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成田空港問題・東峰 平行滑走路関係年表

1945年8月 第二次大戦終わる。

1946年 東峰への入植始まる。

1962年 政府、羽田空港の行き詰まり解決策として新国際空港の建設方針を閣議決定。

1965年11月 政府、新空港を千葉県富里村に内定。富里反対闘争起こる。

1966年7月 四日 成田空港の設置を閣議決定。成田空港反対闘争始まる。

1969年12月16日 成田空港、土地収用法の事業認定。

1971年2月〜3月 第一次代執行。一期工事区域内の一坪運動用地強制収用される。1171人 (警官含む)負傷、逮捕者291人。

1971年9月 第二次代執行。東峰十字路事件(機動隊3名死亡)。小泉よね、家・宅地・田を強制収用される。

1972年 東峰で有機農業の取り組み始まる。

1978年5月20日 成田空港、4000メートル滑走路一本で開港。

1986年11月 公団、空港二期工事に着工。91年7月中断。

1991年11月 成田空港問題シンポジウム始まる。93年5月まで15回。

1993年9月 空港問題円卓会議始まる。94年10月まで12回(シンポ・円卓の過程 で、事業認定を取り下げ、あらゆる意味で強制的手段をとらず、話し合いによる解決が合意された)。

1996年12月 運輸省平行滑走路2000年内完成を目指すと表明。後に2000年度内と変更。

1998年10月5日 東峰住民、「東峰区声明」で平行滑走路着工に反対を表明。

1999年5月10日 運輸省平行滑走路2000年度完成を断念。

1999年5月21日 運輸大臣2002年6月までに約2200メートルの暫定平行滑走路を作ることを閣議に報告。

1999年12月1日 運輸大臣暫定滑走路の工事計画を認可。
12月3日 暫定滑走路着工。

2000年4月17日 東峰地区着工(開拓組合道路(農道)のしょ断/生活道路の切り回し/工事 用借り柵の張り巡らし/防音壁設置/航空保安灯の設置)。

2001年6月06日 空港公団、東峰神社の立ち木を抜き打ち伐採。村の防風林(竹林)の伐採。
10月15日 暫定滑走路の飛行検査開始。

2002年4月17日 暫定滑走路から鹿児島行チャーター機二機離陸、実質上の供用開始。
4月18日 暫定滑走路供用開始。

《東峰神社関係》

1953年11月23日 東峰区民の寄進により現在地に建立。

2000年12月 空港公団、名義上の地主から神社敷地を買収。

2001年6月16日 空港公団、東峰神社の立ち木を抜き打ち伐採。

2003年4月9日 東峰区民(氏子七名)空港公団を千葉地裁に提訴(土地所有名義を村に戻す こと/原状復帰のため樹木植栽/新聞への謝罪広告)。

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