ASYG報告   
   
こんにちは。同志社で花陵会シニアのあかまむしコト水谷 憲です。

実は、私は去る1月の21日から28日まで、タイのチェンマイYMCAにおいて、ASYG2000というアジア太平洋地区の教会青年によるエキュメニカル集会に学生YMCAの代表として参加してきました。
日本からは同じくYMCAで小出さん、WSCFから朴 亜紀子さん(あぎじゃさんですね)、NCCから聖公会所属の横山美樹さんが一緒に参加しました。

また、あぎじゃさんは25日に仕事の都合で先に帰ってしまったんですが、それと入れ違いでほんの少しの間だけ(その人も忙しかったみたいで、いつのまにか現れていつのまにか去っていきました)、JLMM(Japan Lay Missionary Movement)という、カトリックの「うるしばら ひろし」さんという人が参加してくれました。それと、チェンマイYに勤務し始めて3ヶ月という「たなみ きょうこ」さんも一緒にプログラムに参加してくれました。

もうずいぶん前にあぎじゃさんが報告をしてくれたので(本当にずいぶん前!)、今更ながら本当に恐縮なのですが、私もYMCAに送り出していただいた身として、きちんと報告をしたいと思います。(これではまだあんまりきちんととは言えないかも)

◎ASYGとは?
Asian Students and Youth Gathering のこと。今回第2回目。
第1回目は、1993年にブラジルで行われたエキュメニカルな教会青年の世界集会(Ecumenical Global Gathering for Youth and Students:EGGYS)に先立って、同年3月インドのバンガロールにて行われた。
ASYG2000は、アジア太平洋地区の5つのキリスト教系団体によって主催されている。

・Asia Alliance of YMCAs (AAY)
・Christian Conference of Asia-Youth (CCA-Youth)
・International Movement of Catholic Students Asia-Pacific (IMCS-AP)
・International Young Christian Students Asia-Pacific (IYCS-Asia)
・World Student Christian Federation Asia-Pacific Region (WSCF-AP)

今回の参加国:
香港、日本、韓国、フィジー、バングラデシュ、インド、スリランカ、タイ、台湾、オーストラリア、パキスタン、カンボジア、インドネシア、ミャンマー、マレーシア、フィリピン、ベトナム

その他、ゲストとしてブラジル、ドイツ、パレスチナ、カナダの人々も1人ずつ参加。
また、韓国とタイからはYWCAのメンバーも数人ゲスト参加。
総勢100人前後の大会となった。

◎今回のテーマ
“Review,Reflect,Renew:Building Sustainable Communities”
→「見直そう、考えよう、新しくしよう:持続可能な共同体の構築」

キーワードは「グローバライゼーション」

多くのアジアの国々は、1950年以来植民地主義の力からの独立を手に入れた。
この50年間の急速な発展とグローバライゼーションは、アジアに大きな変化をもたらした。
アジアの国々はこの植民地時代後の自治と繁栄を満喫しているように見えるが、しかしそのような変化は全体的に、多くの人々の生活や社会に数え切れない逆転をもたらしている。
アジアの若者たちは教育、文化、そして価値感を含むこれらの変化を受けやすくさせられているのだ。(うまく表現できているか不安)

・・・ということをふまえて、

聖書的・神学的見地を含んだ分析という手法により、

・アジアにおける社会的、経済的な発展について批判的に見直すこと
・発展やグローバライゼーション、またそれが若者や教育制度や社会などに与えている影響などに関して参加者が理解を深めること
・そのようなことに対して実際に何か運動を起こしていこうとする意識の促進
・そのような問題や社会に対する我々の役割の共通理解と分析
・発展やグローバライゼーションのマイナス面に対する代替案、代わりになり得るモデルを示す、考えていくこと
・アジアの青年のエキュメニカルなパートナーシップを強化すること
・参加者がアジアという地区のレベル、国のレベル、地方のレベルなどで具体的なプランを進めていけるようになること

をASYG2000はめざしている。・・・と私は理解している。

◎私の個人的な感想

「がんばるゾ!」とやる気だけは結構あったのだが、2日目の後半の基調講演から、私にとっては辛い1週間になるであろう事が早速分かってしまった。英語がさっぱり分からないのである。そりゃあ自分でも英語力がそんなにたいしたことないことは分かっていたつもりであるが、本当に困った。こんな事を言ってんのかな、くらいのイメージが少し湧くくらいのものでしかなかった。

分団でも辛い思いをした。何といっていいか分からないのである。まあ日本語でもうまく言いたいことをまとめられない、伝えられない自分なのでなおさらかもしれないが、分団のメンバーに、「そんな事聞きてェんじゃねェんだよ」(←と私には聞こえた)と突っ込まれたり、自分の英語力の無さに本当に情けない思いをした。そうやって自分の身の程を思い知らされた時、本当に悔しくって泣きそうだった。

