<YMCA同盟 農村塾 朝の礼拝> 2000年1月23日 讃美歌:アイオナ共同体の讃美歌集から 『天において 主をたたえよ』 『もし時間が充分にあったなら』 聖 書:アモス8章4−8 9章11−15 このことを聞け。 貧しい者を踏みつけ 苦しむ農民を押さえつける者たちよ。 お前たちは言う。 「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、 麦を売り尽くしたいものだ。 エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。 また、くず麦を売ろう。」 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。 「わたしは、彼らが行ったすべてのことを いつまでも忘れない。」 このために、大地は揺れ動かないだろうか。 そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。 大地はことごとくナイルのように盛り上がり エジプトの大河のように押し上げられ また、沈まないだろうか。 *9章11−15 その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す。 こうして、エドムの生き残りの者と わが名をもって呼ばれるすべての国を 彼らに所有させよう、と主は言われる。 主はこのことを行われる。 見よ、その日が来れば、と主は言われる。 耕す者は、刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。 山々はぶどうの汁を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。 彼らは荒された町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。 わたしは彼らをその土地に植え付ける。 わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 皆さん、おはようございます。 今日このような場を与えられましたことを心から感謝しています。 YMCA同盟の横山さんより、学生YMCAの紹介をしつつ私の思いを話してください・・との依頼を受けましたので、特に今日は日曜日ですので、主日の礼拝も想いつつこのひとときを持ちたいと思います。 私は学生YMCA東北地区共働スタッフの竹佐古 真希と申します。 学生YMCAのパートタイムのスタッフをして、丸5年になります。 学生YMCAは、現在全国で300名弱のメンバーが登録されています。 12の大学の寮を含む37の団体(大学のサークル)があります。 活動内容は様々ですが、聖書研究を中心に、アジア(主にインド・フィリピン・韓国など)のこと、ジェンダー・セクシャリティーのこと、南北問題・・など、いろいろな出会いや価値観を通して、「私が私らしく生きる」ことを模索しているように思えます。 それは学生のみならず、私のような者を含めた卒業生・スタッフまでもがそうであると言えるかもしれません。 少し自己紹介がてら自分のことを話しますと、現在住んでいるのは青森県の南津軽郡浪岡町と言うところです。街の人口は2万2千人ほどで、主な産業はりんごやお米の農業、その他は近くの弘前や青森に働きに出かけている方が多いです。 住まいは日本キリスト教団の小さな教会です。連れ合いが牧師をしており、この地に住んで丸8年です。 農業と私自身との関わりは残念ながらほとんどないのですが、強いて言えば「農村の風景を見ながら生活することが多かった」ということでしょうか。 生まれが北海道の札幌で9年間、大学時代の4年間以外は、ほぼ農業が中心の小さな町で生活をすることが多かったです。 それから私にとって忘れられない大きな出会いは、隣の教会にあたる八甲田伝道所との出会いです。連れ合いが5年間、兼務をしましたので、私もほぼ毎週礼拝の奏楽のために通いました。我が家からは40キロ、車で50分ほどです。 この教会は明治期に軍隊の雪中行軍で、実に200名近くも凍死者が出たことで知られる、八甲田山系の中腹に位置します。 