の流れを実感させられます。現地の方々も子供さんが社会人となり、家庭生活でもいろいろな変化をくぐって、今日を迎えられていることは並大抵のご苦労ではなかったかと思います。 台地から緑がはがされ、見渡す限り赤茶色の風景に変えられて、徐々に空港に姿を変えたさまを見てきた者の一人ですが、今もなお、空港公団や政府と対峙して毅然と暮らしている現地の方々に連帯して、何ができるのかと深く考えこんでしまいます。 私の生活の中で、今三里塚を感じさせるものとしては、ワンパック野菜を食べることぐらいしかありませんが、二週間に一回届く野菜は、生活に溶け込み何の不思議もなく我が家の食卓をにぎわせてくれています。 しかし、最近のお知らせでは、そのパックの取り扱い件数も減って、トラック便の存在が危ういということなど、厳しさが知らされています。有機農法による新鮮な野菜を食べさせて貰っている身としては、何とか続けていただきたいなと願っています。仕事や野暮用に明け暮れて、現地からの呼びかけに何も参加できず申しわけなく思っています。 権力をかさにきて、一方的に住民追い出しを前提に作られた空港を、これ以上拡大させない闘いを続ける三里塚の現地の方々の呼びかけに、少しでも連帯できるよう頑張りたいと思いペンをとりました。 |
三里塚空港建設反対の実力闘争に多くの農民、労働者、市民が立ち上がり滑走路建設を阻止してきたみなさんに敬意を表します。三里塚における国家の暴力的土地収用は沖縄の基地使用と同じ手口で生活権を奪い去るものと同じだとわかりました。憲法にも反する生存権や人権を奪いつくす権力には怒りを強めるばかりです。 今、暫定と言わざるをえないのは三里塚農民の不屈の闘いがあるからだと思います。PKO派兵が三里塚空港から恒常的におこなわれている今こそ、滑走路の拡大は外国への侵略のために他なりません。憲法改悪、有事立法がおしすすめられようとしている中、東峰住民たたきだしは国内における「侵略」「略奪」以外の何ものでもありません。東峰の農民女性の反権力と生活、農業による生産を守る闘いに、私は強い連帯と同時に私たち労働者の闘いも重要だと思っています。国家権力は、一人でも反対する農民、人民を許さないと暴力的追い出しにでています。憲法改悪、有事立法の動きが急速に強まる中で国家権力の横暴を絶対に許すことはできません。 たとえ土地に杭はうたれても魂に杭はうたれない≠フ言葉を忘れることなく、暫定滑走路の使用を中止し、東峰住民のたたき出しをやめるよう強く求めます。 |
公共事業の根本的な見直しが、時代の大きな流れになりつつある。国が進めてきた高速道路、空港、ダム、堰などの建設は、自然環境を破壊する、必要性や利用者が少なく採算がとれない、経済効果が小さく国や地方自治体の借金が膨れあがるだけである、政治家やゼネコンの食い物にされている。こうしたことが、誰の目にも明らかになってきたからである。政府でさえも、ムダな公共事業の中止を謳わざるをえなくなっているのだ。公共事業による「開発」に未来を託す人びとは急速に減り、循環型の経済や暮らしを創りだし自治を実現しようと試みる人びとが目立ってきている。脱ダム宣言をした田中長野県知事に見られるように、公共事業への依存から脱却しようとする地方自治体も現われている。 公共性とは何かということが大きな争点になっているのだ。国家だけが公共性を定義したり独占することはもはや許されなくなり、市民や住民が「もうひとつの公共性」を立ちあげつつある。その先頭に立ってきたのが、全国各地の住民運動である。たとえば一昨年、徳島市民は、吉野川可動堰の建設計画に対して住民投票で反対の意思表示を行い、計画を断念に追いこんだ。国土交通省(旧建設省や運輸省)も、こうした住民の意思を無視して公共事業をごり押しすることは次第に難しくなっている。 もともと、環境を破壊したりムダが多い公共事業が行われてきた最大の理由は、国がその土地に生きる住民を人間として扱わず、その声をまったく聞こうとしなかったことにある。一言でいえば、民主主義の不在である。これに対して敢然と異議申し立てをしたのが、三里塚の農民である。農民とそれを支援する人びとの身体を張った命がけの闘争こそが、民主主義を取りもどすことの重要性を浮きぼりにした。この頑強な抵抗があったればこそ、政府も各地の公共事業を力づくで強行することに躊躇しはじめ、住民参加による計画決定を言いだしてきたのだ。そして、三里塚の闘争は、政府が居丈高にふりかざした公共性に対して、何が真の公共性なのかということを真っ向から提起した。石井武さんが当時主張した「空港を作るのが公共なのか、それとも生命を支える食糧を作るのが公共なのか」という問いかけは、今にいたるも新鮮である。 ところが、政府と国土交通省はこれらのことを故意に忘れ、まったく同じ過ちを繰り返している。その土地に暮らし有機農業を営む人びとの頭上40メートルの高さを、ジェット機が轟音と汚染物資をまきちらしながら離発着する暫定滑走路を無理やり建設したのだ。民主主義とは何か、何が公共性なのかという根本的な問題を真正面から論じることを回避し、滑走路建設を一方的に強行した。 ワールドカップという国民的行事への便宜、空港と「開発」の利益に群がる地元の要望……。政府が持ちだした公共性の中身は、おそろしく貧しい。だからこそ、その地で農を営む人間の意思を無視する強権的なやり方に走るのだ。三里塚ばかりではない。政府は、たとえば熊本県の川辺川ダムの建設を、利水計画の対象農家の半数以上が「事業は不要」と訴訟を起こしているにもかかわらず、強制収用の手段に訴えて強行しようとしている。 国家のやることが今なおこうだとすれば、地域に生きる人びとが不屈に抵抗し、も荀ひとつの公共性を対置しつづけるしかない。生命と循環の再生、人間の尊厳、人びとの自治を主張し、民主主義を取り戻すしかない。この志を、三里塚の地で生き抵抗する人びとと連帯することにおいて共有したいと、私は思う。 |