インドの代表的な映像作家であり、反核活動家でもあるアナンド・パトワルダン監督の新しい映画「戦争と平和−非暴力から問う核ナショナリズム」が、2月1日、地球環境映像祭において、アース・ビジョン 大賞(グランプリ)を受賞しました。私たちが全国で学習会などで上映してきた「ブッダの嘆き」も一昨年に同じ賞を受賞したのですが、この映画を私たちに紹介したのも、また制作に協力したのも、この人でした。今回の新作は、1998年にインドとパキスタンで行われた核実験の後に続く、両国民の陶酔と愛国主義の背景にあるものへの追及、それらに対して果敢に挑む反核運動への取材などをテーマにしています。なかでも広島・長崎での被爆者への取材、アメリカのスミソニアン博物館でのインタビューなど世界の核状況を織り交ぜた視点は圧巻でした。 この映画の初めのシーンとラストシーンには、ガンジーの姿と言葉が映し出されます。現在の核に覆われた暴力的で危機的な状況に対する答えとして、ガンジーの非暴力主義を受け継いだ平和思想がいまこそ必要であると主張しているのです。私はこの映画の主題として描かれている、核ナショナリズムに負けずにたたかい続ける市民の反核デモに参加していました。まさにアナンド監督の撮影現場に立ち会うことができたのですが、インドの反核運動の熱気は余すことなく映し出されていると思いました。
この映画の上映会を開きませんか。3時間に及ぶ長いものですが、見始めると引き込まれていくようで、長さをまったく感じさせない力を持つ映画です。またノーニュークス・アジアフォーラムではお馴染みのサンガミトラ医師がたっぷり紹介されているのも、みどころのひとつでしよう。アナンド・パトワルダン=30年近くインドの社会や政治の現実を描いた作品を制作してきたインドを代表するドキュメンタリー作家。ここ数年は原発やウラン鉱山、核廃棄物問題、印パ両国の核ナショナリズムなどをテーマにしてきた。インドの反核活動家の中心人物のひとりでもある。
地球環境映像祭=「EARTH VISION」。環境をテーマとした映像と写真を通して地球環境について考えることを目的に、日本を含むアジア・オセアニア・ポリネシアに広く作品を募集している。コンベンション形式の上映会、展示を行っている。1992に始まり、今年で10回。インドのウラン鉱山での放射汚染を扱った映画「ブッダの嘆き」は第8回の大賞受賞作品。環境省、外務省、経済産業省、総務省、文化庁、東京都、日本青年会議所、NHK、民間放送連盟などが後援、東京ガスが特別協賛している。
上映を企画するには、「アース・ビジョン組織委員会」
TEL 03-5362-0525、
festival@earth-vision.jpまで。
「戦争と平和」に関しては上映用のテープを10万円(主催が学校関連の場合、5万円)+消費税+送料で貸し出しています。
下記の調布原水禁でも「ブッダの嘆き」ともども上映についてのアドバイス、資料の提供をいたします。NHKで上映される予定もあるようです。期日が決まりましたら、メーリング・リストなどでお知らせします。アース・ビジョンのホームページ・アドレスは以下のとおりです。
「戦争と平和−非暴力から問う核ナショナリズム」
102042
2001/India/174min/Betacam-SP
プロデューサー/監督:アナンド・パトワルダン
1998年にインドとパキスタンで行われた核実験の後に続く、両国民の陶酔感と愛国主義の背景にあるものを追求するとともに、ガンジーの精神を受け継ぎ反核運動を始めた人々を取材。取材はインドの核実験場からウラン鉱山へ、そしてパキスタンへ、さらに広島・長崎からアメリカのスミソニアン博物館にまでおよび、大量殺人兵器の存在と拡大を許している人類の業に鋭く迫る。
アナンド・パトワルダン
30年ちかく、インドの社会・政治的な現実を描いた作品を制作してきたインドを代表するドキュメンタリー作家。代表作に、ボンベイのスラムを題材とした「Bombay our City」(1985)、宗教的原理主義を描いた「神の名の下に」(1992)、「Father, Son and Holy War」(1994)のほか、「ナルマダダムの5年」(1996/第5回地球環境映像祭大賞受賞作品)がある。
監督メッセージ
1974年にインドが初めて核実験を行った時、私は24歳だった。そしてかつてこの国が神格視さえしていたガンジーが生涯を生死をかけてきた非暴力の原則を、いともたやすく捨て去ったことに強い衝撃を受けたことを覚えている。さすがに当人たちも自責の念が湧いて、インドが再実験に踏み切るまで24年を要したのかもしれない。その間、ヒンズー国家主義政権が権力の座にあり、彼らは核武装で「強い」インドをつくる運動を擁護し続けてきた。街角で狂喜乱舞する人々や、愚かな陶酔感ひ浸る人、自己満足的な虚勢をはる科学者、それに愛国者を気取る政治家のわざとらしいシニシズム、こうした光景を見るにつけ、最初私はとことん落胆した。次に、私は自分が以前にもそうしたように、カメラを持ち出し、眼前に繰り広げられる狂気の沙汰を記録することにした。このような状況下でカメラを廻すことは、私にとって、一種のセラピーにもなりうるのだ。こうすることで私は、同時代の悲劇の全く無力な目撃者というわけではないという幻想を抱くことができるからだ。そして、ドキュメンタリーを撮る事は、いずれにしても一つの行動には違いないのである。