最初は第2次大戦後、昨日の朝の礼拝の石井きくえさんのお話でもありましたが(注:群馬の北軽井沢の開拓の話をされた)、同じように満州・樺太からの引揚者などが「国土開発緊急開拓」として入ったそうです。 しかしものすごく気象条件が厳しいところで(今日も恐らく3−4mの積雪があるはずです)多い時は60軒あった戸数も、現在は16件の家が残るのみです。 それらの方も連帯保障の莫大な借金を抱え、村の存続自体が「山を降りようか・どうしようか」と毎年ぎりぎりの所で続いています。 昨日、韓国からの参加者であるチョンさんから、チョンさんの農業にまつわるこれまでの歩みと、そして韓国の農業の話を伺いました。 私にはまさに、この八甲田の情景と重なり、何とも言えず胸が一杯になりました。日本も韓国も、国策によって農業や農民が苦しめられているのは、全く同じでした。 八甲田の現状とこれからの展望を少し話しますと、一昨年の秋に長い間の祈りであった新会堂が完成しました。それには小さいながらも農村センターが併設され、弘前の牧師 松村重雄先生(自称「在日日本人」の方)の指導の元、「加工なき農は滅びる」を合言葉に、高冷地野菜の白菜を用いてキムチ作りなどに励んでいます。 昨年、東北地区の学生YMCAも、キムチの講習会に参加し、楽しくも美味しい経験をすることが出来ました。 八甲田の方の中にはアメリカで農業を勉強した方も多く、参加者の皆さんの多くが取り組んでおられる有機農法への切り替えも、なかなかすぐには難しいようですが、少しずつ取り組んでいる方もおられます。 話は少し変わりますが、学生YMCAとつながりのあるWSCF(世界学生キリスト者連盟)のプログラムで、数年前にフィリピンに行く機会が与えられました。その時のテーマは女性のためのジェンダートレーニング・ワークショップだったのですが、自分自身はこれまでほとんど知らずにいたフィリピンの現実をまざまざと見せ付けられ、大きく動揺しました。 フィリピンのイメージは、私の中では色に例えるならグレーやモノトーンのイメージがあります。それらはまさに青森県で言うならば、八甲田、そして核燃サイクル施設の在る、六ヶ所村の人々や情景とぴったり重なりました。 どういうことかと言いますと、自分たちの力ではどうすることも出来ない、ある意味で「国家と対峙せざるを得ない人々」の存在とそして生きざまのたくましさ・厳しさです。 私は青森のそれも一部の地域のことしか分かりませんが、恐らく他の地域でも似たような状況・問題が起きていることと思います。 これまで学生YMCAに関わる中で、私は漠然とした「違和感」を感じたことがありました。 それは人数がそう多くはないことから生じるのかもしれませんが、「学生YMCAらしさ=こうあって当然だよね」みたいな暗黙な了解。学生YMCAの楽しさや面白さはたくさんあったけれど、その点がどうもなじめませんでした。 学生の頃から学生YMCAに関わっていましたが、共働スタッフとして新たに関わるようになって、その「違和感・こだわり」をむしろ大切に思うようになりました。 大学は全国でも、わりと都市圏に集中しています。卒業後そのまま都市圏の企業・学校・大学などに就職する人も多いのですが、決してそれだけが全てではない。 むしろ学生YMCAのプログラムの中で出会う人は、そうではなく社会の片隅に追いやられて、弱い立場に置かれている人ではないか。彼・彼女らとの出会いを、卒業後どのように自分のものとしていくのだろうか? いつも青森から東京や関西等の大都市圏へ出かける度に、そのようなフラストレーションにも似たものをどこかで抱いていました。 「日本は決して、単純に『ひとつ』ではない。」 私の担当は「東北地区」で、東北6県と一応北海道も入ります。面積で言うとものすごく広大なのですが、実際は主に仙台・弘前・札幌などです。 これまで東北地区では、全国の学生YMCAのプログラムのように、いわゆる社会問題(例えば環境・ごみ、フェミニズム、いじめ・学校教育etc)などを取り扱ってきましたが、ある時ふと気付いたのが「日本の中の南北問題」でした。 学生YMCAではインドやフィリピンなど、いわゆる第3世界の人々との出会いをとても大切にし、またそこから多くのことを学び取っています。 