ヨーロッパ旅行(報告編)


◆ 宗教改革者ジョン・ノックス ◆


エディンバラ大学神学部にて撮影。

スコットランドのキリスト教
牧子さんのサイト
からの転載です。
↑こちらもぜひ↑、訪問してみて下さいね!


ノックスが牧師を務めた、セント・ジャイルズ大聖堂

* 歴 史   文:田中牧子
(スコットランド日本語宣教通信
「グリーンスリーブズ」より転載)

〜一部を抜粋しています〜

中学、高校の歴史の時間に、ルターとカルヴァンの宗教改革について学んだ。
その後、私は神学大学、神学校と進み、それなりに専門的に宗教改革について学んだ
(はずである)。ルターはドイツで、カルヴァンはスイスで教会の改革を始めた頃、
英国でもカトリックからの独立の動きがあり、英国国教会(聖公会)ができたことも学んだ。
英国国教会形成の動機がヘンリー8世の離婚問題とするのは表層的過ぎるにしても、
それはイングランドにおける教会の動きである。

スコットランドの宗教界改革について調べるうちに、宗教改革以前にもスコットランドの
キリスト教はイングランドとは異なる独自の歩みをしていることに気づいた。
スコットランドは元々万物に霊が宿ると信じる自然崇拝であったが、
563年に聖コロンバによってアイルランドから西海岸の小さな島、
アイオナ島にキリスト教が伝えられた。

一方、イングランドにはローマ教皇の命により597年にカンタベリーに教会が造られ、
キリスト教が広まっていたが、後にヨークの司教がスコットランドの教会に対する権限を
主張した時に、スコットランドの教会は独自性を主張し、スコットランドの教会は、ヨーク、
カンタベリーの司教のもとにあるイングランドの教会の管轄ではなく、
ローマ教皇直轄の地域となる。

 すでに大ブリテン島にキリスト教が伝わった6世紀の時点からスコットランドの教会は
イングランドの教会とは別個の歩みをし、時には両者の間には緊張関係もあったようである。
また、スコットランドではキリスト教伝来以前にあった自然崇拝の影響が今日まで残り、
円形がつけられた十字架(ケルト十字)が各地で見られる。

スコットランドの宗教改革は、ジョン・ノックス(John Knox c.1505−72)を指導者と
しているが、ノックスはルター同様、カトリックの司祭として任命を受けている。
ノックスは20代前半からカトリック教会に反感を感じていたが、司祭として働いたあと、
宗教改革に好意的な地主の家の家庭教師となった。

 1545年にスコットランドに来た宗教改革者ウィシャートに強く影響され、
翌年ウィシャートが処刑された後、宗教改革に深く関わるようになった。
ノックスはイングランドの反教皇の姿勢に共鳴していたらしい。

 同じ1545年にセント・アンドリューズ(エディンバラの北東50Km)の司教が殺され、
セント・アンドリューズはプロテスタントの支配下に置かれた。47年にノックスは
志を同じくする仲間と共にセント・アンドリューズのプロテスタント陣営に加わり、
改革派の牧師となる。

 セント・アンドリューズ城がフランス兵に包囲された時、ノックスも捕まえられた。
2年後に、エドワード6世の命令で保釈された後、ノックスはイングランドの
宗教改革に精力的に関わり、べーリック(エディンバラの東)、
ニューカッスル、ロンドンの教会で牧師として働いた。

カトリックの女王メアリーが(1516−58)がイングランドの王位に就くと、
ジョン・ノックスは大陸に逃れて、フランクフルトとジュネーブで改革派の牧師となり、
ジュネーブで陶酔していたカルヴァンに出会う。

 メアリーの死後、ノックスは大陸から戻り、1560年、スコットランド国会は教会の改革を
決定し、ノックスと5人の同労者によって、The Coffession of Faith(『スコットランド信条』)
が作られるが、これはローマ教皇の権威を否定し、カトリックのミサを禁止したものだった。

 さらにノックスはBook of Discipline(『(ノックス)規律の書』)を著し、主教制度のない
教会組織と教会収入によって運営される教育制度、貧民救済制度を提唱する。
同じ1560年にスコットランド(長老)教会(Church of Scotland)は第1回総会を開き、
64年には礼拝について定めたBook of Common Order(『(ノックス)共同礼拝
規定書』)が出される。ノックスはエディンバラのハイ・ストリートの西端にある
セント・ジャイルズ大聖堂の牧師に任命され、死ぬまでその任にあった。
同じ通りの東端にはノックスの住居があり、現在は一般に公開されている。


ノックスの住居だった所。
エディンバラでいちばん古い建物の一つ。

スコットランドの女王メアリー(1542−87 イングランド女王メアリーとは別人)が
1561年王位に就くと、すぐにカトリックのミサを行い、ノックスとの関係は険悪な
ものになった。1566年にノックスはイングランドに移り、そこでスコットランド宗教改革に
関する著作を著した。

 1572年にエディンバラに戻り、セント・ジャイルズ大聖堂で最後の説教をした
直後に息を引き取り、大聖堂の構内に葬られた。その墓誌銘には、
「ここにいかなる肉にもへつらわず、恐れなかったものが眠る」
と刻まれている。ノックスは生前、自身を荒廃した国に改悛を迫った
アモスやエレミヤのような旧約の預言者になぞらえていた。

(文章:田中牧子 続きは牧子さんのサイトでどうぞ!)


クイーン・メリー/愛と悲しみの生涯
Mary, Queen of Scots (1971)
という映画もあるようです。ノックスも登場します。
今度探して、観てみよう・・。





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