韓国の女の子達にはアホ呼ばわりされてたし(ホントに軽い冗談だったらしいが、その時の自分には全くしゃれになってなかった!)。

プログラムに関係ないところではいろいろ話ができたのになァ。小出さんたちに頼らずに自分の力で何とか乗り切らなきゃ、と変に意地を張ってたのもまずかったかな。

後ろ向きな感想はこのくらいにするとして、もっと前向きな感想を述べることにしたい。
4日目と5日目に私たちはいろいろなテーマ別に分かれてエクスポージャーに出かけた。
私とあぎじゃさんは「スラムとストリートチルドレン」についてのエクスポージャーで、一般の農村から流れてきた人々で作られているスラム、山岳民族で形成されているスラム(どちらも市民権を持っていないので環境が非常に悪い。ほったらかしの状態)、市民権を持っている人々で形成されているスラム(前者よりは格段に住みやすそうだがそれでも住環境は十分ではない)をそれぞれ訪れた。

スラムが形作られるようになった元々の原因は、政府が経済発展を目指す一方で農村に対する援助をしなくなったために、農村から生活に困った人が職を求めて流れ込んだためだそうだ。農業のほかには何の技術も持たない人々なので職にもなかなかつけないのであろう。

日雇いの仕事にありついたとしても、労働者の賃金は男で1日に約170〜180バーツ(400〜500円)、女では約70〜80バーツ(200〜250円)だそうだ。安い上にここでも男女によって格差がある。

そしてこのようなスラムには決まったように麻薬の問題、教育の問題、衛生の問題がついて回っているようである。特に衛生の問題は切実そうである。どのスラムもその土地のオーナーが黙認している(慈善家なのだろうか?謎である)ので、政府も黙認しているが、浄水場など、環境を整備するとみんな出て行かなくなるので、土地のオーナーも政府も何もしない。1ヶ所、政府が作ったという浄水場が近くにあったのだが、まだ使われていないという。これ見よがしに作っておいて使わないとは、これもまた謎である。

要はスラムの人々には早く居なくなって欲しいということらしい。出て行くのは自由だが、ニューカマーは認められていないという話がそれを物語っている。一番住みやすそうなスラムのそばを流れていた(?)川でさえも、まさにドブ川であった。

そこでスラムの住環境改善などを政府に働き掛けている人の話を聞いた。彼女は言った。
政府は何も動こうとしてくれない。ストライキなど試みても反応しない。でもそれは決して無意味ではない。あきらめてしまった時にこそ、その努力は無意味なものとなる。
大事なのは、粘り強く働きかけることなのだと。その言葉は、社会であったり、自分の人生であったり、何しろ日ごろから何かにつけすぐにあきらめがちな、もう遅い、もうだめだ、やっても意味がない、そんなにがんばったってどうせ、と言い訳をつけてあきらめがちな私たちにとって、とても大事なことのように思えた。

次の日私たちは、ストリートチルドレンの更生や教育などの援助に取り組むNGOを訪れた。
親が死んで居なかったり、親が犯罪で捕まったり出稼ぎで出ているため居ない子供たち、家族から逃げてきた子供たちがストリートチルドレンになるようである。

年齢層は様々で、4歳から12歳くらいの子供たちは主に乞食をして、15歳から18歳くらいの年齢層は麻薬に関わることが多いそうである。そして女の子の場合、多くは売春へと走ってしまうと言っていた。だから、そのような悪い状況に巻き込まれることのないように、彼らと関係を作り、対話することを重視しているそうである。

彼らが活動するのは夜なので、活動は彼らとコンタクトをとるために、主に夜回りなのだそうだ。
そうして関係ができた子供は昼間にも事務所に遊びに来てくれるようになるので、そこから粘り強く、悪いことに巻き込まれないような、自力で生きていけるような教育(?)をしていくのだそうだ。

例えば、自分の話をしたり(専従スタッフの数人は元ストリートチルドレンなのだそうだ)、教育ビデオを見せたり、キャンプに連れていったりと。
もちろん、多くの子供たちはそんなものにはすぐに飽きて、また来なくなってしまうらしいが。

そのNGOの事務所は、政府の援助によるケーススタディとしての家で、彼らの活動(1997〜)が目に見えて実を結ぶようなら、もっと立派な、きちんとした施設を作ってもらえるのだそうだ。
ここにも希望を信じて、粘り強く生きている人たちがいた。

もう一つ、印象に残ったプログラムがあった。それは、6日目のワークショップでの1コマである。それもいくつかのテーマに分かれて分団になって行われたもので、私のグループは「異なる信仰を持つ人と共に生きるために」というようなテーマだった。

私たちは男性と女性に分けられた。それぞれ別の場所で、男性には裸の女性がうずくまっているような絵を見せられ、女性には男のしかめっ面のような絵を見せられた。
次に男性と女性が一緒になって、どちらともとれるような、いわゆる「だまし絵」を見せられ、それぞれ感想を言い合うというものであった。
つまり、同じ絵を見ているのに、男性は裸の女性の絵、女性は男性の顔だと思い込んでいるので、意見が全く違うのである。
同じ事について話しているのに、意見が全く合わない。相手の考えている事がさっぱり分からない。そんな時にやはり大事なのは、相手の話をじっくり聞く事。自分の思いをしっかり伝える事。あきらめずに、じっくりと話し合う事なんだ。タネをあかされて、いかに自分がその努力を怠っていたかがよく分かった。