でもそれは、限られた一部の人しか行けません。もちろん帰国後の報告会で分かち合うことも出来ますが、それを日本でしかも自分たちの置かれた環境ではできないだろうか?? 漠然とですがそう思いながら始めたのが、今思えば「東北学の視点」でした。 東北と言う土壌・歴史・環境・人々・・これらを足元から見つめなおし、学生として自由に考えたり学んだりしては?? そうしたら、外国に行かなくたって、実現・体験できるのではないだろうか。 この3年はそのような思いをベースに、東北地区のささやかな活動を続けています。2年間は山形県の新庄・最上地区を訪れました。 学生YMCAの卒業生で先輩でもある、当時の新庄教会の牧師の加藤久幸さん(現在は三鷹教会)のご協力もあり、農家のおうちに民泊することが出来ました。 1−2泊と言う短い時間でしたが、お手伝いの真似事をし、何よりも誇りを持って農業に取り組んでおられる農家の方の姿に、学生は素直に感動したようでした。 そして恐らく、農家の方々も若い学生の息吹に触れて喜んでおられたことと思います。ご自分の子どもさんたちとはなかなか話せないことも、他人の学生とはかえって話しやすかったようです。 新庄では「農民福音学校」というものがもう90回近く、40年以上にわたり活動を続けています。凶作が続き娘を身売りに出すという東北農村の悲惨を救済するため、賀川豊彦の指導により藤崎盛一が立体農業論を展開したのが農民福音学校の始めだそうです。 宮城県佐藤利吉氏の指導を得て畜産を開始するなどの活動もあったそうですが、現在では新しい農法に関する学習などの分野に特に新しい展開は見られませんが、メンバーの現状を共有し無事を喜び合う会として活動しているそうです。 97−98年と、私たち東北地区の学生YMCAも農民福音学校に出席しました。あの時の情景は、私個人にとっても、結構感動的なものがありました。 それはそれぞれの農家のおうちで短いけれども共に生活をし、その人たちが一緒に会場に集まってきた。そして共に受け入れた側・受け入れてもらった側が、同じテーブルについて感想や思いを語る・・!! 私たちの日常の中で、このような情景は、身近で感じることが出来るでしょうか。農業で言えば、産地直売を通して「顔の見える関係」を築いておられる方も少しずつ増えていらっしゃると思いますが、どちらかと言えば、消費者ともある意味で一方的な関係が多いのでは・・と想像します。 昨年は農業ではなく、さらにもっと厳しい状況であろう「漁業に触れよう」ということで、プログラムを計画しました。 なぜ「漁業」になったのかと言いますと、キリスト教では「農村伝道」と言う言葉は聞きますが、「漁村伝道」と言う言葉はほとんど聞かなかったからです。 釜石の大田春夫牧師の紹介で、三陸の唐桑町に住む今ではすっかり有名になってしまった、畠山重篤さんの所を訪問しました。 彼は数少ない漁業でも成功した方の一人だと思うのですが、それは彼の現場を訪れて納得しました。漁業と言ってもカキや帆立の養殖が中心なので、まさに海の畑でした! ある程度計画的に収穫が出来るのだと思います。 それから先ほどの「一方的ではない」・・という話題でいきますと、自分の現場にたくさんの小学生・中学生などを招いて、いわゆる環境教育をしています。 畠山さんは「森を育てる漁師」として有名で、プランクトンを増やすために植林をされています。それを実際に子どもたちに海や山に触れさせ、体験学習をさせるのです。 私たちは本当に「知らないことが多すぎ」ます。それはでも、「知らないでいられる」ということでもあるんですね。 学生YMCAで大切にしていることはきっと、このような「見えにくく・見えなくされている人々・事柄に出会いなおす」ということだと思うのです。 広い我が家の教会の庭の草刈りすらあまり得意ではない私(!)が願うことは、たったの2泊3日でも農村や農業に触れた学生たちが、今後の生きていく歩みの中で、少しでも心のどこかで「かすって欲しい」ということです。 あの時にあそこで出会った人、生活をしていた人がいたな・・といつか思い出して欲しい。 それは具体的に農業に携わることにはならなくても、きっと少しずつでも社会を見つめなおし動かす力になるだろうと信じています。 ![]() ![]() |