スラムでも、ストリートチルドレンのNGOでも、ワークショップでも、共通して感じた思いは、あきらめない事。粘り強く働きかける事。開かれる事を信じて、扉を叩き続ける事。
それは、時間がかかるだろうし、労力もかかるだろう。そりゃァ、私たちの生活においては、車だって、携帯だって、パソコンだって、あれば便利だ。早い、楽ちん、とても効率がいい。
でも、人間が人間らしく生きていくために本当に必要なものは、結構それとは対極のところにあったりするのではないだろうか。
そしてそのような価値観を私たち1人1人が大切にして、輪を広げていく事が、グローバライゼーションのマイナス面に対抗する結構重要な鍵だったりするんじゃないかと私は改めて思うのだ。そんな事分かりきってるじゃんと言われそうだけど。

(おしまい)

最後は何か強引にまとめてしまった感じがしますが、だらだらと書いてしまいました。
本当は、もう少し細かいプログラムの紹介や、一番大事な宣言文についても書くべきだったのですが、それはまたの機会にさせて下さい。実は自分でもどうだったのかよく分かっていないのです。

私を支えて下さったたくさんの方に心から感謝しています。
それではまた。

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<あぎじゃさんのメールからの引用>

さて、私は1月21ー25日まで(本当は28日まで)タイのチェンマイに行っておりました。『ASYG2000』というアジアのキリスト青年のエキュメニカル集会に参加するためでした。
日本からはymca同盟の代表として小出雅生さん(カソリック)と水谷 憲さん(日本基督教団)、NCCから横山美樹さん(聖公会)、私はWSCFという団体の代表として参加しました。
(在日大韓基督教会もymcaもWSCFに加盟しています。今回は私はymcaに誘われて行ったので ymcaのメンバーとして発言することが多くありました。)

テーマは「グローバリゼーション」で、これについてアジア各国でナショナルレポートを作るためにまず集まってレポートを提出してからタイに集まりました。なんだか、抽象的なテーマだし、今まで考えたことのないものだったので私達がイメージするのがとても困難だったです。

「行ったらなんとかなるかも」と思いつつ参加しましたが、行っていろんな国の人たちのレポートや講演を聞く中で私なりにやっとわかったことがあります。

それは「グローバリゼーション」って結局「枠をなくしてフリーになることだ」ということです。情報ではインターネットなどで世界中の情報がフリーになりました。経済では3か国間貿易や経済自由化など世界中の市場もフリーになっています。人も昔より海外に行きやすくなりました。文化についても今は韓国料理、インド料理、ベトナム料理などが日本でも食べることができ、日本の歌手が海外でとても流行っていることもわかりました。

今回の集会(Gathering)でもアジアのたくさんの国の人を知ったりその国の事情や問題を知ることで自分の国の持っている問題や文化などを相対的にみることができグローバリゼーションのいいところだと思いました。

しかし、この自由ということが資本主義の世界の中では強いものに対してより有利に動くことのできる土壌になるということが、グローバリゼーションの悪い面としてよくわかりました。地元産業が海外の大企業によってどんどんつぶされているとバングラデッシュの参加者が話していました。

メディア(情報)も市場もフリーという事が表向きですが、実はアメリカや日本などの政府や企業に有利に偏っているんだとは今まで気づきもしませんでした。

それじゃあ、どうすればいいの?ということですが、残念ながら最後まで私は参加していないので、この会の共通見解はわかりませんが、これからはもっとちゃんとした国際ルールを決めて(抽象的ですが)グローバリゼーションを目指していけたらいいのではないかと私は思っております。

余談ですが参加者は発展途上の国の人もなんだかんだ金持ちそうでしたね。やたら良い時計をしているのにびっくりしました。そして英語もすらすら出てくるのがうらやましかった。しかし、みんなネイティブでないのでそういうところで同じ努力をしているという親しみがありました。
とにかく、たくさんの友達ができたのがとても大きいです。最初は誰と一緒に居れば良いのか不安に思う食事時も最後には勝手に知らない人の中に座って話をしたり、こういう出会いや過ごし方を経験できて本当に嬉しいと思いました。

英語には苦労したし、なかなか自分を表現できず寂しい思いもありましたが、それを少しこえて人とつながるのはちょっとした勇気とやる気だと思います。
その他にも海外における自己紹介についての個人的感想などいろいろあるのでまた報告できればと思います。とても大切な経験をすることができたことをYMCAのスタッフの方と神様に感謝します。

おわり。

 

 

このページの作成者:竹佐古真希(東北地区共働スタッフ)
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